クオラムセンシング (Quorum Sensing)
クオラムセンシング (Quorum Sensing)とは、細菌が自己誘導因子 (autoinducer) と呼ばれる分子を放出しあい、周囲の菌密度に応じた遺伝子発現や表現型を制御する仕組みのことを指す。1994 年に E. Peter Greenberg によって命名された[1]。クオラム (Quorum, 定足数) とは本来会議における決議や議事を行うために必要な人数のことを指す言葉で、ある一定の数の細菌が集まった時に発光や病原性の発現などが一斉に起こる様子から命名に用いられた。
クオラムセンシングの研究は1960年代から発光性の海洋バクテリアが菌の密度に応じた発光を示す仕組みを解明することから研究が進展した。例えば、細菌の密度が上がってくるとバイオフィルムを形成したり、病原因子を生産したりするが、これらの現象も近くにいる細菌同士で化学物質を介したコミュニケーション(クオラムセンシング)による。
クオラムセンシングの仕組み
初期に研究された発光性の細菌 ビブリオ・フィシェリ (V. fischeri) を例に仕組みを概説する。この細菌は、菌濃度が薄い(自分の周りにいる細菌が数が少ない)場合には光らないが、増殖して一定の数を超えると、全ての細菌が一斉に光り出す。このような菌の数(濃度)によって光るしくみが成り立つためには、細菌同士がコミュニケーションとる(話し合う)必要がある。実際に細菌同士の「会話」は、自己誘導因子 (autoinducer, AI-1) と呼ばれる化学物質によってなされていることが分かった。自己誘導因子の量で、細菌は近くにどれだけの仲間がいるかを認識し、一斉に光るのである。
細菌は酵素 (LuxI)を利用して自己誘導因子 (AI-1) を生産し、放出する(①)。増殖すると細胞の周囲に自己誘導因子の同時に、自己誘導分子を認識するレセプター(LuxR)を細胞の表面にもっていて、自己誘導分子と結合した受容体は核内へと輸送される(②)。この受容体との複合体が DNA にある特定の配列で認識されることによって、発光に関連する遺伝子の発現量が増える(③)。発光に関連する遺伝子の発現量が増えると、関連するタンパク質が生産され、顕著な生物発光が起こる(④)。受容体と自己誘導因子の複合体は複数同時に DNA に結合しないと発現が始まらない仕組みとなっていることと、発現する遺伝子の中に自己誘導因子を合成する酵素 (LuxI) も含まれているため情報が増幅されることから、自己誘導因子の濃度に対する ON/OFF の極端な応答が可能となっている。
ここではビブリオ・フィシェリによる発光の例を示したが、同様の仕組みはあらゆる種類の細菌でも、細菌間のコミュニケーションに用いられており、特に細菌が示す病原性の発現に関わることが分かってきた。すなわち、細菌はヒトなどの宿主に感染しても少数では増殖するだけで病原性は示さないが、宿主の体内で増殖し、クオラムセンシングを利用してある一定数増殖したことを認識すると病原性を示して宿主を攻撃し始めるのである。このことから、クオラムセンシングは単に光る生き物の話ではなく、感染症の克服を含めた、生命科学と医薬分野、獣医学をはじめとする幅広い分野に大きなインパクトをもつこととなった。
自己誘導因子 (autoinducer)
クオラムセンシングで「会話」に用いられる自己誘導因子の正体は小分子〜中分子の化学物質である。ホモセリンラクトン誘導体 (AI-1) を自己誘導因子とするグラム陰性細菌のクオラムセンシングが歴史も長く最もよく研究されており、他にも多様な自己誘導因子が知られている[2,3]。グラム陽性細菌では環状のペプチドがクオラムセンシングにおける自己誘導因子として用いられている。これらの自己誘導因子は種によって微妙に(あるいは大きく)構造が異なっている。そのため、細菌は自分と同じ種の細菌がどれだけいるかを、他の種と区別して判別できる(同じ種の細菌同士で内緒話ができている)。その一方で、多くの種に広く共通して生産されている自己誘導因子も知られている(テトラヒドロキシ-メチルフランあるいはそのホウ酸エステル、AI-2; Bonnie L. Bassler を参照)[4]。すなわち、種の壁を越えた共通言語も存在するとされている。
医療や農業への応用:新しい抗感染症薬の開発と細菌増殖制御による新しい医療/農業の可能性
クオラムセンシングは生命現象として興味深いだけでなく、病原因子生産の阻害を狙った新しい抗感染症薬開発の標的としても期待される。つまり、細菌同士の会話の「耳(受容体)」を別の化合物で塞いで会話できないようにする仕組みである。また細菌はバイオフィルム(細菌の周りにつくる鎧のような物質)を形成することで抗生物質の効きが悪くなるが、このバイオフイルムの形成もクオラムセンシングで制御されていることから、クオラムセンシング阻害剤はバイオフィルムの形成も阻害することが期待される。クオラムセンシング阻害剤は、細菌の増殖を止めたり殺したりする抗生物質とは標的が異なるため、クオラムセンシング阻害剤と抗生物質の併用による治療効果の向上や、クオラムセンシング阻害剤を利用した抗生物質に対する薬剤耐性菌への対応が検討されている[5]。医薬品としての利用に耐えうる薬効と特異性をもつ化合物の創出が期待される。
逆に細菌のクオラムセンシングを積極的に促進する応用も研究が進んでいる。人体にとって好ましい細菌(いわゆる腸内の善玉菌など)の増殖促進を利用した医療や、農業において好ましくない動植物(害虫など)の除去に、細菌のクオラムセンシング向上を利用する研究などが検討されている[6]。
参考文献
- Fuqua, W. C.; Winans, S. C.; Greenberg, E. P. J. Bacteriol. 1994, 176, 269-275. DOI: 10.1128/jb.176.2.269-275.1994
- (a) Parenfort, K.; Bassler, B. L. Nature Reviews Microbiology 2016, 14, 576-588. DOI: 10.1038/nrmicro.2016.89 (b) Mukherjee, S.; Bassler, B. L. Nature Reviews Microbiology 2019, 17, 371-382. DOI: 10.1038/s41579-019-0186-5
- 佐藤まみ、中山二郎、日本乳酸菌学会誌 2010, 21, 95-106. DOI: 10.4109/jslab.21.95
- Chen, X.; Schauder, S.; Potier, N.; Van Dorsselaer, A.; Pelczer, I.; Bassler, B. L.; Hughson, F. M. Nature 2002, 415, 545-549. DOI: 10.1038/415545a
- (a) Hentzer, M.; Givskov, M. J. Clin. Invest. 2003, 112, 1300-1307. DOI: 10.1172/jci20074 (b) Chen, G.; Swem, L. R.; Swem, D. L.; Stauff, D. L.; O’Loughlin, C. T.; Jeffery, P. D.; Bassler, B. L.; Hoghson, F. M. Molecular Cell 2011, 42, 199-209. 10.1016/j.molcel.2011.04.003 (c) Igarashi, Y.; Yamamoto, K.; Fukuda, T,; Shojima, A.; Nakayama, J.; Carro, L.; Trujillo, M. E. J Nat Prod. 2015, 78, 2827-2831. DOI: 10.1021/acs.jnatprod.5b00540 (d) Polaske, T. J.; Gahan, C. G.; Nyffeler, K. E.; Lynn, D. M.; Backwell, H. E. Cell Chemical Biology 2022, 29, 605–614. DOI: 10.1016/j.chembiol.2021.12.005
- Hidayanti, A. K.; Gazali, A.; Tagami, Y. J. Insect Sci. 2022, 22, 1-9. DOI: 10.1093/jisesa/ieab106