酢酸エチルの高騰が止まりません。2021 年 11 月 12 日現在、日本の酢酸エチル主要輸入相手国である中国における価格は 1トンあたり 9895.00 元と、一年前 (2020年11月) の約 1.5 倍の価格となっています (出典サイト)。(2021/12/03 追記: 12月3日時点ではやや下降を続けており、9185元まで下がっています。 2022/01/19 追記: 1/18現在、8000元代後半で推移していますが、なおも高値であることに変わりありません)。酢酸エチルの価格上昇は2021年初頭よりたびたび産業系のニュースで取り上げられていましたが、ここに来ていよいよ実験生活に多大な影響を及ぼしかねなくなっています。実際、多くの化成品メーカーで出荷の制限もしくはその検討が始まっています。
酢酸エチルの国際市況が過去最高額を更新した。原料の酢酸続騰を受け、中国勢の稼働率が低下。欧米などの需要回復も相まって、タイト感が強まっている。中国FOBは1トン当たり1350ドル前後で推移。需要が好調を継ぐ見通しのなか「中国勢は酢酸とのスプレッド改善に向けて価格を維持する」(市場関係者)とみる向きが多く、中国品販売元は5~6月に1キログラム当たり10~20円の値上げを打ち出している
酢酸エチルの国際市況が急伸した。主産地中国で9月中旬から始まった電力制限と石炭不足により主原料の酢酸が高騰。酢酸エチルの供給も急減し、10月上旬時点で中国FOBは1トン当たり1500ドル台と、5月に記録した過去最高額を超えた。同国の主要港湾では新型コロナ関連検査の厳格化による輸送遅延も続いており、国内では在庫が底をついた輸入企業も出てきている。
この背景には、製造原料である酢酸の高騰が影響しているようです。
酢酸のアジア市況が急騰している。主産地中国では石炭不足による電力制限を受け、江蘇省などの主要メーカーが軒並み減産。国内の誘導品向けに限られた玉が優先供給され、輸出分が激減している。10 月初旬時点で 1 トン当たり 1250~1350 ドルと、春に記録した過去最高値を優に超えている。欧米でも大手の定修入りなどでアジア域内の不足分をカバーできる余裕はなく、品薄懸念によるパニック買いから一段高になるとみられている。
近年、日本国内の酢酸エチルは大部分が中国からの輸入に頼っていました。2020 年度の輸入品のうち、実にその 90% 強が中国からによるものです (財務省 貿易統計より)。ちなみに次点の輸入元はシンガポールですが、その輸入量は中国からの 10 分の 1 にも及びません。
(酢酸エチルの輸入動向に関しては、GD Freak! 様のサイトにグラフで分かりやすくまとめられています)
酢酸エチルの工業的製法と原油高
中国における酢酸エチルの工業的製法は、原料の酢酸に依存しているという情報から、酢酸とエタノールの Fischer エステル化によるものと推測されます。この方法は非常に簡単ですが、原料となる酢酸が製造できなければ容易く止まってしまいます。酢酸の工業的製法としてはメタノールと一酸化炭素を原料とするモンサント法が一般的で、他にエチレンを酸化してアセトアルデヒドとし (ワッカー法) 、さらに酸化する方法などがあります。メタノールもエチレンも天然ガス・石油 (ナフサ) などから製造されますが、実はそういったエネルギー資源がそもそも高騰しています。
石油化学製品の基礎原料ナフサ (粗製ガソリン) の高騰が続いている。国産ナフサの 7~9 月期価格は前四半期に比べ 1 割強上昇し、昨年の底値の 2 倍超になった。原油高に加え、為替が円安に振れた影響も出た。10~12 月期もさらに1割強上がる見通し。石油化学業界が合成樹脂などに転嫁値上げする姿勢は強く、産業界のコスト上昇圧力が高まっている。
これに伴い、各ケミカルメーカーは相次いで製品の値上げを発表しています。
KHネオケムは20日、オキソ系など各化学製品について、11 月 1 日納入分から値上げすると発表した。
対象製品と改定幅は、オキソ系の「オクタノール」「オキソコール900」「ノナノール」「ブタノール」「イソブタノール」「酢酸イソブチル」「オクチル酸」「キョーワノイック‐N(イソノナン酸)」「ブチルアルデヒド」「イソブチルアルデヒド」「キョーワゾールC-800」「キョーワゾールC600M」「キョーワノールM」「トリデカノール」が「18円/kg 以上」、
ブチセルアセテート系の「ブチセルアセテート」「ブチセノール20アセテート」が「23円/kg 以上」、
アセトン系の「アセトン」「アセトン-P」が「16円/kg 以上」、「ダイアセトンアルコール」「メチルイソブチルケトン(MIBK)が「21円/kg 以上」となっている。
原油・ナフサ価格が急騰しており、第 4 四半期 (10-12 月期) の国産ナフサ価格は 6万2000 円の水準が見込まれている。同社は、急激な原燃料価格上昇を自助努力で吸収するのは限界を超えていることから、国内安定供給を維持・確保するために、価格改定が必要と判断した。なお、その他の少量販売品目についても価格改定を実施する予定。
プライムポリマーは 8 日、ポリエチレン (HDPE、L‐LDPE)、ポリプロピレン(PP)について、11 月 22 日納入分から値上げすると発表した。改定幅は、PE と PP の全製品が「15円/kg以上」、「エボリュー」が「21円/kg 以上」となっている。ただ、ゴムなどの副資材コストも上昇しており、一部製品については追加の値上げを実施する。
コロナワクチン普及に伴う景気回復により原油需要が増加する一方、OPEC プラスの緩やかな増産ペース、北米原油設備のハリケーン被害の長期化により、原油価格は高騰を続けている。国産ナフサ価格は、原油価格の上昇に加え、アジア域内の堅調な需要を受け6 万7000円 /kL を超える水準で推移すると見込まれる。
同社は、厳しい経済環境下、あらゆるコストダウンに懸命に取り組んでいるが、こうした原料と副資材コストの高騰は自助努力により吸収できる水準を超えるものとなるため、価格改定を実施せざるを得ないと判断した。なお、想定したナフサ基準価格が大きく変動する場合は、改定幅の修正もあるとしている。
そもそも酢酸エチルの需給増と原料価格高騰、そして特恵関税の撤廃により、2018 年ごろから徐々に価格上昇・供給不足の足音は立っていました。
酢酸エチル価格改定について
拝啓 貴社ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、弊社製品の酢酸エチル(中国品)は、原料の需給タイト化と価格高騰を受け、昨年来、海外市況の上昇と高値が継続しております。また、中国品酢酸エチルは今年4月から特恵関税が撤廃され、新たに輸入関税が課税され始めております。昨今の円安傾向の影響もあり、弊社の合理化等では吸収しきれない製品原価の値上がりとなっており、下記の通り価格改定をお願いせざるを得ない状況となりました。何卒、事情をご賢察の上、ご理解賜りますようよろしくお願い申し上げます。
敬具
記
商 品 : 酢酸エチル(中国品)
改定額 : @10円/kg
実施日 : 2018年6月16日出荷分より以上
(丸紅ケミックス株式会社より引用)
今後の見通し
製造原料の酢酸の需要は、今後も伸びていく予想となっています。
市場の概要
酢酸市場は、2020 年に 98 億米ドルの規模でした。今後、2021 年から 2026 年の間に 6.8% の年平均成長率を示し、2026 年には 151 億米ドルの市場規模に達すると予想されています。酢酸(CH3COOH)は、エタン酸やメタンカルボン酸とも呼ばれ、強い酸味と刺激的な匂いを持つ無色の有機化合物を指します。酢酸金属、酢酸ビニル、酢酸セルロース、酢酸エチルや酢酸ブチルなどの揮発性有機エステルの製造に使用される、最も重要な化学試薬および工業薬品の一つです。また、天然の炭水化物を発酵・酸化させて得られる酢酸を希釈したものは、家庭での洗浄剤として広く使用されています。
市場の動向及び成長要因
酢酸は、コーティング剤、グリース、ポリエステル、シーラントなどの製造に使用され、電子機器、自動車、繊維、包装など多くの産業で利用されています。
現在、ポリエチレンテレフタレート (PET) ボトルは、軽量でリサイクルが可能であることから、医療や消費財の分野で人気を集めています。PET ボトルは、酢酸を原料とする高純度テレフタル酸 (PTA) を用いて製造されるため、その需要が拡大しています。
酢には、体重減少、血圧維持、血糖値やコレステロール値の調整などの効果があることから、消費量が増加しています。酢酸は食酢の製造に使用されるため、市場全体の成長を促進しています。
酢酸メーカーは、BP 社の Cativa や Celanese 社の AO-plus (Acid Optimization Plus) などの新技術を採用する傾向にあります。さらに、生産能力の増強、生産効率の向上、エネルギー消費量の約 30 %削減、運転コストの削減も実現します。このように、化学品やその派生品の製造にこれらの新技術が採用されるようになったことで、業界の成長に明るい見通しが立っています。(株式会社グローバルインフォメーション 2021年7月15日)
業界の成長は見込まれつつも、中国のさまざまな懸念事項のため、酢酸エチル供給改善の見通し自体は何とも言えないのが現状のようです。印刷や塗料、接着剤など、酢酸エチルの用途は非常に多岐に亘ります。ラボ単位での利用などはそれらの業界に比べたらほんのチマチマした量なので、回ってこなくなるのは必然かもしれません。2009年ごろには、アセトニトリルの供給不足によって HPLC などの実験が行えなくなる事案が発生しました。そちらは世界的な不況で自動車が売れなくなり、自動車部品の製造に利用されるアクリロニトリルの需要が低下した結果、アクリロニトリル製造の際の副生成物であるアセトニトリルが枯渇するという背景がありました。どこから需給バランスが崩れるのかはなかなか予想できないものです。ヘリウム、アセトニトリル、そして酢酸エチルと、実験必需品の不足と高騰が続いていけば、ただでさえ質の低下が叫ばれている日本の基礎研究のさらなる桎梏となるでしょう。
酢酸エチルの代替品は?
アセトニトリル騒動の際は、さまざまな代替品が試されたものの、結局アセトニトリルに代わる良い移動相は無かったという結末になりました。酢酸エチルに関しても同じようなことが言えるかと思います。酢酸エチルは、非水溶性、適度な極性・揮発性・沸点 (77.1˚C)、低分子化合物の良好な溶解性、低毒性と、反応の後処理・精製で大量に用いる溶媒としてはこれ以上ない便利な性質を兼ね備えています。日常で気になる欠点は酸・塩基に弱いことくらいでしょう。長年使用して思うのは、沸点70~80˚Cの非水溶性で低毒性な溶媒が他にほとんどないということです。メチルエチルケトン (2-ブタノン) は比較的近いように思えます (沸点79.6˚C) が、水に25%程度溶解してしまうため抽出溶媒としてはイマイチです。ただ価格的に見ますと、メチルエチルケトンの 2020 年の価格は 1 トンあたり 12 万円ほどと、今の酢酸エチルよりは安いようです。シリカゲルカラムクロマトグラフィーの溶媒としては…使えるのかもしれません??? (使ったことがないので不明です)。
抽出・カラムを避ける
酢酸エチルの消費量を減らすには、後処理の過程で抽出やカラムを避ける (水や貧溶媒で析出後、再結晶で精製) というのが最も良いかと思われます。実際、プロセス検討の段階ではこれらの後処理工程を極力回避することが時間・コストの大幅な削減に繋がります。といっても、実験室レベルや創薬でのメドケムの段階ではそうそう出来ることではないのが現実でしょうか…。ただ SDGs を意識するうえでは、高価になりつつある溶媒の使用はなるべく避けるのがポイントだと考えられますので、ラボ運営の上で少し考慮してもいいのかもしれません。
おわりに
本記事の執筆段階において、酢酸エチルの供給に関しては業者ごとに差があり、状況は刻一刻と変化している印象です。A社は非中国ルートで確保しているものの出荷制限、B社は中国ルートながら在庫確保あり、しかし新規の卸業者からの注文はお断りなど、基本的には購入量をコントロールする方向に動いているようです。ただし、今回の酢酸エチル騒動はアセトニトリルやヘリウムの世界的な枯渇とは異なり、現状では中国の事情によるアジア圏での問題に留まっているようです。今後、主要輸入元の変更や国産品の増産によって供給価格は落ち着いてくる可能性もあります。当面、実験室ではスタッフが業者さんを介して上手に在庫をやりくりし、学生さんには極力消費量を節約してもらうよう努めるのが対応策かなと思います。ただこのまま原油価格の高騰が続けば、酢酸エチルのみならず、n-ヘキサンやトルエンなど溶媒全般の価格に多大な影響を及ぼすことも現実となりかねません。これを機にできるだけの節約を心がけ、環境に配慮した実験を行うよう見直していくのも良いのではないでしょうか。