本記事では、原子軌道や分子軌道に電子が安定に存在するときの波動関数を調べるための方程式である、「時間に依存しないシュレディンガー方程式」を紹介します。偏微分方程式を解くテクニックである変数分離についてお話しながら、定常波とは何か、あるいはなぜ定常波を仮定するのかを考えます。
前回の復習:シュレディンガー方程式が数学的に導出できた
前回の記事で、微分という数学的な仕掛けを使って粒子的な性質と波動的な性質を結びつけることで、シュレディンガー方程式を導出しました。その方程式はこんな形でした。
ちょっと待って! その方程式、大学の化学の教科書に載ってるやつと違うんだけど?!
先ほど示した方程式は、正式には「時間に依存するシュレディンガー方程式」と呼ばれます。「時間に依存する」という但し書きが示すように、その方程式を解くことで波動関数が時間とともに変化していく様子を知ることができます。一方、多くの大学生学部レベルの物理化学、無機化学、有機化学の教科書に掲載されているシュレディンガー方程式は、「時間に依存しないシュレディンガー方程式」と呼ばれます。
この時間に依存しない方程式と時間に依存する方程式を見比べると、位置の偏微分 (Δ) などを含む左辺はよく似ていますが、その辺に結び付けられている式が違います。時間に依存しない式では定数 E が波動関数にかかっているだけです。さらに詳しく見てみると、波動関数の変数が位置に関する変数 (r) だけになっていて、時間 t がなくなっています。「止まっている」とでも表現すれば良いでしょうか。とにかくこの波動関数は時間に関する情報を失っています。
ひとまずこの時間に依存しないシュレディンガー方程式を導いて、その後この式の意味について考えることにしましょう。
時間に依存しない方程式はどのように導出されたの?
波動関数が定常波であると仮定して、変数分離することにより得られます。順を追って説明しましょう。
Step 1: 波動関数が定常波であると仮定
唐突ですが, 高校物理でお馴染みの原子模型の発展の歴史を思い出します。従来の物理学では、荷電粒子が円運動をすると電磁波を放射してエネルギーを失い、次第には核に落ち込んでしまうという結論が導かれてしまいます。つまり、古典物理学に従うならば、核は安定に存在できないというのです。また、荷電粒子が円運動をしたときに放出される電磁波は、等エネルギー間隔であるとも予想されていました。しかしながら、水素原子から放出される光を実際に観測すると、等しいエネルギー間隔ではなく、下の図に示すようなものでした。
古典物理学と原子構造のジレンマ.もし電子の運動が古典的な物理法則に従うならば、太陽系モデルの原子核はほんの一瞬しか寿命を持たないことになってしまいます.
水素原子のスペクトル. 少量の水蒸気を封入した管を放電すると水が解離して生じた水素原子とOHラジカルが生じます。OH ラジカルによる光は可視部から外れるので、水素原子による発光のみが観測できます. その光にプリズムを通すと、その発光を構成する電磁波を波長ごとに分離できます. その結果, その発光はある決まった法則に従う波長のみで構成されていることがわかりました.
ボーアは水素原子のスペクトルを説明するために、原子内の電子が持つことができるエネルギーは限られていると仮定しました。そしてそのようなエネルギー状態を “定常状態” と名付けました。定常状態とは、その状態にある限り、電子は安定に落ち着いていて、電磁波を放射することはない状態を意味しています。
水素原子のスペクトルは電子が異なる定常状態に移り変わるときに放出されるのだ, とボーアは仮定しました.
後に, ド·ブロイの電子波の概念が提唱されると, その定常状態とは、電子波が核の周りで定常波を作っている状態だと解釈されるようになります。つまり、「電子が核の周りで円運動するとき、その円周の長さが電子波の波長の整数倍になっているんだ、だから安定しているんだ」というわけです。
ドブロイによる定常波の解釈. その円周の長さが電子波の波長の整数倍になっているときのみ, 定常波が成立します. もし電子波の波長が円周の整数倍でなければ, 1周目の波と2周目, 3周目… の波が打ち消しあってしまいます.
この定常波という考えをシュレディンガー方程式にも取り入れましょう。波動関数は定常波であると仮定します。定常波の波動関数の一例は、このような形をしています。
この形を見ると、sin 関数の部分の変数は 位置に関する x だけです。一方、cos 関数の変数は時間に関する t だけです。このψ という波は φ(x) によって決められた波の基本形が、時間とともに縦方向にひしゃげる運動をくりかえしているわけです。言い換えると、下の図のように波形自体は前にも後ろにも進まないのです。
定常波の関数の例.
もしも sin や cos 関数でない波動関数が出てくる可能性に備えて、この定常波の方程式を次のようなより一般的な形に書き換えましょう。
Step 2: 定常波をシュレディンガー方程式に代入
先ほど仮定した定常波の考え方をシュレディンガー方程式に代入します。ただし、3次元のシュレディンガー方程式を扱うのは厄介なので、一次元のシュレディンガー方程式で、位置 x に依存するポテンシャルが存在する系について考えることとします。
このとき左辺の時間に関する偏微分は、文字通り時間に関係のある関数 T (t) にしか作用しません (偏微分とは「ある関数に他の変数があったとしても、興味がある変数だけで微分する」という種類の微分です。)。したがって位置に関する関数 X (x) は、偏微分の作用を受けないので偏微分を通り抜けることができます。同様に右辺の位置に関する偏微分は、時間に関する関数 T (t) に作用しないので、T (t) は偏微分を素通りします。
Step 3: 変数を両辺に分離する
ここで、両辺を波動関数 T(t) X(x)で割ってみます。左辺の時間偏微分の手前に書かれてある X(x) は約分することができます。注意が必要なのは、時間偏微分の後ろに書かれてある T(t) は約分できないことです。なぜなら、実際にはこの T(t) は微分によって形が変えられている可能性があるからです。具体的に T(t) = cos ωt などの具体例を考えて見ると、その意味がわかると思います。T(t) = cos ωt は微分によって –ωsin ωt になります。当然 cos 関数を sin 関数でを約分することはできません。右辺も同様に考えると、位置偏微分の手前に書かれてある T(t) は約分で消去できますが、位置偏微分が作用している X(x) は約分できません。
この最後の表式の左辺の変数は時間 t だけです。一方で、右辺の変数は位置 (x) だけです。ここで疑問に思うべきことは、「異なる変数を持つ 2 つの関数が常に等しいとは何事か!?」ということです。別々の変数を持つの関数が、t にも x にも無関係に等しいのは奇妙です。そのなぞを解く鍵は、「その 2 つの関数は、実は変化せず常に同じ共通の値になるだろう」ということです。その値を仮に E と定めてみましょう。別にその値の文字は E でなくても A でも C でもいいのですが、E と置いた理由は後でわかります。
ここから 2 つの方程式が浮かび上がります。つまり両辺の分母を払ってやれば、時間に依存しないシュレディンガー方程式と時間に関する方程式が得られます。なお、ここまでくれば式に現れる微分は偏微分である必要はありません。なぜなら偏微分は2つ以上の変数をもつ関数を微分するときに、ある一つの変数以外を定数とみなす微分だからです。微分が作用される関数の変数が分離されてしまったいまや、その微分を通常の微分の形に書き換えておくことができます。
というわけで、めでたく時間に依存しない一次元のシュレディンガー方程式が導出できました。あとはこれを3次元の場合に拡張すれば、化学の教科書でおなじみのシュレディンガー方程式が得られます。
得られたそれぞれの方程式は簡単に解けるんですか?
時間に関する方程式はすぐに解くことができます。この問題は、「関数を一回微分し (ておまじないの係数をかけ) た結果 、元の関数が定数倍 (E 倍) されて返ってきた。その関数はなーんだ?」という問題です。そのような性質を持つ関数といえば、指数関数です。おまじないの係数として掛けられている虚数 i などをなんとかするために、指数関数の肩で t の係数を微調整すれば、この微分方程式の解が得られます。
その複素数の指数関数の解はどういう意味ですか?
波動関数の定常波は、時間が経っても絶対値が一定で、複素数の位相のみがくるくる回ることを意味します。詳しく解説するために得られた解を定常状態の波動関数に代入してみましょう。
前回の記事でお話ししたように、虚数 i を指数にもつ指数関数は、絶対値が一定で、t の変化に伴って複素数平面における位相のみがくるくる回る関数です。この考えを拡張すると、波動関数 ψ(x,t) は「波の基本形が X(x) によって決定されており、その基本形が各座標の絶対値を一定に保ってくるくるまわる」関数であることがわかります。いかにも定常波らしい性質です。この記事では詳しくお話ししませんが、波動関数の絶対値の二乗は粒子の存在確率を表しているため、絶対値が変わらないという事実は物理的に重要なのです。
複素指数関数は、肩の指数が変化しても絶対値は変わらなりません. 変化するのは位相だけです.
位置に関する方程式は解けないのですか?
系にもよりますが、非常に難しい問題です。先ほど得られた「時間に依存しないシュレディンガー方程式」をもう一度よく見てみましょう。右辺に注目すると、V(x) は系のポテンシャルエネルギーであり、E と V(r) が足し引き可能であることがわかります。これは重要なことを意味します。先ほど時間に依存する方程式を定数分離する際に、「その値を E と置いてみましょう」とありましたが、じつは E と V(r) は同じ次元 (単位) を持っているのです。つまり、E はエネルギーを表すのです。
そして、前回の記事で波動関数を二階位置微分し(て、おまじないの係数をかけ) たものは運動エネルギーに相当するだろうと想定していました。したがって、E は運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和、つまり系の全エネルギーであると考えて良さそうです。というわけで、この時間に依存しないシュレディンガー方程式は、「ある関数を二階位置微分し(ておまじないの係数をかけ )て、さらにポテンシャルエネルギーを足すと、関数の形はそのままで関数がエネルギー倍された。この条件を満たす関数とエネルギーはなーんだ?」という問題を出題しているようです。
あとは興味のある系 (例えば水素原子) に当てはめて解けば、波動関数とその系のエネルギー Eが得られます。が、この方程式を解くのはを解くのは数学的に非常に難しい問題なのです。その理由は、ポテンシャルエネルギーの関数にも変数 x などが入ってくると, 先ほどの例のように「直感で指数関数かなぁ」と予想することができないからです。もちろん系によって簡単に解けるものもありますが、この記事ではここで止めておきましょう。
ところで、変数分離の際にいきなり波動関数に定常状態を仮定してしまったけど、そんなことしていいの?
ズバリいいでしょう。これはおそらく多くの人が疑問に思う点だと思います。私自身も初めてこの導出の流れを習った時、「そんな天下りありかよ」と困惑したのを覚えています。
しかし実際には天下りではなく、実験事実に基づいて提案されているわけです。つまり、先ほど説明したように水素原子のスペクトルを説明するためには、「電子が取りうるエネルギー状態はあらかじめ自然の摂理によって決まっているのだ」と考えるしかなかったのです。それを定常状態だと名付け、式に表したのが、さきほど示した定常波の波動関数です。
もう一点重要なことは、今回はポテンシャルが位置のみに依存すると仮定していたことです。その理由は、化学者にとって興味がある系の多くは、ポテンシャルが位置のみに依存するからです。例えば、原子核の周りを運動する電子やバネ運動をする原子団などのポテンシャルは、位置のみの関数で表せます。しかし、もしポテンシャルが時間に依存していれば、変数分離はできません。変数分離は万能なわけではないのです。時間に依存しない系としては, 光が照射された分子などがあります。光は電磁波であり、電場を変動させます。このような系を解くには、摂動法など別のテクニックを使います。が、今回は名前だけ紹介して詳しくは立ち入りません。
まとめ
というわけで今回の記事では、大学学部レベルの教科書で登場する “時間に依存しないシュレディンガー方程式”は、波動関数が定常波であると仮定することで導かれたことをお話しました。次回の記事では、最も簡単な系である一次元井戸型ポテンシャルを例にして、実際に時間に依存しないシュレディンガー方程式を解きます。そして、系のエネルギーが上がるにつれて、波動関数の節が増える理由や電子の非局在化によって系が安定する理由を紐解いてゆきたいと思います (あぁ、ようやく化学のお話ができます)。
関連リンク
- 化学者だって数学するっつーの! :シュレディンガー方程式と複素数
- なぜ電子が非局在化すると安定化するの? 【化学者だって数学するっつーの!: 井戸型ポテンシャルと曲率】
- 波動-粒子二重性 Wave-Particle Duality: で、粒子性とか波動性ってなに?
参考文献
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砂川重信, 4 章 量子力学への歩み「量子力学の考え方 物理の考え方 4 」岩波書店, 1993, pp31–60.
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砂川重信, 5 章 シュレディンガー方程式「量子力学の考え方 物理の考え方 4 」岩波書店, 1993, pp61–77.
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E-man の物理学, 量子力学, 時間に依存しない方程式; https://eman-physics.net/quantum/separate.html