これまで完成した絵画から検出されたことのなかった化学物質がレンブラントの作品で見つかった。オランダのアムステルダム国立美術館の研究チームは、所蔵する代表的絵画であるレンブラントの『夜警』を、過去数年間入念に調査してきた。これまでにも彼らは、絵具の下に隠された下絵など、作品の秘密をいくつか発見。そして、この作品で見つかるとは予想されていなかった鉛化合物を新たに発見したことを発表した。 (引用:Forbes Japan 2月4日)
Angewandte Chemieに化学分析で名画の謎に迫る研究内容の論文が発表されましたので紹介します。
まず論文の冒頭から見ていきますが、研究の題材となったのはレンブラントの名画、夜警です。
この絵画は、3.79×4.53 mとレンブラントの絵画では最も大きく、また彼の技巧がよく示されています。2019年にこの夜警に関する研究プロジェクト、Operation Night Watchが立ち上げられ、1)レンブラントはどのように夜警を描いたのか?2)絵画の状態は?3)どのようにこの絵画を保存すればよいか?といった疑問や課題について歴史学者と科学者が共同で調査を行っています。
夜警に存在する物質については様々な分析手法が用いられ、その成分と分布について解析が行われています。そして本研究では、レンブラントの絵画でよく使われている鉛化合物の同定を行い、そしてその化合物がどのように絵画に分布しているか調査を行いました。
次に実験結果を見ていきます。分析にはMacro-X-ray powder diffraction(MA-XRPD)と呼ばれる手法を使用しました。こちらはX線回折を任意のエリアに対してスキャンできる機器のようで、これにより絵画を非破壊で分析することができます。
左奥に見えるのがMA-XRPDの様、左の方が本論文の著者であるKatrien Keune教授
夜警の26か所を調べたところPb3(CO3)2(OH)2[HCer:hydrocerussite]とPbCO3 [Cer:cerussite]を多数のポイントで検出され、注目すべき点としてPb(HCOO)2 [LF:lead(II) formate]も12か所で検出されました。
ただし信号強度が低くノイズが大きいことから、絵具の破片を用いてmicro-scale XRPD(SR-μ-XRPD)を測定しました。こちらは放射光施設のX線装置であり、微小なエリアのX線回折のマッピングが可能なようです。結果、Pb(HCOO)2 [LF:lead(II) formate]がいくつかの破片の断面から検出され、一つは MA-XRPDでLFが多く含まれている断定された箇所の破片(SK-C-5_070)でした。
SK-C-5_070については、Pb2SnO4 [LTY:lead-tin yellow]とlead white [LW]の層が観測されました。周囲の状況を調べると一般的でないLWが存在することが示唆されました。さらに80 μmの鉛パルミチン酸/ステアリン酸塩の結晶でできた膨張があり、生成か再結晶化したPb3(CO3)2(OH)2[HCer:hydrocerussite]も含まれていることが分かりました。
別の個所の破片、SK-C-5_009では粘土ベースの下地レイヤーが使われていることが示されました。MA-XRPDでは鉛の化合物は確認できませんでしたが、SR-μ-XRPDではLWとPb3(CO3)2(OH)2[HCer]、分解物であるPbSO4が検出されました。そして驚くべきことに金属鉛も同時に検出されました。
検出された化学種について見ていくと、Zn(HCOO)2⋅2 H2Oはいくつかの絵画から検出されていますが、Pb(HCOO)2 [LF:lead(II) formate]が歴史的な絵画から検出された初めての報告例だと主張しています。
Pb(HCOO)2 がどのように生成したかを理解することは、当時の画家の技術の手掛かりになるだけでなく、絵画の保存にも役に立つと考えられるため更なる調査を行いました。具体的には、モデルサンプルを作り時間経過でどのような化学種が生成するかを確認しました。17世紀のオランダの画家は乾燥促進剤としてアマニ油に酸化鉛を溶かしたものを良く使用しており、実際にアマニ油とPbOを種々の条件で混合、加熱しガラスプレートに薄く伸ばして室温で三年間放置しました。すると一日後から光学顕微鏡で結晶が確認されました。
結晶のマクロ・ミクロ局在化について焦点を当てて見ていくと、不均一な分布を持つ結晶が観測されPb(HCOO)2 [LF:lead(II) formate]の結晶だと確認されました。さらに注目に値すべきは、金属鉛がPb(HCOO)2 結晶と共存していることです。サンプル調製において絵具を模すためにlead white [LW]を加えていますが、比較としてLWを加えていないサンプルでは、観測されるPb3(CO3)2(OH)2[HCer]の濃度が加えたサンプルと比べて低いことが分かりました。さらにPbCO3 [Cer]は観測されませんでした。
サンプルにPbO粒子を追加することで起こる複雑化と不均一化について見ていくと、薄膜表面と薄片に小球が生成していることが分かりました。そして薄膜表面では、小球は異なる鉛の化学種で玉ねぎのような構造を持っています。
化学種の構成は小球によって異なりますが、傾向としてはPbOやPb5(CO3)3O(OH)2、Pb3(CO3)2(OH)2[HCer]がコアとなり、Pb(HCOO)2 がカルボン酸鉛などと共に二層目を成しています。薄片では、結晶化した鉛石鹸の混合物がコアとなり金属鉛とPb(HCOO)2がシェルとして共局在化しています。
実験をまとめると、以下のような結果となりました
- Pb(HCOO)2 はPbO粒子を追加したサンプルで硬化する際に生成
- Lead white [LW]を加えないとPb(HCOO)2 濃度は減少
- Pb(HCOO)2 は未反応のPbO粒子の周りに高い濃度で存在
- Pb(HCOO)2 は石鹸リッチの小球から検出
- 生成したPb5(CO3)3O(OH)2とPb3(CO3)2(OH)2[HCer]は薄膜と未反応のPbO粒子近辺から検出
これらの結果を踏まえて、系中の変化をまとめると下の図のようになり、油の酸化反応で生成したギ酸が置換反応を起こしてPb(HCOO)2が生成し、結晶化、沈殿すると考えられます。一方、未反応のPbOが存在する場合、それが鉛源となりPb(HCOO)2やPb(HCOO)(OH)、鉛石鹼が生成すると考えられます。Lead white [LW]の効果についても鉛源として働いているかもしれないとコメントしています。
まとめとして本研究では、絵画、夜警に含まれるPb(HCOO)2の存在と分布が確認され、その生成経路について推測されました。夜警において現象をより複雑にしているのは、ニスが上から塗られていることであり、1756年に出版された文献によれば、夜警は洗浄と復元が行われ、塗られていたボイル油とニスを取り除いたと記載されています。ボイル油にはPbOが含まれていますが、この作業でPbOが取り除かれたかは不明です。他の不明な点はニスが部分的か全体に塗られたかであり、新しいギ酸が部分的に供給された可能性があります。さらにギ酸が腐食した金属の道具から混入したことも否定できません。最後に本研究でPb(HCOO)2の存在が確認されましたが、それがペイントの安定性や光学特性に何らかの影響があるのか確認することは非常に興味深いとコメントしています。
まず、単純に絵画の成分に関する研究が盛んに行われていてAngewandte Chemieにその結果が掲載されていることに驚きました。化学には自分の知らない分野がまだまだあるようです。一方で、本論文の最後には絵画の中においてどのような反応が起きているかを推測しており、歴史的な絵画の分析という珍しい分野の研究でも複雑系での化学種の生成メカニズムの解明といった広く行われている手法が使われています。これにより課題は異なっていてもそれを解明するためのアプローチは共通であることを実感しました。本記事では触れませんでしたが、X線回折の手法についても詳しく原著論文では触れられています。破壊できないサンプル(絵画)だからこそ測定方法が限られていて、X線の検討が成されたわけであり、単純な化学種でも状況によっては分析が難しいことが分かりました。夜警に関する分析は続けられており、続報に期待します。