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ラジカル,イオン,ラジカルイオン?

 

    ラジカルとイオンは分かるけどラジカルイオンとの違いがよく分からないという人や,「そもそもラジカルイオンって何だ?」という人は化学者でも多かったりします.ということで,ここではこれらの化学種についてお話しましょう.

 

予備知識(電子の性質とスピン多重度)

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まず,本題に入る前にいくつかの予備知識が必要となります.一つ目は電子の性質.電子はスピン (αスピンとβスピンの二種類) と負電荷を持っています.これは化学をちょっとでもかじったことのある人なら知っているでしょう.そして,二つ目はスピン多重度.厳密には量子化学的な数式で取り扱わなければならないのですが,ここではそこまで突っ込んだ説明は抜きにして,簡単な概念だけを説明します.ある分子の中に詰まっている電子を考えた際にαスピンを持つ電子の数とβスピンを持つ電子の数を比べてみて,同じ時を一重項,1個どちらかが多い時を二重項,2個どちらかが多い時を三重項・・・・(以下同様) と呼びます(下図).

 

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電荷・スピン多重度と各化学種の関係

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さて,本題に入ります.分子の全電荷が0 (電気的に中性) でスピン多重度が二重項状態のものラジカルと呼び,三重項状態のものをビラジカル or ジラジカル(特に三重項ビラジカル or 三重項ジラジカル)と呼びます(注:三重項状態については三重項カルベン等もあるため全てがビラジカルとは限りません).しかし, 一般的に知られている有機分子はほとんど一重項状態で存在します(基底一重項).エチレンもベンゼンもアントラセンも何もしなければみんな一重項です.そこで,トルエンを例として説明すると下の図のAの状態となります.では,この状態に電子を一つ注入したらどうなるでしょうか?@の状態になりますね.電子は負の電荷を持っていましたから@の状態の全電荷は-1になります.さらに,αスピンを持つ電子の数が一つ多い状態です.つまり二重項となります.このように電荷が-1でスピン多重度が二重項のものをラジカルアニオンと呼びます(トルエンラジカルアニオン).逆にAの状態から電子を一つ引き抜くとBの状態になります.@と同様に二重項です.しかし,この場合は負の電荷を持つ電子が抜けてしまうため,全電荷は+1になります.このように電荷が+1でスピン多重度が二重項のものをラジカルカチオンと呼びます(トルエンラジカルカチオン).

 

 

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では次に,ラジカルを中心として電子の出し入れをしてみましょう.例としてベンジルラジカルを用います(下図のD).ラジカルは先ほど説明したように電荷は0ですからこの図Dの状態の電荷を0と考えてください.では,先ほどと同様にこの状態に電子を一つ付け加えるとCの状態になります.電荷は-1,スピン多重度は一重項になります.このように電荷が-1でスピン多重度が一重項のものをアニオンと呼びます(ベンジルアニオン).これまでと同じように考えると,Dの状態から電子を一つ取り去ったEのような電荷が+1でスピン多重度が一重項のものをカチオンと呼びます(ベンジルカチオン).

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ここまでで気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが,一重項の中性分子に電子を何個付け加えたり引き抜いたりしたところでアニオンやカチオンにはならないのです.逆にラジカルに電子を何個付け加えたり引き抜いたりしたところでラジカルアニオンやラジカルカチオンにはなりません.トルエンラジカルアニオンはあってもトルエンアニオンは存在しないのです.しかし,言葉が混同して混乱してしまいそうですが,トルエンからベンジルアニオンを作ることはできます.これは電子を出し入れするだけでは不可能ですが,化学反応を使えば可能となります.適当な塩基でベンジル位のプロトンを引き抜いてやればいいわけです(下図).同じように化学反応を用いればトルエンからベンジルカチオンも作れます.

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ここまでの話を表にまとめると下のようになります.こういう風に考えるとイオン,ラジカル,イオンラジカルの違いが少しすっきりしませんか?本当は一重項ビラジカルというものもあり大変興味深いのですが,少し話がややこしい面があるため今回のお話からは割愛しました.いつか一つのトピックとしてお話できるのではないかと思います.

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化学種の性質と観測法

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 電荷0,スピン多重度が一重項の中性分子は一般に安定分子であります.そのためNMRや溶液中での吸収・発光スペクトルによる解析等が容易に可能です.また,単結晶化に成功した場合にはX線構造解析による観測も可能となります.アニオンやカチオンは電荷を有するため中性分子に比べますと安定性に劣りますが,スピン多重度が一重項のため比較的安定なものもあります.そのため,NMRでの観測が可能な化学種も多数知られています.また,超酸等を用いることにより飛躍的に寿命をのばすことも可能で,その場合,溶液状態での吸収・発光スペクトルの観測も可能となります.対イオンを適切に選択することにより塩として単離できる場合も多く,その場合はX線構造解析による観測も可能となります.

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 一方,スピン多重度が二重項や三重項の化学種はこれらの化学種に比べ桁違いに安定性に劣るものがほとんどです.例外的に安定なラジカルやラジカルイオン塩も知られており,それらはX線構造解析による観測も成されていますが,あくまで極少数派であります.一般的なラジカルやラジカルイオンは反応性中間体であることが多く,その寿命は室温溶液中で数ナノ〜数ミリ秒程度しかないものがほとんどです.また,NMRは一重項分子以外には用いることができませんのでこれら二重項や三重項分子の前では無力化してしまいます.そのため,これらの化学種を観測にはかなりの制約があり,またそれなりの技術が必要になります.

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 そこで,二重項分子や三重項分子の観測に最も適した(というか,そのために考案された)方法はESR(電子スピン共鳴)スペクトルです.有機化学者の方は馴染みが薄いかもしれませんが,感覚的な説明をすれば不対電子用のNMRみたいなものです(←あくまでイメージです).不対電子はプロトン等の核スピンを持つ原子とカップリングをし,シングレット,ダブレット・・・等のESRシグナルを与えます.そういう意味でも解析法は1H-NMRに似ている点があります.また,NMRと違い,吸収・発光スペクトルに対するスピン多重度の制約はありませんので二重項分子や三重項分子であっても観測は理屈上可能ではあります.しかし,ESRスペクトルや吸収・発光スペクトルという観測手法があっても観測される側の化学種の短寿命という制約は打破できません.

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 そのため,実際の測定にはこれらのスペクトル的手法に加え,パルス波(レーザー光やパルス電流等)マトリックス単離法というものが組み合わされる場合が大多数です.前者は,ラジカルやラジカルイオンの前駆体にパルス波を照射し目的のラジカルやラジカルイオンを一瞬のうちに発生させ,それらが消失するまでのわずかな時間(数ナノ〜数ミリ秒程度)の間にスペクトルを測定するという方法です.後者は極低温中(数K〜数十K)で希ガスあるいは特定の分子を用いてラジカルやラジカルイオンなどを取り囲み,他分子との化学反応を抑制する方法です.そうすることにより,これらの不安定化学種の寿命を飛躍的にのばすことが可能であり,その間にESRや吸収・発光スペクトルを観測するという方法です.また,後者の場合,極低温でスペクトルを観測しているためスペクトルがシャープになり振動構造等の解析が非常にしやすくなるというメリットもあります.しかしながら,いずれも少々高価な装置が必要になります.

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おわりに

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 最後に,今回お話したラジカルやラジカルイオンはどんなところで使われているのでしょうか?例えばラジカルカチオンは大学教養程度の有機化学の教科書にならば必ず出てきます.どこで出てきたか分かりますか?そうです,マススペクトルのところですね.マススペクトルはラジカルカチオン状態を強制的に作り,そこからのフラグメンテーションを見るものです.また,ラジカルイオン種は近年注目を集めている有機EL有機導電体では切っても切り離せない関係にありますし,ビラジカルをはじめとするマルチラジカル種は有機磁性体などで主役となっているのです.その辺については別のトピックであらためてお話しましょう.

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(2005.5. 22 YU)

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参考、関連文献

 

・「光電子移動」 George J. Kavarnos著,小林宏 編訳  丸善

.光化学、電気化学についての重要な基本概念を紹介したのち、光電子移動過程について系統的に説明。近未来重要となる応用分野についても概説する。

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・「光化学〈1〉 」 井上晴夫,高木克彦,佐々木政子,朴鐘震 共著  丸善

.光化学を理解することは、生命を含めた自然現象を理解する第一歩である。光化学は大学における化学教育の中で今後非常に重要な位置を占めるとともに、コアカリキュラムに取り入れるべき魅力あふれる学問といえる。本書は光と物質の相互作用の基礎概念を自然に理解、把握できるように図式を多く取り入れ、実感をもって理解が進むように書かれている。光の時代の幕開けにおくる最適の書である。

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・「光化学」 杉森彰 著  裳華房

.21世紀は光の世紀。光化学の化学全体の中での位置付け、熱反応と光反応の対照的な性格の理由、光反応の特質などについて解説する。

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・「レーザー光化学―基礎から生命科学まで」 伊藤道也 著  裳華房

.光化学を専門とする人から、レーザーに関わる異分野の専門家までを対象に、分子の励起状態の基礎概念、すなわち光の化学現象の物理的化学的意味を理解し、どのような方法で、何をどこまで明らかに出来るかに重点を置いて解説。

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電子スピン共鳴―素材のミクロキャラクタリゼーション電子スピン共鳴―素材のミクロキャラクタリゼーション」 大矢博昭,山内淳 著  講談社サイエンティフィク

.豊富な実例で示すESRによる素材の測定法。素材の物性は電子の状態によって左右される。その電子状態をESRでどのように解明できるか、ESR自体の理解よりは素材への応用を目的に、豊富な実例で解説。
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・「電子スピン共鳴法」 河野雅弘 著  オーム社

.幅広い分野の研究・技術者が、電子スピン共鳴装置を分光光度計と同様に気軽に活用して活性酸素・フリーラジカルの計測を行えるように、その計測法や基礎原理、各研究分野への適用方法を具体的に解説する。
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関連リンク

 

大阪大学産業科学研究所 真嶋研究室

 

大阪大学大学院工学研究科 福住研究室

 

大阪大学大学院理学研究科 中筋研究室

 

京都大学化学研究所 小松研究室

 

東北大学多元物質科学研究所 手老研究室

 

ラジカル

【用語ミニ解説】

 

ラジカル

 

ラジカルとは簡単にいうと原子の周りを取り巻く電子のうち、普通電子は二つずつペアで同じ軌道上に存在している(共有電子対)のだが、何らかの条件で、同じ軌道上にひとつしかない電子(不対電子)のこと

 

 有機フリーラジカルの化学
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 取り扱い難いフリーラジカルを制御すれば合成への新しい応用が見つかる。溶媒に水が使えれば人へも環境へもやさしい。そんな新しいフリーラジカルの使い方を解説。

 

 

 

スピン多重度

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NMR

 

NMR分光法は一言で言うと「スペクトルから分子を構成する原子1つ1つを区別し見ることができ、分子を構成する原子同士のつながりがわかる」という画期的な手法です。

 

 有機化学のための高分解能NMRテクニック
有機化学のための高分解能NMRテクニック

 

多様なNMRテクニックを分かりやすく解説。最新手法・定番となる手法を厳選し、チャートを多用して手法と理論を分かりやすく示す。理論的な背景を理解しながらNMRの実験を自分で組み立てたい人に必読の書。

 

X線構造解析

 

化合物の単結晶にX線を照射して起きる回折現象から,電子密度分布を解析する手法。

 

 X線構造解析
X線構造解析

 

X線結晶構造解析の基礎知識から、低分子化合物の構造解析、生体高分子であるタンパク質のX線構造解析の実際、トラブルシューティングの例までを紹介した、実験室で役立つ実用的な入門書。

 

 

 

 

 

有機EL

 

EL(エレクトロルミネッセンス:electroluminescence)は蛍光体に電圧を加えたとき発光する現象で、熱をほとんど出さずに電気を光に変えます。発光体に有機化合物を使うものが有機ELです。