この記事では、いまや無機試料の元素分析に欠かせない誘導結合プラズマ発光分析法(ICP-OES)を中心に、原子分光分析法(原子スペクトル分析)の基礎について解説します。
異性体の判別をはじめとする構造決定が鍵となる有機化合物の分析とは異なり、無機試料(合金・無機塩・混合物・水質分析など)の分析においては各元素の含有量を正確に決定することが肝要となります。そこで活躍するのが原子分光分析法です。
原子分光分析法は試料中の構成原子の外殻電子をターゲットとした分析手法で、外殻電子を何らかの方法で励起するときに吸収される、あるいは逆に励起状態から基底状態へと緩和されるときに放出される光の波長・強度から元素の定性、あるいはランベルト-ベール測をもとにした定量を行う機器分析手法の総称です。前者を原子吸光分析法(Atomic Absorption Spectrometry)、後者を原子発光分析法(Atomic Emission Spectrometry、またはOptical Emission Spectrometry)と呼びます[1]。
原子分光分析の本質的な原理は高校化学でおなじみの炎色反応と共通するものがあります。19世紀中頃、ハイデルベルク大学(ドイツ)のブンゼンは炎色反応の輝線スペクトル解析に取り組みました。その結果、その輝線スペクトルが元素に固有のパターンを示すこと、混合物の輝線からもそれぞれの元素が検出されることが見いだされ、未発見であったセシウムCsとルビジウムRb、ガリウムGaとタリウムTlの発見にも一役買いました。さらにキルヒホッフは、当時天文学者のフラウンホーファーによって知られていた太陽光の暗線と炎色反応の輝線が同一波長であることを示し、暗線が基底状態の原子による吸光によって形成されると提唱しました[1]。これら一連の発見が原子分光分析の黎明であり、その後の量子論の発展による理論的裏付けと相俟って今日に至っています。
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原子分光分析においてはまず、試料を高エネルギー(高温)で原子化・励起することが必要となります。試料が酸化物などの難分解性固体を生成すると気化が妨げられ測定値が過少となるため、一般には塩化物などの溶液が好まれます。
励起には、励起原子が不要な原子吸光分析法では2000 K程度のブンゼンバーナー、3000 K程度のアセチレンバーナーなどのフレーム分析も用いられますが、原子発光分析では多量の励起原子が必要とされるためこれでは不足です。そのため、電磁的手法(フレームレス分析)で8000 K、電子密度1015 cm-3にも及ぶプラズマを形成することが一般的です。
原子吸光分析法(AAS)
基底状態の原子の励起による吸光を検出することで、ppmオーダーの元素を定性・定量する手法です。装置の簡便さから、ICPなどの有力な励起手法が開発される以前に普及しました。試料溶液を励起源の中へ噴霧することで基底状態のまま原子化し、その吸光を検出するものです。
励起源にアセチレンバーナーなどを用いるフレーム分析のほか、フレームレス分析としてジュール熱を用いて試料を加熱する電熱加熱原子吸光分析法(ETAAS)などのフレームレス分析があります。ETAASは高い感度が特徴で、ICP-OESに匹敵するppbレベルまでの測定が可能です[2]。有機試料の場合は炭化してしまいますが、含有されている微量重金属濃度などを決定することも可能です。
AASでは簡便に微量元素の分析ができますが、干渉現象(分光干渉、物理干渉、化学干渉)による妨害に注意が必要です。
分光干渉は異なる元素の吸収線が近接しているときに問題となり、Na(251.51 nm)とCa(251.28 nm)の例が代表的です。分光干渉を防ぐには近接していない他の輝線を用いるか、妨害元素の濃度が既知であればそれを加えた検量線溶液を用いることでも回避できます。
一方、物理干渉とは試料溶液の粘度・密度が高い場合など、噴霧効率や気化効率が100%とならない場合に測定値が過小評価される現象です。これは溶液を十分に希釈すること、検量線溶液の条件を揃える(マトリックスマッチング法)ことで対処します。内標準法や標準添加法を適用するのも有効です。
化学干渉は励起温度が高すぎるときに起こります。試料が原子化するだけでとどまらず、イオン化してしまうことで基底状態の原子が減少し、測定値が過小評価されます。このような場合には励起温度を下げるか、さらにイオン化しやすい元素を混入させることで改善します。CaやSrの分析時にKを添加するのが代表例です。
誘導結合プラズマ発光分析法(ICP-OES/ICP-AES)
誘導結合プラズマ(Inductively Coupled Plasma)発光分析法(ICP-OES/ICP-AES)は発光分光分析法の一種で、試料に含まれる原子中の電子を高温で励起し、これが基底状態へ戻るときの発光波長・強度から元素の定性・定量を行う分析手法です。
原理や装置構成が比較的単純であるにもかかわらず、ppbからppmレベルの微量元素を検出できる高い感度を備えていることから広く用いられています。
試料の励起には一般にアルゴンプラズマが用いられています。トーチ管の先端部においたワークコイルを配置し、これに流した高周波電流によってトーチ管内に電磁場が生成されます。これにより、テスラコイルの放電で生じたアルゴンプラズマ(Ar+と電子)は激しく振動し、極めて高温で高い電子密度を持ちます。その温度は10000 Kに及び、このエネルギーにより試料を励起、その先の5000-8000 Kの放射領域で基底状態へ緩和させることで発光させます。ICP-OESを用いることで、イオン化エネルギーが7 eV以下の元素は十分イオン化するため、AASでは分析不能なB、P、希土類などを含むほとんどの元素(希ガスとN、Oを除く)が分析可能となります[1]。
試料導入部位にはスプレーチャンバーが備えられており、ネブライザーから吸い上げられた試料溶液はアルゴンプラズマに向けて霧状に噴霧されます。
ICP-OESではAASの項で紹介した干渉現象のほかに、自身の発光を基底状態の原子が吸収する自己吸収を考慮する必要があります。これは試料溶液を十分希釈することで無視できます。
とはいえICP-OESはAASと比較して測定可能元素の豊富さ(イオン化エネルギーの大きな希ガス・酸素・フッ素などを除くほぼ全ての元素を定量可能)、検出感度の高さ(ETAAS除く)、検量線の高い直線性など優れた点が多く、現在では最も基本的な元素分析法として普及しています[2]。近年では検出部に質量分析法を用いたICP-MSも開発されており、これは最も高感度な分析法となっています。
応用例
原子分光分析、とりわけICP-OESは高感度の元素分析法として広く普及しており、その測定対象も多様です。
代表的な例としては、合金材料やめっき皮膜などの金属、鉱物の分析、水質検査での重金属汚染の分析などが挙げられます。このほか、重金属中毒の決定的な証左を得るために毛髪の分析などにも利用されています。複雑な組成の測定対象に対しても良い精度を与えることから、めっき液の分析にも応用が進んでいます[3]。
関連論文
- 村上 雅彦, 原子分光分析法の原理と発展, 化学と教育, 2017, 65 巻, 3 号, p. 136-141, 公開日 2017/09/01, https://doi.org/10.20665/kakyoshi.65.3_136
- 白石 貢一, ICP発光分光分析装置, Drug Delivery System, 2014, 29 巻, 1 号, p. 83-85, 公開日 2014/05/29, https://doi.org/10.2745/dds.29.83
- 大森 敬久, ICP発光分光分析装置の原理と分析事例, 表面技術, 2012, 63 巻, 9 号, p. 565-, 公開日 2013/03/27, https://doi.org/10.4139/sfj.63.565
関連リンク
・日立ハイテクサイエンス
https://www.hitachi-hightech.com/hhs/products/tech/ana/icp/descriptions/
・アジレントテクノロジー
https://www.chem-agilent.com/contents.php?id=1001752