計算化学と言えば昔は理論化学者のみが扱えた研究領域でした.しかし最近ではパソコンの性能も飛躍的に進歩し,また簡便な計算プログラムソフトなども登場してきたことから有機化学者にとっても随分と身近なものとなりました.最近のジャーナルなどを眺めていると,いたる所に計算化学が取り入れられていることが分かります.ましてやこれから更にパソコンの性能が進歩していくであろう世の中において,有機化学者にも計算化学の知識が必要不可欠になっていくことは自明と言えましょう.さもなければ英文報告の内容が理解できないということにもなりかねません.しかし,いざ計算化学の勉強をしようと思い立ち,書店に並んでいる本を手に取るとΣ記号や積分のオンパレード・・・.数式に強い方なら問題ないのでしょうが,有機化学者の中にはそうでない方も多いはず.そういう人にとっては本を買う前に書店で挫折ということになりかねません.
そこで,今回は数式の大嫌いな有機化学者(の卵)である私(YU)があえて計算化学についてのトピックを書きたいと思います.当然数式は出さない(厳密には「出せない」)予定です.また,計算化学を始めたばかりの方(特に有機化学者)などは「計算方法が色々ありすぎてどれをやればいいのか分からない」とか「計算方法の理論はどうでもいいから結局どれを使えばいいわけ?」という方も多いのではないでしょうか.
私も最初そうでした.そんな方にとってもかゆいところに手が届く的なトピックが書けたらと思っています.計算化学入門者,これから計算化学を学びたいと考えている方,英文報告で計算化学が出てきた途端睡魔に襲われてきた方,そんな方達を対象としたトピックですので計算に詳しい方はどうぞスキップを・・・.それでは以下本題に入りましょう.
一言で言えば「分かることが色々ありすぎて私も全ては理解していない」というのが本音です.つまりそれだけ色々な情報が分かるとも言い換えられましょう.代表的なところをいくつか挙げてみましょう.
分子の最安定構造(結合長・二面角なども),分子軌道とそのエネルギー準位,イオン化ポテンシャル,電子親和力,生成熱,電荷分布,スピン分布,ダイポールモーメント,遷移状態の構造(結合長・二面角なども),活性化エネルギー
etcなどが挙げられます.また,紫外可視吸収スペクトル,発光スペクトル,赤外スペクトル,ラマンスペクトル,NMRスペクトルなどの予測も可能です.
有機化学者が分子を扱う際には溶液状態や結晶状態(or
油状)が最も多いのではないでしょうか.つまりこれは分子の凝集状態です.しかし,理論計算で得られるのは一般に孤立した単分子状態の情報なのです.凝集状態と単分子状態とでは最安定構造などに違いが出ることも多いため,それらの比較を行う際には常にそのことを頭の片隅に置いておくことは必要となります.また,プログラムによっては溶媒の存在を考慮した計算が可能なものもありますので適宜使用してもよいかもしれません.
下の図1を見てください.これは私が以前書いたトピック(有機化学者のための分子軌道法)の中で出てきたノルボルナジエンの分子軌道です.下に示したカラフルな方は私がDFT計算(後述)を用いて求めたものになります.手書きの分子軌道図とよく一致していることが分かりますね.最近では計算結果をこのように綺麗に可視化するソフトも多数あり,計算化学を学ぶと分子の立体配置や分子軌道をイメージしやすくなる利点があると思われます.
図1. DFT計算で求めたノルボルナジエンの分子軌道
計算の種類がたくさんありすぎるために何が何だ混乱してしまいそうになるのは私だけでしょうか?そこで,ここでは代表的なもののみを取り上げてその点を少し整理したいと思います(私自身が学習中の身ですので勘違いをしていたら申し訳ありません).まず,計算の性質の違いにより大きく4つに分類ができるようです.
それは
「分子(動)力学法」 「分子軌道法」
「密度汎関数法(DFT法)」 「モンテカルロ法」 です.それぞれについて解説を加えます.
厳密には分子力学法と分子動力学法は別のもののようですが同じカテゴリーとして分類しました.分子力学法を発展させたものが分子動力学法のようです.これは分子を剛体球としてとらえ,力学的に最安定構造を求めようという考え方です.有機化学の教科書にエタンがニューマン投影図と共に載っていますよね.その時に重なり配座が最も不安定になることなどが説明してあります.直感的にとても分かりやすいですね.分子力学法はそんなイメージです.原子同士が近づきすぎると不安定化するなどを考慮し最安定になる点を求めていくのです.実際の分子には電子があり,それらの静電反発なども分子の立体構造に大きな影響を及ぼすこともあるのですがこの方法ではその点については考慮されていないようです.そのため,計算時間は短くて済み,巨大分子に対しても用いることができます.タンパクや核酸などに用いるのに適しているのではないでしょうか.例えば上に示したノルボルナジエン程度の小分子を分子力学法で計算してジャーナルに投稿してもまず蹴られると思います.分子力学法の一つの方法としてMM2計算などが有名です.
続いて分子軌道法です.これは一言で言えば,シュレーディンガー方程式を解くことにより分子の最安定構造やエネルギーを求める方法です.シュレーディンガー方程式を物理化学の教科書で見てみれば分かりますが積分などの煩雑な計算がたくさん出てきます.その部分を解く際の方法の違いにより分子軌道法は二つに分類されます.
一つは半経験的分子軌道法,もう一つは非経験的分子軌道法(ab
initio法)です.
半経験的分子軌道法は積分などを解かずに実験により得られた数値(パラメータ)などを代入して解いていく方法です.そのため計算時間は比較的短くて済みます.一昔前まではパソコンの性能がいまいちだったため,半経験的分子軌道法でさえ計算に何日間かを費やしたようです.そのため,有機化学者が行う計算としてはこの辺が限界であり,ジャーナルもそれで通ったようですが今ではかなり厳しいと言えるでしょう.フラーレンやポルフィリンなどの大きめの分子ならば通るかもしれませんがフェニル基が2,3枚の分子では難しいかもしれません.上記のノルボルナジエンの場合,最近のパソコンを使えば30秒くらいで計算は終わるのではないでしょうか(←実際に試してはいません).
半経験的分子軌道法の場合,例え同じ原子であっても用いる実験値により何種類かのパラメータが開発されています.それらは例えば,AM1,PM3,PM5,MNDOなどがあります.それぞれ得意・不得意があるため何を計算したいかにより使い分けた方がよいでしょう.
非経験的分子軌道法はシュレーディンガー方程式の積分などを数学的近似のみを用いて解いていく方法です.実験値などには一切頼らないため非常に時間がかかります.方法にもよります(←詳しくは後述)が上記のノルボルナジエンでさえ一日から数日程度はかかります.非経験的分子軌道法には近似や計算法の違いによりHF(ハートリーフォック)法やMP法,CI法などがあります.
最近の報告でよく見かける非経験的分子軌道法としてはMP法の中のMP2あたりではないかと思います(MP法には他にMP3,MP4などもある).MP法による計算が行われていれば英文報告では問題ないかと思われます(後述の基底関数の種類にもよりますが).CI法は励起状態の計算をしたい時に用いられるようです.
続く密度汎関数法ですがその理論については正直私も詳しくは分かりませんが,電子同士の相互作用を電子密度の関数として考えていく方法のようです.理論は専門書にお任せするとして,一つ言えることはこの方法が現在最もポピュラーであることです.
理由としてはMP法などの非経験的分子軌道法に比べ計算時間が短くて済むにも関わらず,同程度の精度の計算結果を与えることが多いためと考えられるでしょう.実際,上記のノルボルナジエンの場合10時間程度の計算時間で済みました.
密度汎関数法にもいくつかのパラメータがあり,例えばBLYP,B3LYPなどがあります.現在の英文報告に載ってる密度汎関数法による計算ではB3LYPを用いているものが最も多いかと思います.これを適切な基底(←後述)と組み合わせて用いてあれば英文報告に投稿して計算で蹴られることはないかと思います.
最後のモンテカルロ法は分子集合体のシミュレーションなどに用いられるようですが私は使ったことがないためこれ以上の言及は避けさせて頂きたいと思います.
上の項目で4つに分類した計算法のうち,ここからは分子軌道法と密度汎関数法のみに的を絞って解説していきたいと思います.上記解説で計算の概要と種類がある程度分かったかと思いますが,実際に計算をする際にはこれだけでは足りないのです.基底関数というものがあり,上記の計算法と組み合わせて使うのです.その際,この基底関数は数種類あるので適宜選別が必要となります.そこでここではこの基底関数についてお話しましょう.
基底関数とは電子を収容する軌道を数学的な式で表現したものです.例えば,水素原子は有機化学的には1s軌道に一電子が入っているとしか考えませんが,実際には1s軌道の外側にその電子が存在したり,2s軌道や2p軌道にその電子が存在している確率もあるわけです.それ故,計算をする上で電子をどのような大きさや形,エネルギー準位の軌道に収容するかを考えなければなりません.その「どこまで考慮するか」により基底関数は数種類あるわけです.当然,柔軟性に富んだ大きな基底関数を用いた方が計算精度は向上する傾向がある(←もちろん全てがそうとは限らないが)のですが,基底関数のレベルを上げすぎると計算に莫大な時間が費やされることにもなりかねませんので注意が必要です.
基底関数は大きく三種類にわけることができます.最小基底系,スプリットバレンス基底系,分極基底系です.
最小基底系はその名の通り最小限の軌道のみを考慮した基底関数です.水素原子ならば1s軌道のみに,炭素原子ならば1s,2s,2p軌道のみに電子が収容されていると考えるわけです.その代表の基底関数がSTO-3Gというものです.半経験的分子軌道法のAM1やPM3,PM5にはデフォルトとしてこの基底関数が用いられることになっているようです.
スプリットバレンス基底系は形(s,p,dなど軌道特有の形のこと)は一緒でも,その大きさの違う関数を二つ以上持つと考慮した基底関数です.これでは分かりにくいと思うので,もう少し具体的に言うと,水素原子の場合大きさの違う二個(以上)の1s軌道を持っていると考えるわけです.炭素原子の場合は大きさの異なる1s,2s,2p軌道をそれぞれ二個(以上)ずつ持っていると考えることになります.こうすることにより最小基底系よりも軌道に柔軟性が出ますね.具体例としては3-21Gや6-31Gといった基底関数がよく用いられます.
分極基底系とは形の異なる軌道も持つと考慮した基底関数です.つまり水素原子の場合,1s軌道の他に2p軌道も持つと考えるわけです.s軌道とp軌道ではその形が違いますね.炭素の場合は1s,2s,2p軌道に加えて3d軌道も持つと考えることになります.こうすることにより軌道にさらに柔軟性が増しますね.具体的には6-31G(d)や6-31G(d,p)がよく用いられます.これらはそれぞれ6-31G*,
6-31G**と書くこともあります.どちらで書いても構いません.6-31G(d)はスプリットバレンス基底系である6-31Gの基底関数において,水素以外の元素にd軌道の関数を加えたものになります.6-31G(d,p)では6-31G(d)の基底関数の水素原子にp軌道の関数を加えたものになります.
これらとは別にdiffuse関数というものがあります.diffuse関数とは上記の基底系に用いられてきた軌道よりもより大きく柔軟な関数と言えます.これを基底系に取り込むと,その基底系の柔軟性を更に広げることができます.ただしその分,計算時間が飛躍的に増加します.例えば6-31G(d)にdiffuse関数を取り込んだものが6-31+G(d)です.これは水素以外の元素にdiffuse関数を考慮した基底系です.水素原子にもdiffuse関数を取り込んだものは6-31++G(d)となります.実際の所,水素原子にdiffuse関数を取り込んでも計算精度にはあまり影響しないようです.
実際の計算の際には目的に応じた計算法と基底を組み合わせて計算を行います.報告に表記する際には例えば,MP2/6-31+G(d)などと書くのが一般的です.これは計算法としては非経験的分子軌道法のMP2を,基底には6-31+G(d)を用いましたという意味です.
では,実際に計算を行うに当たってどの計算法と基底を用いればよいのでしょうか?有機化学者にとってはここが一番知りたいところかもしれません.これは私のこれまでの経験からしか言えませんが有機物の場合,分子量が200以下くらい(←厳密な境界線ではない)ならばB3LYPかMP2に6-31+G(d,p)あたりを組み合わせることが多い気がします.また,それ以上の分子量になってくるとB3LYPかMP2に6-31G(d,p)あるいは6-31G(d)くらいを組み合わせるのが妥当なところではないでしょうか?よほど大きな分子にB3LYPやMP2計算を行いたいならば6-31Gか3-21Gもありかもしれません.B3LYPやMP2に対してSTO-3Gを用いることは妥当とは思えません.レフェリーに蹴られる可能性が高いのではないでしょうか.この辺の組み合わせは系や個人に的趣向にもよりますので各人報告等を読んで選択してみてください.
また,重要なこととしては負電荷を持つ化学種(アニオン,ラジカルアニオン,ジアニオンなど)や励起状態の計算の際には必ずdiffuse関数は取り入れた方が無難です.取り入れてないというだけでレフェリーに蹴られかねません.これらの化学種は電子が核からかなり離れた所に存在する確率が増すためです.ここに示した計算をしておけば,計算レベルでレフェリーに蹴られることはあまりないのではないでしょうか.(責任は持てませんし,あくまで有機化学の報告に関する話です.)
さて,分子軌道やフント則が載っているような化学の教科書では電子は一つの軌道につき反平衡に2個ずつ入ると記述されています.しかし,計算化学の世界ではそうとは限らないのです.計算化学では軌道と電子の詰め方は二種類あります.一つは制限法,もう一つは非制限法と呼ばれます.
制限法というのは教科書に載っている「一つの軌道につき反平衡に2個ずつ詰めていく」方法です.化学の一般的な考え方ですね.一方の非制限法は「一つの軌道につき電子を一つずつ詰めていく」方法です.そのため,同じ準位に属するαスピンの軌道とβスピンの軌道でもエネルギーに差が出てきます.また分子軌道を可視化ソフトを用いて見た際にもαスピン電子の入った軌道とβスピン電子の入った軌道とを別々に見ることができます.言葉での説明よりも図の方が分かりやすいと思うので下の図2を見て下さい.イメージがわいたでしょうか?
図2. 制限法と非制限法による分子軌道
さて,この制限法と非制限法ですがどのような時に使い分けるのでしょうか.一般には閉殻分子には制限法を用い,開殻分子と励起状態には非制限法を用いると考えておけばよいかと思います.閉殻分子とは基底一重項の一般的な分子のこと,開殻分子とは基底二重項や三重項のラジカルやラジカルイオン,ビラジカルのことです.また,基底一重項でも一重項ビラジカルなどの特殊な例では非制限法を用いることが多いようです.基底一重項分子に非制限法を用いる際には「Guess=mix」というキーワード(←後述)を加えておいた方がいいようです.
論文中の記述では制限法の場合,制限を意味する「Restricted」の頭文字をとって「R」を計算法の頭に付けるか,何も付けないまま表記するのが普通です.例えばHF法のを用いた際には「HF/3-21G」か「RHF/3-21G」と書きます.B3LYP法の時も「B3LYP/6-31G(d,p)」か「RB3LYP/6-31G(d,p)」と書きます.非制限法の時には,非制限を意味する「Unrestricted」の頭文字をとって「U」を計算法の頭に付けます.「UHF/3-21G」や「UB3LYP/6-31G(d,p)」と言った感じです.
表計算をしたい場合に「Excel」を用いるように,理論計算をしたい時には専用のソフトウェアを用いる必要があります.メーカーにより様々出ていますが有名どころを挙げると「Mopac」と「Gaussian」ではないかと思います.Mopacでは半経験的分子軌道法しか取り扱えない欠点(?)はありますが,可視化ソフトが内蔵されているため計算結果をそのままMopac上で見ることができます.計算入門者にはおすすめかもしれません.一方Gaussianは半経験的分子軌道法に加え,密度汎関数法や非経験的分子軌道法も扱えるため,最近の英文報告の中に出てくるのは大抵これです.しかし,可視化ソフトを別途用意する必要があるのと,計算を実行させるための入力ファイルの作成が入門者には少々分かりにくいかもしれません(慣れれば簡単ですが).説明書が英語というのも,人によっては障壁となるかもしれませんね.可視化ソフトはフリーで手に入るものも多いのですが,図1のような分子軌道を表示したいのであればフリーのものだと少し厳しいかもしれません(あるにはあるようですが).各自目的に応じてプログラムソフトを選定するとよいと思います.
計算を行う上で分子の構造を入力する必要があります.その最初に入力する分子の構造を示した座標を初期座標と呼びます.その際,「ChemDraw」のようなソフト上でフリーハンドで書いたような構造を入力することは賢明ではありません.きちんと専用のソフト上で一つ一つ組み立てていくことをおすすめします.その際,入力座標にはカーテシアン座標というものとZ-マトリックスという二種類の座標の種類があります.カーテシアンはいわゆるxyz座標です.数学の(x,y,z)に習って分子構造を示す座標を組み立てなければなりません.ベンゼンのような平面分子ならば二次元座標上で表記できるため比較的楽かもしれませんが三次元座標が必要になると組み立てが大変困難です.そのため,大抵の方はZ-マトリックスを用いているのではないかと思います.Z-マトリックスとは指定した原子からの距離と角度と二面角の三つで新たな原子の位置を指定していく方法です.最初少し戸惑うかもしれませんが慣れると大変楽です.専用のソフトもたくさんあります.私のおすすめは「Winmostar」というソフトです.フリーで手に入る上,Z-マトリックスの組み立てが分かりやすく,さらに半経験的分子軌道計算も可能という素晴らしいソフトです.このページの一番下の関連リンクに載せておきますので興味のある方は一度どうぞ.
このトピックの最初の方で「計算により何が分かるのか」を説明しました.ここでは,それを求めるためにはどのような計算をすればよいのかを(私の知るレベルで)具体的に説明したいと思います.
計算を実行するためにはまず計算方法と基底(B3LYP/6-31G(d)など)を選択し,入力ファイルに書き込みます.計算方法は系に応じて制限法と非制限法を選んで下さい.非制限法を用いたい時は頭に「U」を付けて入力ファイルに書き込めばOKです(UB3LYP/6-31G(d)など).次に,計算をパソコンに実行させるためにキーワード(←用いるプログラムソフトにより異なる)というものを選定し,これも入力ファイルに書き込みます.また,当然ながら分子の初期座標も入力ファイルに書き込みます.また,計算したい分子の電荷とスピン多重度も忘れず書き込みましょう.(※プログラムソフトによりこの他にもファイルの排出先を指定し書き込んだりすることも必要です.その点については用いるプログラムソフトの説明書を参照してください)そして,この入力ファイルをプログラムソフトに読み込ませ,いざ実行という流れです.そして,計算が終わると必ずアウトプットファイルというものが排出されます.そこに,行った計算結果が全て記されているのです.そのアウトプットファイルから直接読みとれる数値もありますが,分子軌道の図などは別の可視化ソフトウェアを用いてこのアウトプットファイルを読み込み,見る必要があります.
ここからはプログラムソフトとしてGaussianを用いた際を例に説明を行います.まずは構造最適化計算の際には基本的には「opt」というキーワードを用います.構造最適化計算を行うと,「分子軌道とそのエネルギー準位」,「生成熱」,「電荷分布」,「スピン分布」,「ダイポールモーメント」も勝手に計算されていますので適宜アウトプットファイルや,可視化ソフトを用いて結果を見ることができます.
構造最適化計算を行った後には必ず振動計算を行わなければなりません.キーワードは「freq」です(optとfreqを両方書いておくと構造最適化が終わった後に自動的に振動計算もしてくれます).その際,構造最適化された座標を用いて,その座標から一切動かすことなく振動計算は行われます.このように座標を動かさずに行う計算をシングルポイント計算と呼びます.するとアウトプットファイルに「cm–1」単位でその分子の振動ピークが排出されます.これがそのままIRスペクトルのシミュレーションにもなります.IRスペクトルは計算結果と比較的良い精度で合うことが多いため参考になることが多いです.さて,少し話がそれましたがこの振動ピークの中に負の振動数が含まれていないか確認してください.もし含まれていた場合,残念ですがその計算結果は最安定構造にはなっていません.初期座標を調整するなどしてやり直す必要があります.負の振動数が含まれていないならばとりあえずOKです.
また,ある分子とある分子のどちらが熱力学的に安定かを知りたい場合,構造最適化計算により求められた生成熱の比較を行ってはいけません.振動計算を行うとゼロポイント補正という値が排出されます.構造最適化により求められた生成熱にこのゼロポイント補正を加えた値を比較しなければなりません.これは分子が絶対零度においても零点振動を行っているためのようです.また,熱力学安定性を比較する際には,例えばo-キシレンとp-キシレンのように電子数が同じ化学種間で比較を行わなければなりません.ベンゼンとトルエンを比較することはできないのです.(※エネルギーの単位は「hartree」or「AU」で書かれていますがいずれも同じ単位です.1
hartree = 627.51 kcalmol–1です)
次にイオン化ポテンシャル(IP)の求め方です.例えばH2分子のIPが知りたい場合にはH2とH2•+の構造最適化及び振動計算をそれぞれ行います.そして,これら二種の化学種間でゼロポイント補正を行った生成熱の差をとります.その値がIPになります.電子親和力の際にも考え方は同じでH2•–とH2間でゼロポイント補正を行った生成熱の差をとればよいわけです.
遷移状態の構造最適化計算はキーワードとして「opt=TS」などを用います.遷移状態の構造最適化は困難な上時間もかかるので,その情報が本当に必要な時にのみ行うことをお勧めします.遷移状態の構造最適化の際にも振動計算が必要になります.そしてアウトプットファイルの振動ピークの中に負の振動数が一つだけ含まれていたならばOKです.
次に,ある反応の活性化エネルギーの求め方を説明しましょう.出発物質をAとし,その物質がBキという遷移状態を経由してCという生成物を与えたとします.その際,AとCの構造最適化計算および振動計算(キーワード:opt,
freq)を行います.次にBキの遷移状態最適化を行います(キーワード:opt=TS,
freq).そして,AとBキの間でゼロポイント補正を行った生成熱の差をとります.その値が活性化エネルギーになります.しかし,この際必ずIRC計算というものを行わなければなりません.キーワードは「IRC」です.このIRC計算には遷移状態の最安定構造を初期座標として用います.IRC計算は遷移状態からA側とC側に向かってそれぞれ計算が進行し,何点かの座標が排出されます.そして,計算が終わった時にはそのAとCに最も近い座標の構造を見てみて下さい.その構造がAとCの構造そのものか,それに近い構造ならばOKです.どちらか一方でも全く違う構造を持った際には残念ながらその遷移状態はAからCに化学反応する際の遷移状態にはなっていないということになります.このようにIRC計算によって,その遷移状態がどのような反応の出発物質と生成物を結びつけているかを確認できるのです.
紫外可視吸収スペクトルの予測にはいくつかの方法がありますが,最近最もよく用いられている方法はTD法です.キーワードには「TD=(Nstates=X)」などが用いられます.「X」の部分には具体的な10や20といった数字を入れて用います.これは長波長側からその数字の本数分だけ吸収バンドを計算せよという意味です.当然数字の数が多いほど計算時間もかかります.TD法は構造最適化した座標を用いてシングルポイント計算で行います.アウトプットファイルには吸収波長と振動子強度,どの軌道からどの軌道への遷移かが排出されます.しかし,紫外可視吸収スペクトルの予測は未だ難しいようでIRスペクトルの予測などと比べるとはるかに計算精度が劣りますので,実測値と合わなくても肩を落とさないようにして下さい.論文への表記法としては「TD-B3LYP/6-31G(d)」などと書かれることが多いです.本文中では簡便に「TD-DFT法」などと書かれるのが一般的ではないでしょうか.
この他にも発光スペクトルやラマンスペクトル,NMRスペクトルの予測もできますが,私はこれらの計算の経験がないためこれ以上の言及は避けます.しかし,キーワードさえ調べればおそらくそれほど難しいものではないと思います.また,特定の結合や角度を一定値に固定した計算など,キーワードを学ぶことで様々な計算が可能となります.
有機化学者にとって計算化学は一見受け入れにくいものかもしれません.しかし,現在のパソコンの性能,そして優れたソフトウェアを用いればそれほど難しいものではないと思います(ほんとの理論化学屋さんがやっていることは別).これは私見ですが,有機化学者も計算化学を積極的に取り入れることによって,より優れた分子設計や考察が可能になると思います.密度汎関数法などは実験値との誤差が小さく大変優れた方法であるため,これらを用いて計算を行うことにより合成ルートの選択がよりスムーズになることでしょう.結果として仕事のスピードや効率も上がると思われます.良いことづくしですね.
(2005.7. 4 YU)
・分子軌道法MOPACガイドブック 平野
恒夫 (編集), 田辺 和俊 (編集) 海文堂出版
・分子軌道法でみる有機反応
MOPAC演習 田辺 和俊 (編集), 堀 憲次 (編集) 丸善
・実践 量子化学入門―分子軌道法で化学反応が見える 平山 令明 (著) 講談社
なぜ水素はHではなく、H2になるのだろう?ヘリウムは、なぜHe2にならないのだろう?化学反応のすべての鍵は、電子にある。パソコンで実際に確かめながら理解できる、現代化学の最先端・量子化学の、最良の入門書。高校化学の知識でOK。
・分子軌道法 計算化学シリーズ 木原 寛 (著), 生田 茂 (著), 内田 希 (著) 講談社
・Winmostar Home Page
私(YU)おすすめのフリーソフト winmostarのホームページ.ここからすぐにダウンロードできます.半経験的計算用に用いるもよし,Z-matrix作成に用いるもよし,GaussianやGAMESSの入力ファイル作成に用いるもよしの素晴らしいソフトです.
・port:3016
winmostarを用いた計算例が多数紹介されており大変分かりやすいサイト.計算入門者はこれを真似て計算の練習をすると良いでしょう.計算に大変詳しい管理人への質問もできます.
・MOPAC(半経験的量子化学計算)の使い方
・FUJITSU
WinMOPAC3.9 Professional
・Gaussian
03
・gaussian.com
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