「ホウ素」と言ったときに皆さんは何を思い浮かべますか?
鈴木宮浦カップリング、ルイス酸(BF3·OEt2)、Brownアリル化、ヒドロホウ素化、1,2-転位、11B NMR、硼珪酸ガラス、Covalent Organic Framework、ホウ酸団子…
幅広く活躍しているホウ素原子ですが、医療の現場でも大きな進展があります。
BNCT(Boron Neutron Capture Therapy)というがん治療法が2020年から日本の病院で世界に先駆けてスタートしました。そんな中、こちらのプレスリリースでは、ホウ素含有率が極端に高いBSH(ボロカプテート)という分子をがんに蓄積させるDDS薬を開発したと報じられています。
原著論文:Self-assembling A6K peptide nanotubes as a mercaptoundecahydrododecaborate (BSH) delivery system for boron neutron capture therapy (BNCT), Journal of Controlled Release, 2021, 330, 788–796, DOI: 10.1016/j.jconrel.2020.11.001
BNCTの基礎原理
BNCTとは、ホウ素に中性子の反応により起きる核反応で生じる4He原子核(α粒子)と7Li原子核によってがん細胞を破壊する治療法です。中性子線は他の放射線に比べ、透過性が高く、中性子線自体はほぼ無害といえます。ホウ素は、周囲に豊富に存在する窒素と比べて2000倍も中性子線を吸収しやすく、上記の核反応により強力な殺細胞性を示す放射線を発生します。ホウ素原子を使うメリットは他にも色々あります。
✔ホウ素は天然に豊富に存在する元素である。
✔C-Hホウ素化やカップリング反応により容易に分子にホウ素を導入できる
✔ホウ素化合物自体は高い毒性がない
異次元の放射線治療法
BNCTは、他のX線などの放射線療法とは全く異なり、正常細胞へのダメージを極限まで下げたがん放射線療法です。
放射線療法は一般的に、外部照射療法が取られます。すなわち、みなさんも整形外科や歯医者などで経験したことがあるであろうレントゲン撮影のように、外部からX線を照射します。放射線のピンポイント照射技術が向上し、がん細胞飲みに照射できると謳われるようになりましたが、範囲がある程度絞れてもがん細胞の手前に存在する正常細胞は必ずダメージを受けてしまいます。
一方BNCTは、がん細胞に蓄積させたホウ素化合物から発生するα線ががん細胞を破壊します。まるでスパイのように、ホウ素ががん細胞に潜り込み中から破壊するわけです。気づかれずに的内部に侵入する、さながら忍者かサムライのようなやつです。
第3世代のホウ素DDS
第1世代の臨床化合物BSH(disodium mercapto-closo-undecahydrododecabora, ホウ素-チオールでBSH)はホウ素と水素から成るクラスターにチオール(-SH)が生えた分子であり、なんと1分子内のホウ素含有率なんと57%と驚異的なホウ素密度を持ちます。しかし、これ単体では細胞内に送ることはできず、BNCTに用いることはできませんでした。そこで、第2世代治療薬として開発されたのがBPA (4-Borono-L-Phenylalanine)です。この分子はLAT1というアミノ酸トランスポーターを介して細胞内に移行することが確認されており、細胞内に“ホウ素”を送り込むことができます。しかし、BPAのホウ素含有率は4.8%と低く、大量のBPAを投与する必要があり、細胞内蓄積量にも限界がありました。
そこで今回開発された第3世代薬剤は、A6Kペプチド(AAAAAAKの7残基ペプチド)のナノチューブにBSHを包含することでBSHを細胞内に輸送するA6K/BSHです。MITで開発され日本の会社3D Matrix(株)が特許を持つA6Kペプチドは、いわゆる界面活性ペプチドと言われる分子であり、自己組織化してナノチューブを形成することが知られています。A6Kと適切な比のBSHを混合することで、ちょうどよいサイズのA6K/BSH複合体を形成し、EPR効果*によりがん細胞へ送り込みます。A6Kペプチドを医療応用したのは今回のBNCTへの応用が初ということです。
さらに、エンドサイトーシス**によってがん細胞内にBSHが集積することが確認されています。このホウ素薬剤、粒径のコントロールなども含め調整が非常に簡単なようで、その簡便さも大きなアドバンテージの一つです。
これにて潜入完了といった所です。後はホウ素と中性子の核反応のオラオララッシュでがん細胞を破壊するだけ。
医療現場での活躍
BNCT後に明らかな腫瘍の消失が確認できる画像がネットにもたくさん上がっています。こちらは皮膚の悪性腫瘍が消えたという例です。
他にも脳の悪性腫瘍の明らかな縮退が確認されるなど、これまでの医療では困難だった難しいがんの治療も大いに期待されます。
BNCTは…この登りゆく朝日よりも明るい輝きでがん治療の『道』を照らしている!
*EPR効果(Enhanced Permeation and Retention Effect):1986年に熊本大学の前田らによって提唱された。正常な血管内皮細胞とは異なり、がん細胞や炎症部位の血管内皮細胞には200 nm程度の広い隙間が開口しており、100 nm程度粒径を持つ高分子や超分子はがん細胞に選択的に蓄積することが可能である。提唱されてから、なかなか臨床応用されないとして、EPR効果に対する批判も多い。特に、がん細胞に入っていく事はできても、低分子薬などが放出された後拡散して正常細胞も傷つけてしまうという批判は多いのではないか。細胞内に“集積し”、“保持する”トリックを組み合わせて初めてEPR効果の威力が最大限に発揮されると専門家は述べている(関連リンク参照)。
**エンドサイトーシス:細胞が細胞外の物質を細胞内に取り込む機構の一つ。取り込む物質の種類や機構によって、食作用(ファゴサイトーシス)と飲作用(ピノサイトーシス)に分類される。例えば、ウイルスが一般細胞に侵入する機構はこのエンドサイトーシスを利用する場合が多い。
関連リンク
日本中性子捕捉療法学会:中性子捕捉療法とは
EPR効果への誤解と批判(J-Stage、Drug Delivery System 2018, 33-2, 89–97.)
Chem-Station「カルボラン carborane」
Chem-Station「ホウ素 Boron -ホウ酸だんごから耐火ガラスまで」