HKUST-1 は MOF-5 とほぼ同時期に報告された歴史ある構造体です。二核銅正方柱クラスターを SBU に持ち、それをベンゼンが橋かけすることで形成される八面体ケージと切頂立方体ケージを持ちます。それらのケージの形状がメタンを捕捉するのに適したサイズを持つため、天然ガス (メタン) 貯蔵材料として期待されています。
歴史的背景: MOF-5 に並ぶ歴史的構造体
複数の配位部位を持つ有機分子と金属を用いて構造体を作る合成化学は、1990年ごろの後半から盛んに行われてきました。しかし、当時大きな孔をもつ3次元的な構造は少数でした。長い配位子を利用すると構造体が相互貫入したり、金属–配位子の結合が弱いためにゲストの除去により構造が崩壊してしまうことがあったからです (MOF-5 の記事も参照)。相互貫入しない頑丈な 3次元的な構造を構築するために、3つ以上の配位部位を持つ配位子を利用した例もありましたが、金属に溶媒が複数配位してしまい、金属の幾何構造を最大限に利用できていませんでした。
香港科技大学 (Hong Kong University of Science and Technology, 通称 HKUST) の Williams らは、構造体合成におけるエントロピーの観点から、反応を溶媒熱条件で行うことに着目しました。一般的に、温度を上昇させることで、反応はエントロピー的に有利な方向へ進みます。このとき、配位子の配位部が完全には利用されずに、金属に溶媒が配位することは、系の分子数を減らすことに対応するため、エントロピー的には不利です。一方、配位子の配位部位がすべて金属と錯形成すれば、溶媒は金属部位から解放され、系の総分子数が増えるため、エントロピー的に有利であると考えられます。
そこで Williams らは1,3,5-ベンゼントリカルボン酸 (通称トリメシン酸) [H3(btc), btc3– = 1,3,5-benzenetricarboxylate] を配位子に用い、それと硝酸銅 (II) と水:エタノール混合液を 180 ºC の加熱条件下で反応させることで、水色の結晶性化合物 Cu3(btc) · 3 H2O を得ました。Williams らは、自らの所属大学にちなんで、その結晶性化合物を HKUST-1 と命名し、1999 年 2 月に Science 誌に報告しました1。
HKUST-1 の合成と構造. 右の図でグレーは炭素, 赤は酸素, 茶は銅を表します (以降の図でも同様).
なお HKUST-1 が報告された時期は Yaghi らが MOF-5 を Nature 誌に報告2 する 9 ヶ月前でした。HKUST-1 と MOF-5 はどちらも、当時としては珍しい、結晶性の堅牢な三次元多孔質構造体であり、一流ジャーナルに掲載されるほどのインパクトがありました。そのため HKUST-1 と MOF-5 は、三次元構造体の化学において重要な歴史的化合物と言えます。
構造: 正方柱二核銅クラスターを頂点に持つ八面体ケージと切頂立方体ケージ
HKUST-1 の八面体ケージを黄色の球で, 切頂八面体ケージをオレンジの球で表した図.
構造体中で Cu2+ は 4 つのカルボキシレートに囲まれた正方柱二核クラスターとして存在します。言い方を変えると、HKUST-1 の二次構造素子 SBU は正方柱二核銅クラスターです。カルボキシレート炭素を結ぶと正方形をしているため、この SBU は正方形の頂点方向に結び目を持ちます。
HKUST-1 には大小の2種のケージがあります。それぞれのケージの頂点には SBU が位置します。小ケージは SBU を頂点とする八面体です。その八面体のうち半分がベンゼン環で、残りの半分が窓になっています。
八面体ケージの 2 通りの見方. 左側の図では八面体の頂点を上に向けています. 右側の図では, 八面体の面を上に向けています. 八面体の半分の面はリンカーで, 残りの半分は窓になっています.
大ケージは、八面体の頂点を切り落としてできる立体、いわゆる切頂立方体になっています。すなわち、 八面体の頂点を切り落としてできる三角形にベンゼン環が位置し、切り落とされずに残った正方形の面が窓になっています。
切頂立方体ケージを 2 通りの見方. 左の図では, 四角形の面を上に向けています. 右の図では, 頂点を上に向けています. 切頂立方体の三角形はリンカーで, 正方形は窓になっています.
合成直後には、二核銅クラスターの銅のアキシャル位には1分子の溶媒が配位しています。加熱真空引きにより溶媒を取り除くことができます。溶媒の有無は構造体の色にも影響しており、合成直後の HKUST-1 は水色で、加熱真空引きにより十分に活性化された HKUST-1 は 青色になります。ただし、活性化された HKUST-1 は吸湿性が高く、空気中に晒すと次第に Cu2+ サイトが水和して水色に戻ります。
類似構造体
これまでにCr2+, Mn2+, Fe2+. Co2+, Ni2+, Cu2+, Zn2+, Mo2+, Ru2+ からなる類似構造体が報告されています (文献 3-9, 21. どの文献がどの金属を報告しているかは、参考文献の欄を参照)。一般的に、第二遷移金属で構造体を合成する例は、適切な前駆体や金属塩が存在しないために少数ですが、HKUST-1 の SBU である正方柱二核錯体は多くの第2遷移金属で知られているため、それらを利用して構造体を構築できます。多くの金属からなる同様の構造体が報告されていますが、単に HKUST-1 というと、一般的には Cu2+ からなる構造体を指します。
ベンゼン環の数を増やしても同様の構造体は形成できます10, 11。しかし、拡張された配位子では、相互貫入した構造体を形成しやすくなります。
HKUST-1 と同様の構造を形成できる配位子の例.
応用 : メタン貯蔵のベンチマーク化合物
HKUST-1 は 室温下 100 bar の条件において2021 年現在もっとも高い体積メタン貯蔵容量を示す多孔性材料です12, 13 。ただし室温よりも低温であれば、HKUST-1 を凌ぐ材料は開発されています16 (関連記事: 多孔質ガス貯蔵のジレンマを打ち破った MOF)。
代表的な多孔質の25 ºC でのメタン吸着等温線 [文献 12 より抜粋]. HKUST-1 は, 配位不飽和金属部位を高密度にもつ Ni2(dobdc) よりも高いメタン吸着能力を示します.
HKUST-1 の高いメタン貯蔵容量の起源については、中性子線回折を用いた構造解析や計算化学により研究されています14。中性子線回折によると、メタンの第一吸着部位は配位不飽和な Cu2+ 部位ではなく、八面体ケージの窓であり、第二吸着部位は八面体ケージの内部であると確かめられました。 ただし第二吸着部位は、八面体ケージのど真ん中ではなく、メタンがベンゼン環の表面と相互作用できるように、中心から少しずれており、八面体ケージがメタンを捕捉するのに適したサイズや形状であることが確かめられました。Cu2+ 部位は それらに次ぐ第三の吸着部位であり、その近くには第四の吸着部位が存在します。
中性子線回折により同定された HKUST-1 のメタン吸着部位 (図は文献 14 の Cu あたり 2.2 当量のCD4 を与えた際のデータをもとに作成).
HKUST-1 の 65 bar 室温下での、体積あたりのメタン貯蔵量は、HKUST-1 の結晶の密度から見積もると、270 cc CH4(標準状態)/cc に相当します。ただし実際には、MOF を錠剤へと成形化したりするさいに粒子間の空隙の形成が避けられません。そのため、実際に成形された錠剤の HKUST-1 の体積貯蔵量は、結晶密度から見積もられた値よりも低いことが指摘されています13。したがって、さらに高いメタン貯蔵量を示す材料の開発、あるいは効率の良い成形方法の開発が求められています。新しい MOF の成形法の一種として、ゾルゲル法を用いたモノリス型 MOF の形成などが近年注目されています15。
発展: HKUST-1 を模倣した金属-有機ケージ型分子
上述の MOF の成形の問題を解決するため、HKUST-1 と同様のケージを持つ分子性多孔質の研究も進んでいます。たとえば、H3(btc) のカルボン酸部位を一つ落としたイソフタル酸系の配位子に用いることで 、HKUST-1 の立方八面体ケージを模倣した分子性ケージを形成できます17,18。
HKUST-1 を彷彿とさせる金属-有機多面体 (MOP). m-bdc2– = benzene-1,3-dicaroxylate.
このようなケージ状化合物は金属-有機多面体 (metal-organic polyhedra: MOP) とも名付けられており、新しい多孔性分子として注目されています。メタン貯蔵の起源はケージの形に由来するため、この MOP も適度に高いメタン貯蔵性を示します。MOP を利用する利点は、MOF のような結晶性固体とは異なり、ゲル状にして分散させたりできるため、MOP は MOF よりも成形しやすいことです19。
合成法20,12
Cu(NO3)2 · 2.5H2O (2.4 g, 10.3 mmol) を30 mL の水に溶かす。ベンゼ-1,3,5-トリカルボン酸H3(btc) (0.68 g, 3.2 mmol) を 30 mL のエタノールに溶かす。それらの溶液を 250 mL 丸底フラスコへ加える。沈殿が生じた懸濁液に2 mL の N,N-ジメチルホルムアミドを加え、フラスコをセプタムで封じる。混合物を撹拌しながらオイルバスで 80 ºC に 24 時間加熱する。水色沈殿をろ過により取り除き、沈殿を水とエタノールで洗浄する。沈殿を回収したのち、それを再び新鮮なエタノールで懸濁させ、55 ℃で12時間放置する。このエタノール洗浄を2回繰り返し、孔に残った銅イオンや遊離配位子を取り除く。水色沈殿をろ過により回収し、150 ºCで24時間加熱真空引きすることで、溶媒が取り除かれて活性化された HKUST-1 の青色粉末が得られる。
その他
- HKUST-1 は「エイチカスト-ワン」と読みます。
- HKUST-1 は Basolite® として Sigma-Aldrich などで市販されています ($407/10g)。
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参考文献
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