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スポットライトリサーチ

化学結合の常識が変わる可能性!形成や切断よりも「回転」プロセスが実は難しい有機反応

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第 617 回のスポットライトリサーチは、慶應義塾大学大学院 理工学研究科 有機金属化学研究室 (垣内史敏研究室) に所属されていた、武藤 一馬 (むとう・かずま) さんにお願いしました!

垣内研では、有機金属錯体触媒を用いた合成反応の開発や、新概念に基づいた錯体の合成を精力的に行っています。武藤さんらの研究グループでは、チェーンウォーキング (Chain-Walking) という、有機分子上の反応活性点を分子内の離れた位置に選択的に移動させ、C-H 官能基化などを効率的に実現する反応の開発に注力しており、2021年にはその一例を Angew. Chem. Int. Ed. 誌に報告されています (下図)。

チェーンウォーキングの一例: パラジウム触媒とアリールボロン酸を用いた、アセトキシ基を有するアルケンの遠隔置換反応

“Remote Arylative Substitution of Alkenes Possessing an Acetoxy Group via β-Acetoxy Elimination”, Muto, K.; Kumagai, T.; Kakiuchi, F.; Kochi, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2021, 60, 24500−24504, DOI: 10.1002/anie.202111396.

今回のご研究では、チェーンウォーキングの反応機構を計算化学により解析し、その結果これまでの定説を覆し得る「化学結合の回転」が反応進行の律速となっている可能性を見出しました。そしてその解析結果を実験的に証明し、新たな化学反応論の提唱に結びつけることに成功しました。本研究の成果は高く評価され、The Journal of Organic Chemistry 誌に掲載されるとともに、同誌の Supplementary Cover にも選出され、慶應義塾大学よりプレスリリースも行われました。

Conformational Isomerization as a Process to Determine Selectivity over Reaction Pathways: Effect of Alkene Rotation in Chain Walking via Cis Alkene Intermediates

Kazuma MutoMiho Hatanaka*, Fumitoshi Kakiuch, and Takuya Kochi*
The Journal of Organic Chemistry, 2024, 89(7), 4712–4721, DOI: 10.1021/acs.joc.3c02960.
Abstract
In organic reactions, bond-forming and bond-cleaving processes are generally considered to be more important than other processes such as conformational isomerization. We report herein an example where a conformational isomerization process, propeller-like alkene rotation, is considered to determine the selectivity over the reaction pathways. The transition state with the highest energy barrier in some alkylpalladium isomerization (chain walking) events was theoretically indicated to correspond to alkene rotation, while transition states for bond-cleaving β-hydride elimination and bond-forming migratory insertion were not even observed. It was also suggested both theoretically and experimentally that the palladium chain walking over internal carbons in alkyl chains proceeds via cis alkene intermediates rather than thermodynamically more stable trans alkene intermediates, due to their relative difficulty to undergo alkene rotation.

本研究を現場で指揮された、有機金属化学研究室准教授の 河内 卓彌 (こうち・たくや) 先生より、武藤さんについてのコメントを頂戴しております!

私自身の研究に対する動機の中には、自分たちが扱っている反応という現象をできるだけ本質的に理解したい、というものがあります。チェーンウォーキング機構に関する理論化学計算は、そのために10年以上前に当時は諸熊奎治先生のところでフェローをされていた畑中美穂博士(我々の所属学科の卒業生で、現在は本学科で研究室を主宰されています)にいろいろと教わりながら始めたものです。当初は私自身で進めていましたが、基本的なところで躓いてなかなか進まない状況でいるうちに、諸熊先生とはまともに議論もできないままその機会を失ってしまいました。2018 年に武藤さんが垣内研究室に配属になり、チェーンウォーキング機構を経る遠隔位置換型アリール化反応の研究を始めてからは、その意欲的かつ勤勉な研究姿勢には大変感心しておりました。もちろん、武藤さんの研究に関連するという点が大きかったのですが、理論化学計算に対する高い意欲と理解、さらには私自身の研究に対する「思い」をしっかり理解してくれていると感じられたことから、修士課程に進学後には理論化学計算を任せてみようと思うに至りました。「思い」というのは、前述の通り、本質的に理解したい、つまり、たとえ不都合な結果であったとしても可能な限り本当のことが知りたい、ということです。そのため、あらゆる反応経路に関する計算を徹底的に行い検証する作業を地道に続ける(是非、論文のSIを見てください。まだ論文にできていないデータも大量にありますが。)ことになり、武藤さんには大変な苦労をかけたと思います。またその結果、シスアルケン経由のほうが有利なのではないか、という不都合かつ「俄かには信じ難い」結果に遭遇することになりました。そして、その実験的検証と論文として表現するための論理構成の両方にはさらに多大な時間を費やすことになり、苦労を重ねた結果、最近になってようやく論文として発表することができました。IF だけ見ればもっと高い雑誌に発表できた論文も多くありますが、私自身が初めて有機化学の本質的な部分に貢献できたような感覚を持てたという意味において、本成果は私の研究人生においても大変重要なものとなりました。

有機化学にはまだまだ本質的に分かっていないことや認識されていないことが多くあると思います。そのような感覚を共有させてくれた武藤さんには大変感謝しています。

それでは、インタビューをお楽しみください!

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

多くの化学反応では結合の切断や形成、回転などの素反応が多段階進行します。その中から困難な結合切断、形成段階について議論し、その反応における基質の反応性、生成物の選択性などの根源原因について理解を深めていきます。時には中間体の熱力学的安定性で議論されることもあります。その一方で、化学反応の結合変換の選択性が速度論的な「結合の回転過程」によってのみ説明できる、といった議論は一般的にされません。

本研究では所属研究グループが反応開発に活用してきた、1,10-フェナントロリンパラジウム触媒のチェーンウォーキング (アルキル金属種の金属中心がアルキル鎖上を移動する現象) の反応機構を解析しました。その解析から、化学結合についての新たな視点が得られたことが本論文の主題になります。

チェーンウォーキングはパラジウム錯体上の 3 つの素過程、β-ヒドリド脱離 (結合切断)→アルケン回転→アルケン挿入 (結合形成) から進行します (図1a)。DFT 計算から反応機構についての重要な知見が 2 つ示唆されました。1 つ目として、回転過程が他 2 つの素過程よりも困難となることです。また 2 つ目が、1,2-二置換アルケンが生成する場合にはトランスアルケンとシスアルケンの2パターンが考えられますが、熱力学的に有利なトランスアルケン中間体を経由する経路が「回転過程を原因」として不利になることです (図1b)。チェーンウォーキングではアルケンが正味 180° 回転しなければいけないのですが、トランスアルケンは2つのアルキル基が同時にパラジウム平面を通過するタイミングが必ず訪れ、そのタイミングに立体反発が大きくならざるを得ないです。しかしシスアルケンなら、180° 回転の過程ではアルキル基を 1 つずつ通過させられるため立体障害は小さくて済むという違いがあり、反応経路のエネルギー差を決定的にしています。特に 2 つ目の選択性の知見は、チェーンウォーキングを結合形成と切断だけで捉えていた視点からは見つかり得ないものであり、これまでの常識を覆す結果でありました。計算結果を支持する実験結果も得られたことから、今回の論文で結合変換の選択性が回転過程に支配される化学反応の存在が示唆されるとして発表しました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください、

論文の通り非常にシンプルな錯体に対する DFT 計算で議論をしています。しかし出てきた結果が明らかに常識外れであったため「これは実験結果で示して論文を出したい」といった話を河内先生から受けていました。そこで重水素標識実験において、チェーンウォーキング後の重水素のジアスレテオマーを同定すれば計算結果を検証できるとして、これをゴールと設定しました。この反応設計 (図2a) には大きく 2 つの課題がありました。

1つ目は重水素位置異性体 (図2a 括弧内) が重水素位置の組み合わせの数だけ生成し得ることであり、① 末端に官能基 (Ar) を入れて重水素位置異性体の種類を減らす (1416)、② 基質14のアルケンの末端炭素にも重水素を入れ、重水素位置異性体の種類を減らす (←本検証の決定打になりました!邪魔な異性体に観測したい軽水素 Hβが入っていない!) ことで解決しました。

また2つ目の課題が重水素のジアスレテオマーを同定する方法です。これら課題の解決策として、③ 環化誘導化(1618)により重水素のジアスレテオマーを区別できるようにする、④ アラインエン反応で環化し、重水素のプロトン交換を防ぐ、⑤ 第三級アルコールまで変換し、1H NMR 上で 4 つのプロトン (環上のホモベンジル位 Hα、Hβ) が完全に独立したピークにする (図2b)、といった何重もの工夫を施し、針に糸を通すような最適解を出せたと自負しています。最終的に計算結果と実験結果で強く補強された主張ができ、とても満足しています (SIにもその他解析を載せております。ご興味のある方はぜひ)。

図2

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

新規性が伝わるような論文の構成を組み立てることが難しかったです。第一に、結合変換の選択性について考えているのに、「結合の形成切断過程が関係ない」、「熱力学的な中間体の安定性に左右もされない」という反応機構として見慣れない議論をしております。その割に、初歩的に見えるような計算がほとんどです。「こんな簡単な計算から今更なにが新しいのか」と思われかねないにも関わらず、どれだけ非常識な議論を展開しているのかを伝わるようにする、というギャップを埋めるための論理的な構成を考えるため、河内先生と長らく議論をしていました。論文を書くにあたり、先生と私で研究室外の方へのアウトプットとリアクションを集めていきました。そして先生と論文の修正を幾度となく繰り返すことで、最終的によい印象をもっていただける形に仕上げることができました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

垣内研究室での研究を通じて、理論化学的な解析や実験的検証を駆使して分子の気持ちを理解することが化学的な課題解決に重要であると実感しています。またそれを実践してきたことが私の強みだと捉えています。その強みを生かして良い分子、反応をデザインし、社会への貢献につながる価値を創造していきたいと考えています。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!

私と同じく計算化学を専門としない学生の皆様に情報共有となれば。

(私が研究を通して学んだと同時に、諸先生方の受け売りですが、) DFT 計算は意外と実行自体は簡単であったりします。また計算化学からしか得られない情報も多々あるため、誰しも使えた方がいいと思います。一方で危うさもあります。こうあるはずだという思い込みが強いほど、それを正当化するパラメータ、計算結果だけを無意識のうちに注目してしまって、恣意的な主張にできてしまう危険性があると感じています。自分で解析する際、論文を読む際にはこの点に十分注意をしたほうがいいのかな、と思っています。

【研究者の略歴】

名前: 武藤 一馬(むとう かずま)
所属 (当時) :慶應義塾大学 化学科 垣内研究室
研究テーマ: チェーンウォーキングを利用した遠隔官能基化反応の開発と反応機構解析
略歴:
2015年3月 山梨県立吉田高等学校 卒
2019年3月 慶應義塾大学 理工学部 卒
2021年3月 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 修士課程 修了
2024年4月 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 博士課程 修了

 

武藤様、河内先生、インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました!
それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!

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創薬化学者と薬局薬剤師の二足の草鞋を履きこなす、四年制薬学科の生き残り。
薬を「創る」と「使う」の双方からサイエンスに向き合っています。
しかし趣味は魏志倭人伝の解釈と北方民族の古代史という、あからさまな文系人間。
どこへ向かうかはfurther research is needed.

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