チョコレートの製造過程でリン脂質分子を添加するという方法を用いれば、複雑なテンパリング(加熱・せん断)工程を行わなくても高品質のチョコレートを作れることを示唆する論文が、Nature Communications に掲載された。この方法で、チョコレートの製造を簡素化できるかもしれない。 (引用:Nature 関連誌注目のハイライト9月1日)
タイトル詐欺ではありません、チョコレートとそれに含まれるココアバターの物性について調べた論文がNature Communications誌に発表されましたので紹介させていただきます。
ココアバターはカカオ豆の脂肪分であり、カカオ豆を天日乾燥や焙煎をして皮と胚芽を取り除き粗く砕き、さらに細かく磨り潰すしたペースト(カカオリカー)を圧搾して製造されます。チョコレートの美味しさは、このココアバターに含まれるトリアシルグリセロールの結晶構造に依存していて、三斜晶系のV型が良い舌触りや光沢、スナップ性、融点(口溶け感)、熱安定性を示すことが分かっています。しかしながら、この結晶構造を作るにはテンパリングと呼ばれる操作が必要で、特定の冷却速度、ターゲット温度、撹拌方法でチョコレートを固化する必要があります。そのためチョコレート製造において適切な見つけ出すには多くの時間と労力を要し、また一貫性を保持できないことが多いため、製造時にも品質を保つために微調整が必要のようです。
まず研究の背景ですがココアバターには、3%以下のモノアシルグリセロールやジアシルグリセロール、遊離脂肪酸、リン脂質が含まれていて、先行研究ではこれらからの影響はココアバターに含まれる濃度次第だと示されています。これは、少量含まれる成分が核形成部位となり結晶化を促進するか、結晶成長部位をブロックすること結晶化を阻害するからです。各成分に着目して結晶化への影響を調べた研究は、数例のみ報告されていますが影響がほとんど見られておらず、チョコレートの結晶化に大きく影響するココアバター由来の少量の成分は分かっていません。そこで本研究では、少量成分を精製によって減らしたり、添加して加えることでココアバターの結晶化や他の物性の挙動について調べました。
では実験の結果に移りますが、まず結晶分析を行う前にココアバターの成分を分析しました。この実験で使用したココアバターはマレーシア産で、GC分析によると遊離脂肪酸としてステアリン酸が37.3%, パルミチン酸が25.4%、オレイン酸が33.5%含まれていて、典型的な文献値に近い結果となりました。次に、リンの濃度を調べたところ88ppmでリン脂質に換算すると0.26%含まれていることになり、こちらも文献値に近い結果となりました。ココアバターの精製として、水酸化ナトリウムを加えて撹拌し石けん成分を分離し、最後に中和されたココアバターにベントナイトを加えて漂白を行いました。この精製によってリンはほぼ除去され、遊離脂肪酸も精製前の5%以下になりました。
まず、精製あるなしと精製品に種々の少量成分を加えたココアバターのXRDを測定しました。結晶構造をクリアにするために全てのサンプルは、80度に温めて溶かした後、23度のインキュベーターで静置して結晶化させました。
結果、精製なしのココアバターからの高角度側のピークを確認するとVI型に帰属される短面間隔がXRDで観測されました。また、低角度側のピークを確認するとVI型で積層多形の3L構造をとることが分かりました。一方、精製ありココアバターからはIV型とV型に帰属される短面間隔が、低角度からの3Lと2L構造をとることが確認され、少量成分を取り除くとココアバターの結晶構造が大きく変化することが分かりました。少量成分を添加したココアバターからはV型かIV型とV型の混合であることが確認され、低角度側のスペクトルからは添加物に応じて3Lか2Lと3Lの混合であることが示唆されました。2L構造でのIV型は、低い融点や柔らかさといったチョコレートやココアバターにとって望ましくない性質と安定性をもたらし、3Lであることが望まれます。
次に、融点をDSCで測定しました。先行文献によりIからVI型では温度がそれぞれ異なり、数が大きい型の方が融点が高いことが示されています。精製前の融点は33.5度でVI型であり、精製すると28.8度でIV型に、リン脂質やモノアシルグリセロールを添加すると上昇して29.8–32.2度となりIV型からV型に変化することが分かりました。遊離脂肪酸を加えると34度に戻りIV型からV型とVI型変化することが分かりました。
結晶化速度を調べるためにTD-NMRで固体脂質量を測定しました。
そして得られた時間ごとの固体脂質量をAvramiモデルにフィッティングさせて結晶化速度を算出しました。
精製なしのココアバターの結晶化速度が最も遅く、精製により80分ほど早くなりました。成分を添加したサンプルのいくつかは精製品よりも早い結晶化速度を示しました。先行研究では、リン脂質の種類によって結晶化速度は早くも遅くもなり、ココアバターの精製では結晶化速度速度は速くなることが示されています。よって本研究の結果でも同じ傾向を示しました。一方、遊離脂肪酸の添加で少しだけ結晶化速度が速くなったことは、先行研究とは逆の結果となりました。また、モノアシルグリセロールに関して先行研究では影響は小さいと言われていましたが、驚くべきことに不飽和モノアシルグリセロールは結晶化を促進することが分かりました。
さらに光学顕微鏡でマイクロ構造を確認しました。全てのサンプルは球晶の構造でしたが、精製なしの場合は小さな球晶で、リン脂質の添加により球晶は大きくなりリン脂質の種類によってテクスチャが変わることが確認されました。この形状の違いを数値化するために、ボックスカウンティング法によるフラクタル次元の算出を得られた顕微鏡画像に対して行いました。すると、精製なしとステアリン酸添加のココアバターが最も低い値を示し、リン脂質を添加した精製ココアバターが最も高い値を示しました。結晶化速度が速いほど、フラクタル次元は大きくなり均一な結晶成長が起きますが、結晶成長速度が遅いと不均一な成長でフラクタル次元も小さくなると論文中ではコメントされています。
加えて融点とボックスカウンティング法によるフラクタル次元には関連があることが確認されました。この結果から現象を考察すると精製なしのココアバターの場合、最安定構造であるVI型をとるために融点も高く結晶化エネルギーが必要で、結晶化速度も遅く、不均一な結晶化が進みます。一方、精製したココアバターは純安定構造のIVかV型をとり、低い融点で結晶化エネルギー低くく結晶化速度も速く、均一な結晶化が進むことになるとしています。
ココアバターの機械的な強度を測定しましたが、精製あるなしとリン脂質添加の精製ココアバターで大きな差は見られませんでした。市販のチョコレートを溶かしてリン脂質を添加して結晶化させた場合、5度1時間で20度4日のプロセスでは機械的強度が保たれたものの、23度での結晶化では機械的強度と表面形状に望ましくない結果がみられ、リン脂質添加によるテンパリングなしでの結晶化条件には、最適化が必要であることが分かりました。
チョコレートの再結晶前後とリン脂質添加での再結晶で機械的強度と融点、XRDを比較したところ、XRDと融点は4条件で同じでしたが、リン脂質なしで再結晶すると機械的強度が低くなることが確認されました。結晶構造がすべての性質を決定するのではなくマイクロ構造も機械的強度に関連していると本文中では論じています。そしてリン脂質の添加が結晶構造を変えることなくチョコレートに適した硬さと形状特性の形成を助けることが示されました。これは、リン脂質がココアバター結晶化の振る舞いに影響を与え、その結晶ネットワークの基礎となるマイクロ構造を変えた結果であると考察しています。
最後にシンクロトロンマイクロ CT を使い、チョコレートの再結晶前後とリン脂質添加での再結晶での3次元構造の変化を確認しました。するとリン脂質添加なしで再結晶したチョコレートの構造は、他三つと大きく異なることが3次元画像から確認できます。4つの相関係数を調べたところ、リン脂質添加の方が添加なしよりも再結晶前のチョコレートに構造が近いことが分かりました。
まとめとして、ココアバターを精製すると結晶構造が変化することが確認されました。その精製したココアバターに種々の成分を添加すると変化が見られ、リン脂質添加がもっとも大きな影響がありました。特にDMPCでは、安定で好まれる構造の3Lのみが観測されました。さらにリン脂質を市販のチョコレートに添加して再結晶を行ったところ最適な機械的強度やマイクロ構造が得られ、複雑で骨の折れるテンパリング工程なしでチョコレートを製造できるかもしれません。またテンパリングは融点で最適化されますが、XRDやDSCが同じでも機械的強度が異なる場合があることがこの研究で示されました。よって光沢やスナップ性は表面とバルクのマイクロ構造に依存するかもしれません。 最後にDMPCやDPPE、その他の飽和リン脂質は、ココアバターやチョコレートの製品の結晶構造やナノ、マイクロ構造のエンジニアリングに関して有効な添加剤となり得ると結論付けています。
まずチョコレートは再結晶の条件によって結晶やマイクロ構造が変わりそれが美味しさに直結するという、化学と食品の密接な関係に驚きを感じました。産業における応用についての内容がNature Communications誌に掲載されることは珍しいと思いますが、リン脂質添加による構造変化を各種測定によって化学的に理解できたことに新規性が認められて掲載されたのかもしれません。スーパーマーケットに行けばたくさんのチョコレートが販売されていますが、一個一個の商品にそれぞれ各社の再結晶のノウハウが詰められているかと思うと、購入したチョコレートの上記で挙げられていた舌触りや光沢、スナップ性、口溶け感をしっかりと感じながら味わいたくなります。本研究の成果に関して、リン脂質添加で複雑な再結晶の手順が必要なくなるのであれば、チョコレートの製造プロセスを簡略化することができ、美味しいチョコレートをより手軽に食べることができるようになるかもしれません。実験では精製したココアバターに添加した時と市販のチョコに添加した時の再結晶の振る舞いで評価を行っていますが、精製なしでのココアバターに添加した場合やチョコレートの種類からの影響、リン脂質と再結晶の関係、リン脂質添加の風味への影響など実用化においては気になる点が多々あり、続報が期待されます。
バレンタインデーにおいて、手作りチョコレートを渡すことは定番イベント?となっていますが、手作りする際に板チョコを溶かしてテンパリングするプロセスは大変な作業です。そのためこの技術を応用して、冷蔵庫に入れるだけでテンパリングと同等の品質にすることができる添加物か、添加物が加えられたチョコレートが開発されれば、誰もが美味しい手作りチョコで気になるターゲットを落とせるようになるかもしれません。
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- Tempering of cocoa butter and chocolate using minor lipidic components:原著論文
- Alejandro G. Marangoni, Ph.D.:研究グループのHP