第624回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院工学系研究科(野崎研究室)修士1年の山田 悠斗さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、ウレタンの化学選択的水素化分解に関する研究です。Ir触媒を用いたウレタンからのホルムアミドとアルコールへの化学選択的水素化分解を報告されました。一般的なカルボニル基の求電子性と異なり、より反応性が高いアミドやエステルの存在下でもウレタンを選択的に水素化分解することを明らかにされています。また開発された触媒を用いて、汎用のポリウレタンフォームの水素化分解も実現されています。本研究は、J. Am. Chem. Soc. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されており、J. Am. Chem. Soc. 誌 Supplementary coverにも選ばれています。
“Chemoselective Hydrogenolysis of Urethanes to Formamides and Alcohols in the Presence of More Electrophilic Carbonyl Compounds”
Iwasaki, T.; Yamada, Y.; Naito, N.; Nozaki, K. J. Am. Chem. Soc., 2024, 146, 25562–25568. DOI: 10.1021/jacs.4c06553
研究を指導された岩﨑孝紀 准教授と野崎京子 教授から、山田さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
岩﨑孝紀 准教授より
今回山田君が開発してくれたウレタンのホルムアミドとアルコールへの選択的水素化分解反応は、以前に報告したウレアの水素化分解[Nat. Commun. 2024]の大きな宿題の一つでした。
今回用いたイリジウム触媒に関連する研究としてカルボニル化合物の中で最も求電子性が低いとされるウレアのホルムアミドとアミンへの水素化分解とそれを利用したポリウレアの分解を行っていました。その中で、ウレアは水素化分解を受けるのに対してウレタンは全く水素化分解を受けないことを見出していました。NEDOの研究費の関係で研究成果を企業に紹介する機会が多くあったのですが、決まって「ウレアではなくてウレタンは切れませんか?」と質問されていました。生産量から考えるとポリウレタンのリサイクルに興味を持つ人が多いのは当然ですね。余談になりますが、ポリウレタンフォームと呼ばれているものはかなりの量のウレア結合を含んでいることをウレタンの水素化分解に取り組んでから知りました。
いずれにせよウレタンの水素化分解とそれをポリウレタンに応用するという明確な目標ができたタイミングで山田君が卒研生として配属され、この目標に取り組んでくれることになりました。共著者で1学年上の内藤君が学部卒業から留学までの3ヶ月ほどの間しっかりと実験テクニックを山田君に継承してくれたこともあって、院試前にはウレタンも分解できることを示してくれたことには感動しました。
院試明けから添加剤の効果(CsOt-Buの合成は金属セシウムを使わない安全な方法で合成しました)を明らかにして最適条件に辿り着いた後は、山田君の持ち前の圧倒的な実験スピードで基質展開、他のカルボニル化合物との化学選択性、ポリウレタンの分解まで一気に実験を進めてくれました。院試休みを除けば実質1年で論文投稿までこぎつけたのは山田君の努力の賜物だと思います。
Amazonで買ったポリウレタンやポリウレタンと他のポリマーの複合材料(簡単に言えば食器洗い用のスポンジです)が山田君のデスクに積まれていますが、これらも早晩分解してくれることと期待しています。
野崎京子 教授より
ポリウレタン原料の世界市場は新興国を中心に住宅や家具、衣類向けなどの用途の増加が見込まれ、2027年には2021年比24.9%増の2,899万トンが予測されています(富士経済プレスリリース第22088号より転載https://www.fuji-keizai.co.jp/press/detail.html?cid=22088&view_type=2&la=ja)。ケミカルリサイクルは喫緊の課題であり、加水分解によりジアミンとポリオールに分解する手法が多く検討されていますが、今回はアミンではなくホルムアミドで回収できたことが特徴です。ホルミル基は再重合に活かせる可能性があります。
岩﨑グループでウレアの加水素分解を初めて達成した柘植さん、そのあと触媒の改良に取り組んだ内藤さんら卒業生のあとを引き継いだ山田さんは、持ち前のセンスの良さを最大限に発揮して、ついにこのプロジェクトのラスボスを仕留めました。サイエンスから応用まで広い視点で研究を進められるのが彼の魅力です。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
イリジウム触媒により、水素分子を用いてウレタンを選択的にホルムアミドとアルコールへ分解できることを明らかにしました。従来のウレタンの水素化分解ではアミン、メタノール、アルコールが得られるのに対し、本研究では一般的な化学選択性を触媒により覆し、ウレタンよりも反応性が高いとされているホルムアミドが生成物として得られる点が従来の例と対照的です。さらに、ウレタン結合は一般にエステルやアミドよりも反応しにくいことが知られていますが、本水素化分解ではエステルやアミドなどが混在してもウレタンを選択的に分解します。
さらに、本水素化分解はポリウレタンの分解へも応用が可能です。ポリウレタンはスポンジのような身の回りの物質から建築用断熱材にまで幅広く用いられている高分子材料ですが、ウレタン結合の安定性からそのケミカルリサイクルが困難だとされてきました。そうした背景の元、ポリウレタンのモデル分子に対して本触媒による水素化分解を試みたところ、ジホルムアミドとジオールが分解生成物として得られました。本研究は、ポリウレタンをジホルムアミドとジオールへ水素化分解した初めての例であり、これらの脱水素カップリング[1]と組み合わせると、ポリウレタンの水素分子の移動のみによるケミカルリサイクルへ応用できることが期待されます。さらに、本触媒を用いて、汎用ポリウレタンフォームの水素化分解も達成しました。そのため、ポリウレタンの新たなケミカルリサイクル手法としての工業的な応用が期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
一般的なカルボニル化合物の化学選択性の逆転という科学的な側面と、ポリウレタンのケミカルリサイクルへの応用という工業的な側面の両方の点から俯瞰して研究を進めることができたことに面白さを感じています。解析にかなり苦労しましたが、実際のポリウレタンにもみられるような分子内にエステルを含むポリウレタンを反応させた際にエステルが損なわれずに分解できたことや、溶媒に浸していても溶けることがなかった汎用ポリウレタンフォームの分解の進行を実際に確認したときは、触媒の力の凄さを実感しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
反応条件の最適化にはしばらくの時間を費やしました。ウレア水素化の触媒として研究室の先輩により開発された錯体と、CsOt-Buを用いた条件により、条件の最適化に成功しました。危険を伴いそうで自力での合成が困難だったCsOt-Buについて、岩﨑准教授に合成していただき、それを用いて高い活性を実現できたことは感慨深いです。また、イリジウム錯体を開発し、ウレアの水素化分解を発表した[2]研究室の先輩である柘植さん、内藤さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
反応機構の具体的な解明には未だ苦戦しており、今後、反応機構の解明に向けてさらに取り組んでいきたいと思っています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
ポリウレタンのリサイクルという社会の課題に挑む研究の経験を通じて、化学の力で持続可能な社会の実現に貢献できることを感じ、このような研究の面白さを実感したので、今後も有機化学を用いて社会課題の解決に携われるような研究を行いたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。ここには書ききれなかった内容もあるので興味を持っていただければ是非論文にも目を通していただけると幸いです。
最後に、本研究を遂行するにあたり野崎京子教授、岩﨑孝紀准教授をはじめ、多くの方々のご指導とご助力を賜わりました。この場を借りて御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前:山田 悠斗(やまだ ゆうと)
所属:東京大学工学系研究科化学生命工学専攻 野崎研究室 修士1年
略歴:
2024年3月 東京大学工学部化学生命工学科 卒業
2024年4月〜現在 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 在学
関連文献
- Futter, J.; Rieger, B. From CO2 to Polyurethanes: Catalytic Dehydrogenative Coupling of Diols and Diformamides as Isocyanate Surrogates. In Book of Abstracts; ACS Spring, 2024: New Orleans, LA; Paper M10.
- Iwasaki, T.; Tsuge, K.; Naito, N.; Nozaki, K. Chemoselectivity Change in Catalytic Hydrogenolysis Enabling Urea-Reduction to Formamide/Amine over More Reactive Carbonyl Compounds. Nat. Commun. 2023, 14, 3279. DOI: 10.1038/s41467-023-38997-2