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世界最高速で試料回転を行う固体NMRプローブを開発 -超微量の生体試料を高感度で検出-

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日本電子株式会社らの共同研究グループは、固体核磁気共鳴 (NMR) 法において、世界最高速となる180kHzの回転速度による超高速マジック角回転 (MAS) が可能な検出器 (プローブ) を開発しました。本研究成果により、超微量の生体試料やナノ材料の高感度検出、アルツハイマー病に関わる脳由来の微量なアミロイドβペプチドの解析など、先端研究の進展が期待できます。 (引用:7月27日JEOLプレスリリース)

溶液NMRではNMR管の回転速度は数十Hzですが、固体NMRの場合、磁場に対し54.73度傾けてサンプルを配置し、さらに高速回転させることで固体試料に特有な異方的なスピン相互作用を取り除く高速MAS(magic angle spinning)がよく使われています。今回は、その回転速度の世界最高速を達成したというニュースを紹介します。

NMRは、有機化学において広く使われている分析機器ですが、高い検出感度を得るにはより高い磁場を発生させる必要があり、NMRを製造する各社はより高磁場のNMRを開発してきました。一方で、固体NMRにおける回転速度についても、感度に影響することから活発な開発競争が行われており、2012年にはJEOLが100 kHz超の高速MASを達成するNMRプローブを開発しました。その後、より速い速度で回転するMAS装置の開発が進められ、2022年には、Brukerより160 kHzの高速MAS装置の開発が発表されています。

固体NMRの最高到達回転数の変遷(参考:Ultrafast Magic Angle Spinning Solid-State NMR Spectroscopy: Advances in Methodology and Applications 2021年にはSamosonより200 kHzが報告されているが、実験室レベルの結果とみられる。)

そして今回、共同研究グループは、直径約0.4 mmの微小な試料管を高速で回転させるMAS装置を備えたNMRプローブを開発し、従来の世界記録 (160 kHz) を上回る180 kHzの高速回転における固体NMR測定を成功させました。180 kHzは毎秒18万回転に相当し、試料管外周の速度は813 km/hと航空機の巡航速度に近い速さです。この超高回転数を達成するために試料を詰める試料管(ローター)は、中空セラミック製となり、直径もシャープペンの芯より細い直径約0.4 mmに設計し微細加工によって製作しました。固体NMRのローターは、圧縮ガスをローターの羽に吹き付けて回転させますが、本研究では音速(約340 m/s)に近い速度の圧縮ガスを使用しました。

今回開発したプローブ (左) と直径0.4 mmのMASローター (試料管) (右) (出典:日本電子プレスリリース)

実際に180 kHzまで回転数を上げてL-アラニンの1HNMR測定を行いました。24 kHzのスペクトル (紫) は、1H-1H間の強い磁気的相互作用のために信号の線幅が非常に広くなり、CHのピークが確認できません。しかし、回転数が高くなるにつれて感度と分解能が向上し、180 kHzのスペクトル (赤) では100 kHzの2倍程度の信号強度が得られ、180kHzでの測定は100 kHzの4分の1の時間で測定が可能になることがわかりました。

L-アラニンの1H MAS固体NMRスペクトルの回転速度依存性 (出典:日本電子プレスリリース ピークは左より、NH3+、CH、CH3に帰属される。)

また、160 kHzの超高速MAS条件下において、モデルタンパク質であるGB1試料の固体NMR測定にも初めて成功しました。タンパク質試料の場合は変性を防ぐために冷却が必要で、その冷却ガスの影響で安定して超高速回転させることがより難しいにもかかわらず測定は成功し、80 kHzのMASを用いたスペクトルに比べて分解能と感度の大幅な向上が確認されました。測定時間は18分間であり、微量のタンパク質試料を短時間で測定できることも示されました。

モデルタンパク質GB1試料の固体NMR測定結果 (出典:日本電子プレスリリース 右の160 kHzの結果の方が検出されたピークも多く、等高線もより鮮明に見られる。)

この研究成果は、2023年7月9日より英国グラスゴーで開催された国際会議The 19th European Magnetic Resonance Congress Euromar 2023で発表されました。本研究は900 MHzで行われましたが、今後は最近開発したアジア最高磁場の1.01 GHz NMRや現在世界最高磁場を目指して開発中である1.3 GHz NMRと組み合わせて利用する予定とのことです。そして今回開発した超高速MAS技術を用いて、アルツハイマー病に関わるアミロイドβペプチドの超微量試料による構造解析などの先進研究を進めていくそうです。

世界最高の磁場を達成する競争にも言えることですが、より速く回転できる装置の研究を続け、世界最速の性能を達成したことは大変ロマンがある話だと思いました。そして、この研究開発によって得られる効果についても興味深いと感じ、固体の生体試料やナノ材料の構造が今後の研究によってどう判明していくかが気になるところです。そもそも、以前の固体NMR測定では、安定同位体である13Cを試料に取り込ませて13CNMR測定が主流でしたが、高速MAS技術の発展に伴い1Hの計測性能が向上したため、13Cの観測よりも1Hを観測する方がより高感度・高分解能で測定できるようになったそうです。そのためこの技術開発によって新しい測定方法が生み出されることも期待します。

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ただの会社員です。某企業で化学製品の商品開発に携わっています。社内でのデータサイエンスの普及とDX促進が個人的な野望です。

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