理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター統合メタボロミクス研究グループの中林亮研究員、斉藤和季グループディレクターらの共同研究グループは、新しく開発したメタボロミクスの解析法を用いて、アスパラガスの代謝物アスパラプチンAの生合成経路、中間体および類縁体を明らかにし、またアスパラプチンAに血圧降下作用があることを示しました。本研究成果は、アスパラプチンAが健康維持や医療現場で活用されること、高機能アスパラガスの品種改良などに貢献するものと期待できます。 (引用:理研プレスリリース8月11日)
今回のケムステニュースでは、理研から発表された新しい分析方法でアスパラガスの代謝物を解析し、その血圧降下作用を確認した論文を取り上げます。
研究の背景ですが、病気の解明や新しい医薬品や農薬の開発などに役立てるために、細胞内で合成された低分子代謝産物を網羅的に測定・解析するメタボロミクス(メタボローム解析)が広く使用されています。具体的には、前処理を行ったサンプルをNMRやGC-MS、LC-MSで分析して調べます。低分子有機反応後の粗生成物よりもずっと多種類の分子が含まれているため分析結果は複雑ですが、タンデム質量分析計を用いた分子構造の推定やサンプルを変えてのデータ比較、データサイエンスの解析手法などを駆使して代謝物の解明につなげています。
メタボロミクスにおける構造解析をさらに強化するために、安定同位体を使った研究が進められております。同位体標識された分子も標識されていない分子もクロマトグラフィーにおける保持時間はほぼ一緒ですので、同じ保持時間のMSでペアにして開裂パターンを比較することで同位体標識された原子がどの位置に存在するかを推定することができます。また、データの解析を効率化することも重要であり、筆者らの研究グループでは最近15Nの安定同位体を使ってモノテルペンインドールアルカロイドの解析を行いましたが、その際には主成分分析を活用して効率的な解析を行いました。分析のプロセスを自動化することも重要であり、MS/MSのスペクトルのデータベースを構築し、それを使って構造的に類似したグループを検出しネットワークとして可視化するプログラムも進行しています。同位体標識していてもしていなくてもフラグメンテーションのパターンは同じであり、保持時間に加えてデータベースとの類似度のスコアでも同位体標識あるなしのペアを作ることができます。
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含窒素代謝物を標的としたメタボローム解析手法「N-オミクス」の流れ(出典:理研プレスリリース)
次に本研究の題材になったアスパラプチンについてですが、筆者らはアスパラガスからこのアスパラプチンという代謝物を発見し、これが血圧の調節因子の一つであるアンジオテンシン転換酵素(ACE)の阻害活性を示すことを明らかにしました。しかしながらアスパラプチンの生合成経路は不明であったため、本研究にて13C安定同位体標識とMS/MSスペクトルの類似性解析を組み合わせたメタボローム解析を用いて、アスパラプチンの生合成経路、中間体および類縁体の解析すると共に、アスパラプチンの血圧降下作用を調べました。
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本研究でのMSデータの分析方法(出典:原著論文)
では実験方法に移りますが、カルスをL-バリン、L-リシン、L-ヒスチジン、L-グルタミンがそれぞれ1mM含まれる培地で4か月培養しました。培地には、片方には全ての炭素が13Cで標識されたアミノ酸を使用し、もう片方には標識されてないアミノ酸を使用しました。培養後サンプルはフリーズドライにした後、抽出しLC-MS/MSで分析を行いました。
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13C同位体標識あるなしでの価格差、低分子で貴金属が含まれていないにも関わらずかなり高額な値段。ただし本研究では100mMの水溶液を30 μL一つのカルスに加えているため、使用量は極少量だと推測される。(参考:富士フイルム和光純薬株式会社)
まずアスパラプチンの生合成経路ですがバリンからの合成ルートが提案されていて、放射性同位元素を使った研究で数ステップのみが確認されております。そこで今回13Cの安定同位体を使ってバリンからの生合成経路を確認しました。
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推測されているアスパラプチンの生合成経路(出典:原著論文)
まずメタボロミクスにおける同位体標識の効果を確認するために、培養後のサンプルからLC-MS/MSでバリンを調べました。すると同位体標識あるなしでMSピークに差が表れ、標識された割合は平均60%であること確認されました。
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a:培養したカルスから得られたバリンのMSスペクトル b:13C標識および非標識メタボロームデータを用いたS-プロット、各▲一つ一つが代謝物由来のピークを表し、左右の位置の違いで標識されたバリンの代謝物のありなしの違いを示す。(出典:原著論文)
次にMS/MSスペクトルの類似度を計算し、同位体標識あるなしでのペアリングとネットワーク構築を行いました。標識ありの条件13Cを含む分子は、標識なしの条件と同じ保持時間に類似の開裂パターンを示すMS/MSピークが表れてペアを作ることができ、これによりバリン由来の代謝物のイオンの存在を自動的に判断することができます。そしてこれらのイオンに対して諸条件でネットワークを構築し関係性を調べたところ、二つのアスパラプチン類縁体(アスパラプチンBとCと命名)があることを発見しました。一方で、アスパラガス酸とそのエステルはこのサンプルからは検出されませんでした。
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ネットワーク構築後のイオンの関係図、プロットは、各イオンを示し線で繋がれているのは、類似度が高いことを示す。例えば、m/z 307.08(非標識のアスパラプチン)は他に検出された三つのイオンと類似度が高いことを示し、その1つはm/z 311.10の13C標識のアスパラプチンとなる。(出典:原著論文)
まず、オリジナルのアスパラプチン(アスパラプチンAと命名)と中間体であるS-(2-carboxy-n-propyl)-l-cysteineがバリンから合成されているかを調べるために、同位体標識あるなしでMS/MSスペクトルを比較しました。m/zの違いがピークで13Cの炭素がどこに含まれているかを推定することができ、どちらもバリンから合成されていることが確認されました。加えて、S-(2-carboxy-n-propyl)-l-cysteineの硫黄と窒素に関連する開裂パターンにより、システイン類縁体から合成されていることが示唆されました。
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アスパラプチンAとS-(2-carboxy-n-propyl)-l-cysteineのMS/MSスペクトル(出典:原著論文)
アスパラプチンBとCに関して筆者らは、リシンかヒスチジンとアスパラガス酸からの合成されているとの仮説を立てて、13C標識されたバリン+リシンとバリン+ヒスチジンを使って培養を行い、アスパラプチンBとCの同位体標識あるなしでMS/MSスペクトルを比較しました。結果、13Cの炭素がアスパラプチンBとCのバリン由来の炭素以外にも含まれていることが分かり、アミノ酸とアスパラガス酸から合成されていることが確認されました。これらの結果から、他のアスパラプチン類縁体がアスパラガスそのものやカルスに存在するかもしれないとコメントしています。
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アスパラプチンBとCの標識別のMS/MSスペクトル(出典:原著論文)
最後に血圧降下作用を確認するために、高血圧のマウスにアスパラプチンAを経口で与えて血圧と心拍数を確認しました。すると、与えてから2時間ほどで血圧が20 mmHg ほど下がり、心拍数も低下も低下しました。このことからアスパラプチンAにはACE阻害だけでなく、β-antagonisticの効果もあるかもしれないと考察されています。現在のACE阻害剤は内服で長時間作用型の降圧剤であり、すぐに血圧を下げることは難しく、緊急に外科手術を必要とする患者には使用しにくい現状があります。そのため強い降圧効果を持つ短時間作用型のACE阻害剤は実用化が期待されていて、アスパラプチンAは将来的に医療現場で使用可能な降圧剤の重要な候補となる可能性があります。今回はアスパラプチンAのみ血圧の効果を調べましたが、アスパラプチンBやC、発見されていないアスパラプチンで実験を行い、構造とACE阻害の活性の関係を明らかにする研究は興味深いとコメントしています。
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アスパラプチンAの投与ありなしでの血圧と心拍数の違い(出典:原著論文)
まとめとして本研究では、13Cの同位体標識したサンプルのメタボローム解析を行いました。これによりアスパラプチンの中間体であるS-(2-carboxy-n-propyl)-l-cysteineとアスパラプチンA,B,Cの構造を決定し、アミノ酸から合成されていることを確認しました。類似度によってネットワークを構築するアプローチは、自動的に13Cの同位体標識ありなしのMS/MSスペクトルをペアリングすることができるため、同位体標識を活用したメタボローム解析のソフトウェアに適用できるとしています。
メタボロミクスでは、たくさんの分子が検出されているスペクトルから知りたい事柄にフォーカスして分析するようで、有機合成でのMS分析とは異なる応用の仕方を知ることができました。冒頭で触れたようにに主成分分析といった多変量解析の手法も用いられており、データサイエンスの発展によってMS分析からより幅広い情報が得られるようになるのではないでしょうか。一方、本研究において合成経路を裏付ける証拠は、MSスペクトルの開裂パターンを調べることで得られた同位体標識された炭素の位置であり、化学構造とMSスペクトルの関係理解から得られたものです。いろいろな解析技術が開発されていても、最後は化学的な知識が結果を導き出すことを示した例だと思いました。同位体標識を活用することで生合成経路の新たな手がかかりを得たわけであり、他にもいろいろな活用が考えられます。13Cや15Nで標識された原料はNMRの分析においても有用ですので、いろいろな応用が考えられます。しかし価格がネックであり、需要の増加が供給性や合成技術の発展につながり、より手軽に使えるようになることを期待します。
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