さてVシンポのおかげで連続投稿となりますが、第37回を迎えた研究者のインタビュー。今回は、九州大学大学院 工学研究院 応用化学部門准教授の 楊井 伸浩先生です。
楊井先生は、機能性材料化学・分子集積化学・光化学・錯体化学がご専門で、特に励起三重項(トリプレット)が示す、フォトン・アップコンバージョンや、超核偏極などの機能に焦点をあて、日々精力的に研究されています。
新進気鋭な楊井先生の研究は、国内外から高く評価されており、日本化学会から「2019 日本化学会進歩賞」、文部科学省の「NISTEP(ナイスステップ)な研究者2019」や、「The Wiley Young Researcher Award」など、その他様々な賞を受けておられます。
第二回ケムステVシンポジウム「光化学へようこそ!~ 分子と光が織りなす機能性材料の新展開 ~」では招待講演として、ご研究を紹介いただきます。
講演タイトルは「トリプレットの機能化学」。奥の深いお話が拝聴できそうです!
光化学の最先端を走っておられる楊井先生の意外なバックグラウンドや、トリプレットの魅力などが詰まった心躍るインタビューです!どうぞ、お楽しみください!
Q. あなたが化学者になった理由は?
研究が楽しくてのめりこんだから、というのが一番の理由だと思います。
今思えば大学入学時に化学を選んだのも、また配属の際に研究室(北川進研究室)を希望したのも、そこまで明確なビジョンがあったわけではなく、どちらかといえば直感でした。高校の時の化学の先生が好きだった、また北川先生が講義で熱く語られているのに感銘を受けた、というのは重要なきっかけでしたが、決め手は化学が楽しそう、北川研の研究が何だか面白そう、という直感にあったと思います。しかし、今となっては、この直感は大いに信用できるものだったと感じています。自分が面白いと思うもの、大事だと思うもの、そういった自分の価値観を基に共感したのだと思います。
4回生の春になり研究室に配属されると、当時の北川研は大場正昭先生(現九大教授)、張浩徹先生(現中央大教授)、植村卓史先生(現東大教授)という錚々たるスタッフ陣に加え、優秀な先輩・同期に囲まれ、非常に刺激的な環境でした。研究がなかなか思うようにいかず悪戦苦闘していた時期に、ふと解決策を思いつき日曜日に実験したところ、見事に解決し、大変感動しました。自分で考えながら研究する楽しさをその時初めて知りました。また、4回生の秋には錯体化学討論会(新潟)で初の学会発表をする機会も頂きました。今思うとかなりの見切り発車でしたが、うまく勢いに乗せてもらったのだと思います。北川研は京大らしい自由な空気に満ちた研究室で、その中で非常に高いレベルの研究が展開されていました。配属された当初は修士で卒業して就職するつもりでしたが、すっかり研究が楽しくなり、大学で研究を続ける道を目指すようになりました。あの時に北川研に入っていなければ、今の自分は無いと断言できます。
Q. もし化学者でなかったら、何になりたいですか?またその理由は?
少し趣旨とは異なりますが、一時期本当になろうとしていたのはパン屋です。私の実家は祖父の代からのパン屋で、父はその二代目です。私は跡を継ぐことは特に意識せず大学に進学しましたが、学部の時に興味を持ち始め、色々なパン屋の食べ歩きをしたり、実家とは別のパン屋でアルバイトを始めたりもしました。ただ残念ながら、朝6時からのシフトでサンドイッチ製造を担当したのですが、包丁でサンドイッチを三角に切っている最中に立ったまま寝落ちすることもしばしばで、これは朝に弱すぎる自分には無理かもしれないと思い始めました。そんな矢先、父から経営状況が悪化し、私が跡を継ぐころには潰れているかもしれないと知らされ、跡継ぎになることを断念しましたが、内心はほっとしていました。ただ、学部を卒業してそのままパン屋になるつもりでいたので、特に3回生のうちはろくに授業にも出ておらず(当時の先生方、大変申し訳ございません)、必死で院試勉強したことを覚えています。
Q. 現在、どんな研究をしていますか?また、どのように展開していきたいですか?
分子の光励起状態の一つに励起三重項(トリプレット)がありますが、そのトリプレットの示す機能の中でも現在は二つの機能に着目しています。これらに共通する面白さは、「分子(トリプレット)でないと達成できない」機能となり得ることにあると考えています。替えの利かない、基盤的な分子技術を生み出すことが目標です。
一つ目の機能は、長波長の低エネルギー光を短波長の高エネルギー光に変換するフォトン・アップコンバージョンです。アップコンバージョンの用途としては、これまで利用できず捨てられていた低エネルギー光を利用できるようにすることで太陽電池や光触媒の効率を飛躍的に向上させる、生体透過性の高い近赤外光を体内で可視光に変換して生体内光源として用いる、などが考えられています。我々は、従来法である溶液中の分子拡散ではなく分子集合体中のエネルギー拡散に基づくアップコンバージョン機構を提案し、また従来は達成が困難だった近赤外光から可視光へのアップコンバージョンを可能にする新しいメカニズムの開発に取り組んでいます。アップコンバージョンの実応用に向けてはまだまだ課題が多く、そのために新しい考え方に基づく基礎研究が必要となっています。具体的には、超低励起光強度で高効率なアップコンバージョンを実現するための究極的な分子設計、分子集合体設計、材料・デバイス設計を見出していきたいと考えています。
二つ目の機能は、NMRやMRIの感度を飛躍的に向上させる超核偏極です。NMRやMRIは化学や医療にとって必要不可欠な分析技術ですが、対象とする核スピンの偏極率が低いため非常に感度が悪いという問題があります。超核偏極技術によりこれらを高感度化できれば、例えばこれまで困難だった細胞内でのタンパク質のダイナミクスの解明や、体内における多様な生体分子の挙動や代謝過程の可視化が可能になると期待されています。トリプレットの電子スピン偏極を利用することで、室温で超核偏極するトリプレット動的核偏極(triplet-DNP)という優れた技術がありますが、これまでその応用は核物理実験に限られてきました。そこで我々は、triplet-DNPという量子技術に材料化学を導入することで、生命科学への応用を可能にすることに挑戦しています。
Q.あなたがもし歴史上の人物と夕食を共にすることができたら誰と?またその理由は?
トリプレットの研究をしているので、有機分子が示すりん光の起源がトリプレットであることを解明したGilbert Newton Lewis, Michael Kashaの両先生です。Lewis先生はルイス構造式や酸・塩基の定義などで有名ですが、ご存命中最後の仕事がこのりん光の起源の解明でした。トリプレット説はしばらく受け入れられなかったとのことで、その辺りのお話も直接伺ってみたいです。
もう一人は最近読んだ「化学者たちの京都学派: 喜多源逸と日本の化学」(古川安 著、京都大学学術出版会)で知った喜多源逸先生です。本書によると喜多先生は福井謙一先生、野依良治先生をはじめとして京大に限らず日本中に著名な先生方を輩出した流れの源となる先生です。喜多先生が京都に植え付けた「自由な気風」は私自身が北川研時代に享受したもののルーツであると思われます。また「応用をやるには基礎が必須である」という学風は、さきがけ「分子技術」で学んだ考え方にも通ずるものがあり、現代でもその重要性は変わっていません。高校生だった福井謙一先生に「数学が得意なら化学をやりなさい」とアドバイスしたという、喜多先生の化学の将来への先見性にも大変驚きました。化学の立ち位置や求められるものが大きく変化している今、喜多先生が化学の将来をどう考えられるか伺ってみたいです。
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Q. あなたが最後に研究室で実験を行ったのはいつですか?また、その内容は?
一人で実験をしたのは、2年ほど前に新入生用のテーマを考えているときにこっそり行った予備実験でしょうか。分光測定や装置の新しいセットアップは、今でも研究室のメンバーと一緒に行っています。
Q.もしあなたが砂漠の島に取り残されたら、どんな本や音楽が必要ですか?1つだけ答えてください。
最近はすっかりご無沙汰ですが、昔から小説を読むのが好きでした。中学や高校のころ、図書館や古本屋でまとめて本を入手してきては夜遅くまで読み耽りました。大学では学部の時に溝上慎一先生(現 桐蔭横浜大学学長・教授)の「大学における学びの探求(通称:まなたん)」という何を学びたいかを主体的に探す面白い講義を受講し、その際に知り合った仲間とその後自主ゼミを立ち上げ、読書会を続けました。一番の思い出は、夏の白浜合宿で源氏物語全巻(谷崎潤一郎 訳)を読んで語り合ったことです。その時の仲間は非常に幅広い興味や教養を持っていて学ぶことばかりでしたが、それぞれ非常にユニークな人生を歩んでおり、今でも刺激をもらっています。質問に戻ると、砂漠の島では久しぶりに物語の世界にどっぷりと浸かりたいです。
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Q. 次にインタビューをして欲しい人を紹介してください。
近い世代で同門以外ですと、東大の酒井崇匡先生、NIMSの杉安和憲先生、京大の倉重佑輝先生を挙げさせていただきます。それぞれ若くして揺るぎない独自の研究スタイルを確立されている、本当に恰好良くまた人間味に溢れた先生方で、ゲルや超分子、理論化学への愛を存分に語って頂けると思います。
関連リンク
- Nobuhiro Yanai homepage
- 九州大学大学院工学研究院 君塚研究室
- 多孔性材料の動的核偏極化【生体分子の高感度MRI観測への一歩】
関連動画
2020年5月15日 第二回ケムステバーチャルシンポジウム「光化学へようこそ! ~ 分子と光が織りなす機能性材料の新展開 ~」より
楊井准教授の略歴
経歴・プロフィール:
名前:楊井 伸浩
所属:九州大学大学院 工学研究院 応用化学部門
専門:機能性材料化学、分子集積化学、光化学、錯体化学
略歴: 2002年に六甲学院高等学校を卒業後、京都大学工学部工業化学科に入学。2006年に卒業後、同大学大学院工学研究科に進学し、2008年に修士課程修了、2011年に博士後期課程修了。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で博士研究員をした後、2012年に九州大学大学院工学研究院の助教に着任し、2015年より現職。2014~2018年「分子技術と新機能創出」領域 さきがけ研究者兼務、2018年~「量子技術を適用した生命科学基盤の創出」領域 さきがけ研究者兼務。
主な受賞歴は、2013年 the Quadrant Award、2016年 高分子化学会研究奨励賞、2018年 錯体化学会研究奨励賞、2019年 日本化学会進歩賞、2019年 The Wiley Young Researcher Award、2019年 文科省NISTEP ナイスステップな研究者
*本インタビューは2020年5月10日に行われたものです