経歴
1921年テキサス州フォートワースで生まれ、1923年に家族とともにカリフォルニア州に移住する。その後、小中学校を9校、高校を2校転校した後、1939年にモンテベロ高校(Montebello High School)を卒業。その時は科学と宇宙学に非常に興味を抱いていた。その後、パサデナジュニアカレッジ(Pasadena Junior College、現在のPasadena CIty College)で2年間学んだ後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に編入。UCLAを卒業した後(学士)、the Philip R. Park Research Foundationで1年間動物の世話や合成アミノ酸療法による成長実験などを行った。
1年後、UCLAに戻り、生化学のDunn教授の下でピリミジンの定量法のための微生物学法について研究を行い、1949年に博士(Ph.D.)を取得。同年結婚。その後、ニューヨークのロックフェラー医療研究所(後のロックフェラー大学)でDr. D.W. Woolleyの助手として勤務した。1959年にペプチド固相合成法を開発[1]し、1984年にその功績が認められ”固相反応によるペプチド化学合成法の開発”によりノーベル化学賞を受賞。1992年までロックフェラー大学の教授を務めた。2006年5月14日ニュージャージー州の自宅で死去(84歳)。
1939 モンテベロ高校 卒業
19xx パサデナジュニアカレッジ
1949 カリフォルニア大学ロサンゼルス校 博士号取得
1959 ロックフェラー医療研究所教授
受賞歴
1969 Lasker Award for Basic Medical Research
1970 Gairdner Award
1970 Intra-Science Award
1972 ACS Award for Creative Work in Synthetic Organic Chemistry
1973 Nichols Medal
1977 Instrument Specialties Company Award of the University of Nebraska
1979 2nd Alan E. Pierce Award of the American Peptide Symposium
1984 ノーベル化学賞
研究
ペプチド固相合成法(メリフィールド法)の開発
ペプチド及びタンパク質を化学合成する際に、一般的に用いられる方法のひとつ。直径0.1mm程度のポリスチレン高分子ゲルのビーズなどを固相として用い、ここにアミノ酸を縮合させ、続けて縮合反応によって1つずつアミノ酸鎖を伸長していく。目的とするペプチドの配列が出来上がったら固相表面から切り出し、目的の物質を得る。
バクテリア中で合成させることの難しいリボソームペプチドの合成や、D-アミノ酸、重原子置換体などの非天然アミノ酸の導入、ペプチド及びタンパク質主鎖の修飾なども可能である。固相法は液相法と比較し、原料と縮合剤を洗い流すだけでよく簡便である。またペプチド鎖が高分子樹脂に固定されて隔てられていることから、水素結合などを介して反応点がもぐりこみ反応性が低下するのを防げる、などの利点がある。
この合成法の開発によって、それまで数十が限界であったペプチド合成を倍以上に伸ばすことに成功した。現在では自動合成装置なども発達し、酵素やホルモンなども合成できるようになっている。これによって生化学・生物学の研究に貢献した。また固相合成法の概念は、医薬品開発のコンビナトリアルケミストリーなどペプチド以外へも発展を遂げている。
この業績によりメリフィールドは1984年のノーベル化学賞を受賞した。
関連論文
- Merrifield, R. B. J. Am. Chem. Soc. 1963, 85, 2149. DOI:10.1021/ja00897a025
コメント&その他
- 彼の夫人であるElizabeth Merrifieldは「彼がPh.Dを取得したのは日曜日で、月曜日に結婚し、火曜日に仕事のためにNYへ渡った」と述べている。
- 彼らには5人の娘と1人の息子、そして16人の孫がいるらしい。
- Cathay Award(ペプチド化学の国際賞)の委員長を務めていた。
- クロロメチル化ポリスチレン(樹脂)は彼の名前からメリフィールド樹脂と呼ばれ、シーケンスの決まったペプチドの固相合成用担体として使用されている。
- Leonidas Zervas, Joseph Fruton, Klaus Hoffmann, Emil Smith, William Stein, Stanford Mooreなど有名な化学者を多数輩出。