分子の重合体「ポリマー」の配列を定義し、文字などの情報を「分子の並び順」で表す技術を応用して、情報が埋め込まれた化学物質をインクに混ぜ、手紙にしたためて他者に送ることに成功した論文が発表されました。 (引用:Gigazine 8月13日)
情報を受け手しか解読できない形で物に書き込み送る様は、スパイ映画などで時々登場します。そんなロマンあふれる暗号化について、化学を応用した新しい技術がACS central scienceより発表されましたので紹介させていただきます。
まず研究の背景ですが、Sequence-defined polymers (SDPs)はデジタルポリマーと呼ばれ、分子レベルでの構造と分子配列の定義によって情報を保存することができ、耐久性や寿命、物理的な容積において従来の記憶媒体より高い性能を持つとされています。具体的にこのSDPsを構築する方法としては、DNAを使う方法が確立されており、その素早い複製や情報の取得が可能な長所に加えて、かなりの量の情報を保存したり取り出すことができます。一方、非生物的なSDPsについても、合成と配列技術の進化によって情報保存量も向上していますが、核酸を使う方法の保存容量と比べれば大きな進歩が必要となっている状況です。
合成・構造解析可能なポリマーの長さには制限があり、一般的には1文字や数バイトといった小さな情報しか単一のSDPに保存できません。情報記憶媒体としてのもっとも難しい課題は、暗号化情報のシークエンシングや読み出しにあり、情報が多くなる=分子の長さが長くなる、あるいはユニークなモノマーを使うほど解読時のデコンボリューションが難しくなります。またSDPsの解読=分子構造の決定には質量分析計が使われますが、モノマーの違いを同定することは難しく結果として複数の官能基を持つ高分子の記憶媒体としての応用は制限があります。
このような状況下でほとんどのSDPsは短いオリゴマーであり、1分子当たりのデータ容量は制限されています。複数のオリゴマーを使う場合、合成と解読はシンプルになるというメリットはあるものの、正しく読みだすためには空間的な機構が必要となり、そして何よりMSスペクトルの複雑化を防ぐためにオリゴマーそれぞれを単独で分析する必要があります。
そんな中、本研究では末端解重合による解読によって一つのポリマー混合物に256ビットの情報を保存し取り出すことを行いました。
オリゴマーの構造の違いによる256ビット=2256通りの表し方ですが、一つのオリゴマーは10個のモノマーが結合したもので、末端が固定の構造であるため、8つ異なるモノマーを結合することができます。モノマーは16種類あり、(16)8=(24)8=232となります。
これにB1からB8と名付けられた別々のオリゴマーが合成・混合されるため(232)8=2256通りのオリゴマー混合物となります。
では、どのように解読するかですが、オリゴマーを加熱すると一方の末端が脱離するため、加熱時間ごとにサンプリングしLC-MSによる解析を行い、オリゴマーの分子量からB1からB8それぞれでどのモノマーが脱離したかを同定しました。
実際にこの仕組みを用いて、オズの魔法使いの物語の一部を暗号化したオリゴマーの混合物を合成し、IPAやグリセロール、煤と混ぜてボールペンのインクを作り、手紙が書き、共著者に郵送しました。そしてインクはジクロロメタンで抽出・濃縮された後、サードパーティの協力者は指示された解読方法に基づいて分析を行い、暗号の解読に成功しました。
結果としてSDPsに保存される容量を多くすることに成功しました。この成果のカギは同位体を活用したことであり、96以上の異なる分子が混ざっていてもLC-MSによって同定され暗号の解読を行うことができました。この256ビットの情報を保存したことは、一つのSDPsサンプルとしては世界最大の情報量だと考えられ、この実例は、分子を使った情報の保存と暗号化を広く可能にすることを示した結果であると主張されています。そして将来的には読み書き=オリゴマーの合成と分析を自動化できれば、実際の応用におけるアクセス性と実用性をさらに高めることができるとしています。
分子構造の違いで情報化する仕組みについてはさらっと説明しましたが、オリゴマーの質量が同じにならないように綿密に計算された上で構造がデザインされており圧巻の内容でした。さらに、その綿密な分子構造を持つオリゴマーを実際に合成して、解読まで成功していたことは驚きしかありません。論文はさほど長くはありませんが、Supporting informationにはたくさんのスペクトルが掲載されており100ページを超え、さらには解釈のためのスライドも公開されており、莫大な量の合成と分析によって得られた成果であることが分かります。一般向けにこの記憶媒体が広がることは考えにくいですが、膨大なデータを長い間保存が必要な場合にはこの方法を採用するメリットがあると思います。将来、霞が関のどのビルにケミカルラボが置かれるような時代が来るかもしれません。