第159回の海外化学者インタビューは日本から、佐藤宗太 特任教授です。東京大学工学部応用化学科に所属し、有機合成をベースにした配位化学を研究しながら、巨大かつ構造明確な自己組織化分子の生成や、NMR解析への応用を志向した個別分子の磁気特性の解明に取り組んでいます。それではインタビューをどうぞ。
Q. あなたが化学者になった理由は?
化学者になるきっかけを作ってくれたのは、間違いなく多くの先生方でした。小学生の時には、色や翅の模様の多様性、そして幼虫から卵へと姿を変える不思議な蝶に魅了されました。叔父のMitsuo Jinkuboや父のKazumune Satoからは、生き物の面白さや自然環境への懸念を教えてもらいました。中学時代には、教科書には載っていない大切なことを化学実験から知ることができました。高校時代の恩師であり、最初の共著者であるToyokazu Usui氏からは、原著論文を通じて化学者になる方法を教えてもらいました。ある意味では、その時に私は化学者になったのだとも言えます。
Q. もし化学者でなかったら、何になりたいですか?またその理由は?
圧倒的な個人技が中心となるプロフェッショナル領域に携わりたいと思いました。現在101歳の祖父Saburo Satoは科学に使われる石英ガラスの職人でしたが、非凡な熟達さに感銘を受け、私も職人になろうと考えました。しかし残念なことに、自分は手先が器用ではありませんでした。そこで興味を持ったのは、演劇の舞台裏で、大規模な照明装置や音響装置を緊張感を持って操作する職業です。これらの複雑なシステムを、広く深い知識に基づいて自在に操ることができれば、夢のようなシーンを演出することができ、満足感を得られるのではないかと想像しました。
Q. 現在取り組んでいることは何ですか?そしてそれをどう展開させたいですか?
私が取り組んでいるのは、世界最大の分子を合成する方法論を開発し、分子設計に基づく新しい用途を見つける合成化学です。新たなクラスの構造を持つ分子は、実用的な用途につながることが多いのですが、プロの化学者だけでなく、むしろ、興味ある人たちの科学的な遊び心を誘うような化学を目指しています。
Q.あなたがもし、歴史上の人物と夕食を共にすることができたら誰と?またその理由は?
岡倉天心(1863-1913)―日本の明治時代における美学の先駆者です。既成の日本画壇に反して、新しいパラダイムを生み出そうと奮闘し、また、日本の芸術や考え方を海外に紹介しました。激動のフロンティアで彼がどのように考え、どのような決断をして芸術の新分野を切り開いていったのかを知りたいです。岡倉が思索に耽った歴史的小建築である北茨城市の六角堂が、2011年3月の大地震およびそれに伴う津波で失われたことを知り、とても残念に思っています。しかし、震災からの復興の一環として、再建に向けた資金調達と熱心な取り組みが行われていることを知り、とても心強く感じています。
Q. あなたが最後に研究室で実験を行ったのはいつですか?また、その内容は?
数年前に化学者として現職についてからは、自分で合成実験をする機会がなくなりました。断片的ではありますが、難しい実験を学生のサポートとして行っています。効率的なスタイルであることは間違いありませんが、博士課程の学生の時のような満足感は得られていないようです・・・。私の手の中にあるフラスコ中で起こる小さな合成化学は、最後はいつも、未知の微量化学物質で溶液が茶色くなってしまうのですが、私にとってはまだ輝いているように見えるのです。
Q.もしあなたが砂漠の島に取り残されたら、どんな本や音楽が必要ですか?1つだけ答えてください。
以前、日本の離島に一人で旅行したとき、本も音楽もいらないと感じました。昼夜問わず、いつもと違う風景を眺め、風の音や波の音、動物の鳴き声など、自然の音楽に耳を傾けていました。最近はご無沙汰していますが、そんな貴重な状況に置かれたならば、人工的な作品は必要ないと思いますが、全くもって退屈な島の場合は、大好きなドビュッシーのピアノ曲『ベルガマスク組曲』をあえて選びます。
[amazonjs asin=”B00JBJWENM” locale=”JP” title=”ドビュッシー:ベルガマスク組曲&子供の領分≪クラシック・マスターズ≫”]Q.「Reactions」でインタビューしてほしい化学者と、その理由を教えてください。
アルバータ大学の有機金属・有機化学者であるJeffrey M. Stryker教授です。博士課程の間、客員学生として2ヶ月間、彼の研究室で過ごしました。彼は非常に厳格かつ知的な化学者であり、彼のオープンマインドで温かな人柄が私は好きです。
※このインタビューは2011年6月9日に公開されました。