先日、ある訃報を受け取りました。米国スクリプス研究所のCarlos F. Barbas III 教授が亡くなったという知らせでした。改めて確認をして事実だと知りました。49歳とたいへん早すぎる死です。原因は甲状腺がんで2013年の10月ごろから闘病生活を続けていたそうです。化学の知識をもちながら生物学に果敢に挑み、様々な化学療法ツールを開発しました。ケムステ読者にはList-Barbasアルドール反応、すなわち近年の有機触媒の起点となったプロリンを触媒として用いたアルドール反応の開発者の一人といったほうがわかりやすいかもしれません。
そういわけで、本サイトではBarbas教授の追悼企画として、彼の経歴と研究を振り返ってみたいと思います。
Barbas教授は1964年11月7日フロリダ州第三の都市タンパで産まれ育ちました。大学は地元のエッカード大学(Eckerd College)に進学し1985年に卒業しました。
卒業後、博士課程はテキサス大学A&M大学(Chi-Huey Wong教授)に進学し、1989年に博士取得後Wong教授が当時新設のスクリプス研究所化学科へ移籍するのと同時に、スクリプス研究所の博士研究員となりました(Richard Lerner教授)。博士課程の時は酵素を用いた反応開発からはじまり、アルドラーゼ触媒に関する研究に携わっており、10報の論文を執筆しています。[1]
デオキシリボース-5-ホスフェートアルドラーゼによる交差アルドール反応[1]
触媒抗体(catalytic antibodies:抗体がさまざまな化学反応を触媒する)の開発者Lerner教授のもとで、このテーマで様々な研究を展開していきます。1991年には助教(assistant professor)として同研究所でポストを得ました。1995年には准教授に昇任し、その後もマイケル反応やDiels-Alder反応、アルドール反応など単純ですが様々な触媒抗体にしかできない基質、変換反応を見出していきます。特にアルドラーゼ抗体38C2を触媒として使った反応は有名で、様々な化学反応を触媒するのはもとより、アントラサイクリン系抗腫瘍抗生物質であるドキソビシンのプロドラック化にも成功しています。[2]
doxorubicinのプロドラック化:触媒抗体によるレトロアルドール反応とレトロマイケル反応
一方で触媒抗体に関してヒト抗体作製技術であるファージディスプレイ法の開発や、亜鉛フィンガーモジュール(Barbasモジュール)の開発など多数の生物学に直結した研究も行っています(詳細略)。[3] これらと触媒抗体の研究を基にしてProlifaron、CovX, Zyngeniaという3つの会社を共同設立者として起ち上げ精力的に自身の研究を化学療法に利用することを模索していました。
2000年に当時スクリプス研究所で最年少の教授(35歳)となり、研究も順調に進んでいる時に次の触媒反応に出会います。一緒に仕事をしていたListらによってアミノ酸であるプロリン触媒を用いた分子間不斉アルドール反応が見出されたのです。[4] 分子間の反応はかなり昔に知られていたもののの、金属触媒、ルイス酸のケミストリーの興隆により忘れ去られていた反応でした。ほぼ同時期にDavid MacMillanらがアミノ酸から誘導した独自の触媒を用いて不斉反応を報告し、空気も水も問題ない、この金属を用いない触媒は「有機(分子)触媒」(organocatalyst)と呼ばれ、世界中で爆発的に研究が初められます。そのさきがけである分子間アルドール反応は現在ではList-Barbasアルドール反応と呼ばれ、現在までに1700報以上の引用がされています。
Barbas教授自身も研究室を分子生物学的な研究と有機分子触媒の化学チームに分け、精力的に有機触媒をもちいた反応開発を行いました。最近では有機分子触媒を用いたビスピロオキシインドール類の不斉合成反応を報告しています。不斉触媒としてキンコナアルカロイド、チオウレア、一級ビナフチルアミンからなる有機分子を用いることで、4置換炭素からなる4つの不斉点を一挙に構築できます。[6]
ビスピロオキシインドール類の不斉合成反応(図は論文から引用)
さらに、最近ではタンパク質の標識化反応などにも注力していたようです。タンパク質の標識化反応は現在多数知られていますが、タンパク質内のリジンやシステインが標的となっています。しかし、リジンは数が多過ぎるため、部位特異的な修飾が困難であり、また、システインは大抵ジスルフィド結合を形成しているため還元が必要となります。最近、Barbas教授らはチロシン特異的なタンパク質の標的化反応を発見しています。この反応はチロシン誘導体に対し、リン酸バッファー/アセトニトリル中でPTAD を反応させると速や かにEne反応が進行し、生成物を定量的に与えます。[6]
とういわけで、かなり化学反応中心の紹介になってしまいましたが、化学と生物の幅広い分野で精力的に研究を行い活躍していた研究者であるといえます。それは彼のHPのトップにある図が良く示していることでしょう(下図)。
また、日本からも製薬会社や大学から博士研究員として留学している方が多く、知っている限りではアカデミックだけで、渡邉真一教授(金城学院大)、間瀬 暢之教授(静岡大)、田中富士枝准教授(沖縄科技大)、小野田晃准教授(大阪大学)、今井幹典准教授(金城学院大)、野村渉准教授(東京医科歯科大)、袴田 航准教授(日大)、猪熊翼助教(徳島大)、佐藤 伸一助教(学習院大)、水田 賢志助教 (長崎大)が在籍していました。
企業からの研究留学も含めれば有に20人を超えます。
個人的な思い出となると、筆者が博士研究員の時に1度だけ一緒にお寿司を食べに行ったことがあるのですが、有機触媒を少しやっていかからかなぜか彼は筆者のことを知っていて驚いた経験があります。また、よく研究所の中央アトリウムのソファーでC&ENを読んでいて、米国の一流の教授というのは日本に比べて時間に余裕があって研究のことばかり考えれるのだなとうらやましく思ったことを覚えています。
現在彼には妻と4人の子供がいて、その一人Derekは高校時の夏休みにBaran研究室で実験をしていました。余談ですが誰が見ても息子であることがわかるぐらいそっくりでした。気さくな方で筆者が在籍していた頃はとても元気であったのでまさかこんなことになっているなんて思いもよりませんでした。
本格的な化学と生物で活躍できる化学者の夭逝を大変残念に思います。最後にもう一度心よりお悔やみを申し上げます。
関連文献
- Barbas III, C. F; Wang, Y. F.; Wong, C.-H. J. Am. Chem. Soc.1990, 112, 2013. DOI:?10.1021/ja00161a064
- Barbas III, C.F.; Heine, A.; Zhong, G.; Hoffmann, T.; Gramatikova, S.; Bjornestedt, R.; List, B.; Anderson, J.; Stura, E.A.; Wilson, E.A.; Lerner, R.A. Science, 1997, 278, 2085 DOI: 10.1126/science.278.5346.2085
- (a) Segal, D. J.; Dreier, B.; Beerli, R. R.; Barbas, III C. F. PNAS, 1999, 96,?2758 DOI:10.1073/pnas.96.6.2758 (b)Eberhardy, S. R., Goncalves, J., Coelho, S., Segal, D.J., Berkhout, B., Barbas, III.C. F., J. Virol. 2006,?80, 2873. DOI:10.1128/JVI.80.6.2873-2883.2006
- List, B.; Lerner, R. A.; Barbas, III, C. F. J. Am. Chem. Soc. 2000, 122, 2395. DOI: 10.1021/ja994280y
- Sakthivel, K.; Notz, W.; Bui, T.; Barbas, III. C. F. J. Am. Chem. Soc. 2001, 123, 5260. DOI: 10.1021/ja010037z
- Tan, B.; Candeias, N. R.;Barbas, C. F. III, Nat. Chem. 2011, 3, 473. DOI:10.1038/nchem.1039
- Ban, H.; Gavrilyuk, J.; Barbas, III, C. F. J. Am. Chem. Soc., 2010,132, 1523. DOI:10.1021/ja909062q
- Toda, N.; Asano, S.; Barbas, III, C. F. Angew. Chem. Int. Ed. 2013, 52, 12592. DOI:?10.1002/anie.201306241