河崎 悠也 (かわさき ゆうや) は、日本の有機化学者。九州大学先導物質化学研究所 特任助教。第34回ケムステVシンポ「日本のクリックケミストリー」講師。
経歴
2007年 福山大学薬学部薬学科 卒業
2009年 九州大学大学院総合理工学府物質理工学専攻 修士課程修了
2012年 九州大学大学院総合理工学府物質理工学専攻 博士課程修了(友岡克彦 教授)
2014年 東レ株式会社 医薬研究所
2016年 九州大学先導物質化学研究所 非常勤研究員(友岡克彦 教授)
2016年〜九州大学先導物質化学研究所 特任助教(友岡克彦 教授)
受賞歴
2019年 有機合成化学協会 味の素 研究企画賞
研究業績
I 特異な反応性を示すアルキン,アルケンの化学
有機合成化学の基本的な官能基であるアルキンの高度利用を目指して、アルキンの官能基化と機能化について系統的に研究を行ってきた。その結果、アルキンの置換基を工夫することで「アルキン類の効率的官能基変換法」を、一方、骨格を工夫することで「多分子連結型クリック反応素子」の開発に成功した (図1)。
アルキンの効率的官能基化法の開発
非対称アルキンの位置選択的ヒドロシリル化反応と、シリルアルケンの付加型オゾン酸化反応の開発研究を行うとともに、それらを組み合わせ用いることでアルキンの効率的官能基化法を開発した (式1)。
非対称アルキンの位置選択的ヒドロシリル化反応: シリルアルケンはシリル基の効果によって、通常のアルケンとは大きく異なる反応性を示し、有機合成化学上有用である。その合成法として、アルキンのヒドロシリル化反が応多用されている。しかしながら、一般にヒドロシリル化反応の位置制御は困難であり、基質として非対称アルキンを用いた場合には位置異性体の混合物が生じることが大きな欠点であった。例えば,Karstedt 触媒を用いた2-ヘキシンとトリイソプロピルシランとの反応では、54:46 の比で位置異性体混合物が生成する (式 2)。
我々は、この位置選択性の問題を配向基を用いることで解決した (J. Am. Chem. Soc. 2011, 133, 20712-20715)。すなわち、アルキンの近傍に配向基としてジメチルビニルシリル (DMVS) 基を導入したアルキン 1 のヒドロシリル化反応が高位置選択的に進行して、DMVS 基に近い proximal 炭素がシリル化されたシリルアルケン2が高収率で得られることを見出した (図 2)。なお、クロロジメチルビニルシラン (3) は「新しい配向基の導入試薬」として東京化成株式会社より市販されている。
付加型オゾン酸化反応: アルケンのオゾン酸化反応では、炭素-炭素二重結合の酸化的開裂反応が進行して二つのカルボニル化合物が生成する事が良く知られている (式 3-1)。これに対して、シリルアルケン 2 のオゾン酸化反応は付加型で進行して、α-シリルペルオキシカルボニル化合物 4 が収率良く得られることを見出した (式 3-2)。
4 は様々な含酸素化合物へ変換することができる (式 4)。例えば、4 に対してパラジウム炭素存在下 1 気圧の水素を作用させると酸素-酸素結合が開裂してアシロイン 5 が、亜リン酸エステルで還元処理するとモノデオキシ化が進行してシリル保護されたアシロイン 6 が、求核剤を作用させるとシリルペルオキシ基を損なうことなくカルボニル基に対する求核付加反応が進行してアルコール 7 が、アミン塩基を作用させるとシラノールのβ脱離が進行してジケトン 8 が得られる (Chem. Lett. 2011, 40, 233-235)。
更に、付加型オゾン酸化反応を不斉反応へ発展させることにも成功した (式 5)。すなわち、TADDOL を有するキラルヒドロシラン 9 を開発して、これとアルキンとのヒドロシリル化反応によって得られるシリルアルケン 2a のオゾン酸化が立体選択的に進行して、α-シリルペルオキシカルボニル化合物 4a を最高 94% dr で得ることに、また 4a を亜リン酸エステルで還元後、TBAF で処理することでアシロイン 7a を 88% ee で得ることに成功した (Chem. Eur. J. 2014, 20, 9255-9258, J. Org. Chem. 2020, 85, 4165-4171)。
多分子連結型クリック反応素子 DACN-MMC の開発と応用
無触媒クリック反応性アルキン 4,8-diazacyclononyne (DACN) 10 の窒素上に分子連結部位を導入することで、多分子連結型 DACN (DACN-MMC) 11 を開発た (図3)。また、それを用いた生体分子の効率的複合化を達成した。
クリック反応とは,K. Barry Sharpless 教授により提唱された「温和な条件下,簡便な操作で二つの分子を選択的に連結できる反応」の総称であり,その代表例としてアルキンとアジドの Huisgen 反応が良く知られている (基礎となる反応は 1893 年に Michael 教授が報告.1960年代に Huisgen 教授らが詳細な検討を行い,現在では Huisgen 反応と称されている)。特に、2002 年に Sharpless 教授ら、Meldal 教授らによって触媒量の銅塩を共存させると末端アルキンの Huisgen 反応が室温下でも迅速に進行することが明らかにされて以降、幅広い応用がなされてきた (図4-1)。しかしながら、本反応の進行に必須な銅塩が高い細胞毒性を有するために、生細胞を用いた研究への応用は困難であった。この問題に対して、2004年に Bertozzi 教授らは銅塩がなくとも室温下で Huisgen 反応が迅速に進行するシクロオクチン誘導体の反応 (基礎となる反応は 1961 年に Wittig 教授らが報告) を利用することを提唱した (図 4-2)。これにより、生体分子の複合化研究等への Huisgen 反応の応用が可能になったが、シクロオクチン誘導体はその高い反応性故に不安定であり、室温下でも自発的な多量化が速やかに進行する、チオール類がアルキン部位に付加する等の問題があった。さらに、シクロオクチン誘導体は機能多様性に乏しく多様な分子を自在に複合化することは困難であった。これに対して当研究室では、環内プロパルギル位に窒素官能基を有する 9 員環アルキン DACN (4,8-diazacyclononyne) を開発している (図 4-3、R. Ni, N. Mitsuda, T. Kashiwagi, K. Igawa, K. Tomooka, Angew. Chem. Int. Ed. 2015, 54, 1190–1194)。この独自に開発した新しいアルキンは高い無触媒 Huisgen 反応性と優れた熱的・化学的安定性を併せ持っており、従来のシクロオクチン誘導体の「反応性」と「安定性」という相反する問題の一つの解法となる (Synlett 2017, 28, 2110-2114、Chem. Lett. 2019, 48, 495-497)。さらに我々は DACN を利用した生体分子の効率的複合化法の開発を指向して、DACN の窒素原子上に分子連結部位を導入した多分子連結型 DACN [DACN derived multi-molecule connector; DACN-MMC] を開発した (図 4-4)。
具体的には、DACN NH•HCl (11a)、DACN NHS エステル (11b)、DACN マレイミド (11c) を開発した (図 5)。これらはアジドと無触媒条件で Huisgen 反応するとともに、それぞれカルボン酸との縮合反応によりアミド結合を形成、アミンとの縮合反応によりアミド結合を形成、チオール類との thia-Michael 反応により C-S 結合を形成することができる。
実際に、これらを用いて生体分子の複合化を行い、ペプチド–ビオチン複合化体 12、ペプチド–蛍光色素複合化体 13 の合成に成功した (図 6)。
なお,DACN-MMCのいくつかは関東化学株式会社より市販されている (リンク)。
II 動的キラル分子の化学
光学分割法や不斉合成法とは一線を画す、光学活性キラル分子の新しい調製法「動的不斉誘起法(dynamic asymmetric induction: DYASIN ダイアシン)」を開発した (図 7)
(Chem. Lett. 2019, 48, 726-729, Chem. Commun. 2022, 58, 1605–1608)
現代社会においてキラル分子を光学活性体として調製することの重要性は論を俟たない。その多くは sp3 炭素原子の中心性不斉を有す「キラル炭素分子」であり、そのキラリティーは炭素周りの「立体配置の違い」によって発現する。そのエナンチオマーを他方のエナンチオマーに変換するためには炭素上のいずれかの結合を開裂して、また新たに結合を形成することが必須であり、その過程には大きなエネルギーを要する。そのため、キラル炭素分子の立体化学は熱的に安定な「静的キラル分子」と称することができる。その様なキラル炭素分子を光学活性体として得るためには従来、①光学分割 もしくは ②不斉合成 のいずれかが用いられてきた (図 8)。
一方、キラル分子はキラル炭素分子に限るものでは無い。面不斉分子、軸不斉分子、らせん不斉分子などの「立体配座の違いによるキラリティー」を有するものも数多く存在する (図9)。それらの中には立体配座変換のエネルギー障壁が比較的低く、容易にラセミ化する分子も多い。それらは前述の「静的キラル分子」とは対照的に「動的キラル分子」と称することができる。
動的キラル分子が容易にラセミ化するのであれば、共存する他のキラル分子など周辺のキラル環境からの影響を受け、ラセミ体を一方のエナンチオマーに偏らせることができるのではないかと考えた。すなわち、動的キラル分子の一方のエナンチオマーが外的キラル因子 (OCS: outer chiral source) と相性が良く適合すればそれは OCS と強く相互作用して安定化され、相性の悪い (不適合な) もう一方のエナンチオマーは系中でラセミ化して適合するエナンチオマーとなり、総じて適合するエナンチオマーが増加するのではないか、という発想である (図 10)。我々はこの手法を動的不斉誘起法 [DYASIN (ダイアシン): dynamic asymmetric induction]と称している。DYASIN は動的キラル分子内の結合回転に基づく立体配座変換であり、結合の開裂・形成という過程、すなわち反応を含まないので不斉合成とは一線を画す、光学分割,不斉合成に続く第3の手法となり得る。
実際に,動的な面不斉を有する面不斉オルトシクロフェン 14、らせん不斉を有するラクトン15、ラクチム 16 を DYASIN によって、それらの光学活性体を高い光学純度で定量的に調製することに、またそれらを立体特異的に静的もしくは準静的キラル分子に変換することにも成功した (式 6)。