東北大学大学院工学研究科の山口健教授とNTT コミュニケーション科学基礎研究所の那須大毅主任研究員、カナダのリハビリテーション研究機関KITE Research Instituteの政二慶上席研究員の研究グループは、MLB公式球の皮革部分と指先間の摩擦係数に及ぼすすべり止め剤の効果を初めて明らかにしました。その結果、使用が認められているロジン粉末と使用が禁止されている粘着物質の摩擦係数が定量的に示されました。 (引用:東北大学プレスリリース12月15日)
野球は観るのが専門である自分は、投手が使う滑り止め材め剤についてよく知りませんが、その効果について科学的に調べた論文が発表されましたので紹介させていただきます。
論文のイントロでは、プロ野球における粘着物質の使用について取り上げています。その内容として、2021年にメジャーリーグではロジン(炭酸マグネシウムと松ヤニの混合物)以外の使用を禁止したこと、そもそも野球の投手にとって指とボールの摩擦が重要でボールのスピンとコントロールにおいて重要な役割があること、メジャーリーグの投手がリスクを冒して粘着性物質を使用するのは、メジャーリーグのボールは滑りやすいことなどが述べられています。
大谷翔平の行動が注目された審判による粘着物質のチェック
そして、粘着物質を使った場合の指とボールの摩擦係数についての研究は報告されておらず、日米のボール摩擦係数の比較もなされていないことから、本研究ではこれらの点において調査を行いました。実際、つや消し、洗浄のためにメジャーでは試合前に泥でもみ、日本では砂でもんでいることからこれらの摩擦係数への影響も併せて調べました。
実験では、9人の男性(全員右利き、二人は野球経験者)に参加しました。そして日米の公式ボールを分解して6軸力覚センサに貼り付け指を置いて一定の方法にスライドさせ、各軸にかかる力を測定し摩擦係数を算出しました。野球のボールには糸で縫ってあり、それに指を引っ掛けて投げることもできるため、縫い目を使用した場合とそうでない場合の2通りで測定を行いました。そして何も手に付けない場合、ロジンを使う場合、粘着物質を使う場合で比較しました。
まず、メジャー球を使用した時のロジンと粘着性物質の影響を調べました。
最も変動が少なく安定した摩擦力・摩擦係数を示すのは、ロジンを使って縫い目が無いところで測定した場合となりました。また粘着物質を使うと縫い目ありなしに関係なく、押付け荷重が低いところで摩擦力が高くなり、最大の摩擦係数が示されました。この押しつけ荷重が低い条件は投手がボールを放す時であり、粘着物質を使うことでボールのスピンレートが増加することが計算により示されました。ただし、投げるモーションの中で摩擦力が変化することはコントロールを不安定にする要因になるかもしれず、投手はこの変化に順応する必要があります。そしてし粘着物質の効果は人によって差が大きいこともグラフより読み取ることができます。
次に摩擦係数の結果を統計的に解析しました。
各条件の比較では、ロジンや粘着物質を使う方が縫い目ありなしに関係なく、有意に摩擦係数が高くなることが分かりました。一方縫い目の効果は、粘着物質以外において摩擦係数が高くことが判明しました。変動係数に関しては、粘着物質が圧倒的に高いことが分かります。一方、ロジンを使い縫い目なしの条件で変動係数が低くなることが明らかになりました。被験者間の変動係数については、なにも付けない場合が最も高い値を示しました。これは、被験者によって指の水分量は異なるからだと推測しており、先行研究では水分が多いほど指の皮膚の弾性率を下げ接触面積を上げ接着摩擦を向上していると主張しています。一方、ロジンを使うとせん断の発生で変動が小さくなり、また指とボールの摩擦を増加させているようです。よってロジンの使用許可は投手間での摩擦を一定に保つフェアな環境を構築していることになります。また押付け荷重が変わっても一定の摩擦係数を示すロジンの塗布は、投手のピッチング中の摩擦を一定に保つという利点があり、ボールスピンの再現性を改善し、ボールコントロールを潜在的に向上させる利点があることを示唆しています。
手の水分量と摩擦係数の関係を調べました。なにも付けない場合は、水分量が高くなるほど摩擦係数は高くなりますが、ロジンや粘着物質を使う場合は低い相関がみられました。
日米のボールで結果に違いがあるのかを調べました。結果、日本のボールの方が有意に摩擦係数が高いことが分かりました。一方、変動係数に関しては、ボールの違いによって有意な差は見られませんでした。どちらも牛革を使用していますが、製造プロセスの違いで摩擦係数に影響を与えているかもしれないと推測しています。また革の厚さが日本のボールの方が厚いことも摩擦係数の違いの原因かもしれないと推測しています。
最後に試合前のボールの洗浄操作の影響を調べました。日米の洗浄操作を行ったほうが縫い目ありなしに関係なく摩擦係数は高くなる結果となりましたが、有意な差ではないことが分かりました。
最後にこの研究の課題について言及しています。まず本研究では球状のボールを分解して平らにして実験を行っており、投手が投げる時の摩擦力を正確に模していないかもしれないとコメントしています。また、投手は人差し指と中指の 2 本の指を使って野球ボールを握りますが、本研究では人差し指のみでテストしました。実際にボールを投げる時の投手の指の位置や動き、滑り方向を正確に反映していないことも言及しています。そして被験者の指にはたこが無く、投手の指の状態とは異なることも限界として挙げられています。
まとめとして本研究では、投手が使うロジンやメジャーでは使用が禁止されている粘着物質の効果、日米のボールの違いについて研究を行いました。ボールと指との摩擦係数は、人によって異なるもののロジンを使うことでその差を小さくすることが分かりました。粘着物質は、摩擦を増加させボールのスピン速度を向上させますが、コントロールを不安定にさせる要因にもなりうることが示唆されました。
実験によってロジンや粘着物質の効果と条件による違いを定量的に示していることは大変興味深いと思いました。それぞれの実験結果については物理法則を根拠にして解釈が加えられており、単に実験結果を納得するだけでなく、ピッチングへの影響まで理解することができる構成になっています。上記の課題の通り、より実際の投げる動作に近いところで摩擦係数の想定ができるようになれば、投手の指のコンディションの確認に応用できるのではないかと思います。
[amazonjs asin=”B09XT839T7″ locale=”JP” title=”松坂大輔の 松坂魂”]昔持っていた野球ボール、このボールを投げると球速を測定できる。ボールで摩擦係数を測定できれば、この野球ボールのように投げただけで摩擦係数を測定し指の状態を確認できるかもしれない
また、野球だけでなくラグビーやバスケットボールなど他のスポーツにおいても同じアプローチの研究は役立つと考えられます。本研究はどちらかというとマテリアル系の内容でしたが、ロジンや粘着物質が指とボールの界面でどのような振る舞いをしているかまで見ると分子の働きがよりはっきりとわかるのかもしれません。