パラジウム (Pd) の先物市場価格が過去最高値をつけています。ケムステでは 2017 年の時点で既にパラジウム価格高騰について取り上げていましたが、もはやその時の比では無くなっています。
ガソリン車などの排ガス浄化触媒に使う貴金属のパラジウムが 7 日、約 10 カ月ぶりに史上最高値を更新した。指標となる現物スポット価格は一時 1 トロイオンス 3170 ドル台と、2021 年 12 月中旬につけた直近安値の2倍超に高騰した。パラジウムの産出はロシアが 4 割を占め、各国による経済制裁を巡って供給懸念が深まっている。自動車に欠かせない資源の高騰は、メーカーの収益を圧迫しかねない。
2017年の記事ではまだ 1 トロイオンスあたり1000 ドルにも達していなかったことを考えると、たった 4 年ほどで異常な高騰を示しています。その背景には、ロシアによるウクライナ侵攻があると言われています。ケムステでは先日同危機による貴ガスの高騰について取り上げましたが、さらなる追い討ちが化学業界に掛かった形となります。
ロシアによるウクライナへの侵攻を背景に、工業用や医療用に使われている希少金属、パラジウムの先物価格が 7 日、取り引き時間中の最高値を更新したほか、小麦価格も 14 年ぶりの高値水準に上昇し、幅広いものの価格高騰が世界経済に悪影響を及ぼすことが懸念されます。
ニューヨーク商業取引所では 7 日、パラジウムの先物価格が一時、1 トロイオンス当たり 3425 ドルまで上昇し、去年 5 月につけた取り引き時間中の最高値を 10 か月ぶりに更新しました。
パラジウムは自動車の排ガスの抑制や銀歯など工業用や医療用に使われる希少性の高い金属で、ロシアが世界有数の産出国として知られています。
軍事侵攻によって厳しい経済制裁を受けているロシアからの供給が滞る懸念から価格が高騰しています。
地政学的影響だけではないパラジウムの値上がり
2022 年 3 月現在のパラジウム価格高騰は、ウクライナ侵攻の影響によるものであることは間違いありません。しかしながら、それ以前よりパラジウムの価格は乱高下を繰り返しながら、じわじわと上昇していました。
下の図は、1977 年から 2022 年 3 月までのパラジウムの国際価格推移です。
パラジウム国際価格の推移: 引用元
各種産業の発展により貴金属の市場価格が値上がりするのは仕方のないことですが、それにしても 2000 年前後からの推移は驚くべきものがあります。一体何があったのでしょうか。
実は 1998 年頃より、ロシアからの供給の不安定さを材料とした投機目的の人気が高くなり、ある時点では東京工業品取引所 (現在の東京商品取引所) における 1 日の売買高が世界の年間生産量を超えたこともあるそうです。それと時を同じくして、世界的な排ガス規制の強化 (本邦では平成12年の排ガス規制が代表的) により自動車排ガス浄化用三元触媒としてのパラジウムの需要が高まり、にわかに価格上昇が起こりました。しかし、その後一旦は 200〜500 ドル台と高騰前の水準に戻ります。安価なニッケル触媒などの台頭により、電子部品向けのパラジウムの需要が減ったのが一因とされています。2008 年のリーマンショックにより一時的な急落が見られましたが、その後 2010 年からは 700 ドル前後で推移していました。ちなみに 2010 年といえばクロスカップリング反応の業績に対しノーベル化学賞が授与された年ではありますが、市場規模的に考えてその影響はなかったと言えるでしょう。
その後、2015 年頃よりパラジウム市場は再び値上がりに転じます。その顛末に関しては過去のケムステ記事をご参照ください。2021 年 5 月には、初の 3000 ドル超えを記録しています。
パラジウム市場の 2021 年の需給は逼迫感が強まる見通し。先物価格は最近、1 トロイオンス= 3000 ドルを上抜き、過去最高値を更新している。
英製錬大手ジョンソン・マッセイ (JM) は 17 日に発表した「世界需給見通し」で、21 年のパラジウムの需給が 26 トンの需要超過になると予想した。世界的な自動車生産の回復に加え、各国での排ガス規制の強化を背景に超過幅が拡大するという。
パラジウムは、自動車の排出ガス制御装置に広く使用されている触媒コンバーターと呼ばれる部品に用いられる。また、医療や産業用途でも使用される。
世界の自動車メーカーは、価格の高騰を受けてパラジウムの使用を減らし、代わりにプラチナの使用を増やしているものの、自動車生産の回復により、21 年の自動車触媒向けのパラジウム需要は 2 ケタの伸びが見込まれるという。
欧州連合 (EU) で始まった乗用車の排出ガス規制「RDE (Real Driving Emissions)」やその他の地域での厳格な規制導入もまた、パラジウムの需要増につながている。
そもそもパラジウムの供給は、プラチナやニッケルの採掘の副産物としての側面があり、その採掘量は安定していません。また、以下の表に示すように採掘場所は非常に限定されています。そのため安定した供給が難しく、どうしても需給バランスが崩れがちになっているのが実情です。2022年、そんな中でロシア・ウクライナ情勢に伴う供給不足の懸念から、過去最高値を記録したというストーリーがあります。
表 パラジウムの資源量 (2004年) : 引用元
可採埋蔵量 (トン) | 可採埋蔵量 (%) | 資源量 (トン) | 資源量 (%) | |
アメリカ | 900 | 1.3 | 2,000 | 2.5 |
カナダ | 310 | 0.4 | 390 | 0.5 |
ロシア | 6,200 | 8.7 | 6,600 | 8.3 |
南アフリカ | 63,000 | 88.7 | 70,000 | 87.5 |
その他 | 590 | 0.8 | 1,010 | 1.3 |
埋蔵量では南アフリカの方が段違いに大きいものの、採掘の規模としてはロシアが優勢です。それらに続くとされるアメリカ・カナダのシェアは決して高くはありません。
プラチナの産出は南アフリカが優勢だが、日本の自動車産業が多く使用するパラジウムではロシアが優勢で、世界のパラジウムの採掘量の40%のシェアを持つ。ちなみに2位は40%を若干下回る南アフリカで、その他は北米、カナダ、ジンバブエなどが産地だ。北米、カナダは安定しているように見えるが、供給量の合計15%もない。南アフリカかロシアのどちらかの生産がストップしたら、供給不安になる。日本の自動車産業は、ロシアが40%のシェアを持つ金属に依存してしまっている。他のロシア産金属に対し、パラジウムの重大性は桁違いに大きい。
パラジウム価格上昇によるケミストへの影響
市場規模からすると、排ガス用を除く化学触媒としてのパラジウムの需要は微々たるもので、すぐに試薬が高騰したり販売停止になるなどの懸念はなさそうです。しかし、2021 年の酢酸エチル問題と同様、いずれは末端の利用者にもその影響が及ぶ可能性も充分あります。ロシア・ウクライナ問題で同じく輸入が不足するおそれの高い小麦に関しては、実勢価格の上昇が消費者に影響するのは 2022 年 8 月ごろと言われています。パラジウム試薬についても各自動向を注視しながら、早めの備えをしておくのがベターかもしれません。
今回のロシア・ウクライナ問題を除いても、パラジウム試薬の価格は一部値上がりを続けているようです。2011 年 6 月発行の Organic square vol.36 (和光純薬、現在は休刊) を見返すと、2022 年現在の塩化パラジウムや酢酸パラジウムの価格は当時の 2 倍以上となっています。¥6,000/1 g→¥14,000/1 g はかなりの上昇ですね。本邦の問題ですが、消費税も当時の 5% → 10% に増税されていることを鑑みると、合成屋に取っては結構な打撃です。しかし、それらと同様に汎用されるパラジウム活性炭 (Pd/C) やテトラキス(トリフェニルホスフィン)パラジウムの値上がりは微々たるものとなっています。事細かな事情は不明ですが、同じパラジウム試薬でも実勢価格には差があるようです。ともあれ、ご自身の研究室でよく使う試薬に関しては (常識的な範囲で) 買い溜めをしておくのが望ましいでしょう。
有機合成にはもはや欠かせない元素となったパラジウムですが、やや偏重気味というか、頼りすぎな面も否定できません。過去記事「創薬開発で使用される偏った有機反応」を参照すると、パラジウムを用いたクロスカップリング反応が非常に多用されていることが見てとれます。データ自体は 2005 年のものとやや古いですが、低分子創薬においては今でも汎用されているのは間違いありません。特にマルチキナーゼ阻害薬などを見ていると芳香環が直接またはアミノ基で連結した構造のものが多く、Suzuki-Miyaura 反応や Buchwald-Hartwig 反応が多用されている感があります。探索段階ではともかく、工業的プロセスでのパラジウム触媒の多用は今後厳しくなる可能性もあり、ケミストの目と腕が問われそうです。
おわりに
なんだかんだ言いましたが、とかく便利なパラジウム、ラボスケールでの利用は今後も避けられないでしょう。効果的なリガンドや反応条件を採用しつつ、貴重な資源だという意識を持って無駄を無くすよう、最大限の努力をすることが求められます。そして国際情勢が早く落ち着くことを切に願うばかりです。
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