今わたしたちが吸っている酸素ガスは、みな植物が光合成で作り出したものです。植物が光合成するときに活躍する緑色のクロロフィルには、みな金属元素のマグネシウムが結合しています。しかし、酸性下に生育する光合成細菌から、ただひとつの例外が発見されています。亜鉛が結合した驚愕のクロロフィルを紹介します。
酸性下で壊れない不思議なクロロフィルの正体
ホウレンソウを茹でたときのように水で煮出すなり、小学校の理科の実験のように温めたエタノールにひたすなりすれば、植物から緑色の成分がしみ出してきます。この緑色は、ご存じクロロフィルによるものです。
クロロフィルが溶けたこの緑色の溶液を、十分量の酢酸と混合すると、緑色は数分で消えます(実験としては数滴の塩酸を垂らした方がすぐ確実に消えるため分かりやすいと思います)。クロロフィルは酸に弱く、結合していたマグネシウムが外れてクロロフィルが壊れ、溶液の緑色が消えていったのです。
しかしながら、通常のクロロフィルが分解されてしまうほど酸性度の高い特別な水域にも、光合成をする生き物が生息していました。うす赤い藻のような微生物が酸性下の環境から見つかります。この微生物は光合成細菌の1種(Acidiphilium rubrum )でした。そこで、酸性下でもなぜクロロフィルが機能を保ったまま光合成を行えるのか、光合成細菌に含まれる成分を分析したところ、マグネシウムとは別の金属元素が配位した光合成色素が見つかりました。なんとマグネシウムではなく、亜鉛がクロロフィルに結合していたのです。
抽出した亜鉛クロロフィルは紫色をしていました。調べてみると、予想通り、マグネシウムのものよりも優れた耐酸性を示しました。そのため、酸性下でも分解されにくい亜鉛クロロフィルは、光合成細菌が酸性下の環境に適応した結果であると考えられています。
植物の分類と光合成のシステム
亜鉛が結合したタイプのクロロフィルがどう驚愕なのか、高校の生物学の教科書に毛が生えた程度ですが、植物の世界を俯瞰して、もう一度その意味を考え直してみましょう。
通常、光合成では、二酸化炭素分子と水分子から、酸素分子と糖を作り出します。このために必要な光エネルギーを吸収する役割を持った物質が、クロロフィル(葉緑素)です。
わたしたちが身近に見る植物のなかまでは、細胞の中に葉緑体と呼ばれる膜で区画された細胞小器官(organelle)があります。クロロフィルは膜で区画されたこの葉緑体の中にあります。種子植物のみならず、シダ植物のなかまや、コケ植物のなかまでも、膜で区画された葉緑体を拠点に光合成は行われます。さらに、緑藻や褐藻のなかまのように細胞核がある藻類もみな同様に、葉緑体で光合成しています。
核膜で包まれた細胞核がある生き物を真核生物と呼ぶ一方、核膜で包まれた細胞核がない生き物を原核生物と呼びます。原核生物のなかまには、膜で区画された細胞小器官はありません。原核生物のうち、シアノバクテリア(藍藻)と光合成細菌が、光合成生物に該当します。このふたつのなかまには、膜で区画された葉緑体はありません。しかし、細胞内にクロロフィルは持っています。
光合成生物の分類
わたしたちが生活する上で身近に目にする植物たちと同じく、シアノバクテリアは酸素を発生するタイプの光合成をします。ポルフィリン構造は共通です。通常のクロロフィルは、中央にマグネシウムを冠しています。
これに対して、光合成細菌は、もっぱら 硫化水素を用いて硫黄を発生するタイプの光合成をします。光合成細菌が持つ光合成色素は、バクテリオクロロフィルとも呼ばれますが、化学構造はクロロフィルとほとんど同じで、メインの光合成細菌はおよそ硫化水素を使用
そして、光合成細菌にせよ、シアノバクテリアにせよ、種子植物にせよ、みなクロロフィルの中心には、金属元素のマグネシウムがはまっています。
植物の土壌改良剤に、苦土と呼ばれるものがあります。この成分はマグネシウム塩です。ときには肥料として与えなければならないほど、マグネシウムは光合成をする生き物にとって重要な元素です。農作物の場合、土壌のマグネシウムが欠乏すると、葉が老いて黄色くしおれやすくなります。
特別な例外を除きすべてマグネシウムが活躍
わたしたちが食べるものはそもそも植物に由来したものです。野菜や穀物だけではなく、肉類であってもめぐりめぐって植物を食べた動物に由来したものです。また、食品だけではなく、わたしたちはエネルギーも多くを植物に依存しています。燃料の薪木はもちろんのこと、石炭をはじめ化石燃料の炭素源は、もともと太古の植物に由来しています。亜鉛クロロフィルの発見は、その根幹となる光合成の最も重要な中心で、特殊な例外を見出したものでした。
光合成生物の進化にはじまり、地球外生命体の可能性、はたまた色素増感タイプの太陽電池まで、亜鉛クロロフィルがわたしたちに語りかけてくるものは多くあります。生命は進化の中で、試しうるほとんどすべての可能性を模索してきました。数十億年にわたる膨大な試行錯誤(trial and error)の蓄積が、現在の地球でわたしたちのまわりに生きているのです。科学技術が発展を初めてからの人類の歴史はわずか。その分、自然に学ぶことはまだまだ多くあるでしょう。