ENEOSは2021年8月10日、製油所の石油精製装置において、水素キャリアであるメチルシクロヘキサン(MCH)から水素を取り出し利用する実証を開始すると発表した。石油精製の既存装置を使用しMCHから水素を取り出すのは、国内初の取り組みだという。CO2フリー水素サプライチェーンの構築に向けた要素技術の一つとして、実用化に向けた検証を進める。 (引用:8月19日スマートジャパン)
脱炭素の動きが加速する中、水素をエネルギー源として使用する検討が進められていますが、水素固有の物性故の課題がいくつかあり、応用方法だけでなくハンドリングにも技術開発が求められています。今回はその水素のハンドリングに関して、ENEOSが既存装置を利用して水素の発生を実証するとのプレスリリースが発表されましたので詳細を見ていきたいと思います。
まず、水素をメチルシクロヘキサンから発生させる実証を行う意義ですが、これは水素を効率よく運搬するための技術開発の一部に位置付けられるものです。気体は密度が低いため効率よく物質を運搬・貯蔵するためには、液化することが常套手段となっています。例えば、天然ガスは採掘・精製後、液化してから船で運搬され、タンクやボンベに保管されます。液化ガスは容器の中で気ー液平衡状態になっているため低圧で、使われるタンクやシリンダーは高圧に耐えられるほど頑丈にしなくても、安全にハンドリングすることができます。一方、水素は液化しにくい物質で、それは水素の沸点が常圧で-252.9°Cと低いことと状態図において沸騰線の傾きが大きいことに起因します。実際、燃料電池自動車であるToyota Miraiに搭載されている水素タンクは、70 MPaにも耐えられるような特殊な構造になっており、これでガソリン自動車と同等の燃料満タンからの航続距離を確保しているようです。
超高圧に耐えられる特殊なガスタンクを船に搭載するような大型にすることは現実的ではないので、別の運搬方法が必要になってきます。その一つが本ニュースの主題である有機ケミカルハイドライド法であり、別の化合物に変換して運ぶ方法です。この仕組みを化学的に表現すると、まず得られた水素を使ってトルエンの水添反応を行い、メチルシクロヘキサンを合成します。その後このメチルシクロヘキサンを水素を消費する場所に運び、脱水素化反応で水素を発生させます。副生したトルエンは、再度運ばれて水添反応に使われます。
この方法の最大のメリットは輸送が容易であることで、メチルシクロヘキサンもトルエンも常温で液体であるため、既製品の液体化学品を運ぶ容器で運搬することが可能です。
今回、ENEOSが実証を行うのは脱水素反応のステップで、製油所の既存設備を活用することに大きな特徴があります。石油精製プロセスでは、水素によって蒸留した原油を脱硫する一方、白金担持のアルミナ触媒を使った接触改質によって炭素数が7から10程度のパラフィンやナフテンを多く含む重質ナフサに対し脱水素を行っています。特にナフテンの脱水素は、まさに水素キャリアとして使用されるメチルシクロヘキサンの脱水素のことであり、最終的な目的は異なっていても既存の装置を使用して同じように水素を発生させることができます。
具体的には、メチルシクロヘキサンの受け入れから水素の製造・利用について、製油所で実稼働している設備を活用する一連のプロセスを実証するため、下記の点について調査するそうです。
- ケミカルタンカーを使用したMCHの受入
- 脱水素機能がある石油精製装置へのMCH投入
- MCH投入によるトルエン回収装置への影響
プラントでは実験室のようにフラスコに瓶から注ぐように液体を移すことは当然できず、配管をタンカーに接続してポンプで移送します。そして配管を通して接触改質の装置に投入され、生成したトルエンは回収されます。プラントは原油を使った石油精製を目的に建設されており、通常とは異なる原料の移送と反応を行うことになりますが、各装置が正しく稼働しメチルシクロヘキサンが脱水素化され、またメチルシクロヘキサンの脱水素後も石油精製に影響が出ないことを確認すると予想されます。また脱水素化プロセスは500度前後と高温で行われますが、メチルシクロヘキサンに対する反応条件のチューニングもこの実証で行われるかもしれません。
ENEOSでは、この実証で使用するメチルシクロヘキサンを次世代水素エネルギーチェーン技術研究組合(AHEAD)から購入することを発表しています。AHEADでは有機ケミカルハイドライド法のエネルギーサプライチェーンとしての実用化を最終目標として水素化・脱水素化プラントについて技術研究している団体で、千代田化工建設、日本郵船、三菱商事、三井物産が参画しています。
AHEADでは具体的にブルネイに水素化プラント、川崎に脱水素化プラントを建設し、設備の性能検証や課題の抽出を行っていて、ENEOSの実証でもブルネイで製造されたメチルシクロヘキサンが使われる予定です。
水素をどう効率よく運搬するかについては、有機ケミカルハイドライド法だけでなく様々な方法が検討されていますが、それぞれ長所短所があり現時点ではいくつかの技術を実証している段階のようです。
液体水素についても活発な検討がなされていて、技術研究組合 CO2フリー水素サプライチェーン推進機構(HySTRA)では液化水素を運ぶ運搬船の造船や貯蔵・揚荷のための受け入れ基地の建設などで実証を進めているようです。
石油燃料の需要が少なくなる中、既存のプラントを活かしてSDGsの動きに沿った製品のサプライチェーンに貢献するこプロジェクトは興味深いと思いました。プレスリリースによるとENEOSの川崎製油所、和歌山製油所、水島製油所が実証候補地ですが、成功すれば全国各地の石油精製プラントでも水素発生を行える可能性が出てきます。次世代モビリティの議論の中で電気と水素はよく比較されますが、水素はインフラ整備の面で劣勢である印象を受けます。そのため各地のプラントで既存の設備を利用しメチルシクロヘキサンから水素を発生できるようになれば、水素の供給性も大きく向上するかもしれません。
二酸化炭素を減らす方法はたくさんあり、単に新しい技術や製品を進めるだけでなく、既存の設備を活かすことも、廃棄時に排出される二酸化炭素を減らすことにつながるため有効な手段ではないでしょうか。これ以外にもプラントの新しい活用方法が開拓されることを期待します。