第627回のスポットライトリサーチは、北海道大有機化学第一研究室(鈴木孝紀教授、石垣侑祐准教授)で行われた成果で、川口 聡貴(かわぐちそうき)さん、島尻 拓哉(しまじりたくや)さんにお願いしました! なお、島尻さんは現在は東京大学楊井研究室で特任助教をされています。
鈴木研究室では、世界一長い炭素-炭素単結合の追求、応答性分子を利用した分子スイッチの研究まで、構造有機化学の観点から幅広く研究を推進されております。
今回ご紹介いただけるのは、誰もが有機化学で最初に学ぶ“共有結合”の概念を拡張する、化学にとって極めて根源的な成果です。共有結合、と言えばお互いの原子が電子を出し合うことで、二電子を共有するものだという常識を化学者は誰もが持っていると思います。石垣先生のグループは、最長の炭素-炭素単結合の追求される過程で、この常識に一石を投じ化学の歴史に新たな一ページを刻む成果をもたらされました。文句なくNature誌に原著論文として採択された、大注目の成果です! 日本時間2024年9月26日(本日!)公開されました。もちろんプレスリリースもされています!
“Direct evidence for a carbon–carbon one-electron σ-bond”,
Takuya Shimajiri*, Soki Kawaguchi, Takanori Suzuki, and Yusuke Ishigaki*, Nature 2024, online published. DOI: 10.1038/s41586-024-07965-1
研究を主導された石垣侑祐准教授から、お二人へのメッセージをいただいています。まずは島尻さんへのコメントです!
思い出話のようになりますが、島尻くんとの研究は私が助教として鈴木研究室に着任した2016年1月からスタートしました。初めての学生かつ企業を経てアカデミアの研究者としてブランクもあった中、島尻くんの研究者としての成長に引っ張られながら共に成長してきたんだなとしみじみ思います。記事の中にもある「試してみる」ということの大切さは、彼の最初の成果である長い結合にもよく関連していて、ターゲット分子がなかなか得られない中、HPLCで7.8 mgをどうにか分離して、その単結晶X線構造解析を行ったのがすべての始まりでした。鈴木先生が日本化学会学術賞を受賞された際に、「ワンス・イン・ア・ライフタイムな化合物」という記事を書かれていましたが、私と島尻くんにとって現時点では間違いなくこの分子がそれにあたると思います。この4月から楊井先生のところで新しい研究をスタートさせたわけですが、次の舞台でもそのような化合物を掴み取り、新しい化学を切り拓くことを願っています。
続けて、川口さんへのコメントはこちらです!
川口君とは3年半ほど前から一緒に研究を始めていますが、高校生の頃から構造有機化学にどっぷり漬かっていただけあり、研究者としてすでに十分すぎるほどの素養を備えています。学会等でも学部4年の現時点で数多くの賞を受賞しており、今後が楽しみな逸材です。島尻君と川口君の名コンビのおかげで今回のようにトップジャーナルに発表できたことを非常にうれしく思うとともに、今後のさらなる活躍を確信しています!
ちなみに余談ではありますが、今回の論文のウェブ公開日は川口君の誕生日、冊子体の発刊は私の誕生日ということで運命的なものを感じています(非科学的ではありますが)。二人とも、本当におめでとう!
それでは、島尻さん、川口さんのインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では、炭素が一電子だけで共有結合を形成出来ることを実験的に明らかにしました。
炭素は有機化合物の必須元素であり、炭素原子間の共有結合は医薬品やタンパク質のような有機化合物の骨格を構築する極めて重要な概念です。共有結合は通常、二つの原子が互いに価電子を出し合い、共有することで形成されます。単結合、二重結合、三重結合は広く受け入れられてきた概念かと思います。一方で、化学結合に関する研究でノーベル賞を受賞したポーリングは、1931年に電子対ではなく一つの電子を原子間で共有する”一電子結合”が存在することを提案しています。ポーリングの提案以降、その存在の実証を目指して多くの研究が行われてきましたが、一電子結合は極めて弱い結合であることから、これまで炭素原子間でその存在を結晶学的に実証した例はありませんでした。従って、炭素原子間の一電子結合の実現はおよそ100年に渡る化学者の夢の一つと言えるかと思います。
我々はこれまでに、弱い結合(コア)を大きく剛直な骨格(シェル)で保護する独自の分子内コア-シェル戦略に基づいて設計した化合物1が、世界最長のCsp3–Csp3単結合を有することを明らかにしています。本研究では、化合物1の一電子酸化により化合物2を合成しました。単結晶X線構造解析により分子構造を決定し、2.921(3) Å(@100 K)の結合長が観測されました。これは通常の炭素-炭素単結合の結合長(1.54 Å)と比べ大幅に大きい値である一方、結合の存在を裏付ける結合電子が炭素原子間に観測されました。また、ラマン分光法によって炭素-炭素共有結合に特徴的な伸縮振動を観測できたことから、一電子結合の存在を実験的に証明することに初めて成功しました。
近年、近赤外光を吸収する有機材料は医学・光学の観点から強く関心が持たれており、その創出には単結合と二重結合が交互に連続した構造を有する大きな分子骨格が必要とされてきました。これに対し、本研究で新たに合成した化合物2は、一電子結合の結合エネルギーが極めて弱いことに由来して、一電子結合一本だけで近赤外光吸収を示すことを明らかにしました。
Q2. 本研究テーマについて、思い入れがあるところを教えてください。
島尻
学生時代は、鈴木先生の代表的な仕事の一つである、一本の炭素−炭素単結合を極限まで伸ばす研究に従事しておりました。この研究をきっかけに、変な化学結合、変な化学が大好きになりました。変わった化学結合はいくつも報告されていますが、一電子結合はとりわけチャレンジングな結合様式と感じておりました。炭素原子間の一電子結合の実現は私にとって、いつか成し遂げたい、夢のような課題でした。
川口くんとは、彼が学部一年生の時から一緒に研究を進めており、本研究の始まりは、彼とのとても些細な会話から始まりました。ふと頭の中で引っかかっていた反応を思い出し、気分転換になればと、「ものは試しに化合物1とヨウ素を混ぜてみてくれないか」とお願いしたのが今回の研究につながります。この時の川口くんの素直さや行動力が、私の、ひいては化学者の夢を叶えてくれたと思っています。
今回の論文のストーリーはかなり素直で、時系列にも沿っていると思っています。我々の感情の動きもくみ取れるかもしれません。非対称なX線構造を見た際に、「この構造はもしや一電子で結合しているのでは?」と仮説を立てた際はとても興奮しましたし、一方で「ほんとに結合なのか?」と懐疑的にもなりました。一つずつ証拠を集めていくうちに、他の解釈は難しくなりました。読み物としても、楽しんでもらえれば嬉しいです。
川口
思い入れがあるところは、少しでも良質な結晶が得られるよう、サンプルの純度や結晶を仕込むサンプル管の綺麗さに最大限の注意を払い、結晶化条件を徹底的に検討したことです。実験ノートを見返してみますと、少なくともラジカルカチオン塩だけで20回以上単結晶を仕掛けていました。私は大体1回あたり5-10バッチ(1バッチにつきセルは3つ)ほど単結晶を仕掛けますので、のべ100バッチ以上この一電子結合を有するラジカルカチオン塩を作製してまいりました。2023年9月17日に本化合物の単結晶での収率を算出することができた瞬間は一生忘れられません。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
島尻
かなりファジーな概念を研究対象にしていましたので、疑念をできるだけ減らすために測定はこだわりまして、化合物データの取得を含むほぼすべての測定を溶液とともに単結晶でも行いました。手探りで失敗も多かったため、川口くんにもとても負担をかけてしまいました。結果的には、計画していたすべての測定が実施できたため、妥協の無い論文にすることができました。
論文の査読時には、理論的な観点からたくさんのコメント(投稿原稿と同じくらいの文章量)を頂きました。なじみ無い解析も多く、どうしたものかと頭悩ませました。その勉強や私の異動もあったため、対応にはかなり時間を要してしまいました。誠心誠意対応し、返答したところ、しっかりと納得してもらえた様子で、”good job”とのコメントを見たときは、とても嬉しかったですし、報われました。
また、エディターから前向きな返答が来るたびに、喜びと安心感を感じていました。すぐに状況を共著者に共有するわけですが、著者四名の中で私一人九州におり、仲間外れのようで虚しくもありました。距離的な難しさを感じました。
川口
実はこの一電子結合を有するラジカルカチオン塩を作製すると、ヨウ素自体も取り込まれたような、ディスオーダーが激しく、構造決定が困難な単結晶も同時に生じてしまいます。その為、各物性測定についてはすべて構造決定がされた単結晶を用いる必要があります。ここが最も難しく、苦労したところでした。X線結晶構造解析やラマン分光法は勿論のこと、最終的に紫外可視近赤外吸収分光法から赤外分光法に至るまで、すべてX線で構造決定をした後の単結晶で測定を行いました。一つの単結晶でこれほど解析できる現代の技術に改めて感動を覚えました。
また、私個人の事情ですが、この研究を行ったのは学部2年~3年の時期だったため、授業や学生実験との両立が本当に、とても大変でした。気合と根性を頼りになんとか苦境を乗り越えられ、論文掲載にまで至ることができたのは、ひとえに周囲の皆様の支えのおかげです。感謝してもしきれません。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
島尻
大変光栄なことに、以前に合成した化合物1はいくつかの化学の教科書に取り上げて頂きました。今回の結果が、新常識として受け入れられ、教科書が変わるようなことがあれば、とても嬉しいです。概念覆す、常識を打ち破る、そんな野心を抱えて、今後も化学と向き合っていきます。一方で、複雑なことを考えるのは苦手でして、難しいことをできるだけ簡単(小さい分子や簡便な方法)に解決できる柔軟性を身に付けていきたいです。「そんな手があったのか。」みたいな、ちょっと変わった化学を目指していきたいです。
現在は、東京大学の楊井先生と一緒に研究させて頂いています。楊井研究室では、主に有機分子や錯体の材料を用いて、物理化学や生物化学での応用を目指した研究を行っております。今後は、(構造)有機化学の力を違った分野で振るい、新領域を開拓していければと思います。
川口
私が化学を深く学びたいと思ったきっかけは、高校2年生の頃に大阪大学南方研究室にて南方先生、武田先生のもと、体験させていただいた発光特性を有するD-A-D型分子の研究です。その後も、京都大学若宮先生にご指導いただいて、1年間研究を学ばせていただきました。その1年間は特に毎日がとても楽しく、新鮮で、私にとって最高の日々でした。人生の転機となったこれらの経験を受けて、自分が教えてもらった、研究や化学の楽しさを他の方にも伝えられるような人になりたいと考えています。
現在私が北海道大学鈴木研究室にて取り組んでいる研究は、炭素―炭素単結合の伸長やそれに基づく特異な物性の発現、一電子結合の創出などです。まだまだ研究を続けていき、結合の限界はどこにあるのか?という究極的な問いに少しでも貢献できるよう精進する所存です。この場を借りて、鈴木研究室を紹介してくださった、恩師である若宮先生に改めて深く感謝申し上げます。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
島尻
化合物1に関連する論文は、実はこれが三報目になります。およそ八年前に運命的な出会いを果たしたわけです。有機化学では、新たな分子を次々に作っていくことが一つのモチベーションと思います。もちろん私も色々な分子を作っていきたいです。一方で、愛すべき分子の隠れた側面を見つけ出してあげるのも大事なことだと感じました。”A new facet of ~”よく鈴木先生が用いるフレーズで、とてもきれいな表現で好きです。学生の皆さんは、自分が合成した化合物や物質について誰よりもその特徴を知っているはずです。是非、分子の隠れた個性を見つけ出して、輝かせてあげてほしいです。
この度は、学生時代からずっと読んでいたChem-Stationで、このような記事を書く機会をいただき、関係者の皆さま、特にお話を頂いた宮田先生に厚く御礼申し上げます。スポットライトリサーチに取り上げてもらうこと、ずっと憧れでした。これを励みに、また取り上げてもらえるような面白い仕事が出来ればと思います。
本研究を実施するにあたり、北海道大学の多くの研究者の方々にお力添えいただきました。ESR測定をサポートして頂いた平田拓教授(毎回付切りで、とても親身にご指導いただきました。)、固体での近赤外吸収測定でサポートして頂いた、野呂真一郎教授、斎藤結大特任助教(斎藤先生は島尻と鈴木研の同期で、とてもフレキシブルに対応して頂きました。)、単結晶での顕微近赤外吸収測定で手厚くサポートして頂いた山崎郁乃様(なかなか良い測定条件が見つけられないところ、一緒になって条件の探索をして頂きました。この測定が決定打になりました。)、単結晶でのIR測定を実施させて頂いた龔剣萍教授、中島祐准教授(学生時代に訪問学生として研究させて頂いたご縁もあり、快く装置利用を引き受けて頂き、細かにご指導いただきました。)に、この場を借りて厚く感謝申し上げます。
最後になりますが、共同研究者である川口くん、鈴木先生、石垣先生に深く感謝申し上げます。川口くんはこの度、学部四年生でNatureの仕事を成し遂げた超新星です。日々のディスカッションも同じ目線で話しますし、とてもアクティブ、パワフルな能力溢れる芯の通った研究者です。彼でなくては、本研究は成し遂げられませんでした。引き続き活躍し続けてくれると思います。鈴木先生、石垣先生には、八年に渡りご指導ご鞭撻を賜りました。鈴木先生の分厚い土台の上で、本当に自由に研究させて頂きました。また、石垣先生におかれましては、実兄と同い年ということもあり、もう一人の兄のように思っております。目に見えるところ、見えないところで様々サポート頂いていたと思います。感謝してもしきれません。また、有機化学第一研究室の化学を紡いでくださったすべての関係者に感謝いたします。
川口
今回の研究から私が得た最大の教訓は、「教員のアドバイスは絶対に活かせ」と「良い結果ほど懐疑的であれ」の二つです。
この研究は、2年間の努力の末に標的分子まで後少しで手が届かず、絶望していた日から始まりました。そんな折、ふと島尻先生から「そういえば学生時代にヨウ素で酸化してみたらNMRがサイレントだった」というお話を伺いました。その後、すぐさまヨウ素酸化を試し、NMRがサイレントなことを確認し、単結晶を仕掛けました。その二日後には構造決定に成功し、歓喜しました。
二つ目に、良い結果が得られると、どうしてもそれに寄った解釈をしてしまうことが多いと思います。本研究では、ラジカルカチオン塩のX線構造が明らかになってすぐに、一電子結合の存在を検証するべく、各種物性測定や計算研究による調査を始めました。その後、順調に様々な観点から結合の存在を裏付ける証拠が集まってきました。そのような状況下でも「研究している私たちが最も一電子結合の存在に懐疑的であるべきだ」と先生方が仰っていたのがとても印象に残っており、感銘を受けました。本研究を通じて、非常に多くのことを勉強させていただきましたが、特にこの2点を今後も大事にしていきたいです。
最後に、本研究を実施するにあたって、全力で学業・研究に専念できるよう学費・生活費と研究費について多大なるご支援いただきました孫正義育英財団様に心から感謝申し上げます。また、日頃からご指導くださっている鈴木先生、石垣先生、島尻先生、そして私に実験技術を教えてくださった張本さんをはじめとする鈴木研究室の皆様、学会で議論して頂いた方々や各種測定法をご指導いただき、測定装置を快く貸してくださった先生方、つらい時期を励ましてくださった家族・友人・柳様に深く感謝いたします。
ケムステスタッフ様、この度は研究紹介の機会をいただきまして、誠にありがとうございました!
関連リンク
- 川口さん記事1:https://doi.org/10.1002/chem.202101654
- 川口さん記事2:https://www.chem-station.com/blog/2019/09/smentor.html#google_vignette
- 楊井研究室HP:https://sites.google.com/view/yanai-lab-jp/
- 鈴木研究室HP:https://wwwchem.sci.hokudai.ac.jp/~org1/
- 平田拓教授 https://www.ist.hokudai.ac.jp/labo/mre/Hirata-j.html
- 野呂真一郎教授、斎藤結大特任助教 https://www.ees.hokudai.ac.jp/ems/stuff/noro/index.html
- 山崎郁乃様 https://www.cris.hokudai.ac.jp/nanotechnology-platform/nanoplat/nano-staff
- 龔剣萍教授、中島祐准教授 https://altair.sci.hokudai.ac.jp/g2/
- Prof. Dr. G. Dan Pantoș Group https://people.bath.ac.uk/gp304/The_Pantos_Group/Welcome.html
- 日本語プレスリリース:教科書が変わる!?炭素の新しい結合を実証! ~弱い結合を活用した未踏材料創出に期待~(北海道大学)
- 日本語プレスリリース:教科書が変わる!?炭素の新しい結合を実証! ~弱い結合を活用した未踏材料創出に期待~(東京大学)
- 英語プレスリリース:Scientists discover a single-electron bond in a carbon-based compound (Hokkaido University)
- 英語プレスリリース:Scientists discover a single-electron bond in a carbon-based compound (Tokyo University)
研究者の略歴
名前: 島尻 拓哉(しまじり たくや)
所属: 東京大学大学院 理学系研究科 特任助教(楊井研究室)
専攻: 構造有機化学
略歴:
2020年1月-2020年3月 Visiting student(Prof. Dr. G. Dan Pantoș Group, University of Bath, UK)
2022年3月 北海道大学大学院 総合化学院 博士後期過程修了 (鈴木孝紀 教授)
2022年4月-2024年3月 北海道大学大学院 理学研究院 特任助教
2024年4月-2024年8月 九州大学大学院 工学研究院 特任助教
2024年9月より現職
名前: 川口 聡貴(かわぐち そうき)
所属: 北海道大学理学部化学科 有機化学第一(鈴木)研究室 学士課程4年
専攻: 構造有機化学
略歴:
2021年 北海道大学理学部化学科 入学
2018年 大阪大学SEEDSプログラム 修了
2019年 日本科学協会サイエンスメンタープログラム 修了(優秀賞)
2019年 孫正義育英財団 奨学生
2024年 戸部眞紀財団 奨学生