臭い温泉に入りたい! というわけで、硫黄系温泉を巡る旅の後編です。前回の記事では群馬県草津温泉をご紹介しました。今回は、新潟県月岡温泉への冒険の記録です。
前回までのあらすじ
前回の記事では、草津温泉が強酸性の硫黄泉で熱々でピリピリの湯ざわりであることをお話ししました。せっかく大阪付近からわざわざ群馬県まで行くので、近くの硫黄系温泉にも立ち寄って比較してみたい!と思って調べていたところ、新潟県の月岡温泉という温泉が草津温泉との対照実験には最適であると発見しました (理由は後で話します)。というわけで、草津温泉からいったん高崎まで電車で引き返し、北陸新幹線で新潟まで北上、さらに新潟駅から JR 在来線で20分ほど東へ向かって豊栄 (とよさか) 駅へ。そこからシャトルバスに乗って、月岡温泉の温泉街まで向かいました。草津温泉からはおおよそ4時間くらいです。

月岡温泉の位置と今回の硫黄泉を巡る旅の目的地の位置関係.
月岡温泉の特徴
月岡温泉のわかりやすい特徴は、まずお湯がエメラルドグリーン色を呈することです。下の写真は、無料の足湯場「あしゆ湯足美 (ゆたび)」の写真です。浴槽そのものが緑なのではないか? と思ってしまうくらい緑です。手ですくってみると、さすがに光路が短くなってしまってほぼ無色ですが、ほんのかすかに緑っぽく見えないこともなく、お湯がしっかり緑色であるとわかります。

無料の足湯場「あしゆ湯足美 (ゆたび)」
月岡温泉のもう一つの特徴は、弱アルカリ性の硫黄泉であることです。その総硫黄濃度 (遊離の硫化水素 H2S , 硫化物イオン SH–, チオ硫酸イオン S2O32− の合計) は日本全国でもトップクラスで、前回の記事でお話しした草津温泉と比べてみると、その総硫黄濃度は約 10 倍です (~67 mg 月岡温泉 月岡 6 号井 vs ~7 mg 草津温泉 湯畑)。その総硫黄濃度は、全国 1 位の群馬県万座温泉についで 2 位です。

月岡温泉の温泉分析表.
その硫黄濃度の高さを示す一例として、下の写真をご覧ください。これは宿泊したホテルの脱衣所にあった張り紙で、「蛇口が黒くなっているのは、清掃不足ではなく硫黄成分によるものです」という但し書きです。
金属が硫化水素で黒くなるといえば、Dr. Stone で硫酸の泉から硫酸を組みに行くときに、銀で塗装した槍を硫化水素のセンサーに使用していた場面が思い出されます。それと同じ反応ですね。温泉に入るときに金属類を身に着けていると、黒くなってしまうので金属類は外すことがおすすめされます。
硫黄泉の pH と H2S の酸解離の化学
上ではいったんさらりと流してしまいましたが、月岡温泉は “弱アルカリ性” です。具体的には pH 7.7 だそうです。ここで、硫黄分の主な成分の硫化水素 H2S の酸解離平衡について少し考えてみることにします。H2S の第一酸解離定数 pKa1 は 7 付近です。厳密には酸解離定数には温度依存性があり 20 °C で pKa1 = 6.98, 37 °C で pKa1 = 6.76 と知られています1。高温であるほど pKa1 が小さくなるのですね。実際の月岡源泉の温度は 48 °C 付近であり、H2S の酸解離定数はもう少しだけ低下している (= H2S はよりプロトンを放出しやすくなっている) かもしれませんが、とりあえずH2S の酸解離定数 pKa1 は 7 弱という認識でよいでしょう。一方、月岡温泉の pH は、7.7 程度 (月岡温泉 月岡 6 号井) であることを考えると、月岡温泉においてほとんどの H2S は脱プロトン化されて SH− として存在するとわかります。
さて。上で、「月岡温泉の総硫黄濃度は温泉分析表でみると2 位」と述べたのですが、月岡温泉の泉質が “弱アルカリ性”であることは、酸性の硫黄泉である万座温泉や草津温泉との違いを生みます。それは、上で考えたように硫化水素 H2S がいくらか脱プロトン化されて、硫化物イオン SH− になっていることです。逆に酸性の硫黄泉では硫化水素はほぼ H2S として溶けています。参考のために 20 ℃ および 37 ℃ において硫化水素が pH に依存してどの程度脱プロトン化の度合いが変わるかを以下に示します。

異なる pH の溶液中での H2S 水溶液中での H2S の割合. Hughes, M. N.; Centelles, M. N.; Moore, K. P. Making and Working with Hydrogen Sulfide. Free Radic. Biol. Med. 2009, 47 (10), 1346–1353. DOI: 10.1016/j.freeradbiomed.2009.09.018
遊離の (脱プロトン化されていない) 硫化水素 H2S は、あくまでも気体なので徐々に溶液中から揮発して抜けて行ってしまいます。特に前回の記事でもお話ししたようにアツアツの草津温泉 (源泉 50 ℃付近) では H2S は抜けやすいでしょう。また、万座温泉も実は源泉の温度は 75 ℃付近とかなり高く、硫化水素はさらに抜けやすいと考えられます。一方、アルカリ性によって脱プロトン化された HS− はもはや陰イオンなので揮発しません。このようなことから、アルカリ性の硫黄泉の方が、総硫黄濃度が安定していると考えられています 。実際にはアルカリ性であっても、わずかに存在する遊離の H2S が抜けるときに H2S を補うように左向きの反応が進行し、徐々に H2S が抜けてしまいます。したがって温泉分析にかけられた新鮮なお湯においては確かに月岡温泉の総硫黄濃度は万座温泉に劣るかもしれないが、実際の湯舟の総硫黄濃度は月岡温泉の方が高いのではないか、と考える勢力も存在します。
硫黄泉の pH と色の違いに対する考察
月岡温泉と草津温泉の対比として、色の違いも上げられます。月岡温泉はエメラルドグリーンであるのに対して、草津温泉は白く濁りがちです。この違いも pH の違いに由来するものだと考えられています。無機化学の学生として単純に推測するならば、「SH− がなんらかの遷移金属イオンに配位していて、錯形成しているのかな?」と考えてしまいます。しかし、実際には月岡温泉に含まれる主な陽イオンはナトリウム Na+ で、他には少量のマグネシウムイオン Mg2+, カルシウムイオン Ca2+, ストロンチウムイオン Sr2+, そしてアンモニウムイオン NH4+ だそうで、色を生みそうな遷移金属イオンは含まれていなそうでした。であれば、「ナノ粒子的なものが形成されていて、レイリー散乱的な現象によって緑色になっているのかな?」と考えることもできます。ネットで軽く調べてみたところ、アルカリ性の硫黄泉が緑色を呈する理由は「まだ科学的には完全に解明されていない」と書いているサイトがほとんどでした。が、粘ってみると、東邦大学から論文が出ているのを発見しました2。
高松信樹, 西岡光雄, 福島菜月, 桑原直子 “緑色温泉の呈色機構” 温泉科学 (J. Hot Spring Sci.) , 2010, 60, 119. http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol60_pdf/vol60no2_119_133.pdf
どうやら、「多硫化物イオン Sx2− が示す黄色と硫黄 S や炭酸カルシウムのコロイドによるレイリー散乱が示す青色が合わさって緑色になる」という説がかなり有力そうです。なるほど。レイリー散乱といえば光路に存在する微粒子の大きさが光の波長より十分小さいときにおこる散乱現象で、空が青色に見えることの説明としてよく聞く物理現象ですね。しかしレイリー散乱だけでは、緑色にはならないので、硫黄化合物のイオンが示す黄色が加わることで緑色になる、という説です。ちなみに多硫化物イオンSx2− は硫化水素イオン SH− の硫黄との反応などによって生じるそうで、中性とアルカリ性でのみ安定に存在するものと考えられます。
実際に入ってみた
pH と色について長々とお話ししましたが、やっぱり大事なのは温泉として入り心地でしょう。今回は、ひさご荘という旅館に泊まったので、そこの宿泊者用の温泉と共同浴場「美人の湯」のお風呂を楽しみました。月岡温泉の源泉は基本的に「月岡 x 号井」のように名前が付けられており、源泉の違いによる泉質の違いは草津温泉ほどはなかったように思います (多分)。

(左) 共同浴場「美人の湯」(右) 無料の足湯場「あしゆ湯足美 (ゆたび)」
湯ざわりは、弱アルカリ性 (pH 7.7)ということもあり、ややヌメヌメとしていました。酸性でピリピリした湯ざわりの草津温泉とは対照的でした。ちなみに以前に訪れた下呂温泉 (pH 9 程度) と比較すると、ヌメヌメ感は控えめだったとも思います。pH が温泉の湯ざわりに影響していることを身をもって体験することができました。においに関しては、前日に草津温泉の湯畑付近よりは弱いかな? と思いました。しかし月岡温泉お湯を手ですくって鼻に近づけてみると確かにそのにおいを感じ取ることができ、弱めの臭いは弱アルカリ性なので硫黄が抜けにくいことの証かな、と温泉に入っている最中は考えていました。しかしネットで見ると、「月岡温泉は浴場に入った瞬間しっかり硫黄臭がする」と書いているブログもあったので、もしかしたら日によって違うのか、連日硫黄系温泉を訪れていたので自分の鼻がバカになっていたかのどちらかです。比較的浴場が狭かった「美人の湯」では窓を常に開けて換気を促すように注意書きがあったため、やはり閉鎖系にしていると、そこそこ硫化水素が滞留してしまって危険なのだな、とも確認することができました。
湯加減もちょうどよく、長風呂心地よく浸かっていられる極楽でした。エメラルド色のお湯は視覚的にも楽しませてくれます。
お風呂から上がって気付いたのは、体のポカポカ感が異常に長続きするということです。お風呂から上がってかれこれ 2時間くらい体がポカポカしていた気がします。実は、このように体が温まることも月岡温泉の特徴の一つだそうです。というのも硫化水素が皮膚から吸収されると、末梢の血管を拡張する効果があり、体を温めてくれるからです3。
さらに、月岡温泉のもう一つの泉質として「塩化物泉」であることも温熱効果に寄与しているそうです。月岡温泉は多くの塩化物イオンを含み (対する主な陽イオンはナトリウム) で、温泉から上がった後に肌に残留したお湯が揮発する際に肌の上に塩 (えん) が膜を作り (厳密には汗腺をふさぎ)、体温の低下を防ぐのだそうです。このように硫化水素の血管拡張効果と塩の効果の相乗効果によって、月岡温泉は優れた温熱効果を示し湯冷めしにくいのだそうです。「体の芯から温まる」という表現を体感できる素晴らしい温熱効果でした。
月岡温泉の温泉街
月岡温泉の温泉街は、いくつかの観光地がちりばめられていて、街歩きしながら楽しむ感じでした。今回は、源泉の杜と新潟地酒 蔵にお邪魔しました。
源泉の杜では、源泉を飲めます。もちろん硫化水素入りの源泉です。これは化学者として毒見しないわけにはいかないと思い、さっそく試飲しました。口に入れた瞬間に硫化水素のにおいが鼻全体に広がり、飲み込んだ後もえぐみが残る後味で、最高にまずかったです。一日に飲んでいい量には限りがあるらしく、惜しくも1杯だけで満足することとしました。硫化水素は過剰量摂取すると毒ですが、毒もまた少量では薬です。硫黄泉を飲むと糖尿病や高コレステロール血症に効果があるそうです。月岡温泉に訪れた化学者の読者の皆さんには、毒見してほしいと思います。

源泉の杜の飲泉処. 自称日本一まずい温泉とあります.
新潟地酒 蔵では、新潟の地酒の試飲および購入ができます。私は試飲だけしました。600円で 100 種類ほどのお酒の中から 3 種をおちょこで楽しめます。やはりお米がおいしい場所の日本酒はおいしいですね。試した 3 種すべておいしかったです。味も微妙に違っていて、飲み比べの醍醐味を味わうことができました。日本酒の化学に関する記事も今後書いたみたいと思ったり思わなかったり。

日本酒の飲み比べができる新潟地酒 蔵の外観と内観.
総括
今回、2種類の硫黄泉を巡りましたが、月岡温泉は滑らかな湯ざわりと入りやすい湯加減で、アツアツのピリピリの草津温泉とは対照的でした。温泉街として比べてみると、草津温泉は日本一の自然湧出量を武器にたくさんの共同浴場や足湯があり、湯畑を中心にお店が密集していて平日でもたくさんの人が集まっていました。一方月岡温泉は、共同浴場や足湯の数は少ない (どちらも一つずつ) で、温泉街を歩く人の数は少なくて少し寂しい感じもしました (平日だったからかもしれませんが)。対照的な違いはありましたが、どちらの温泉も満足でお勧めできます。例えば次に月岡温泉に行くときは、複数日滞在して、昼はホテルで論文執筆缶詰状態、夜は温泉と新潟のおいしいご飯と海鮮料理と日本酒を楽しむ、みたいな合宿温泉旅もしてみたいとか思いました。一方、草津温泉は、温泉街そのものがエンターテイメントの場として成立しており、湯めぐりして源泉ごとの違いを楽しんだり、温泉玉子や温泉饅頭を食べ歩いてワイワイ楽しむことができるなと思いました。実際、草津温泉は友達やカップルのグループで来ている人が多いなと思いましたが、月岡温泉は一人旅で来ている人もちらほらいました。
というわけで、温泉の化学に思いを馳せながら、温泉旅行はいかがでしょうか。
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参考文献
- Hughes, M. N.; Centelles, M. N.; Moore, K. P. Making and Working with Hydrogen Sulfide. Free Radic. Biol. Med. 2009, 47 (10), 1346–1353. https://doi.org/10.1016/j.freeradbiomed.2009.09.018.
- 高松信樹, 西岡光雄, 福島菜月, 桑原直子 “緑色温泉の呈色機構” 温泉科学 (J. Hot Spring Sci.) , 2010, 60, 119. http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol60_pdf/vol60no2_119_133.pdf
- 硫黄泉 (温泉検索ドットコム)
- 塩化物泉 (温泉検索ドットコム)