今回の記事では、第14回 ケムステバーチャルシンポジウム「スーパー超分子ワールド」をより楽しむべく、講師の一人である 宮島 大吾先生について紹介いたします。
略歴
2013 東京大学工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士課程修了
2013 理化学研究所創発物性科学研究センター 特別研究員
2014 理化学研究所創発物性科学研究センター 基礎科学特別研究員
2017 理化学研究所 創発物性科学研究センター 上級研究員
2018 理化学研究所 創発物性科学研究センター 統合物性科学研究プログラム 情報変換ソフトマター研究ユニット ユニットリーダー(現職)
人物紹介
宮島大吾先生は、東京大学工学系研究科 相田研究室にて博士号を取得し、その後は理化学研究所で相田卓三先生と一部共同で研究を続けられ、2018年からはユニットリーダーとして研究を進められております。また、学生時代には米カリフォルニア大学サンタバーバラ校 Craig J. Hawker先生の元に留学されました[5]。アメリカでは現地の学生たちとバスケットボールを楽しんだり、ダイビングのライセンスを取得したりなど、非常にアクティブな先生です。
学生時代から現在に至るまで、Scienceなどのトップジャーナルに掲載されるような顕著な成果を、本当に数多く挙げられています(最下図参照)[1–4]。およそ、日本国内で超分子に携わる研究者で宮島大吾の名前を知らないものはいないでしょう。実際、「天才宮島」と呼称されているのも耳にします。私も、宮島先生の講演を聞くたびに本当にすごいなあと驚嘆しています。有名な「リビング超分子重合」の講演を初めて聞いたときは、「あ、超分子ポリマーの分子量、GPCで測っちゃいましたか。(バラバラにならないんすか)(最下図参照)」と驚嘆したのを今でも覚えています。
しかし実は私は宮島先生と年齢も近いので、スラムダンクの陵南戦後半、点を取りまくる流川を見て海南大付属の牧が清田に言った、
「ヤツは本物だ。同学年にあの男がいるっていうのはこれからずっとお前について回る問題だろうな」
というセリフを彷彿せざるをえないです(実際に私が問題だと思ってるわけではないです笑)。宮島先生は実際にそれほどまでに卓越した研究者です。
さてそのような宮島先生ですが、いったいどのような方なのでしょうか? その答えがほぼ分かる記事が実は存在します。宮島先生は2020年「高分子」1月号のグローイングポリマー(若手研究者の経歴紹介的記事)で「ただ前を向いて、時々振り返る」というタイトルの、
「学部時代からがむしゃらに研究に取り組んで来たつもりだ。誰よりも実験し、誰よりも論文を読もうと意識していた。」
から始まる記事を寄稿されており、宮島先生の人となりがとてもよくわかります。興味のある方は、高分子学会に入会の後、ぜひ読んでみてもらえればと思います。私も学生の頃の宮島先生をよく知っているわけではないのですが、学生時代には午前2時に帰って午前5時に研究室にやってくるということもあったようで(現在でも理研の駐車場に止めた車の中で寝ていたという情報も耳にしますが)、本当に凄まじい努力をされてきたことが伺われます。つまり宮島先生のこれまでの業績は持って生まれた天性の才能(だけ)ではなく、不断の努力により生まれたものであるということです。
しかも研究成果も、リビング超分子重合のような超分子に関する研究のみならず、強誘電液晶の開発やカーボンナイトライドのアクチュエーターの研究や、なんとMRIに関する研究もされているようです。このように多岐にわたる分野で素晴らしい成果を挙げられていますが、分野が変わるたびに血の滲むような努力をされてきたに違いありません。スラムダンクにおける、ポジション変化に伴う河田雅史の血の滲むような努力が彷彿せざるをえないところです。河田選手(兄)は身長の165cmで山王工業に入学してから身長の伸び(最終的に194cm)とともに、ポジションがガードからセンターまで変化していき、「ポジションを変えられるたびに相当な努力をしたに違いない」と相田弥生に言わしめていますが、宮島先生もまさにそのような努力を経験してきたに違いありません。
つまり、宮島先生の輝かしい成果を見て「宮島先生すげーなー」だの、「河田雅史は住む世界が違う…」などと言っている場合ではないんですね(笑)自分が努力不足だということです(笑)もっと頑張らなければ、、(自戒)ということを常に思い出させてくれる、かけがえのない存在です。
さて、なんだかとりとめのない記事になってしまいましたが、このような努力の鬼とも言えるような宮島先生の今回の講演タイトルは、「π共役分子を真っ直ぐ並べる」です! 宮島先生の努力の結晶をお楽しみいただければと思います!それではお楽しみに!!