第224回のスポットライトリサーチは、東京大学生産技術研究所芦原研究室の森近一貴(もりちか いっき)さんにお願いしました。
芦原研究室は、先端的な超高速分光技術を使って、物質の性質や化学反応を自在に操作する手法の開発を精力的に展開されています。
超高速分光の要である超短パルス光は、フェムト秒(fs, 1000兆分の1秒)やピコ秒(ps, 1兆分の1秒)といった非常に短い時間だけ強度をもつ光です。今回の主役は、その中でも中赤外領域のエネルギーを持ったパルス光です。この光を分子に照射すると、特定の化学結合に大きなエネルギーを注入できるため、普通の熱励起では起こせない様々な現象を引き起こせる可能性があります。今回紹介いただけるのは、うまく制御した赤外領域の超短パルス光と金属ナノアンテナを組み合わせて特定の振動モードを強励起することで、化学結合を切断できたという衝撃的な成果で、Nature Communications誌に掲載されています。東京大学よりプレスリリースされており、複数のメディア(オプトロニクス、テックアイなど)でも取り上げられています。
“Molecular ground-state dissociation in the condensed phase employing plasmonic field enhancement of chirped mid-infrared pulses”
Ikki Morichika, Kei Murata, Atsunori Sakurai, Kazuyuki Ishii & Satoshi Ashihara
Nature Communications, 2019, 10, 3893. DOI: 10.1038/s41467-019-11902-6
芦原聡准教授からは森近さんと本研究成果について、以下のようにコメントをいただきました。
振動ラダークライミングによる分子反応制御は、古くから興味が持たれており、気相分子を対象に盛んに研究されました。ところが、実用的に重要な液相では振動緩和の影響でなかなか成功例が出て来ず、世界的にもやや意気消沈していたように思います。森近君は、最先端のレーザー技術、そしてプラズモニクスを有機的に結びつけることで、一つの壁を破ったと言えます。
森近君は、私が東大に移って初めて受け入れた学生です。性格は穏やかでありながら、しっかりと自分の考え、強い芯をもつ人物です(さすがは高校野球某強豪高の元副応援団長!)。超短パルスレーザー、プラズモニクス、振動分光、非線形分光などの基礎事項を焦らずしっかり学び、さらには実験にも積極的に取り組んできました。今回の成果は、皆が諦めかけていたターゲットに対し、新たな工夫を凝らして挑み、さらには注意深い実験を繰り返して手にしたものです。この成果を励みに、さらに大きな果実を実らせて欲しいと思います。
それでは、森近さんからのメッセージをご覧ください!
Q1. 今回のプレスリリース対象となったのはどのような研究ですか?
電場の波形を整えた赤外光を使って、液相分子の化学結合を切ることに成功しました。
多くの化学反応が「分子を構成する原子の組み替え」であることを考えると、反応を操作するための鍵は化学結合の切断にあります。結合を切るためには、その結合が関与する分子振動に一定以上のエネルギーを与えなければなりません。従来の加熱によるアプローチでは、あらゆる分子振動モードにエネルギーが分配され、目的とする反応以外の反応も促進されてしまうという欠点があります。
そこで、加熱に代わる手法として注目されているのが赤外光の利用です。一般に、分子振動の共鳴は赤外域に存在し、その周波数は振動モードによって異なります。よって、反応に関わる分子振動を選択的に励起することで、目的とする反応だけを誘起することができます。このアプローチは「Molecular Surgery(分子手術)」と呼ばれ、究極的な反応制御手法の一つとして期待されていますが、多くの化学反応の舞台である溶液中では未だ実現されていませんでした。
本研究では、液相分子の振動モードを強く揺さぶるために、光の電場波形を制御する技術と、光を微小時間・微小空間に集中させる技術(プラズモニクス)を導入しました。その結果、18,000 Kの熱エネルギーに相当するエネルギーを狙った振動モードに注入し、化学結合を切ることに成功しました。今後は、医療・環境・エネルギーなどに関わる幅広い化学反応を対象に、本手法の適用範囲を広げることを期待しています。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
赤外光の照射によって分子の結合が切れているという確信を得るのに、かなりの時間を費やしました。実を言うと、この研究の最初の目的は、プラズモニクスを導入することで分子の振動がどのくらい強く励起されるかを確かめることでした。そして、いざ実験をしてみると、想定していた信号とはかなり様子の違う信号が観測されました。この想定外の結果を解釈するために、先行研究を徹底的に調べていくつかの仮説を立てました。そして、それらの仮説を一つ一つ実験で検証していく中で、「赤外光の照射によって分子の結合が切れている」という結論に辿り着きました。最初の実験結果が得られてからこの結論に至るまでに1年近くかかってしまいましたが、とても貴重な経験が出来たと思っています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
特に難関だったのは、赤外光照射による反応生成物の同定でした。紫外光を同じ分子に照射した先行研究の中に、結合が切れたところに溶媒分子が結合するという報告があったのですが、生成物のスペクトルが今回の実験で得られたものとは様子が違っていました。そこで、同じ研究所内で化学を専門に研究されていて、ちょうどその頃別の共同研究をさせていただいていた石井先生と村田先生に相談しました。その中で、結合が切れた分子が金属表面に吸着しているのではないかというご意見をいただきました。そして、村田先生に実際に量子化学計算で確かめていただいた結果、実験とよく合う計算結果が得られ、反応生成物の同定に至ることができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
分子を構成している原子を直接操作して任意の化合物を自由に合成することは、化学の究極的な目標の一つです。赤外光は、このような分子反応制御を実現する可能性を秘めています。今回の研究ではまだ一例を示したに過ぎませんが、今後は様々な分子反応の制御へと展開できればと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
今回の研究を通して痛感したのが、研究は一人ではできないということです。デバイス作製や分光実験・ディスカッションなど、各場面で多くの方々からの助言・手助けが無ければ、今回の成果には繋がらなかったと思います。一人で黙々と試行錯誤する時間もちろん大切ですが、行き詰まった時には色々な人に相談して、新しい視点を得ることも大切だと思います。
最後になりましたが、本研究を遂行するにあたり熱心にご指導いただきました、芦原聡准教授、櫻井敦教博士、および本研究の共同研究者である石井和之教授、村田慧助教にこの場を借りて深く感謝申し上げます。
関連リンク
- 東京大学生産技術研究所 芦原研究室
- プレスリリース:旋律を整えた赤外光で分子反応を操作
- 日本経済新聞電子版(https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP517849_Z20C19A8000000/)
- オプトロニクスニュース(http://www.optronics-media.com/news/20190902/59509/)
- テック・アイ技術総合研究所(https://tiisys.com/blog/2019/08/30/post-31407/)
研究者の略歴
森近 一貴(もりちか いっき)
所属:東京大学 生産技術研究所
専門:超高速光科学
略歴:
2018年4月-現在 日本学術振興会特別研究員DC2
2017年4月-現在 東京大学 工学系研究科 物理工学専攻 博士課程 在学
2017年3月 東京大学 工学系研究科 物理工学専攻 修士課程 修了
2015年3月 東京大学 教養学部 統合自然科学科 卒業