2024年3月7日、ブルームバーグ・ニュース及び Yahoo! ニュースに以下のような記事が掲載されました。
ニキビ治療薬に配合されている化合物が、日常に使用する条件下で発がん性物質に変化し得ることを米国の検査会社が報告した。手指消毒液や日焼け止め、ドライシャンプーなどでも同様の現象が見られることが明らかになっている。
独立系の検査会社バリシュアが米食品医薬品局 (FDA) に5日遅く提出した請願書によると、「プロアクティブ」やターゲットの「アップ&アップ」、「クリニーク」などのブランドのニキビ治療薬には、発がん性物質であるベンゼンに化学変化する過酸化ベンゾイルが多く含まれている。当局が調査する間、該当製品を回収するようバリシュアは FDA に要請した。
ニキビ (尋常性ざ瘡) は、多くの人が悩まされる皮膚疾患の一つです。痛みや腫れなどの機能障害と、審美的な問題が合わさって、本疾患による QOL の低下は特に思春期〜青年期の方にとって非常に大きな問題と考えられます。
それにも関わらず、ニキビの効果的な治療薬というのはあまり数が多くありません。本邦では化粧品としてニキビ対策を謳った数種の製品が市販されているほか、医薬品として承認されたいくつかの成分を含む一般用医薬品・医療用医薬品がある程度存在しているのみです。特に医療用医薬品に含まれている有効成分には副作用の強いものも多く、厳格な使用管理が求められます。
一方、海外では、本邦で医薬品としてしか商品されていない成分を含む製品も、ドラッグストアやインターネットで簡単に購入できる化粧品として販売されているものもあります。その販売の可否には是非がありますが、需要の高さから販売量も多く、本邦でも個人輸入で使用されている方がそれなりにいると推測されています。今回問題提起されたのは、現在医薬品として承認されており、インターネット上では比較的昔から個人輸入も行われてきた物質です。
発がん性物質に変化しうる成分とは
ニキビ治療に効果のある成分の一つに、過酸化ベンゾイル (Benzoyl Peroxide: BPO) があります。本邦で承認されている医療用医薬品では、「ベピオ®ゲル」や「エピデュオ®ゲル」といった製品に含まれています。いずれの製品も医師による処方の下で注意を厳格に守った使用が求められる医薬品ですが、海外製の化粧品には BPO を含むものが市販されており、その含有量などもさまざまで、日本のような規制はなされていない場合があります。
BPO の構造式を以下に示します。
有機化学を齧ったことがある人なら直感的に気づくかもしれませんが、酸素-酸素 単結合という非常に結合エネルギーの低い構造を有しています。この O-O 結合は熱によって容易にホモリシス (均等開裂) を起こし、ベンゼンカルボキシラジカルを生成します。
ベンゼンカルボキシラジカルはさらに二酸化炭素を放出する形でフェニルラジカルへ分解し、生じたフェニルラジカルは周囲の水分子などから水素原子を引き抜くことでベンゼンを生成します。
このラジカルを生成する性質から、BPO は熱重合開始剤として利用されています。
ラジカル反応性有機材料に約1%程度の過酸化ベンゾイル (BPO) を混合し、 約 100˚Cに加熱すると過酸化ベンゾイル (BPO) が起爆剤となってラジカル反応の連鎖反応が発生します。
BPO は消防法で危険物第5類 (自己反応性物質) に分類され、試薬としては 70% 湿潤品など、爆発性を下げた形で市販 (研究用に限る) されています。一方、日本で使われている医薬品としての BPO の濃度は 2.5% 程度であり、通常の保管条件で爆発等の危険性はありません。
ベンゼンの毒性
ベンゼンは生物に対して非常に多彩な毒性を示し (参考記事:ベンゼンの害、低濃度でも 血液細胞に損傷)、その際たるものに血液系に対する毒性 (再生不良性貧血や骨髄性白血病など) があります。IARC (International Agency for Research on Cancer: 国際がん研究機関) による分類では「グループ1:人に対する発がん性がある」物質に分類されており、使用や曝露は忌避される傾向にあります。私の所属する研究室でもベンゼンは保有しておりません。溶媒として代え難い性質を持っているのは確かなのですが、研究室レベルではよっぽどのことがない限り使うべきではないでしょう。
過酸化ベンゾイルの抗ニキビ作用
さて、BPO は高い抗菌作用を有しており、1960 年代から欧米をはじめとした多くの国でニキビ治療に使用されてきました。抗菌薬に対する耐性菌による問題に対応すべく、日本でも遅れること 2015 年より医療用医薬品として承認されました。
2010 年、公益社団法人日本皮膚科学会は、尋常性ざ瘡の標準治療薬の一つである過酸化ベンゾイル含有製剤が、国内において医療用医薬品として承認を得ていない現状を鑑み、将来懸念される耐性菌増加の問題を回避するため過酸化ベンゾイルを治療上必要な尋常性ざ瘡治療剤と位置付け、医療用医薬品として早期開発、承認に関する要望書を厚生労働省に提出した。当時、国内の尋常性ざ瘡治療では、外用及び内服抗菌薬が用いられていたが、これらの抗菌薬は長期使用時の薬剤耐性菌出現が懸念されていた。 欧米をはじめ、アジアや中南米では尋常性ざ瘡患者からの薬剤耐性菌の分離が報告されており、そのため欧米では過酸化ベンゾイル含有製剤の使用が尋常性ざ瘡治療ガイドラインで推奨され、標準治療となっていた。国内では薬剤耐性菌が臨床的に大きな問題には至っていなかったが、尋常性ざ瘡患者から分離された Cutibacterium acnes の薬剤耐性株が徐々に増加しているとの報告があった。
(中略)
薬効薬理に関する項目
1. 薬理学的に関連ある化合物又は化合物群該当なし
2. 薬理作用 (1)作用部位・作用機序
・抗菌作用
過酸化ベンゾイルは強力な酸化剤であり、分解により生じたフリーラジカル (酸化ベンゾイルラジカルやフェニルラジカルなど)が細菌の膜構造、DNA・代謝などを直接障害して、アクネ菌や黄色ブドウ球菌などに対する抗菌作用を示す。・角層剥離作用
閉塞した毛漏斗部において、過酸化ベンゾイルが、角層中デスモソームの増加を是正することにより、角質細胞同士の結合が弛み、角層剥離が促進される。マルホ株式会社・ベピオ®ゲル 2.5% インタビューフォームより引用
なお、べピオゲルの副作用としては皮膚剥脱、紅斑、刺激感、乾燥等が比較的多く認められており、特に塗りはじめはピリピリ感が強い場合もあって、使用を続けいてくと軽減される場合がほとんどですが、合わない患者さんもそこそこ見てきた記憶があります。
過酸化ベンゾイルの安定性 – 保管条件に注意
さて、インタビューフォーム (医療従事者向けの詳しい医薬品説明書) においても、BPO からフェニルラジカルが生成することは明記されています。今回、調査会社が問題視したのはその濃度と保管状況についてです。
バリシュアは今回、大手小売りチェーンでの購入もしくは処方箋を通じて入手できるクリームやローション、ジェル、洗顔剤など過酸化ベンゾイルを使った 66 のニキビ治療薬を検査した。この結果、一部の製品には FDA が定める最大 2 ppm (1 ppm は 100 万分の1) のガイドラインに対し最大 9 倍のベンゼンが検出されたという。さらに、例えば高温多湿の浴室の医薬品棚に長期保存するケースなどを想定した試験では、この水準が著しく上昇することも分かった。
ターロ・ファーマシューティカル・インダストリーズが製造する「プロアクティブ」過酸化ベンゾイル2.5%クリームは、2週間余り高温下に置くバリシュアの安定性検証試験でベンゼンが 1761 ppm 検出され、ターゲットの同様のクリームでも 1598 ppm、エスティローダーの「クリニーク」治療薬も 401 ppmに上った。
レキット・ベンキーザー・グループの「クレアラシル」(過酸化ベンゾイル10%) は当初の検査で FDA のガイドライン上限ちょうどだったが、安定性検証試験では 308 ppmに跳ね上がった。
BPO 製剤からのベンゼン検出量の図 (一部抜粋)
バリシュアの請願書より引用 |
上の図の実験では、50˚C で製剤を保管した際のベンゼンの検出量を示しています。50˚C というのは比較的苛酷な条件での試験ですが、上述の引用部分でも書いた高温多湿の浴室の医薬品棚に長期保存するというのは、うっかりやってしまいがちなケースであると予想できます。ちなみに本邦の医薬品べピオ®ゲルまたはローションでは、包装状態の保存条件は「凍結を避け、25°C 以下に保存すること」とされています。またクリンダマイシンと BPO の合剤であるデュアック®配合ゲルは 2–8˚C 保存とされており、製品によって異なりますが基本的に冷所保管が必要です。
結局のところ
BPO 製剤中でのベンゼンの過剰な生成は、適切な保管条件に置かれていないことが大きな原因と考えられ、通常の BPO 製剤を使用方法を守って使う分にはベンゼン曝露による発がん性のリスクは非常に小さいものと考えられます。今回検査を行ったバリシュア社は FDA に BPO 製剤の回収を要請していますが、BPO 製剤の販売元は以下のような回答を出しています。
レキットは発表文で「説明書で指示してある通りに使用・保管すれば、全ての『クレアラシル』製品は安全だと自信を持っている」と回答。
どの医薬品・化粧品もそうですが、定められた保存条件を守って (用法用量も) 使用することが最も大事です。余計な心配をしないで済むためにも、適切な使用を心がけましょう。
しかし、海外製の化粧品などには高濃度の成分が入っていたり、製造や保管の過程で有害成分が含まれ、充分に検査されていないことも多く認められます。BPO 製品に限ったことではないですが、安易な個人輸入などはせず、医師の診察・薬剤師の指導のもと、認可された医薬品・化粧品を使用することを強く推奨します。