特許と論文、共に研究結果を発表する代表的な発行物ですが、システムや存在意義は全然違います。今回は特許の書類である明細書とその審査について論文との違いに焦点を当てて解説していきます。
特許とは
Wikipediaによると特許とは法令の定める手続により、国が発明者またはその承継人に対し、特許権を付与する行政行為と書かれています。行政行為とは、国民の権利義務その他の法律的地位を具体的に決定する行為であり、例えばAの製造特許がB社によって登録されれば、B社以外はAを製造できなくなるという国家の決定ということなります。このような権利の決定にかかわるのが特許の本質であるため、学術論文と異なる点が数多くあります。特許の在り方の詳細については、ケムステ過去記事がありますのでそちらをご覧ください(特許にまつわる初歩的なあれこれ その1、特許にまつわる初歩的なあれこれ その2)。
内容
まず、論文と特許の書類、明細書に書かれている内容の違いについて見ていきます。
論文は、雑誌にもよりますが下記のような内容で構成されている場合が多いと思います。
- タイトル
- 著者
- 日付
- 要約
- グラフィカルアブストラクト
- イントロダクション
- 実験方法
- 結果
- 考察
- 結論
- 参考文献
- サポーティングインフォメーション
一方で特許の明細書の場合は、下記のような内容で構成されています。
- タイトル
- 著者
- 要約
- 請求項
- 発明の詳細な説明
- 発明が解決しようとする課題
- 課題を解決するための手段
- 発明を実施するための形態
- 実施例
- FI、国際特許分類
論文との大きな違いかつ特許において最も重要なのは4、請求項(Claim)で、保護を受けたい発明を記載した項のことです。例えば、過去にケムスケで紹介した大分の高校生が出願した特許では
【請求項1】
コロジオン膜形成時に、水分子を90%以上の高濃度エタノール溶液の状態で、コロジオン膜の本来持つ孔径が占める体積以上の量を添加して成膜し、その後、自然気化により添加した水分子を除去することを特徴とする孔径拡大制御方法。
【請求項2】
コロジオン膜形成時に、サリチル酸をコロジオン膜の本来持つ孔径が占める体積以下の量を添加して成膜することを特徴とする孔径縮小制御方法。
【請求項3】
コロジオン膜形成時に、サリチル酸をコロジオン膜の本来持つ孔径が占める体積の1~1.5倍の量を添加するとともに、塩化コバルトをコロジオン膜の本来持つ孔径が占める体積の1/2倍以下の量を添加して、塩化コバルトをコロジオン膜の孔径に閉じ込めて形成することを特徴とする機能性高分子膜の製造方法。
【請求項4】
請求項3記載の製造方法によって、コロジオン膜の構造をなす高分子ピロキシリンにサリチル酸を結合させることで、高分子ピロキシリンとサリチル酸から構成されたコロジオン膜の新たな孔径に塩化コバルトを閉じ込めた機能性高分子膜。
と四つの請求項が設定されています。これはつまり記載の孔径をコントロールする方法、機能性高分子膜の製造方法、機能性高分子膜はオリジナリティがあり、他の技術と異なるため特許によって保護するということになります。この請求項をどう設定するかが請求項の肝となり、化学の場合”範囲”の設定が最重要視されます。特許を出願する立場から言えば、なるべく多くの範囲をカバーして権利を確保する必要があります。例えば、分子量が千から5千の高分子を特許に登録しても、分子量が999で同等の性能を持っていれば他社が製造しても問題なく、特許を出願されてしまう可能性もあるからです。そのため、開発にて良い結果が出た場合その結果からどこまで広げるか、どういう範囲(分子量、官能基、元素…)でどこまで記載するかを考え、それを証明できるデータを実験などにて示さなくてはなりません。この請求項が特許査定にて審査され、登録するためにカバーする範囲を狭めたりある請求項を削除したりすることがあります。
特許独特の内容に、FI、国際特許分類というものがあり、これはその特許がどの内容について書かれているか分類を示したタグのようなものです。分類はそれぞれ決まっていて、特許を出願すると特許庁が付与するものです。
特許の場合、実験方法や結果を示すことは必須ではありません。極端な話、「今までにない分子XXは、高い電気伝導度を示す」として出願することも可能です。しかし、ある程度の発明の具体性が必要なため実験結果を示すことが自然です。分子XXが高い電気伝導度を示すとしてもそれを実験データによって示すことが自然であり、さきほどの範囲の話のように、分子XYではそれが得られないデータも必要になると言えます。
登録までの流れ
論文(査読付き)も特許も審査があり、それを通過して発行されるという基本は同じです。論文の場合、大まかには、
- 論文を研究グループが書き上げる。
- 出版社に提出
- 編集者が査読する人を指名(その分野の研究者)
- 査読結果をもとに編集者が出版するか決定する
- Acceptされれば、出稿料を払って出版される
となると思います。一方、特許の場合
となります。それぞれについて詳しく見ていくと、
まず1と2に関して、すべての新しい成果を特許にすることはなく、企業の戦略上守るべき技術のみを特許化することが一般的です。この選択の理由は、1、特許は登録するまでには多くの時間とお金がかかる。2、特許は提出後一定期間がたつと無条件で公開される。つまり登録できないと特許の申請したがゆえに自社の技術を公開するだけになるリスクがあります。そのため、発明届出書を基づいて本当に特許化したほうが良いのかをマネジメントとともに判断します。それと同時に共同研究や補助金などによって発明の権利の所在もクリアにしておきます。
論文は研究者が執筆し、せいぜい英語の校閲を外部にお願いするくらいですが、3の特許の場合は弁理士が中心になって明細書を作成することが多いです。弁理士(Patent attorney)とは弁理士法で規定された知的財産権に関する業務を行う専門家です。社内に弁理士が在籍している場合もあれば、特許事務所と契約し業務を依頼している場合もあります。その弁理士が中心に出願書類を作成し、データが足りない時には研究者がデータを追加して完成させます。もちろん弁理士でなくても特許を出願することは可能で、先ほどの大分の高校生が特許を出願した例では、弁理士なしで登録していることがわかります(この特許では発明者が未成年であるため、法定代理人としておそらくご両親の名前も記載されているようです)。
書類が出来上がり提出すると審査に入ります。論文の査読は編集者が指名した同じような研究を行っている研究者(同業他社)が行いますが、特許の場合には特許庁の特許審査官が審査を行い、登録するか判定を下します。特許審査官は、国家公務員採用総合職試験(技術系)の合格者から採用される公務員です。ただし、特許の審査を迅速にするため、特許庁任期付職員として審査官、審査官補の採用を行っていて研究開発・知的財産に従事していた技術者が審査官になることができます。審査官には担当分野がありますが、特定の研究の専門家ではないようです。
論文の査読結果は、Accept, Minor revision, Rejectなどの決定とコメントがつきますが、特許で登録される場合には特許査定=Acceptが通知されます。問題がある場合には、拒絶理由通知書が送られてきて、論文の肝である請求項について認定できない理由を明記されます。特許の場合には、この拒絶理由通知書が送られてきてもあきらめる必要はなく、審査官の主張に反論する意見書や特許請求の範囲や明細書などを修正する補正書を提出して特許査定を目指します。それでも審査官が認められない場合には拒絶査定=Rejectが通知されます。これでも納得できない場合には、拒絶査定不服審判を起こすことができます。このように特許の審査はとても、複雑で最終結果に至るまでとても時間がかかります。
論文の査読が終われば、原稿料を払って論文がジャーナルに掲載されます。特許の場合も登録料を払うと登録されます。特許には期限があり、出願から基本的に20年で権利は消滅しますが、毎年の特許料=年金を支払わないと20年前でも権利はなくなります。年金は1請求項に対して加算され、年数が経つほど高額になります。そのため、企業ではビジネス上特許を守る必要がないと判断した場合には、年金支払いを止めて権利を放棄します。
論文の場合、ジャーナルに掲載されれば、すべてが終了したようなもので相当な不正がない限り、取り下げることはありません。しかし特許の場合、異議申立と無効審判により特許が無効になることもあります。また、特許は権利ですので、お金で売買したり、企業間でお互いに特許の使用を許諾することができます(クロスライセンス)。
明細書と登録の課程だけでかなりの分量になってしまったので、これ以外の違いについては別の記事にて紹介します。
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- トクする!栄太郎のブログ:特許に関する興味深いブログ、審査官と面接した際の経験談など現場について詳しく綴られている。もちろんブログ主の見解です。