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スポットライトリサーチ

「弱い相互作用」でC–H結合活性化を加速

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第616回のスポットライトリサーチは、理化学研究所 環境資源科学研究センター(機能有機合成化学研究チーム)にて特別研究員をされていたYushu Jin 先生にお願いしました。Jin先生は現在、東京理科大学 理学部第一部(松田研究室)の助教に着任されています。

今回ご紹介するのは、弱い相互作用であるCH-π相互作用によって加速されるC-H結合活性化に関する研究です。スピロビピリジン配位子とイリジウム錯体からなる触媒系により、ピナコールボラン(HBpin)を用いた場合ではこれまで難しかった電子豊富なアレーン基質でのC-Hホウ素化を報告されました。計算に加えて、重水素標識をした配位子を用いる速度論同位体効果実験により、配位子とアレーン基質の間に働くCH–π 相互作用が反応促進に関与していることを示されました。

本成果はNature Communications 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。

Noncovalent Interaction with a Spirobipyridine Ligand Enables Efficient Iridium-Catalyzed C-H Activation
Jin, Y.; Ramadoss, B.; Asako, S.; Ilies, L. Nat. Commun. 2024, 15, 2886. DOI: 10.1038/s41467-024-46893-6

共著者でもあるLaurean Ilies 先生浅子 壮美 先生から、Jin先生について以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!

イリエシュ先生

Yushu君とは3年間一緒に働き、2つのプロジェクトが論文になりました。さらに、後輩たちがいくつかのプロジェクトを引き継いで展開してくれています。彼は当研究室に大きな貢献をしており、深く感謝しています。本記事に関する論文は、私がこれまで関わった論文の中で最も時間と手間を要したものです。初めて投稿したのは2022年8月で、最終的にアクセプトされたのは2024年3月でした。CH­–πのような弱い相互作用で本当に反応加速効果を説明できるのかという点が、審査員に叩かれ続けました。様々な理論計算手法を用いて検証しても完全には説得できませんでした。しかし、最初の論文投稿から1年経った頃、私はほとんど諦めていましたが、彼は3ヶ月かけてD化された配位子を合成しました。これは大きなギャンブルでした。反応速度に実験誤差以上の変化が出なければ、それでおしまい。幸いにもはっきりと反応速度の差が出て、すぐに論文がアクセプトされました。面白いサイエンスを求めて諦めないYushu君、これからも助教として素晴らしい研究と学生指導を実践してくれることでしょう。

浅子先生

Yushu君とは2021年から3年間にわたり研究生活を共にしてきました。日本で学位を取得し、日本での生活も長いので、国際色豊かな当研究室では「日本人」としてチーム運営においても活躍していただきました。研究においては、私が理化学研究所に着任後に始めたスピロビピリジン化学を推進する中心的な人物として、プロジェクトを大きく発展させてくれました。とにかくフットワークが軽く、持ち前の前向きな性格で複数のプロジェクトを併行して器用に進める姿にいつも驚かされました。重水素化配位子を合成し、速度論実験の実施、解析をしていた頃の濃密なディスカッションは今でも思い出されます。本プロジェクトは潜在的な応用分野が多岐に渡るため研究アイデアもたくさん生まれますが、小さいチームで一度にできることは限られます。そのような中でも、精力的に何人分もの貢献をしていただきとても感謝しています。今回の研究以外にも彼がゼロから始めた研究の種を後輩たちが引き続き育てています。今後の報告をご期待ください。助けられてばかりの私の貢献は、日本語教師としてでしょうか。日本語はもともと堪能でしたが、日常会話でも研究についても私が容赦無く日本語で話しかけていたためか、3年間でさらにレベルが向上したと思います。新天地でもYushuな研究者、教育者として活躍されることを期待しております。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

地球上の豊富な資源を利用し、短時間で効率よく目的化合物を合成する技術の開発は、持続可能な社会の実現へ向けた重要な課題です。豊富に存在する炭化水素化合物は一般に反応性が低いものの、直接原料として用いることができれば、医農薬品や機能性分子などの標的化合物を短工程で合成できるようになります。そのような分子変換法として遷移金属触媒を用いた芳香族化合物のホウ素化反応が挙げられ、中でもイリジウム(Ir)錯体とビピリジン系配位子からなる触媒系がよく知られています。しかしながら、特にピナコールボラン(HBpin)をホウ素化剤に用いて、電子豊富な芳香族炭化水素を温和な条件で反応させることは、依然として困難な課題でした。

当研究室では最近、平面的な構造をもつ2,2’-ビピリジンを3次元的に拡張したスピロビピリジン(SpiroBpy)配位子の機能開拓を精力的に進めています。例えば、スピロビピリジンに「屋根」を取り付けた配位子「ルーフ配位子」を設計し、遠隔位立体制御を可能とすることで、イリジウム触媒による芳香族炭化水素のメタ位選択的なホウ素化反応が進行することを報告しました。1,2,3,4 本研究では、「屋根」を取り除いたSpiroBpy配位子そのものとイリジウム錯体からなる触媒系が、フェノール、アニリン、アルキルベンゼン誘導体といったさまざまな電子豊富な基質のホウ素化反応に対し、よく用いられるdtbpy配位子やtmphen配位子より顕著な加速効果を示すことを明らかにしました。本触媒系は、医薬品分子や生物活性物質のホウ素化にも適用可能であり、グラムスケールでも問題なく反応が進行します。理論計算や重水素標識したSpiroBpy配位子を用いた速度論的同位体効果実験から、SpiroBpy配位子と基質の間に働く非共有結合性相互作用、特にCH–π相互作用が、反応促進の要因の一つであることが示唆されました。このような弱い相互作用を使った触媒活性の向上は、これまでほとんど例がありませんでしたが、SpiroBpy配位子の剛直な3次元構造を活かすことで可能になりました。C–H結合およびπ電子は有機分子のありふれた要素であるため、さらなる応用が期待されます。

 

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

SpiroBpy配位子とアレーン基質の間に働くCH­–π 相互作用が反応促進に関与していることをどのように証明するかについて非常に悩みました。量子化学計算を用いてCH­–π 相互作用の関与をある程度示すことができたものの、実験的な証拠がない状況が続きました。改めて文献調査をしたところ、弱いCH­–π 相互作用を利用して超分子構造や結晶中の分子配列を熱力学的に安定化した例は多いのに対し、化学反応の遷移状態を速度論的に安定化して触媒活性の向上を図った例がほとんどないことに気づきました。また、そのような例も計算化学による研究に限られていました。これはCH­–π 相互作用の反応遷移状態への関与を実験的に証明する価値があるのではないかと考えました。結果的に、重水素標識したSpiroBpy-d8配位子を合成し、SpiroBpy配位子を用いた場合と反応速度が異なることを実験的に示すことができました。負の配位子速度論的同位体効果(SpiroBpy-d8配位子を用いた方が反応が速い)が得られたのも非常におもしろかったです。長い時間を経てこの結論に辿り着いた日のことは今でも鮮明に覚えています。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

前述の通り、CH­–π 相互作用が反応促進に関与していることを実験的に示すことが最大の課題でした。SpiroBpy配位子に何か置換基を導入して間接的に影響を見ることも考えられますが、置換基導入に起因する別の効果が弱いCH­–π 相互作用の効果を上回ると明確な結論を導くことができない懸念がありました。そこで、その他の影響を最小限にすべく、より直接的にCH­–π 相互作用とCD­–π 相互作用で反応速度に差が生じるかを調べることにしました。最初の難関は、重水素標識した配位子の合成でした。重水素含有の市販化合物がかなり限られるため、合成ルートを綿密に計画し、最終的に3ヶ月かけて重水素標識されたSpiroBpy-d8配位子を手に入れました。また、SpiroBpy配位子とSpiroBpy-d8配位子を用いた速度論的実験では非常に弱い相互作用の差を観測することになるため、実験誤差を最小限に抑えるのも重要です。全ての試薬について精密秤量したストック溶液を調製し反応に投与し、それぞれの配位子について同一の反応容器と撹拌子を用いた反応を複数回繰り返しました。さらに、得られた実験結果を正しく分析するため、指導者の浅子さんと共に勉強した上で多くの先生方と議論し、たくさんのご助言をいただきました。研究室内のチームワークだけでなく、さまざまな専門の先生方から智慧を借りるのも大事だということを今でも深く感じています。

 

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

日本に来て12年になりました。当初は何も分からない大学院生でしたが、先生方、先輩方のご指導のおかげでここまで成長することができました。学部以来、私は日本、米国、中国の3ヶ国で長期研究した経歴があります。国によって文化の差異や研究者の考え方の違いがあることが興味深く、視野を大きく広げることができたことは、研究者として大切な宝物です。世界トップレベルの研究者たちの研究姿勢や研究生活を肌で感じた経験から、自分も世界トップレベルの研究をやりたい気持ちが湧いてきます。

2024年4月から、東京理科大学松田研究室にて助教として新たな研究キャリアが始まりました。これまでとは異なり、研究や実験だけでなく学生の教育にも取り込む必要があり、私にとって新しい挑戦になります。学生たちとは仲良く気軽な雰囲気で研究を進めるのが私のスタイルです。これまでの経験を活かし、いつも新しいチャンレンジングな研究テーマに挑戦し続ける研究者になれるよう頑張りたいと思います。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

今回の研究は、私が今まで行った研究の中で最初の投稿からアクセプトまで一番時間がかかった研究でした。リジェクトの知らせを受けるたびに心が折れそうでしたが、悔しい気持ちを実験のモチベーションに変えるよう努めました。一度立ち止まり文献調査を通して改めて研究の意義を明確にできたことで、よりしっかりと反応機構を研究し実験データを追加する決意を固めることができました。いくつかの困難を乗り越え、最終的には興味深い実験結果が得られたためか、最後の論文投稿は順調でした。今振り返ると、厳しい論文査読が研究をより磨き上げ、成功への鍵になったわけですが、それも研究のおもしろさの一つではないかと感じています。勝敗に関わらず、最後まで諦めず自分ができることを頑張ってやり尽くす、これこそが研究者としてもっとも美しい姿ではないかと思います。

最後に、これまで研究を指導いただいたLaureanさんと浅子さん、支えていただいた研究室および理研の皆様に感謝申し上げます。そして、実りある議論とご助言をいただいた平岡秀一先生(東京大学)、岡本和紘先生(北海道大学)、五月女宜裕先生(立命館大学)、大岡英史博士(理化学研究所)、吉野達彦先生(京都大学)、楠本周平先生(東京都立大学)にこの場を借りて感謝申し上げます。

研究者の略歴

名前:金 玉樹 Yushu Jinきん ぎょくき
所属:東京理科大学 理学部第一部 応用化学科 松田研究室 助教
略歴:
2015年3月 九州大学 大学院理学府 修士課程 修了(指導教員:桑野良一 教授)
2015年8月〜2016年3月 University of California, Berkely, USA 訪問学者(Prof. John F. Hartwig)
2018年3月 九州大学 大学院理学府 博士後期課程 修了 博士(理学)(指導教員:桑野良一 教授)
2018年4月 東京工業大学 理学院化学科 博士研究員(指導教員:岩澤伸治 教授)
2021年4月 理化学研究所 環境資源科学研究センター 特別研究員(チームリーダー:Ilies Laurean)
2024年4月〜現職 東京理科大学 東京理科大学 理学部第一部 応用化学科 助教(指導教員:松田学則 教授)

関連リンク

  1. Ramadoss, B.; Jin, Y.; Asako, S.; Ilies, L. Science 2022, 375, 658–663.
  2. https://www.riken.jp/press/2022/20220211_1/
  3. Asako, S.; Ilies, L. Synlett 2023, 34, 2110–2116.
  4. https://www.tcichemicals.com/JP/ja/p/B6552

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大学院生です。ケモインフォマティクス→触媒

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