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【温泉を化学する】下呂温泉博物館に行ってきた

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研究に忙殺される日々から離脱して、何も考えずにボーっと温泉に浸かることは至福の時間でしょう。でも、化学者だったらボーっと温泉に浸かってんじゃねーよ! 一口に温泉といっても、化学的に分析してみれば pH, 含有成分, その濃度などはさまざまで、たくさんの化学が隠れています。本記事では、岐阜県下呂市にある下呂温泉博物館をレビューしながら温泉の化学について深堀したいと思います。

はじめに

2023 年の年末に、年内の疲れを癒し次の年への英気を養うために、岐阜県は下呂温泉へ旅行してきました。その下呂温泉の温泉街で、温泉博物館なる小さな博物館を発見したので興味本位で寄ってみたところ、化学者の心をくすぐる興味深い展示が目白押しだったので、お話ししたいと思います。

(左) JR 下呂駅の出口にある歓迎の看板. (右) 下呂温泉博物館の入場チケット. 入場料は大人 400 円 (足湯込み).

下呂温泉博物館とは?

温泉を科学的見地から 、温泉の湧き出すしくみや、泉質、効能などを紹介し、また、歴史から見た温泉や温泉の発見伝説、江戸末期から明治の温泉番付など興味深い資料を温泉の文化として紹介しています。
そのほかにも、実際に温泉の塩分やpHを調べたりできる体験コーナーや温泉にかかわる書籍などもそろえ (中略) ています。(下呂温泉博物館ホームページより抜粋)

上の紹介文にあるとおり、下呂温泉博物館は温泉について文化的見地および科学的見地から展示した施設です。上の抜粋の中で、化学者の心をくすぐるであろうポイントは「温泉のしくみや、泉質、効能などを紹介」という部分と「温泉の塩分やpHを調べたりできる体験コーナー」という部分です。ひとたび温泉を “無機鉱物や天然ガスの水溶液” として捉えれば、そこはまさに化学の宝庫です。温泉博物館へ訪れれば、温泉に浸かることは身を挺した化学実験であるという考えが芽生え、毒を喰らって喜ぶ猫猫も顔負けのマッドサイエンティストに仲間入りできるでしょう。というわけで、下呂温泉博物館の展示について触れながら、温泉の化学について一緒に学んでいきましょう。

そもそも温泉の定義は?

温泉とは、地中から湧出する水や天然ガスのうち、温度が 25 °C 以上であるか、一定濃度以上のミネラルや天然ガスを含んだものと定義されています。つまり、極端な話冷水でも、それなりにミネラルなどを含んでいる湧き水なら温泉になりますし、純水でも温かい湧き水であれば温泉となります。面白いのは、液体でなくても天然ガス (蒸気?) でも温泉になるということですね。

さて、気になるのは 温泉にはどういった成分が含まれる可能性があるかということ。下の表は、温泉と判断されるのに必要な溶質と濃度です。次のうち一つでも満たして入れば温泉と呼ばれます。

物質名 含有量 (1 kg 中)
溶存物質 (ガス性のものを除く) 総量 1000 mg 以上
遊離炭酸, 遊離二酸化炭素 CO2 250 mg 以上
リチウムイオン Li+ 1 mg 以上
ストロンチウムイオン Sr2+ 10 mg 以上
バリウムイオン Ba2+ 5 mg 以上
総鉄イオンFe2+, Fe3+ 10 mg 以上
マンガン(II) イオン Mn2+ 10 mg 以上
水素イオン H+ 1 mg 以上
臭化物イオン Br 5 mg 以上
ヨウ化物イオンI 1 mg 以上
フッ化物イオン F 2 mg 以上
ヒ酸水素イオン AsO4H 1.3 mg 以上
メタ亜ヒ酸 HAsO2 1 mg 以上
総硫黄 (HS, S2O32-, H2S の硫黄分の重量) 1 mg 以上
メタホウ酸 HBO2 5 mg 以上
メタケイ酸 H2SiO3 50 mg 以上
炭酸水素ナトリウム, 重曹 NaHCO3 340 mg 以上
ラドン Rn 2 ナノキュリー以上
ラジウム塩 (Raとして) 10 pg 以上 (10-8 mg 以上)

出典:温泉法, 温泉の定義 (環境省), ただしいくつかの物質名は化学者にとって馴染み深い名称に変更しています

以上の項目のうち一つ、あるいは温度が25℃以上の条件を満たしていれば温泉ということになるわけですから、温泉と一口に言っても溶存物質によって pH、色、におい、肌触り、 味 (!?) など様々な特徴があるわけです。例えば pH と肌触りの関係は化学者ならば容易に想像できるでしょう。酸性の温泉はピリピリしますし、塩基性の温泉 (例えば炭酸水素ナトリウムが多い) ならばヌルヌルとした肌触りになります。普段実験をするときは薬品を扱う際に安全手袋をつけるのが鉄則ですが、温泉であれば合法的に素肌を “化学薬品” に浸すことができ、文字通り化学物質を肌で感じることができるわけです。それぞれの温泉の溶存物質は、温泉分析書なる張り紙に記載されています。その分析書をまじまじと見る人はあまりいないかもしれませんが、これを機に次に温泉に入る際は目を通してみてほしいと思います。

宿泊先の下呂温泉 睦館の温泉分析書.

ちなみに温泉分析書に書かれている溶存イオンの濃度の単位であるバル (val) は、溶液1 kg 中のイオンの物質量 mol にイオンの電荷をかけたものようなものです (ミリバル mval はその 1/1000)。化学者的には、それぞれのイオン成分の mol での組成で考えたくなるので、温泉の成分を考察するには質量濃度よりもバルの方が便利な単位です。理論的には、陽イオンの総濃度ミリバルと陰イオンの総濃度ミリバルは電荷のつり合いで等しいはずですが、少し異なるときもあります。そのような場合は、測定上の誤差か、未測定のイオンがあると考えられます。

温泉分析書を読み解く: 下呂温泉を例に

せっかくなので上の下呂温泉の分析書から少し考察してみましょう。「二、泉質」と書かれた欄にはアルカリ性単純温泉と分類が書かれており (後述)、pH は9.4 であり, 塩基性の温泉のなかでも比較的塩基性が高いことがわかります (pH = 8.5 で塩基性温泉に分類されます)。実際、下呂温泉はそのヌルヌルした肌さわりで有名で, 肌の角質を落とすことで入浴後は肌がすべすべになると知られています 。「三、泉温」の欄からは、源泉は 56 ℃とあるので、温泉の定義のうち 「25 ℃以上」の条件を満たしていることがわかります。お風呂の温度は、42℃に設定されているようです。

「四、温泉の成分」を見てみましょう。陽イオンはアルカリ金属のイオンとアルカリ土類金属イオンのみで、しかもほとんどがナトリウムですね。陰イオンもメインは塩化物イオンです。遷移金属や、硫黄成分などはほとんど含まれておらず、「なんだほとんどただの食塩水じゃねぇか」と突っ込みたくなってしまいます。しかしミリバル濃度に着目すれば、ナトリウムの正電荷のうち塩化物イオンで釣り合っているのは、約半分だけであることがわかります。そしてよく見るとフッ化物イオン炭酸水素イオン+炭酸イオンがそれなりに含まれているようです。その炭酸イオンが温泉を塩基性にしているわけです。また下呂温泉のフッ化物の濃度 (17.0 mg/kg) は、温泉の条件 (1 mg/kg) を大きく越しているため、これは比較的フッ化物濃度が高い温泉であることも見て取れます。フッ素が泉質に与える影響は、調べてもなかなか見つからなかったのですが、フッ化ナトリウムが無色無臭で水によく溶ける塩であることを踏まえると、フッ化物イオンはとくに癖がない溶質であると推測できます。

左から7列目の成分合計の欄を見ると 353.9 mg/kg とあり、この温泉はあまり多くの物質を溶かしていない部類に含まれます (溶存物質 1000 mg/kg で温泉の条件の一つだったことを思い出しましょう)。総じてみると、下呂温泉は比較的ありふれたミネラルを低濃度に含んだ単純な温泉で、癖がないといえます。しかし、塩基性の炭酸水素イオンおよび炭酸イオンの影響で pH は高く (塩基性) ヌルヌルとした単純アルカリ性温泉であるわけです。

温泉の種類

さて、下呂温泉は単純アルカリ性温泉なわけですが、溶存物質によって温泉は 10 種類に分類されており、それぞれ以下のような特徴をもっています。ただし一つの温泉地でも複数の泉質の温泉が湧出していたり、一つの湧出地の温泉が複数の泉質の基準を満たしている場合もあります。同じ温泉地であっても複数の種類の温泉を楽しんだりできる可能性もあり、詳しくはそれぞれの温泉のホームページで調べてみてください。

分類 基準 特徴
単純温泉 溶存物質が 1000 mg/kg 以下で、湧出時の温度が 25 ℃以上

pH が8.5 以上であればアルカリ性単純温泉と呼ばれる

  • 無色透明
  • 基本的には無味無臭
  • 肌触りがなめらかでしっとり
  • 肌への刺激が少ない
  • アルカリ性のものはすべすべする
塩化物温泉 溶存物質が 1000 mg/kg 以上で, 陰イオンの主成分が塩化物である
  • 基本的には無色透明
  • 陽イオンにNa, K が多い場合, なめると塩辛い
  • 陽イオンにMgが多い場合, 苦い
  • 塩分濃度が高くなるほどべたつく
炭酸水素塩温泉 溶存物質が 1000 mg/kg 以上で, 陰イオンの主成分が炭酸水素イオンである
  • 基本的には無色透明
  • Ca を含む場合、石灰華とよばれる炭酸カルシウムを主成分とする白色の沈殿物が生成されることがある
  • アルカリ性であることが多い
  • Ca や Mg 系の場合苦い
  • Na 系の場合は薬味がある
  • 美肌の湯と呼ばれる

 

硫酸塩泉 溶存物質が 1000 mg/kg 以上で, 陰イオンの主成分が硫酸イオンである
  • Ca を含む場合, 焦げたようなにおいがする. Na や Mg を主とする場合、無臭
  • 基本的には無色だが、時間がたつと緑褐色になる場合もある
  • 苦くて渋いサビのような味
二酸化炭素泉 遊離二酸化炭素が 1000 mg/kg 以上含まれている
  • 入浴すると炭酸の泡が肌に付着して爽快感がある
  • 加熱すると炭酸が抜けるため比較的低温なものが多い
  • 炭酸ガスが皮膚から吸収されると, 体は体内の酸素が足りないと誤認するため酸素の供給を促進しようと血液循環がよくなる
含鉄泉 総鉄イオン (FeII および FeIII)が 20 mg/kg 以上含まれている
  • 湧出直後は無色かもしれないが、空気に触れると FeII がFeIII に酸化されて赤褐色になる
  • 陰イオンに硫酸イオンを含む場合, 強酸性である場合があり, 比較的肌への刺激が強い
  • 陰イオンに塩化物を主として含む場合, ベタベタした肌触り
  • 適量を正しく飲むと貧血の改善によいとされている (飲む場合は FeIIが酸化される前の無色透明なものがよい)

 

酸性泉 水素イオンが 1 mg/kg 以上含まれている (つまり pH ≤ 3)
  • ピリピリと刺激的
  • 刺激臭
  • 酸味がある (胃を傷つけるので飲まない方がよい)
  • 殺菌性が高いた肌表面のトラブルに効く。別名「皮膚病の湯」
  • 白濁や灰色
含よう素温泉 ヨウ化物イオンが 10 mg/kg 以上
  • ヨウ化物イオンはイソジンのようなうがい薬の成分
  • 茶褐色
  • ヨード液のような味と匂い
  • Na 系の塩化物泉と結びついている場合が多く、その場合はべたついた肌触り
  • 炭酸水素イオンを多く含む場合さらさら
硫黄泉 総硫黄 (HS , S2O32-, H2S の硫黄分の重量) が 2 mg/kg 以上

硫黄型 (SH– と S2O32- の合計の物質量 mol がH2S を上回る)と 硫化水素型 (H2S の物質量が SH– と S2O32- の合計を上回る) に分かれる

  • 硫黄型では中性からアルカリ性で、硫化水素型では酸性である場合が多い
  • 硫黄型は無色透明かエメラルドグリーンで、硫化水素型は白濁している場合が多い
  • 硫黄型は硫黄臭がして、硫化水素型は腐った卵のにおい (硫化水素のにおい)
  • 苦い
 

放射線温泉 ラドンが 30 x 10-10 キュリー/kg 以上 (3 ナノキュリー/kg 以上)
  • 基本的には無色透明
  • 基本的には無味無臭
  • 基本的にはさらさらした肌さわり
  • 放射線量は医療用レントゲンよりもずっと少なく、この程度の放射線は人体によい影響を与えると考えられている
  • 入浴する、飲む以外にもラドンガスを吸うことでも温泉の効用を受けられる

下呂温泉博物館の展示

下呂温泉の温泉博物館では、日本全国から温泉の水を採取して展示しており、体験コーナーへ行けば温泉ごとの色の違いを楽しむことができます。さらに pH 試験紙を使って温泉の pH を調べたり塩分濃度を測ったりすることもでき、温泉の品質が実にさまざまであることを体験できます。ただしにおいを嗅いでみたところ、すべて無臭でした。どうやらにおいの成分は採取してから数日すると揮発してしまうようです。つまり温泉のにおいを楽しむには実際に現地に足を運んでみるしかないようです。

温泉の塩分濃度を測定する体験コーナー. 日本三名泉の一つで、日本でもっとも塩分濃度が高いとされる兵庫県有馬温泉の濃度を測っているところ. 有馬温泉の塩分濃度は海水よりも高いそう. なお有馬温泉の赤褐色は FeIII によるもの. 

温泉の pH を測る体験コーナー. 玉川温泉と深大寺温泉の pH を調べました. 玉川温泉は酸性で深大寺温泉はアルカリ性でした. ちなみに玉川温泉は pH 1.2 の強酸性で, 日本一の酸性泉ともよばれているそうです.

温泉水を振ってみる体験コーナー.  沈殿物があるかどうかなどを調べられます. 

様々な温泉を泉質ごとに分類して展示していました. 上の緑色は国見温泉, 左下の赤褐色は有馬温泉, 右下の透明は玉川温泉. 

温泉水の展示のほかにも、熱水鉱物 (地下の高圧による沸点上昇よって100℃以上でも液体として存在する水が岩石中から金属イオンを溶かし、そして地上に近づくにつれてその温度が下がったときに析出した鉱物) や温泉の沈殿物も展示されています。

感想

小さな博物館でしたが、すべての展示をじっくり見た結果1時間程度は楽しむことができました。全国各地の温泉を採取して見比べたりできることが面白かったです。

いかがだったでしょうか。「温泉くらい何も考えずに浸かりたいものだ」という人もいるかもしれません。しかし、温泉の化学に思いをはせながらを全身で感じることができるのも化学者の特権です。次に温泉へ訪れる際には、温泉の成分にも注目しながら、その効能を全身で享受してはいかがでしょうか。

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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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