スズキは29日、インドにある3工場の生産を一時停止すると明らかにした。インドでは新型コロナウイルス感染の急拡大を受け、医療用酸素の不足が深刻化しており、工業用の酸素を医療に回すための措置として実施する。(引用:サンケイビズ4月30日)
インドでは、COVID-19の感染拡大により病院での酸素が不足しているため、それを補うために工業用酸素を医療用に回しているというニュースを耳にします。しかし、工業用と聞くと人間に対して使用することは不適切だと感じるため、工業用と医療用でどのような違いがあるのか調べてみました。以下、日本における工業用と医療用酸素の違いについて解説します。
そもそも、化合物の名前で販売されている試薬は、主成分が同じでも目的別に製品が分けられている場合があり、例えば有機溶媒は主に純度の違いによって高速液体クロマトグラフ用や試薬特級と複数の商品が販売されています。エタノールも工業用や飲料用、医療用と用途で分けられていますが、これは添加されている成分が異なるためです。
では、酸素ガスについて規格から両者の違いを見ていきます。まず工業用の酸素ガスの規格としては、JIS K1101があり、その中で品質の基準と測定方法は下記の通りに定められています。
- 純度:99.5 体積%以上
- 測定方法:磁気式分析法又は銅アンモニア法
- 露点:-55℃以下(水分体積分率20.7 ppm以下に相当)
- 測定機器:静電容量式水分計、鏡面冷却式露点計、水晶発振式水分計
磁気式分析法とは、酸素の常磁性を利用して測定する方法のことで、酸素の磁性の温度による変化を利用して風を起こしその風量で酸素濃度を測定する磁気風式と酸素が磁石に近づこうとする力を圧力にし、その圧力を測定する磁気力式があります。
一方、銅アンモニア法では、 金属銅とアンモニア水溶液から生成した銅アンミン錯体に酸素を含む気体と反応させ、反応しなかったガスの体積から酸素の純度を調べる方法です。
次に露点についてですが、そもそも露点とは気体を冷却していくときに水の凝縮が起こる温度のことであり、温度が低い=含まれる水が少なく低い温度でも結露しないということになります。静電容量式水分計では、多孔質の層に水の吸着すると電流の抵抗値が変わるため、その変化値を利用して水分量を測定するものです。
鏡面冷却式露点計では、温度を変えて鏡面の結露を光によって検出します。
水晶発振式水分計は、吸湿性コーティングされた水晶発振子に水分が吸着し水晶の有効物質量の増加を引き起こし、発振周波数の減少で水分量を測定する計測機器です。
次に医療用酸素について見ていきます。医療用酸素は、医薬品に関する品質規格書である日本薬局方に記載があり品質については、
- 空気液化分離法により製造された酸素
- ガスクロマトグラフィーの確認試験より、保持時間が標準品と等しい
- 磁気式分析法による定量で,酸素(O2) 99.5 vol%以上を含む
となっています。まず、第一の違いとして製造方法が空気液化分離法に限定されている点があります。次に、ガスクロマトグラフィーでの確認試験が求められています。さらに定量方法も磁気式分析法に限定されています。逆に、医療用酸素には水分の上限がありません。このように、規格を比較するといろいろな工業用と医療用にはいろいろな違いがあり、同じ品質とは言えない感じがします。
しかし、空気液化分離法は大量生産に適した製造方法であり、現在の主流の製造方法のようです。また定量方法についても装置をガス配管内に組み込んで、ガスのハンドリングなしで純度をリアルタイムで測定できる磁気式分析法が広く使われています。工業用の酸素ガスには水分量の上限がありますが、この制限が医療目的において何か影響があるとは考えにくく、加湿した酸素ガスが必要な場合、水のバブリングを行っているようです。以上のことから、製造と分析法の現在の主流を考えられば工業用と医療用の酸素は、品質が実質的に同じであると思います。
もちろん工業用と医療用では用途が全く異なり、加えてガスボンベは再利用しますので、取り違えないように医療用と工業用とそれぞれに専用のボンベがあります。
日本の酸素ガスに関する事例は2011年の東日本大震災において、地震の被災地を中心に医療用酸素のボンベが足りなくなる可能性がありました。この状況で厚生労働省は緊急的に工業用酸素ボンベを医療用ガスボンベの代替として使用できる旨の通知をして酸素ボンベを補填しました。ただし、基準がないと取り違えによる事故も起こりうるので下記のような条件が示されました。
1.酸素ガス専用の工業用ガスボンベ(黒色)を使用すること
2.暫定使用の酸素ガスボンベである旨を表示すること(『医療用酸素ガス[工業用ガスボンベの暫定使用]』などの表記)
3.酸素ガスの充填者は薬事法上の製造販売業者もしくは製造業者であること
4.製造販売業者は出荷の管理を行うこと
5.取り違いのリスクを踏まえ、酸素以外の気体の工業用ガスボンベを使用しないこと。また、上記の条件を満たしていることを確認の上、使用すること
6.患者への使用に際し、緊急避難的な状況における工業用ガスボンベの暫定使用であることを可能な限り説明すること
日本では定期的な耐圧検査がボンベには求められていて、酸素ガスは足りていても充填するボンベの在庫が急な需要に対応できなかったため、このような事態になったのかもしれません。
危機的状況にあるインドについて連日テレビで報道される映像には、ボロボロになったボンベから酸素を外で吸入している患者さんの姿が映し出され大変心苦しくなります。酸素タンクや、酸素濃縮器、人工呼吸器などが日本を含めて各国から提供され始めていますので、一刻も早くこの酸素不足の状況が改善されることを切に願います。