第637回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院薬学系研究科・天然物合成化学教室(井上将行教授主宰)博士課程後期2年の田口 淳一 さんにお願いしました。
井上研究室では、テルペノイドやペプチドをはじめとする高機能天然物の全合成の高度一般化のための反応・合成法・戦略の開発に取り組んでいます。さらに、自由自在に三次元構造を操れる有機合成化学を武器に、天然物よりも優れた生物活性を示す人工化合物、また、天然物が持たない化学的性質を付与した新機能分子の創出を目指しています。これまでもたびたび本コーナーに登場いただいております(第161, 466, 479, 601回)。
今回ご紹介するのは、複雑ジテルペノイドであるユーフォルビアロイドAの全合成に関する研究です。ユーフォルビアロイドAは、11連続不斉中心を有する4環性高酸化度炭素骨格の片側に4種類のエステルが密集した複雑な化学構造を有します。これまで、ユーフォルビアロイドAおよびその類縁天然物の全合成は報告されていませんでした。今回、井上研究室が蓄積してきた過去の知見を発展的に深化させた独創的な合成戦略によって、ユーフォルビアロイドAの初の全合成を報告されました。本成果はJ. Am. Chem. Soc. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Total Synthesis of Euphorbialoid A”
Taguchi, J.; Fukaya, S.; Fujino, H.; Inoue, M. J. Am. Chem. Soc. 2024, 146, 34221–34230. DOI: 10.1021/jacs.4c14520
研究を直接指導された藤野遥 特任助教から、田口さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
田口君は、「迷ったら困難な道を選べ」の格言を体現する、挑戦精神に富んだ努力家です。ユーフォルビアロイドAの全合成研究を展開するうえでは、エステルが密集した化合物特有の反応性に何度も苦しめられ、ある官能基の構築・変換に成功すれば別の官能基が望みの反応性を示さなくなるという一進一退の繰り返しでした。田口君は、ぶつかる壁が高ければ高いほど燃える性格であり、日々の研究に熱意を持って取り組んでいました。持ち前の高精度の実験技術、鋭い観察眼および深い洞察力を最大限に発揮し、成功の些細な兆候を掴む努力を怠りませんでした。ユーフォルビアロイドAの世界初の全合成を成し遂げた何よりの原動力である、田口君の並外れた努力と情熱に敬意を表します。
現在博士2年次である田口君は、今回のプロジェクトを通じて磨きをかけた有機合成力と論理的思考力を活かせる、より発展的なプロジェクトに取り組み始めました。「どんなに挑戦的な合成であっても、彼であればたちどころにフラスコの中で実現してくれるだろう」と周囲に期待を抱かせてくれる、非常に頼もしい人物です。田口君のますますの活躍を、心より楽しみにしています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
ユーフォルビアロイドAは、トウダイグサ科の植物から単離され、抗炎症作用を示すテルペン系天然物です。本天然物は5/7/6/3員環(ABCD環)が高度に縮環した炭素骨格上に、11個の連続する不斉炭素と7個の酸素官能基が密集した化学構造を有します。さらに、4環性炭素骨格の一方の側に集中した4個のヒドロキシ基がそれぞれ異なるアシル基で修飾されています。ユーフォルビアロイドAの生物活性の発現に寄与するこれらの特徴的な化学構造要素の全てが、本天然物の化学構造複雑性と化学合成挑戦性を格段に高めています。これまで、ユーフォルビアロイドAおよびその類縁天然物の全合成は達成されていませんでした。
我々は、「①高度に酸素官能基化された4環性炭素骨格の構築」を完了した後、「②A環官能基化と、炭素骨格上に密集したヒドロキシ基のアシル化」を行う2段階より構成される合成戦略によって、ユーフォルビアロイドAの世界初の全合成を達成しました。具体的にはまず、当研究室で開発した「Pt添加TiO2触媒を用いたラジカルカップリング反応1)」、「Pd触媒を用いた脱炭酸型アリル化反応」、「Co試薬を用いたPauson–Khand反応」の3つの強力な炭素―炭素結合形成反応を組み合わせることで、高度に酸素官能基化された4環性炭素骨格の構築を完了しました。続いて、保護基を含めた4環性炭素骨格の三次元構造を利用することで、A環の立体選択的な官能基化とアシル基の位置選択的な導入を行い、ユーフォルビアロイドAを全合成しました。
本新規合成戦略は、ユーフォルビアロイドAにとどまらず、多様な炭素骨格・アシル化様式を有する他の多くの複雑天然物の全合成へと応用可能であり、精密有機合成化学・天然物化学のさらなる発展へとつながることが期待されます。
1) Kuwana, D.; Komori, Y.; Nagatomo, M.; Inoue, M. J. Org. Chem. 2022, 87, 730.
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
「Co試薬を用いたPauson–Khand反応」に特に思い入れがあります。我々は本反応により5/7員環(AB環)を一挙に構築することで合成の効率化を図りましたが、エントロピー的に環化が不利とされる7員環をPauson–Khand反応により形成した例はほとんど知られていませんでした。そこで、酸化度を落としたモデル化合物による検討から着手したところ、わずか2,3週間ほどで条件最適化を完了できました。この条件を満を持してBC環上の全ての酸素官能基を備えた5に適用しましたが、モデル化合物のときとは対照的に環化生成物6は得られませんでした。反応性が異なる要因を考察するために、分子模型を用いて反応点であるアルキン部位とオレフィン部位を接近させようとしたところ、C5,C17位酸素官能基の間に立体反発が生じることに気づきました。それならば、C5,C17位ヒドロキシ基を環状保護基であるカルボナートで架橋することで環化に有利な配座Bへと固定すればよいのではないかと着想しました。早速検討してみたところ、狙い通り環化反応が円滑に進行しました。さらなる追加実験により、カルボナート構造は環化反応を促進しているのみならず、新たに生じるC4位立体化学の選択性の制御という点においても重要な役割を果たしていることが明らかになりました。この経験を通じて、酸素官能基が少し増えるだけで分子変換の難度が一段と高くなるという全合成研究特有の「怖さ」を、身をもって理解しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本合成の肝である4種類のアシル基の位置選択的な導入です。この際、各ヒドロキシ基の反応性を予測したうえで、アシル化する順序を論理的に定める必要があります。合成序盤に導入したC7位ヒドロキシ基はベンジル基によって保護することで化学的に区別可能にしたため、残るC3, C5, C17位ヒドロキシ基のアシル化順序が課題となりました。私は、立体的に最も空いたC17位第1級ヒドロキシ基、分子外側であるA環上に位置するC3位第2級ヒドロキシ基、そして分子中央部のC5位第2級ヒドロキシ基の順に反応性が低下すると予想し、この順序で対応するアシル基を導入することとしました。この仮説自体は正しく、C17, C3位のヒドロキシ基にはそれぞれニコチノイル基(赤)とプロピオニル基(緑)を位置選択的に導入できました。しかし、最後に残ったC5位ヒドロキシ基へのベンゾイル基(黄)の導入は、どうしても実現できませんでした。代わりに、塩基性条件下、近傍に存在するC3位プロピオニル基(緑)およびC17位ニコチノイル基(赤)がC5位ヒドロキシ基に1,3-転位した複数の生成物が得られました。そこで「これほどにもアシル基が転位する副反応が容易に起こるのであれば、むしろこの性質を積極的に活用した方がよいのではないか」と視点を変えることにしました。C3位ヒドロキシ基に導入したベンゾイル基(黄)をDBUにより1,3-転位させる条件を見出すことで、C5位ヒドロキシ基のベンゾイル化を収率良く実現し、事態を打開することができました。私が「望まない」と思い込んでいた反応に問題解決のヒントが隠されていたという経験を通じて、改めて丁寧な解析を基盤とする柔軟な発想の大切さを実感しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
卒業後は、製薬企業で創薬研究に従事する予定です。井上研究室での全合成研究の過程で培った確固たる有機合成化学の能力を基盤に、新薬の開発に貢献したいと考えています。まずは、残りの井上研究室での研究生活を存分に楽しみながら、全身全霊で全合成研究に取り組んでいく所存です。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本稿を読んでくださりありがとうございました。4年半前に井上研究室の門を私が初めて叩いた日、井上将行教授が「未だ誰も全合成したことが無い」と言葉を添えて本プロジェクトをご紹介くださり、当時の私はその言葉に心が躍りました。また、研究のイロハも知らない学部生の私に、「新規化合物である、CD環エノン2の合成から着手しよう」と本プロジェクトを託してくださいました。しかし、研究室の皆様から幾多のご助言を頂いても、一見単純に思えた2の合成に自分では全く歯が立ちませんでした。結局、直接ご指導いただいた藤野遥特任助教が私の目の前でいとも簡単に2を合成してくださり、歯がゆさを感じたことを今でも覚えています。一方で自分なりに悪戦苦闘する過程で、問題解決のためには綿密な実験観察と解析の積み重ねが不可欠であると学ぶことができたのは、大きな財産でした。その時から私は、目の前のフラスコの中で何が起きているのか、できる限り多くの情報を得るように心がけました。鍵ラジカル反応のもう一方の基質であるカルボン酸1の合成が途中で行き詰まった際に、「濃度を変える」という本当に小さな条件変更ではあったものの、学部生だった私が自分の発想で初めて問題を解決することができた喜びは今でも鮮明に覚えています。小さな一歩ですが、当時の私にとっては本当に大きな一歩であり、原体験となっています。その後、想定外の困難に次々と直面しましたが、化合物のことを「知ろう」とする努力は怠らなかったと自負できます。その結果、ユーフォルビアロイドAの全合成を達成することができました。これまでの努力が報われた瞬間は、言葉では言い表せないほどの充実感に包まれました。そして、より一層全合成の魅力の虜になりました。
結びにあたり、本研究の遂行を通じて温かいご指導と励ましのお言葉を常に下さりました井上先生に感謝申し上げます。また、いかなる時でも研究に関する相談に時間を割いて下さり、ご助言を賜りました藤野さんに厚く御礼申し上げます。さらに、幾度となく議論を重ね、共に現在の合成経路を完成させた共同研究者の深谷慎太郎君に御礼申し上げます。併せて、井上研究室の皆様に御礼申し上げます。最後に、このような貴重な機会を賜りましたChem-Stationのスタッフの皆様に深謝致します。
研究者の略歴
名前:田口 淳一 (たぐち じゅんいち)
所属:東京大学・大学院薬学系研究科・天然物合成化学教室 (主宰:井上将行教授)
研究テーマ:ユーフォルビアロイドAの全合成
略歴:
2021年3月 東京大学薬学部卒業
2022年4月- 東京大学生命科学技術国際卓越大学院プログラム (WINGS-LST)
2023年3月 東京大学大学院薬学系研究科薬科学専攻 修士課程修了 (指導教員:井上将行教授)
2024年4月- 日本学術振興会特別研究員(DC2)
関連リンク
- 井上研究室ホームページ: INOUE RESEARCH GROUP
- 原著論文: Total Synthesis of Euphorbialoid A | Journal of the American Chemical Society
- 東大プレスリリース: ユーフォルビアロイドAの全合成 | 東京大学