自然科学系書籍の老舗・裳華房さんより 2021年3月に刊行された「有機スペクトル解析入門」を紹介します。
有機化学におけるスペクトル解析の解説書としては、Silverstein の「有機化合物のスペクトルによる同定法」が最も有名な良書かと思いますが、学部生や M1 くらいの院生が読みこなすにはややハイレベルな気もします。そもそも分析機器は実際に使ってみないとその実質が分かりません。本書「有機スペクトル解析入門」は、そんな分析機器を使い始めたばかりの卒論生・院生にピッタリの入門書です。
有機スペクトル解析入門
東京大学名誉教授・城西大学名誉教授 理学博士 小林啓二・
神奈川大学教授 博士(工学) 木原伸浩 共著B5判/240頁/2色刷/定価3740円(本体3400円+税10%)/2021年3月発行
ISBN 978-4-7853-3426-0 C3043有機化学分野で広く利用される、UV-vis、IR、1H-NMR、13C-NMRの各スペクトルおよびマススペクトルについて解説した。これらの各スペクトルから得られる情報を統合し、構造決定できる能力を養える。
単なるスペクトルの解釈にとどまることなく、豊富な図を用いてその物理的背景から懇切丁寧にわかりやすく解説しているので、構造解析に行き詰まったときに自ら打開する力が身につくであろう。また、最終章の総合問題は、実践的な演習ができるだけでなく、豊富な解説が付されているため、「手引書」としても活用できる。初学者が有機スペクトル解析を学ぶためにきわめて適した入門書である。
本書の構成
本書は全 14 章から構成されており、スペクトル分析の基礎、紫外可視吸光スペクトル、IR スペクトル、NMR スペクトル、MS スペクトル、スペクトルによる構造決定をそれぞれ 1~数章に分けて解説しています。中でも NMR スペクトルについては 6章分を割いて詳細に解説されてあり、本書のメイン = 有機スペクトル解析におけるメインであることを物語っています。
各章末には演習問題が掲載されており、さらに 第14 章では各種測定法を組み合わせた構造決定の問題が多数用意されています。
1. スペクトル分析の基礎
2. 紫外-可視スペクトルと電子遷移
3. 紫外-可視スペクトルの解釈
4. 赤外スペクトルと分子振動
5. 赤外スペクトルと特性吸収
6. 核磁気共鳴スペクトルの基礎
7. パルスFT- NMR
8. 化学シフト
9. スピン-スピン結合
10.1H-NMR測定法の広がり
11.13C-NMR
12.マススペクトルと気相イオン
13.マススペクトルの解釈
14.スペクトルによる構造決定
第 1 章 スペクトル分析の基礎
第 1 章では、分光分析の基本となる「光 (電磁波)」の性質について解説されています。電磁波の種類、分光の原理などをしっかりとおさらいしましょう。
第 2~3 章 紫外可視スペクトル
第 2~3 章は紫外可視 (UV-Vis) 吸収スペクトルについての解説です。UV-Vis の測定自体は簡単に行えますが、そこから得られる情報は実に幅広く、特に構造有機化学や材料化学、蛍光分子の開発などでは現在でも非常にお世話になる分光法です。本書では電荷移動錯体や pH に応答した吸収変化のメカニズムについても触れられており、UV-Vis を駆使した研究を始めようとしている方に対してとっつき易く纏められています。
第 4~5 章 IRスペクトル
第 4~5 章は赤外線 (IR) 吸収スペクトルについての解説です。ここぞという時に活躍するのがこの分光法です。ヒドロキシ基・カルボニル基・シアノ基の確認はもちろんのこと、近年ではクリックケミストリーの発展により有機アジドが多用されるようになっており、アジド基の確認にも IR が力を発揮します。
第 4 章では IR スペクトルの原理と測定法について纏められています。惜しむらくは、近年の主流な測定法である ATR 法についての解説がもう少し欲しかったというところです。その他の部分は一通り網羅されています。
第 5 章 は官能基と波数の関係を解説しています。学部時代の分析の授業では、ヒドロキシ基は 3400 nm–1、カルボニル基は 1700 cm–1 と暗記で覚えてしまった方も多いでしょうが、本書では官能基ごとではなく、高波数から低波数に向かって波数別に、なぜその官能基がその波数に吸収を示すかについてしっかりと述べられています。また、カルボニル基については別個で纏められており、細かな違いをしっかり理解することができます。
第 6~11 章 NMRスペクトル
NMR スペクトルについては 6 章分をかけて解説されています。有機分析化学における最重要手法なので、大部分を割くのは必然ですね。
本書では NMR の原理・装置の解説から、1H-NMR・13C-NMR測定の実際まで、導入としては充分すぎるほどしっかり記述されています。1H-NMR については NOE (核オーバーハウザー効果) や HH-COSY のような二次元 NMR に至るまで触れられており、本書を一読すれば重要なポイントを掴むことができるでしょう。一方で 13C-NMR やそれを応用した二次元 NMR、また多核 NMR についてはさわり程度にしか記述されていないので、高度な測定を行いたいかたは本書でしっかりと学習したうえでさらなる専門書にチャレンジすると良いかと思います。
NMR を日常的に扱っている院生以上の方は、ケミカルシフトやカップリングなどに関しては測定しているうちに読みこなせるようになってくるかと思います。むしろ院生以上の研究者が学ぶべきは NMR の原理かと感じます。NMR に限らず機器の扱いにはその原理を理解し、与えられたスペクトルがなぜそのようになるのかを後輩たちに教える必要があると思います。本書を一読しておけば、その辺りはおおよそカバーすることができ、いざ鋭い後輩から「素人質問」が飛んできた時にもカッコよく対応できるはずです。NMR だけに特化した入門書を読むよりはコスパに優れているかも?
第 12~13 章 MS スペクトル
本書の最後に登場する分析法は MS スペクトルです。MS は分光分析法ではありませんが、有機化学において現代では NMR の次に汎用される分析法であり、新規化合物を合成した場合は原著論文の実験項にも必ず記述が求められます (元素分析の代わりとして認められています)。本書では MS について、低分子化合物の分析に必要となる基本的な情報が掲載されています。代表的なイオン化法やフラグメンテーション、McLafferty 転位など、学部生レベル (または薬剤師国家試験レベル) で学ぶべき項目は網羅されています。
第 14 章 スペクトルによる構造決定
これまでに出てきた測定方法を組み合わせて解く演習問題です。なかなか歯応えがありました。
感想
化学系教員の私としては、卒論生・院生へ分析化学のイロハを教えるためにぜひ活用したい教科書であると感じました。平素な記述ながらしっかりと重要なポイントを抑えており、表やコラムなども充実しています。価格も手頃であり、学生にも手が出しやすいでしょう。測定法の実際もさることながら、機器や原理の解説がとても丁寧で優れており、実際の測定時に本書を読みながら学ぶことで、理解を深めることができると思います。本書のまえがきでも述べられていますが、実践的なスペクトル解析の「手引書」として、測定室に一冊常備しておいても良いと感じます。ベテランの有機化学者には少し物足りない気がするかと思いきや、意外に取りこぼしていたところや忘れていた重要な事項を思い出すのに役立ちます。入門書として、手引書として、読み物として、さまざまな観点から長くお供になる一冊だと思います。
なお、内容の見本は公式サイトから閲覧できますのでぜひ購入の参考にどうぞ。
関連項目 (裳華房の書籍紹介)