少しまた間が空いてしまいましたが、研究者へのインタビュー再開いたします。
第32回目の日本人化学者インタビューは 田中 克典 准主任研究員 (理化学研究所)より頂きました。
田中先生は大阪大学・深瀬浩一教授の下で助教を務められたのち、2012年より独立され、日本とロシアの2つの環境で横断的研究を遂行される新進気鋭の研究者です。そこでは「生体内合成化学治療」、すなわち病巣部で薬をその場合成して治療に繋げるという、かつてない壮大な目標を見据えた研究が現在進行形で進められています。
筆者も田中先生とは何度かお話させて頂く機会を得て、是非ケムステ読者の皆さんに紹介したいと思い今回依頼させて頂きましたが、驚くほどのボリューム溢れる内容でインタビューを頂くことができました。ゆえに冒頭で私が多くを述べる必要は無いでしょう。田中先生ご自身の言葉による、ユニークそのものなルーツから魅力たっぷりな研究構想に至るまでを、ご覧いただければと思います。
Q1. あなたが化学者になった理由は?
次の質問に関連しますが、1992年の大学入学時に、私はロックギタリストになりたいと思い、関西学院大学に入学しました。化学科に入学したのですが、当初は量子化学に少し興味を持っていました。しかし3年生の有機化学の最初の授業で、恩師となる勝村成雄先生(関西学院大学理工学部・名誉教授)に「電子の流れ」を教えていただいたときに、その場で有機化学に魅了され、授業後、勝村先生の部屋に駆け込んだことを覚えています。その後、勝村先生、中西香爾先生(コロンビア大学化学科・名誉教授)、深瀬浩一先生(大阪大学理学研究科・教授)の部屋で天然物化学と生物有機化学、あるいは糖質化学やケミカルバイオロジーを勉強させていただき、今に至っています。
Q2. もし化学者でなかったら、何になりたいですか?またその理由は?
ロックギタリストです。「化学者になった理由」にも関連することですので、少し紹介させていただきたいと思います。親類が歌手であった影響もあって、幼い頃から音楽に親しんでいました。小学生5年生の時、奈良の田舎の担任の先生が音楽の授業で(なぜか)ドラムを教えてくれたことから、ロック、とりわけ日本ヘビーメタルに没頭しました。まじめが取り柄で、食事中でも、試験期間中でも、腱鞘炎になってエレキギターの練習を続けたところ、プロよりも早く綺麗に弾けることに気づきました。他のプレイヤーの腕を知らずに、田舎でコツコツとテクニックを磨いていくと、“逆”井の中の蛙となっていました。
若手バンドがプロを目指してライブで競う、「YAMAHA Teens Music Festival」コンテストでは、大阪大会や近畿大会の優勝を経て、渋谷公会堂で開催された全国大会で演奏しました。ちなみにこの大会で、翌年はaikoが大阪代表で出場し、ヴォーカリストとして成功していることはご存知かと思います。私の技術はラジオやマスコミで噂でありましたが、家族の反対もあって、プロは諦めて有機化学の勝村先生の研究室で真剣に研究することに決めました。恩師に出会えたことで、今、理研で研究室を主宰させていただいています。ヘビーメタルの経験は研究に大いに役立っています。どのように研究のストーリーを立て、論文にまとめ、アピールするかは、作曲し、バンドメンバーを統一して音を取り、ギターソロを効果的に入れることと同じです。レコーディングやライブ経験のおかげで、講演会ではマイクで効率的に声が拾えるように声質を調節できますし、なんといっても、普通では滅多に経験できない多種の人間と出会い、切磋琢磨できた自分が自慢であり自信となっています。
一方、私はギターがうますぎて、バンドではギターが出過ぎ、目立ちすぎてどのバンドでもうまく行きませんでした。研究に関しては、残念ながらごく凡人ですが、研究室運営で同じ失敗をおかさないように心がけたいと思っています。音楽にせよスポーツにせよ科学にせよ、どんな煌びやかな世界でも、外には出ない多くの人々や成果に支えられていることを忘れてはいけないと思っています。
Q3. 現在、どんな研究をされていますか?また、どのように展開していきたいですか?
国内では、浜地格先生や金井求先生を中心とした先駆的なご研究により、生体を理解・制御するために有機合成が利用されるようになってきました。一方、有機合成化学の分野では、日々効率的な結合形成反応が開発されていますが、最先端の有機反応を生体内での標識や合成、あるいは機能性分子の複合化のために積極的に利用する試みは、未だ限られています。私達は、「生体内合成化学治療」と名付けた方法で、生体内で選択的な触媒反応を行ったり、あるいは疾患部位で過剰に発生する生体分子を有機反応の試薬として活用することで、生きている動物内の標的の臓器上で、ある時間枠にピンポイントで生理活性分子を直接合成して治療の実現を目指しています。このために、生体内で起こっている未知の結合形成反応を探索しています。また、糖鎖が生体内で行っている複雑な「パターン認識」を分子イメージング法により解析して、これを生きている動物内の目的部位に対して自在にターゲティングするために活用しています。下記に実際に私達が行っている2つの代表的な「生体内合成化学治療」の戦略をご紹介いたします。
(1)生きている動物の標的臓器上で触媒反応を実現して治療する「生体内合成化学治療」
生きている動物内の標的臓器上で、ある時間枠にピンポイントに触媒反応を行って、生理活性分子を直接合成して治療の実現を目指しています。私達はこれまでに、特殊な細胞や人工デンドリマー、あるいはタンパク質の表面に様々な糖鎖構造を導入することによって(糖鎖クラスターと呼びます)、その糖鎖構造を使い分けることにより、生きている動物内での臓器や癌組織レベルでの集積や排出プロセスを制御できるだけでなく、細胞レベルの集積までも高度に制御できることを見出しています。そこで、例えばがんを認識できる糖鎖クラスターに対して、ある特定の有機反応を促進させる触媒を持たせておきます。この糖鎖クラスターを静脈注射しますと、がんに触媒を担持させることができます。次いで、活性も毒性もない原料や試薬を静脈注射しますと、これらは体内を循環しますが、がんに近づいたときに触媒に出会いますので、目的とした反応が進行し、がんの近傍で位置選択的に抗がん剤などの生理活性分子を合成することができます。この戦略により、薬剤の副作用やペプチド薬剤の安定性を根本から解決することができるのです。これまでに優れた活性を持っているものの、生体内での安定性や副作用のためにドロップアウトした分子が、この戦略によって見直される可能性が出てきます。この方法では、私達が開発した糖鎖クラスターをドラッグデリバリーシステムとして使うことが最も重要です。生きている動物の中で標的部位を「パターン認識」により選択的に、そして短時間で見分ける糖鎖技術が1つの大きな鍵となっています。この戦略はほぼ完成の状態にあり、様々な複雑な分子の合成に取りかかっています。
(2)疾患部位で過剰発現する毒性分子を動物内でそのまま生理活性分子に変換して治療する「生体内合成化学治療」
生体内、特に疾患部位で過剰生産されている分子を基質として利用して、これを疾患を治療する薬理活性分子へと合成変換します。その1つの例として、最近私達は、がんなどの酸化ストレス条件下で過剰発現するアクロレインが、ある構造を持つ生体内アミンと選択的に反応して、効率良く8員環化合物を与えることを見出しました。さらにこれらの8員環化合物は実際に生体内の酸化ストレス条件下でも生成しており、驚くことに、アミロイド凝集を抑えたり、エピジェネティクスを制御しているなど、様々な生理活性を示すことを発見しました。これまで悪いものとばかり考えられていた酸化ストレスは、実はそうとばかりは言えないのです。わざと酸化ストレス条件下で能動的に細胞からアクロレインを放出し、近傍の生体内アミンと8員環化合物を与えることによって細胞の機能を厳密に制御しているのです。逆の観点から見ますと、この現象を生体内における有機合成化学の技術として適応できます。すなわち、疾患動物内へ特定のアミン化合物を導入することにより、疾患で生産する毒性物質のアクロレインをその場で様々な生理活性8員環化合物へと変換することが可能となり、疾患を効果的に治療することができるのです。
代表的な生体内合成化学治療の戦略について2つご紹介いたしましたが、別途、糖鎖クラスターについてはロシアで(後述)、診断と治療のために臨床展開しています。また、生体内では、上記に述べた8員環形成反応以外にも多くの有機反応が存在することを突き止めています。生体内で進行する新規反応を有機合成化学的に見つけることによって、これらの反応や生成物が制御する生体機能を有機合成化学の分野から突き止めることができると思っています。同時に、逆にこれらの反応を「生体内合成化学治療」に代表される治療や診断に有用な戦略へと開拓できると考えています。実際に、私達の見つけた一部の反応は、国内の病院で診断反応として臨床応用が進められています。このように、学術的に新規な有機合成化学を開拓する一方で、「創薬」のために使用されてきた従来の合成技術とは別に、臨床や社会に貢献できる有機反応技術を開拓したいと思っています。
Q4.あなたがもし歴史上の人物と夕食を共にすることができたら誰と?またその理由は?
目武雄先生とお話しさせていただきたいと思います。恩師の勝村成雄先生からも良くお話を伺っており、目先生直筆で、勝村先生より頂いた「求源探類」の額を理研の研究室で研究指針として掲示しております。その意味を直接お伺いしたいです。
一方、私は、2014年6月から、ロシア政府と理研側のサポートを経て(玉尾皓平先生に連携提携していただきました)、ロシアのカザン大学で理研との連携研究室を開設させていただいています。カザン大学で新しい研究室を設置していただいて、化学に加えて現地の核物理や生物の研究者と共同して、上記に示した糖鎖を使った診断や治療分子を開発しています。所属する大学での部署はブトレーロフ研究所と言いますが、ブトレーロフ先生は、化合物と構造が対応することを唱えられた初めての先生の1人であると言われています。縁あってカザン大学で研究させていただく機会を得た今、ブトレーロフ先生やマルコフニコフ先生と食事して、現在の化学をどのように考えられているかお聞きしたいと思います。
また音楽では、航空事故で不慮の事故で亡くなった当時、オジーオズボーンバンドのランディー・ローズと食事したかったです。現在の技術では簡単で単純ですが、メロディアスなフレーズは今でも多くのメタリストの心を魅了しています。クラッシックではショパンと食事したいです。
Q5. あなたが最後に研究室で実験を行ったのはいつですか?また、その内容は?
10年前の2006年、私が32歳のときに、深瀬浩一先生の研究室で当時助手を務めておりましたが、研究室で初めて本格的にマイクロフローを導入しました。初めて行った反応がアリルアルコールの脱水反応でしたが、1週間程度、私が最後に行った反応が、姥鮫の肝臓から取れるプリスタンという抗体産生補助試薬のプロセス合成となり、現在、成果中で市販されているプリスタン試薬がこのときの反応により生産されています。時間が限られている中でも誰もが実施できるマイクロフロー操作の簡便さと能力を実感した最後の実験でした。
Q6.もしあなたが砂漠の島に取り残されたら、どんな本や音楽が必要ですか?1つだけ答えてください。
イングウェイ・マルムスティーンのマーチング・アウトというアルバムを聞いて、高校・大学生活や研究生活も含めた一生を思い返したいと思います。
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Q7. 次にインタビューをして欲しい人を紹介してください。
お話を伺いたい著名な先生が沢山おられます。限られた先生のお名前を挙げるのは難しいですが、ご指導いただいた先生を除いて敢えて申し上げますと、恐縮ですが私が有機合成化学の分野で尊敬する鈴木啓介先生、ケミカルバイオロジーでは菅裕明先生、そしてケムステの代表者でおられる山口潤一郎先生にお話を伺えるなら幸いです。
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田中克典先生の経歴
理化学研究所 准主任研究員。専門は有機合成化学、天然物化学、グライコケミカルバイオロジー。
1999年バイエル薬品株式会社退社後、関西学院大学大学院理学研究科に進学。2002年に博士(理学)取得後、コロンビア大学化学科に留学を経て、2005年大阪大学大学院理学研究科助手に着任。2012年より現職。埼玉大学大学院理工学研究科連携教授(2012年)、ロシアカザン大学 アレクサンドル・ブトレーロフ研究所教授(2014年)、JSTさきがけ研究者(2014年)兼任。
日本化学会新領域研究グループ「有機合成化学を起点とするものづくり戦略」代表者(2010年〜)。天然物化学談話会奨励賞(2002年)、日本糖質学会奨励賞(2010年)、有機合成化学奨励賞(2011年)、米国化学会 Division of Carbohydrate Chemistry, Horace S. Isbell Award(2015年)を受賞。