9月20日、クラリベイト・アナリティクス社から2018年の引用栄誉賞が発表されました。
本賞は論文引用データの分析により、特に大きなインパクトを与えたと判断される科学研究に対して与えられる賞です。毎年ノーベル賞発表の直前に発表されるため、有力候補者の予想企画という一面も持っています。
2018年度は、医学生理学・物理学・化学分野から計17名が受賞し、日本人研究者としては京都大学化学研究所の金久實教授が見事受賞しています(受賞業績:KEGGの開発を含むバイオインフォマティクスへの貢献)。
ケムステでも例年、化学賞にフォーカスして受賞者の人となりと業績を紹介しています。今年も特集してみましたので、ご覧下さい!
有機合成のための触媒反応への貢献、特にジェイコブセン・エポキシ化の開発
Jacobsen教授は有機合成化学における方法論のなかでも、不斉触媒反応開発に精力的に取り組んでこられた研究者です。もの凄い数の画期的業績を挙げていますが、中でも彼の名を世界にとどろかしめた歴史的研究が、ジェイコブセン・香月不斉エポキシ化と呼ばれる不斉触媒反応の開発です[1]。
ノーベル賞学者であるSharpless教授が開拓した不斉エポキシ化触媒系においては、高い不斉収率を出すためにアルコール基質の使用が不可欠であり、非アルコール性基質にて高い不斉収率のエポキシ化を行なうことは困難とされてきました。Jacobnsen教授はマンガン-サレン錯体を用いるまったく新しい触媒系の確立により、シンプルなアルケン化合物に対しても高い不斉収率でエポキシ化を進行させることに成功しました。
またこの反応系を起点とした展開も多く成されており、たとえば中心金属をコバルトに変えた触媒が進行させる不斉エポキシド加水開環反応は既に数々の企業で実用化されています。また、触媒部分構造の検討から発見された水素結合型有機触媒による不斉Strecker反応は、世界に先駆けて(チオ)ウレア構造の触媒的有用性を示した研究として高く評価されています。こうして開発された数々の化学反応を用い、天然物や医薬候補品の効率的不斉全合成なども数多く達成しており、応用面・実用性ともに完成度の高いものであることのアピールにも余念がありません。
コンピュータプログラムSHELXシステムの導入とメンテナンスによる、構造結晶学への多大な影響
目に見えない小さな分子の構造を調べる上で、単結晶X線構造解析は最も強力なツールとして長い間利用されています。このときに用いられるいわば「標準解析ソフト」と呼ばれるものが、Sheldrick教授が作成した“SHELX”です。知る限りこの20年間、SHELX-76から数えれば40年の間、SHELXは単結晶X線構造解析には無くてはならないプログラムであり続けています。Sheldrick教授は、パンチカードの時代から単結晶X線構造解析を行うプログラムを作成し続け、実験科学者が実際に構造解析をする上で、現実的にとても役立つ方法をいち早く多数導入してきました。たとえば、全ての空間群におけるPatterson法・直接法への対応、最小二乗法によるパラメータ調整では特殊位置やディスオーダー分子内の占有率の連動、ベンゼン環のグループの調整方法、水素原子の自動生成とリファイン法、距離の制限法、発散しにくいアルゴリズムなどがそれに当たります。Sheldrick教授自身の仕事より、このソフトのほうがずっと有名かも知れません。
現在ではリガクやBrukerの市販結晶構造解析ソフトはもちろん、Yadokari、GSASなどのオープンソフトなどでも、その根幹部分にはSHELX系プログラムが用いられています。その結果、結晶構造解析を行ったほとんどすべての論文がShedrick教授のActa Crystallographica論文[2]を引用することになりました。このためこの雑誌のインパクトファクターが大幅に増加するという、社会現象(?)を引き起こすほどになりました。
Shelcrick博士は現在でもソフトウェアの改良を重ねており、最近ではSHELXTと呼ばれる強力なソフトをリリースしています。空間群を推測してから解析するそれまでのソフトとは異なり、SHELXTではまとめて解析を行い、その中で良さげなものを選ぶという方法になっています。これにより、結晶学に詳しくない研究者でも構造解析が簡単に行えるようになっていたり、またたくさんの結晶構造を自動的に解析する「ハイスループット結晶構造解析」も可能になって来ています。このあたりにもSheldrick教授の、「結晶構造解析を誰にでも(コンピュータでも)使いやすく」という一貫した思想が見えます。
リボヌクレオチドレダクターゼがフリーラジカル機構によってリボヌクレオチドをデオキシリボヌクレオチドに変換することの発見
リボヌクレオチドレダクターゼ(RNR)は、あらゆる生物に存在する酵素で、RNAをDNAへ、正確には、それらの構成単位であるリボヌクレオチド(-OH)をデオキシリボヌクレオチド(-H)へと変換する役割を果たしています(図a)。RNRの働きは、DNAの修復や複製に関わるため、生命にとって非常に重要です。Stubbe教授は、数十年に渡り、RNRがどのような機構でこの反応を行うのか研究を続けてきました。
RNRの特に興味深い点は、活性部位から35オングストローム以上も離れた位置にあるチロシンラジカル(Y122・)が反応に関わっているということです(図b)。一般的な化学結合の長さが1〜2オングストロームということを考えると、35オングストロームはかなりの距離です。反応性が高く不安定であるはずのフリーラジカルが、一体どのようにして活性部位へと移動し、還元反応を行うのでしょうか。Stubbe教授は、非天然アミノ酸導入や分光法を駆使し、ラジカル電子が特定の芳香族アミノ酸(Y122•, [W48?], Y356, Y731, Y730, C439)経路を通って活性部位へと移動する機構を見出しました(図c)。[3]
彼女が研究を始めた当時は、反応性の高いフリーラジカルがどうやって還元反応に関わるのか、誰にも想像がつきませんでしたが、彼女の研究により、タンパクの構造がラジカルをうまくコントロールし、特異的に反応を行うことが証明されました。これは、RNRのみならず、様々な酵素反応のモデルとして、広く知見を与えてくれる重要な成果です。さて、果たしてこの中からノーベル賞が出るでしょうか!? 化学賞の発表日である10/3を楽しみに待ちましょう!
謝辞
本記事の作成にあたっては、ケムステスタッフのみねちゃんさん、kanakoさんに多大なご協力を頂きました。御礼申し上げます。
参考文献
- Zhang, W.; Loebach, J. L.; Wilson, S. R.; Jacobesn, E. N. J. Am. Chem. Soc. 1990, 112, 2801. DOI: 10.1021/ja00163a052
- Sheldrick, G. M. Acta Cryst. 2008, A64, 112. doi:10.1107/S0108767307043930
- Minnihan, E. C.; Nocera, D. G.; Stubbe, J. Acc. Chem. Res. 2013, 46, 2524. DOI: 10.1021/ar4000407