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化学者のつぶやき

【酵素模倣】酸素ガスを用いた MOF 内での高スピン鉄(IV)オキソの発生

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Long らは酸素分子を酸化剤に用いて酵素を模倣した反応活性種を金属-有機構造体中に発生させ、C-H 結合の酸化を実証しました。反応活性種は種々の in situ 手法により分析され、高スピン鉄(IV)オキソであることが確かめられました。本報告は、酸素分子を酸化剤に用いたC-H結合酸化触媒の発展に貢献すると考えられます。

Reactive High-Spin Iron(IV)-Oxo Sites through Dioxygen Activation in a Metal–Organic Framework

Hou, K.; Börgel, J.; Jiang, H. Z. H.; SantaLucia, D. J.; Kwon, H.; Zhuang, H.; Chakarawet, K.; Rohde, R. C.; Taylor, J. W.; Dun, C.; Paley, M. V.; Turkiewicz, A. B.; Park, J. G.; Mao, H.; Zhu, Z.; Alp, E. E.; Zhao, J.; Hu, M. Y.; Lavina, B.; Peredkov, S.; Lv, X.; Oktawiec, J.; Meihaus, K. R.; Pantazis, D. A.; Vandone, M.; Colombo, V.; Bill, E.; Urban, J. J.; Britt, R. D.; Grandjean, F.; Long, G. J.; DeBeer, S.; Neese, F.; Reimer, J. A.; Long, J. R. Science 2023, 382 (6670), 547–553. DOI: 10.1126/science.add7417 (Long 研のホームページで公開されている論文のリンクはこちら)

広い視点で見た社会的重要性: メタンの選択的直接酸化の確立は化学工業を革新する (かもしれない)

炭素数が小さい炭化水素種の酸化反応は、天然ガスや石油といった資源からアルコールといった有用な化学物質に変換するための工業的に重要です。例えばメタンの酸化によるメタノール合成は、気体燃料メタンをより扱いやすい液体燃料メタノールに変換する有益な反応です。しかしsp3 混成の炭素が持つ C-H 結合は強いという問題があります。特にメタンは無極性で反応の足掛かりになる官能基を持たないため、非常に反応不活性です。メタンの酸化反応には高温の厳しい条件が必要であり、酸化反応を制御してメタノールだけを得ることは難しいです。現在の工業的なメタノールの製法は、メタンを合成ガス (一酸化炭素と水素の混合ガス) に経由するプロセスを経ます。すなわち、メタンを一酸化炭素に酸化したのちに、一酸化炭素を還元するわけです。これは化学的に非効率的と言えます。メタンからメタノールへの選択的直接酸化は化学工業を革新する夢の反応のひとつといえます。2

学術的重要性: 金属酵素の反応中心の理解は触媒開発につながる

自然界は、酵素を利用して上述の “夢の反応” に近い反応をすでに実現しています。具体的には、ある種の金属酵素 (メタンモノオキシゲナーゼ) は酸素を酸化剤として、高スピン (S = 2) の 鉄(IV)オキソ (Fe=O) 種を反応活性種を発生させメタンのC-H結合を酸化することができます 3,4。メタンモノオキシゲナーゼに限らず、さまざまな鉄系金属酵素が酸素を酸化剤として (メタンが基質ではないものの) C-H 結合を酸化することが知られています5。例えばタウリンα-ケトグルタル酸依存性オキシゲナーゼ (TauD)は、酸素を利用してタウリンのスルホン酸基のα位の C-H結合を酸化する金属酵素です。その反応中心では、2つのヒスチジンとカルボキシレートが facial 型に鉄イオンをキレートしており、さらにα-ケトグルタル酸が鉄にイオンに配位しています。TauDでも高スピン鉄(IV)オキソがその反応の鍵を握る活性種であると考えられています。

酸化反応を担う酵素の金属中心の例と鉄(IV)オキソ種の一般化された構造

上で紹介した酵素が、酸素というありふれた酸化剤を使って室温という温和な条件で本来不活性な C-H 結合を化学選択的に酸化していることは合成化学者にとっては驚くべきことです。酵素を模倣して、高スピン鉄(IV)オキソを合成化学により実現して、分析することは金属酵素反応の理解のみならず工業的に重要な様々な酸化反応触媒の発展にもつながると考えられます。

先行研究と比べて何がすごい? 高スピン (S = 2) 鉄(IV)オキソの単離とその徹底的な分析

酵素の模倣による鉄(IV)オキソ種は、無機合成化学者の長年の標的で多くの報告があります。しかし、これまでに報告されてきた人工的な鉄(IV)オキソ種は、多くの場合で高スピン (S = 2) ではなく中間スピン (S = 1) でした。さらに酸素をオキソ種の発生に用いた例は限られていました。人工的な高スピン鉄(IV)オキソを得られた例では、トリメチルアミン N-オキシドや超原子価ヨウ素、亜酸化窒素 (N2O) のような酸化剤を利用するか、酸素を利用したとしても光照射条件で O-O 結合を開裂させた例に限られていました。酵素のように、酸素だけを用いて高スピン鉄(IV)オキソを合成した例は、これまでに報告されてきませんでした。

本論文では鉄(IV)オキソ種の発生に酸素を用いている点とさらに、そのスピン状態を徹底的に分析して高スピン S =2 である強力な証拠を示している点で、これまでの鉄(IV)オキソの合成報告から一線を画しています。

ところでなぜ高スピンの鉄(IV)オキソは重要なのでしょうか。上述の通り中間スピン状態の鉄(IV)オキソ種であれば、すでに合成化学的にいくつも報告例があります。高スピン鉄(IV)オキソの合成が難しい理由の一つに、その反応性の高さがあります。反応性が高い高スピン鉄(IV)オキソは、例え発生させることができたとしても、分子内反応や二量化反応によって直ちに反応してしまいます。これでは、単離して詳細な分析を行うことができませんし、目的の基質 (メタンなどの炭化水素) と反応させることもままなりません。

ではなぜ高スピンの鉄(IV)オキソは反応性が高いのでしょうか?その理由は「いくつかの仮説はあるもののまだよくわかっていない」のです。そういった意味でも、合成化学的に高スピン鉄(IV)オキソを発生させることは、酵素反応の理解にもつながる重要な発見であるわけです。スピン状態による反応性の違いの議論は本論文の趣旨から逸れるためここでは話しませんが、記事の最後に補足としてスピン状態がどのように反応性に違いを生むのかについての仮説をまとめています。

技術や手法のキモ:  fac 型キレートモチーフを持つ MFU-4l の合成後修飾

著者らは金属-有機構造体 (Metal-Organic Frameworks: MOFs) の金属クラスター上に鉄オキソ種を発生させることを試みました。MOF は金属クラスターを多座配位子が橋掛けすることで構成される結晶性の多孔性化合物です。その剛直な構造上に反応活性種を発生させることで、分子内反応や二量化反応を防ぐことができるため、MOF は反応活性種の単離に適しています。なかでも、著者らは MFU-4l (Zn5Cl4(btdd)3: H2btdd = bis(1H-1,2,3-triazolo [4,5-b],[4′,5′-i])dibenzo[1,4]dioxin)) というMOF に着眼しました。MFU-4l は、亜鉛 Znとトリアゾールが作る五核クラスターを直線性ビストリアゾール H2btdd 配位子がつないで作る立方晶の MOF です。

その五核クラスターは、中心に埋め込まれた六配位八面体の中心Zn部位 とMOF孔内に露出した四配位四面体の4つの周辺Zn-Cl部位を持ちます。MFU-4l  の最大の特徴は、合成後修飾により周囲Zn部位およびその Cl配位子を他の第一遷移金属や他の配位子に交換できることです。さらにその五核クラスターの周辺金属部位は3 つのトリアゾールが金属イオンを facial 型にキレートしたモチーフとみることができ、それは TauD において 3 つのアミノ酸 (ヒスチジン二分子 +カルボキシレート)が鉄イオンをキレートしている様子と似ています (学術的重要性のところで示した図を参照)。

筆者らは、MFU-4l の合成後金属交換により、鉄イオンを周辺金属部位に導入し、つづいて合成後配位子交換によってその鉄イオンにα-ケト酸を配位させることにより、α-ケトグルタル酸依存性オキシゲナーゼの配位環境を模倣できると考えました (上図のオレンジの枠内)。具体的には、もっとも単純なα-ケトグルタル酸であるピルビン酸 prvおよびt-Bu 基をもつケトグルタル酸 mova (3,3-dimethyl-2-oxobutanoic acid) を MFU-4l の周辺 Fe 部位に配位させました。そしてその得られたMOF, FexZn5-x(prv)4(btdd)3 の Fe部位と酸素を反応させることにより、高スピン鉄(IV)オキソを発生させることを試みました。

主張の有効性検討

著者らは、上記の主張 (MOF 中で酸素を用いた酵素模倣による高スピン鉄(IV)オキソの発生) の有効性を以下のストーリーで検証しました。

  1. .TauD の配位環境を模倣したFe1Zn4(prv)4(btdd)3 の合成と分析
  2. Fe1Zn4(prv)4(btdd)3と酸素の反応による鉄(IV)オキソ種の発生とその確認
  3. 鉄(IV)オキソ種のスピン状態の同定
  4. NRVS を用いた鉄(IV)オキソ種の配位環境の詳細な調査
  5. 高スピン鉄(IV)オキソによるC-H酸化反応の検討

この記事では、論文を読めば比較的容易に理解できると思われる 1 および 5 の詳細は飛ばし、2-3について解説したいと思います。NRVS も超かっこいい分析技術なので、分析技術の概要だけ説明し詳細は論文を参照していただきたいと思います。

Fe1Zn4(prv)4(btdd)3と酸素の反応による鉄(IV)オキソ種の発生とその確認

Fe1Zn4(prv)4(btdd)3 の酸素との反応が、ピルビン酸からの二酸化炭素の放出を伴って鉄(IV) オキソ種を発生させることが、 in situ gas-dosing 赤外分光法により確かめました。具体的には、Fe1Zn4(prv)4(btdd)3を 100 K まで冷やした後にO2 ガスを与え、ガス投与 (gas-dosing) の前後でのIRスペクトルを比較しました。論文 Figure 2 は一般的な IR スペクトルのような透過率 T を y 軸に持つスペクトルではなく、O2 ガスを投与前のスペクトルをバックグラウンド T0 としたときの吸光度スペクトル Abs = -log T/T0 で O2 ガスの投与によって新たに発生したピークがあらわされています。

in situ gas-dosing IR スペクトル (論文から引用). これらのスペクトルは, 真空状態での MOF のスペクトルをバックグラウンドとして, O2 雰囲気で測定されたスペクトルの吸光度を示しています. MOF は 100 K で 20 mbar の酸素ガスを与えられ, 徐々に昇温されてました. 実線で示されたスペクトルは, 普通の O2 ガスを使用して得られた結果で, 点線で示されたスペクトルは 18O2 を使用してさらにピルビン酸の末端のカルボキシル基の炭素を 13C 標識された MOF を使用して得られた結果. 2341 cm−1の実線ピークは鉄オキソ種の発生の際に副生した二酸化炭素で, 2275 cm−1 の点線ピークは 13COのピーク (a). 831cm−1 の実線ピークは鉄オキソ種の Fe–O 伸縮振動で, 795 cm−1 の点線ピークは 18O2 標識された鉄オキソ種の Fe–18O 伸縮振動

さて、in situ gas-dosing 赤外スペクトルからは O2 の投与により2341 cm-1 に新たなピークを観測しました。これは二酸化炭素のシグナルであり、ピルビン酸が脱炭酸して、そのCO2 がMOF中に吸着して観測されたものだ、と著者らは主張しています。というのも、Fe1Zn4(prv)4(btdd)3 の元ネタである TauD は次のような機構によって脱炭酸を伴って鉄(IV)オキソを発生させるのです。

そこで、O2 投与により観測された CO2 が確かにピルビン酸由来であることを確かめるために、ピルビン酸の末端の炭素を 13C で標識したサンプルを用意し、さらに 18O  で標識された 18O2 ガスの投与による 同様の in situ  gas-dosing IR 分析を行いました。その結果、今度は 2275 cm-1 にシグナルが観測され、13CO2 の発生を確認しました。この結果は次のことを示唆しました。

  1. 発生した二酸化炭素の炭素はピルビン酸に由来すること
  2. 発生した二酸化炭素の酸素もピルビン酸に由来すること(= 酸素ガスには由来しない)

すなわち、二酸化炭素が酸素ガスに由来するならば 13C18O2が観測されたはずだからです。この巧妙な標識実験により、Fe1Zn4(prv)4(btdd)3は酸素と反応することでピルビン酸での脱炭酸が進行することを結論しました。

筆者らはO2の投与によってピルビン酸の脱炭酸による二酸化炭素のシグナルに加えて、831 cm-1に弱いシグナルも観測しました。筆者らはこれが鉄(IV)オキソの伸縮振動であると帰属しました。その帰属を確かめるため、18O2 投与条件での赤外スペクトルを調査したところ、そのシグナルはした低波数側にシフトした 796 cm-1 に観測されました。この標識実験による波数のシフトはFe=O 伸縮振動を調和振動子モデルで、近似した場合の波数のシフトと近く鉄(IV)オキソの伸縮振動であるという帰属の妥当性を決定づけました。

鉄(IV)オキソ種のスピン状態の同定

鉄(IV)オキソ種のスピン状態の同定は主にメスバウアー分析により確かめました。一般的なメスバウアー分光法で見ているのは核のエネルギー準位の遷移です。そのエネルギー準位は、核が置かれた電子的環境 (酸化状態など) によって微妙に異なるため、メスバウアー分光法ではガンマ線源を物理的に動かすことで、ドップラー効果によってサンプルが感じる見かけの波長を掃引させてその吸収スペクトルを測定します。特筆すべき点は、一般的なメスバウアー分析だけでなく、磁場をかけた状態でのメスバウアー分析 applied magnetic field Mössbauer spectroscopyを行ったことです。磁場をかけることによって、外部磁場なしでは縮退していた核のエネルギー準位が分裂し、その分裂の仕方からスピン状態などの情報がより顕著にスペクトルに現れます。

初めに鉄(IV)オキソ種の前駆体となるFe1Zn4(prv)4(btdd)3 の通常のメスバウアースペクトル (外部磁場なし) を測定し、その後 100 K O2 投与後のメスバウアースペクトル (外部磁場なし) を測定したところ、新たなダブレットのシグナルが観測されました。その異性体シフト (isomer shift: 平たく言うとピークの位置) と四極子分裂 (quadruple splitting, ∆EQ, 平たく言うと分裂の幅) は、酵素の高スピン鉄(IV)オキソ種 TauD の値と近いことが確かめられました。さらに DFT 計算により、観測されたシグナルは 中間スピンS = 1 よりもむしろ高スピン S =2 の異性体シフトと四極子分裂とよく一致することも確かめられました。

磁場なしでの O2 雰囲気下のFe1Zn4(prv)4(btdd)3 のメスバウアースペクトル (論文から引用). 観測されたスペクトルは S = 2 の鉄(IV)オキソ種の異性体シフトや四極子分裂パラメータに似た値でモデルできました (茶色の線が鉄(IV)オキソ種のモデル).

上述のメスバウアースペクトルの結果は、高スピンS=2を示唆するものでしたが、確たる証拠にはなりえないと筆者らは考え、磁場をかけた状態でのメスバウアー分析を行うこととしました。 ただし、ピルビン酸を持つFe1Zn4(prv)4(btdd)3は、ピルビン酸のα位の水素の反応性の高さから、発生させた鉄(IV)オキソ種がそのα位水素と反応してしまい、鉄(IV)オキソ種由来のシグナルが強く観測できない問題がありました。そこで、カルボニルのα位にtBu基をもつαオキソカルボン酸である 3,3-ジメチル-2-オキソ酪酸 3,3-dimethyl-2-oxobutyrate  acid (著者らによる略称: moba)をもつピルビン酸の代わりに鉄部位に配位させたFe1Zn4(moba)4(btdd)3を鉄(IV)オキソの前駆体に使用することにしました。

このような反応性の調節の容易さは MOF の合成後修飾を利用したことの利点といえるでしょう。Fe1Zn4(moba)4(btdd)3 もO2の投与によって鉄(IV)オキソ種を発生させることはFe1Zn4(prv)4(btdd)3と同様にIR分光法により確かめられました。そして、無磁場のメスバウアースペクトルにおいても、高スピン S =2 鉄(IV)オキソに由来すると考えられるシグナルが観測されました。重要なことに、そのシグナルの強度から見積もられたサンプル内の全鉄種のなかでの鉄(IV)オキソ種の割合は、Fe1Zn4(prv)4(btdd)3 で観測されたときのそれよりも大きいことが確かめられました。これは、前駆体に用いたオキソ酸をα水素が多いピルビン酸からα水素を持たない3,3-ジメチル-2-オキソ酪酸 (moba) に変えたことにより、発生した鉄(IV)オキソの分子内反応経路が絶たれ、鉄(IV)オキソを高寿命化させることができたからだと考えられます。

さて、この高寿命化されたFe1Zn4(moba)4(btdd)3由来の鉄(IV)オキソを磁場存在下のメスバウアースペクトルおよび磁場不在のスペクトルをフィッティングしたところ、それらのスペクトルは S = 2 Fe(II) , Fe(III) と Fe(IV)=O の3種の鉄からなると示唆されました。論文中では言及されていませんが、Fe(II) はおそらく Fe1Zn4Cl4(btdd)3から Fe1Zn4(moba)4(btdd)3 を作るさいの moba の合成後交換において未反応だったFe(II)-Cl で、Fe(III)はその Fe(II)-Cl が酸化されたものか何かではないかと考えられます。重要なのは Fe(IV)=O のスピン状態です。観測されたスペクトルは Fe(IV)=O を高スピンS=2 としても、中間スピン S = 1 としてもフィットすることはできました。ただし、高スピン S =2 としてフィットしたときのパラメータ (異性体シフトと四極子分裂)はこれまでに報告されている酵素の高スピンFe(IV)=O 種のパラメータとよく一致し、中間スピン S = 1 としてフィットしたときのパラメータはこれまでに報告されている中間スピン種のパラメータとはかけ離れていました。これらのことから、今回単離された Fe(IV)=O 種は高スピン S =2 として帰属するのが最も妥当であると結論されました。

磁場をかけた状態での O2 雰囲気下の Fe1Zn4(moba)4(btdd)3 のメスバウアースペクトル (論文から引用). 青色の実線, 緑の実線, 茶色の実線, 茶色の破線はそれぞれ, 高スピンFe(II), Fe(III), S = 2 Fe(IV)=O, そしてクラスター内での反強磁性相互作用により実効的に S = 0 になった Fe(IV)=Oのモデル.

NRVS スペクトル

NRVS (Nuclear Resonance Vibrational Spectroscopy) はシンクロトロン設備を利用したメスバウアー分光法の変法で、メスバウアー効果を示す核に特異な分子振動を観測することができる振動分光法です6。通常のメスバウアーでは 57Fe の核のエネルギー準位に関する遷移を観測しますが、核のエネルギーの遷移に付随する振動励起を観測するのです。筆者らは NRVS を利用し Fe(IV)–O 二重結合の伸縮振動を観測し、鉄(IV)オキソ種の発生をさらに確認しました。さらにピルビン酸が脱炭酸して生じる酢酸イオンは、二座配位子として鉄に配位していることも示唆されました。

コメント

本研究は、「MOF の化学的精密性や修飾容易性を利用した反応活性点のデザイン」「MOF の多孔性と剛直性を利用して反応活性種を単離」という研究のそもそもの着眼点が卓越しているだけでなく、さらに生物無機化学的にも重要な化学種を種々の先端の分析技術によって徹底的にキャラクタリゼーションを行っている、という点において読み応えのある論文でした。

次に読むべき論文は?

Selective Methane Oxidation by Molecular Iron Catalysts in Aqueous Medium
Fujisaki, H.; Ishizuka, T.; Kotani, H.; Shiota, Y.; Yoshizawa, K.; Kojima, T. Nature, 2023, 616, 476–481. DOI: 10.1038/s41586-023-05821-2

温和な条件で鉄触媒によりメタノールへメタンを酸化した報告。同じ鉄(IV)オキソ種による酸化をテーマにした報告であるものの、このNature誌への報告は、どちらかというと優れた触媒活性の報告に焦点をおいた報告で、この記事で紹介したような「鉄(IV)オキソ種の徹底的なキャラクタリゼーション」とは対比的な論文といえるでしょう。

補足: 知っておきたい背景知識 -オキソ種の電子状態と反応性-

本成果の重要な点は、高スピンの鉄(IV)オキソ種を単離してキャラクタリゼーションした点にあります。しかし、なぜ高スピンの鉄(IV)オキソは反応性が高いのでしょうか?その理由は「いくつかの仮説はあるもののまだよくわかっていない」のです。それについて説明するために、基礎無機化学の結晶場理論を解説しながら鉄(IV)オキソのスピン状態について考えましょう。

鉄(IV)オキソが 6 配位であるとして、話を単純化するためにオキソ基以外はすべて等価であるとしておきましょう。八面体 Oh 対称性 の d 軌道分裂である 2-3 分裂を出発点とします。オキソ基は、鉄と二重結合して比較的短い結合を作っていると考えられます。これをアキシャル位に短い結合をもつように Jahn-Teller ひずみを起こした歪んだ構造とみることもできます。このような幾何構造における d 軌道の分裂は学部レベルの教科書にも載っています。すなわち、オキソ基が z 軸方向にあるとすれば、z 成分をもつ d 軌道はより不安定化して、そうでない d 軌道は相対的に安定化する、と結晶場理論では考えます。その結果、上のように1-1-2-1型のd軌道分裂が提案されます (一般的な Jahn-Teller 歪みでは アキシャル方向の結合が長くなるので、z 成分を持つ軌道は安定化してその他の軌道は相対に不安定化し、1-1-1-2型の分裂をすることもリマインドしておきましょう)。

上は簡単のために結晶場理論を用いましたが、配位子場理論を利用しても同様の結論は得られます。上の結論から高スピン種の反応性について次のようなことが推察されます。

高スピンであるということは d 軌道の分裂が小さく、エネルギー準位が詰まっているということなので、高スピン状態では空のdz2 軌道のエネルギー準位が中間スピン状態のそれよりも低く、空のdz2 軌道が C-H 結合からH原子を引き抜くのに適している

高スピン状態ではFe-L エカトリアル 結合に関してσ反結合的なdx2-y2結合に電子が一つ収容されているためFe-L エカトリアル 結合が長くなっており、基質が 鉄(IV)オキソ中心に近づきやすい

ただし、上の説明はまだ仮説にすぎません。いろいろと説明が長くなりましたが、重要なことは「高スピン鉄(IV)オキソは中間スピンよりも反応性が高いことが示唆されている」ことと「ただしその理由はよくわかっていない」ということです。

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関連リンク

参考文献

  1. Hou, K.; Börgel, J.; Jiang, H. Z. H.; SantaLucia, D. J.; Kwon, H.; Zhuang, H.; Chakarawet, K.; Rohde, R. C.; Taylor, J. W.; Dun, C.; Paley, M. V.; Turkiewicz, A. B.; Park, J. G.; Mao, H.; Zhu, Z.; Alp, E. E.; Zhao, J.; Hu, M. Y.; Lavina, B.; Peredkov, S.; Lv, X.; Oktawiec, J.; Meihaus, K. R.; Pantazis, D. A.; Vandone, M.; Colombo, V.; Bill, E.; Urban, J. J.; Britt, R. D.; Grandjean, F.; Long, G. J.; DeBeer, S.; Neese, F.; Reimer, J. A.; Long, J. R. Reactive High-Spin Iron(IV)-Oxo Sites through Dioxygen Activation in a Metal–Organic Framework. Science 2023, 382 (6670), 547–553. https://doi.org/10.1126/science.add7417.
  2. Olivos-Suarez, A. I.; Szécsényi, À.; Hensen, E. J. M.; Ruiz-Martinez, J.; Pidko, E. A.; Gascon, J. Strategies for the Direct Catalytic Valorization of Methane Using Heterogeneous Catalysis: Challenges and Opportunities. ACS Catal. 2016, 6 (5), 2965–2981. https://doi.org/10.1021/acscatal.6b00428.
  3. Basch, H.; Mogi, K.; Musaev, D. G.; Morokuma, K. Mechanism of the Methane → Methanol Conversion Reaction Catalyzed by Methane Monooxygenase: A Density Functional Study. J. Am. Chem. Soc. 1999, 121 (31), 7249–7256. https://doi.org/10.1021/ja9906296.
  4. Hohenberger, J.; Ray, K.; Meyer, K. The Biology and Chemistry of High-Valent Iron–Oxo and Iron–Nitrido Complexes. Nat. Commun. 2012, 3 (1), 720. https://doi.org/10.1038/ncomms1718.
  5. Kovaleva, E. G.; Lipscomb, J. D. Versatility of Biological Non-Heme Fe(II) Centers in Oxygen Activation Reactions. Nat. Chem. Biol. 2008, 4 (3), 186–193. https://doi.org/10.1038/nchembio.71.
  6. Scheidt, W. R.; Li, J.; Sage, J. T. What Can Be Learned from Nuclear Resonance Vibrational Spectroscopy: Vibrational Dynamics and Hemes. Chem. Rev. 2017, 117 (19), 12532–12563. https://doi.org/10.1021/acs.chemrev.7b00295.
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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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