千田憲孝(ちだ のりたか)は、日本の化学者である(写真はこちらより引用)。慶應義塾大学理工学部教授。専門は天然物全合成およびその方法論開発。
経歴
1979 慶應義塾大学 工学部 応用化学科 卒業
1981 慶應義塾大学 工学研究科 応用化学専攻 修士号取得
1984 東北大学 理学研究科 化学専攻 博士号取得
1984-1987 三楽株式会社 中央研究所探索研究部 研究員
1987-1992 慶應義塾大学 理工学部 助手
1988-1989 ペンシルバニア大学 化学科 博士研究員
1995-2003 慶應義塾大学 理工学部 応用化学科 助教授
2003-現在 慶應義塾大学 理工学部 応用化学科 教授
非常勤講師歴
東京薬科大学大学院(2000)、東京工業大学大学院 理工学研究科(2001)、北海道大学大学院 地球環境科学研究科(2004)、奈良先端技術大学大学院(2011)、長崎大学大学院 医歯薬総合研究科(2011)、岡山大学大学院 自然研究科(2011)、お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科(2012)、関西学院大学大学院 理工学研究科(2012)、岡山理科大学(2015)、京都大学大学院 薬学研究科(2016)、千葉大学大学院 医学薬学府(2018)
受賞歴
2002 日本化学会 BCSJ賞
2015年 日本化学会 BCSJ賞
研究業績
1. シグマトロピー転位を利用したキラルプール法による天然物の不斉全合成
糖やアミノ酸は天然から得られる有用なキラル分子であり、その誘導体は、不斉補助基や不斉触媒として幅広く利用されている。この様な天然のキラル分子を炭素源・不斉源として有機合成を行い、目的とする複雑なキラル分子を合成する手法のことをキラルプール法と呼ぶ。千田教授は、糖由来の不斉ヒドロキシ基の立体化学を利用した立体特異的なシグマトロピー転位などを駆使し、様々な天然物の全合成を報告している(モルヒネ、カイニン酸、ブロッソネチンFなど)。以下に最近の研究業績を示す。
連続的Overman/Craisen転位を利用したネオステニンの全合成(1)
D-リボースから合成したオルトアミド1をMS4A存在化、封管中で180 ℃に加熱すると開環閉環平衡を経てOverman転位が進行する(1→2→3)。新たに生じたアリルアルコールをオルト酢酸トリメチルで処理することで、ワンポットでClaisen転位が進行し、4を収率54%で得た。その後、複数回の分子内環化反応によりネオステニンの不斉全合成を達成した。
不飽和エステル型Overman転位を利用したスフィンゴファンジンおよびカイトセファリンの全合成(2,3,4)
γ-ヒドロキシ不飽和エステル5に対するOverman転位は、α,α-2置換アミノ酸6を立体選択的に構築できる強力な手法である。しかし、通常は中間体であるトリクロロアセトイミデート7の分子内アザマイケル付加反応によるオキサゾリン8形成が優先するためOverman転位の実現は困難であると考えられていた。千田教授らは、置換基Rおよび反応温度をコントロールすることでOverman転位が優先的に進行することを見出した。開発した反応を用いて、α,α-2置換アミノ酸構造を有するスフィンゴファンジンFの全合成、およびカイトセファリンの形式合成を達成した。
2. パクリタキセルの全合成研究(5,6)
パクリタキセル(taxol®)はセイヨウイチイの樹皮から単離されたタキサン系天然物であり、現在も抗がん剤として利用されている。高度に酸化された四環性化合物であり、構築の難しい八員環、橋頭位オレフィン、およびオキセタン環などを含んでいる。非常に複雑な構造を有しているため、多くの合成化学者が全合成を試み、多数の合成例が報告されている。
千田教授らはアリルベンゾエートとアルデヒドの分子内環化反応を主な鍵工程として高橋孝志らの中間体を合成し、パクリタキセルの形式合成を達成している。トリ-O-アセチル-D-グルカールより合成した鍵中間体9を、HMPA-THF溶媒中ヨウ化サマリウムで処理することで八員環化が進行し、三環性化合物10の構築に成功した。その後、Chugaev脱離反応による橋頭位オレフィンの構築、オキセタン環化などを経て高橋らの中間体へと導いた。第二世代合成ルートでは、ヨウ化サマリウム環化後の工程を見直し、橋頭位オレフィンと13位水酸基を一挙に導入する新たな合成戦略を立てた(7)。化合物10の2級水酸基の酸化およびシリルエノールエーテル化にて11を得た。11をジメチルジオキシランで酸化したところ、エポキシ体12が単一の異性体として生成した。ワンポットで塩酸処理すると、エポキシドの開裂が起こり、橋頭位オレフィンと13位水酸基(天然物と同じ立体化学)が一挙に構築された。現在は効率化された第二世代の合成ルートにてパクリタキセルの全合成を目指している。
コメント&その他
- ポスドクとして在籍したAmos B. Smith III教授の研究室ではマクロラクタム系抗生物質(+)-hitachimycinの全合成研究に従事した(8,9)。また、当時学生だったJohn L. Wood、Gary A. Sulikowskiと一緒のチームで研究していた。
- 非常に教育熱心で学生思いであり、学生の自由な発想を尊重してくれる(10)。
- 実験が上手く行かない学生に「なかなか化合物が振り向いてくれないなぁ、お前たちは頑張ってるんだけどなぁ」と寄り添ってくれる(10)。
- はいはい実験実験!と言って学生を鼓舞する(千田研の学生は非常にやる気が出る)(10)。
- 赤ワイン、特にボルドー(Bordeaux)のワインが好き(10)。
- 留学時代、ペンシルバニア大がある米国フィラデルフィアではアメリカメジャースポーツに熱中。MLBのPhiladelphia Philliesのファン(10)。
- ミッフィーが好き(10)。
参考文献
- Nakayama, Y.; Maeda, Y.; Kotatsu, M.; Sekiya R.; Ichiki, M.; Sato, T.; Chida, N. “Enantioselective Total Synthesis of (+)-Neostenine”, Chem. Eur. J. 2016, 22, 3300–3303. DOI: 10.1002/chem.201600058.
- Tsuzaki, S.; Usui, S.; Oishi, H.; Yasushima, D.; Fukuyasu, T.; Oishi, T.; Sato, T.; Chida, N. “Total Synthesis of Sphingofungin F by Orthoamide-Type Overman Rearrangement of an Unsaturated Ester”, Org. Lett. 2015, 17, 1704–1707. DOI: 10.1021/acs.orglett.5b00475.
- Sugai, T.; Usui, S.; Tsuzaki, S.; Oishi, H.; Yasushima, D.; Hisada, S.; Fukuyasu, T.; Oishi, T.; Sato, T.; Chida, N. “Synthesis of β-Hydroxy-α,α-disubstituted Amino Acids through the Orthoamide-Type Overman Rearrangement of an α,β-Unsaturated Ester and Stereodivergent Intramolecular SN2’ Reaction: Development and Application to the Total Synthesis of Sphingofungin F”, Bull. Chem. Soc. Jpn. 2018, 91, 594–607. DOI: 10.1246/bcsj.20170408.
- Sugai, T.; Okuyama, Y.; Shin, J.; Usui, S.; Hisada, S.; Osanai, R.; Oishi, T.; Sato, T.; Chida, N. “Synthesis of Kaitocephalin Facilitated by Three Stereoselective Allylic Transposition Reactions”, Chem. Lett. 2018, 47, 454–457. DOI: 10.1246/cl.171226.
- Fukaya, K.; Tanaka, Y.; Sato, A. C.; Kodama, K.; Yamazaki, H.; Ishimoto, T.; Nozaki, Y.; Iwaki, Y. M.; Yuki, Y.; Umei, K.; Sugai, T.; Yamaguchi, Y.; Watanabe, A.; Oishi, T.; Sato, T.; Chida, N. “Synthesis of Paclitaxel. 1. Synthesis of the ABC Ring of Paclitaxel by SmI2-Mediated Cyclization”, Org. Lett. 2015, 17, 2570–2573. DOI: 10.1021/acs.orglett.5b01173.
- Fukaya, K.; Kodama, K.; Tanaka, Y.; Yamazaki, H.; Sugai, T.; Yamaguchi, Y.; Watanabe, A.; Oishi, T.; Sato, T.; Chida, N. “Synthesis of Paclitaxel. 2. Construction of the ABCD Ring and Formal Synthesis”, Org. Lett. 2015, 17, 2574–2577. DOI: 10.1021/acs.orglett.5b01174.
- 第29回万有札幌シンポジウム 未来を切り開く有機化学 「タキソールの合成研究」千田憲孝(2017)予稿集はこちら。
- Smith III, A. B.; Rano, T. A.; Chida, N.; Sulikowski, G. A. “Total Synthesis of (+)-Hitachimycin”, J. Org. Chem. 1990, 55, 1136–1138. DOI: 10.1021/jo00291a005.
- Smith III, A. B.; Rano, T. A.; Chida, N.; Sulikowski, G. A.; Wood. J. L. “Total Synthesis of Cytotoxic Macrocycle (+)-Hitachimycin”, J. Am. Chem. Soc. 1992, 114, 8008–8022. DOI: 10.1021/ja00047a008.
- 研究室に在籍した学生談。
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