第 608回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院 生命科学院 生命科学専攻 生命医薬科学コース、創薬科学研究教育センター 有機合成医薬学部門 (市川聡 研究室) 修士課程2年 (研究当時) の 永見 正太郎 (ながみ・しょうたろう) さんにお願いしました!
市川研究室では、創薬を志向した生理活性天然物の全合成と、それらの構造展開による構造活性相関研究・標的同定、さらに核酸創薬や創薬ライブラリの展開など、多様なモダリティを活用した革新的有機化学・創薬化学研究を展開されております。
永見さんの研究グループでは、創薬応用に有用な、熱や光に応じて構造変換が起こる新規分子スイッチの合成を達成しました。これまでに報告された分子スイッチは、剛直な炭素骨格から構築されたものが多く、応用性に難がありました。今回の研究では、構造展開の容易なベンズアミド構造に着目し、その構成原子である酸素原子を同族元素の硫黄やセレン (カルコゲン) に置換することで、分子スイッチとしての特性を付与することに成功しました。
本研究の成果は高く評価され、Nature Chemisty 誌に掲載されるとともに、北海道大学よりプレスリリースも行われました。
Photoinduced dual bond rotation of a nitrogen-containing system realized by chalcogen substitution
Shotaro Nagami, Rintaro Kaguchi, Taichi Akahane, Yu Harabuchi, Tohru Taniguchi, Kenji Monde, Satoshi Maeda, Satoshi Ichikawa* & Akira Katsuyama*
Nature Chemistry, 2024, DOI: 10.1038/s41557-024-01461-9.Abstract
Photoinduced concerted multiple-bond rotation has been proposed in some biological systems. However, the observation of such phenomena in synthetic systems, in other words, the synthesis of molecules that undergo photoinduced multiple-bond rotation upon photoirradiation, has been a challenge in the photochemistry field. Here we describe a chalcogen-substituted benzamide system that exhibits photoinduced dual bond rotation in heteroatom-containing bonds. Introduction of the chalcogen substituent into a sterically hindered benzamide system provides sufficient kinetic stability and photosensitivity to enable the photoinduced concerted rotation. The presence of two different substituents on the phenyl ring in the thioamide derivative enables the generation of a pair of enantiomers and E/Z isomers. Using these four stereoisomers as indicators of which bonds are rotated, we monitor the photoinduced C–N/C–C concerted bond rotation in the thioamide derivative depending on external stimuli such as temperature and photoirradiation. Theoretical calculations provide insight on the mechanism of this selective photoinduced C–N/C–C concerted rotation.
本研究を現場で指揮され、本論文の Corresponding Author でもある助教の 勝山 彬 先生よりコメントを頂戴しました!
この研究は単純な有機化合物の立体構造に着目したもので、これまでの研究室の流れとは大きく異なるものでした。そのような、ある意味で先のわからない研究を選んで一緒に進めていってくれたのが永見くんです。当初は分離できるかどうかよくわからない化合物に対して分離条件を詰めていく過程や、分離後の化合物をなるべく異性化させないように扱うことなど、永見くんのきめ細やかな観察力が本研究の根幹となっています。HPLC チャートを眺めながら、光と熱で異なる異性体が生成するという実験事実を見つけたときはとても興奮したのを覚えていますし、このような化合物の基本的な性質に興味を持てる永見くんだったからこそ、本テーマが論文として形になったのだと思います。本記事を読んでいただければ、読者の皆さんにも単純な有機化合物でも調べてみると面白いことがまだまだ眠っているかもしれないと思ってもらえるのではないでしょうか。
それでは、インタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
アミドのカルボニル炭素にベンゼン環が結合したベンズアミド構造は、安息香酸とアミンから簡単に合成可能であるため、多くの医薬品に見られる構造です。この構造は炭素―窒素 (C-N) 結合の回転により幾何異性体が、ベンゼン環炭素とカルボニル炭素 (C-C) 結合の回転によりアトロプ異性体が存在します。これにより、ベンズアミド構造は不斉点を持たずに 4 つの立体配座が存在します (図1)。しかしながら、C-N 結合回転は室温下で分離できないほど速く、これらが異性体として区別されることはあまりありません。
図1 ベンズアミド構造の4つの立体異性体 |
本研究では、オルト置換基を持つベンズアミド構造について、カルコゲン元素に着目し、酸素から硫黄やセレンに変換したベンズチオアミド・セレノアミドを合成しました。この変換により、C-N 結合回転のエネルギーが大きく上昇し、ベンズアミド類の4つの立体異性体の室温での分離に成功しました。さらに、チオアミド1-S の単一の立体異性体 E-(R) 体に対して、60˚Cで 48 時間異性化させると、C-N 結合のみが回転した Z-(R) 体のみが生成しました。一方で、4˚Cで390nmの紫外光を照射する光照射条件では、C-C/C-N 結合両方が回転した Z-(S) 体が優先して生成しました (図2)。このように、2つの結合回転が熱と光によって異なる挙動を示すことを見出しました。論文では量子化学計算を用いて、この結合の同時回転について詳しく説明していますので、ぜひご覧ください。
図2 カルコゲン元素置換による結合回転の性質変化 |
また、熱異性化では C-N 結合回転が優先し、光異性化では C-C・C-N 結合同時回転が優先するこの現象は、熱的に不安定で、かつ紫外線吸収による異性化を起こさないベンズアミドでは直接の観測が困難な現象です。加えて、ヘテロ原子 (N) を含む結合回転系において、複数の結合の光同時回転に関する初の例であることが明らかになりました。今後、より高選択的に結合回転を操作できるようにすることで、新たなフォトスイッチ分子の開発などの有機化合物の立体構造制御に役立つと期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
結合回転についての実験データがあまり報告されていないベンズセレノアミドに着目した部分です。当初はベンズアミドのチオアミド化によって、2 つの結合回転を固定することを主軸に研究を進めていました。その中で、「硫黄よりもさらに原子半径の大きなセレンだとどうなるのだろう」という純粋な興味から、セレノアミドを合成し、その異性化を観測しました。
ここで、セレノアミドの立体異性体の分離の際、アミド・チオアミドより異性化の速度が速くなっていることに気づきました。ここで、熱以外の要因で異性化が起こっているのではないか?と考え条件を細かに変えて調査したところ、部屋の照明器具から発せられる可視光による異性化が起こっていることが明らかになり、チオアミドの紫外線照射による異性化の検討に繋がりました。実際に、それぞれの化合物のUV吸収スペクトルを測定すると、吸収波長が異なっており、セレノアミドが可視光で結合回転が起こりやすいことが示唆されました (図3)。純粋な興味から新たな発見に繋がったことがとても面白く、思い入れがある部分です。
図3 ベンズアミド類のUV吸収スペクトルの比較 |
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
各異性体の立体構造を決定するところです。チオアミドのキラル HPLC スペクトルが 4 本確認できたことから、4 種類の立体異性体が存在することは分かっていましたが、結合回転により異性体比率が変化してしまうため、結晶化に時間を要するX線結晶構造解析を用いることができませんでした。そこでまず、オルト位の置換基とアミドの窒素上置換基の NOE 相関から幾何異性体を決定しました。当初オルト位の置換基は両方ハロゲン原子 (I と Cl)だったのですが、Me 基へ変更することによりベンジル位水素との相関が観測できるようになり、幾何異性を決定することができました。また、鏡像異性体については溶液状態で観測可能な VCD スペクトルを用いることで解決しました。これは、赤外領域の円二色性スペクトルを観測し、DFT 計算によって算出される理論スペクトルと比較して絶対立体配置を決定します。溶液状態のまま 2 時間程度で観測可能であるため、今回の化合物の絶対立体配置決定に有力でした。難点としてはかなり濃い溶液サンプルが必要だった点でしょうか。1 つの立体異性体を選択的に合成することは現時点では難しいため、分析用のキラル HPLC で各ピークを微量ずつひたすら分取していたのは良い思い出です。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
化学を全く知らない人にも化学を通して貢献できるような仕事をしていきたいです。私は化学の面白い点は、単純な発見を駆使することで人々の生活を豊かにできる商品やサービスを生み出せるところにあると思っています。普段何気なく使っている医薬品や製品なども、ノーベル賞等のさまざまな歴史的発見が根底にあると考えるとわくわくします。仕組みや原理などが分からなくとも、人々の助けになるものを生み出したり提供したりする一助ができればよいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!
私の携わった研究テーマは研究室の中でも異質なもので、当初自分以外に取り組んでいる学生はいませんでした。周りはペプチドや全合成などの研究が多く、物理化学的な側面の強いこの研究はゼミや発表の場でもなかなか理解されづらいものだったように感じます。ただ、私はむしろこの環境だからこそ今回のような新たな発見ができたのではないかと考えています。周りに理解してもらえるように分かりやすく丁寧に説明・相談することを心掛けた結果、当たり前だと捉えていた前提や基礎の部分をより注意深く考えられていたと感じています。目の前の取り組んでいることに没頭することも大切ですが、時には原点に立ち返って考えてみることが、意外な発見に繋がるかもしれないと思います。
最後になりますが、本研究の遂行にあたり、VCD スペクトルの測定・解析についてご指導いただきました北海道大学 谷口 透 講師、門出 健次 教授、そして量子化学計算による調査に関してご指導いただきました北海道大学 原渕 祐 助教、前田 理 教授に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。また、日々の研究活動に関して懇切丁寧にご指導くださいました市川先生と勝山先生、有益なディスカッションを賜った有機合成医薬学研究室の皆様に心から御礼申し上げます。そして、今回このような紹介の機会をくださった Chem-Station の皆様に深く感謝いたします。
研究者の略歴
名前: 永見 正太郎
所属 (当時): 北海道大学大学院 生命科学院 生命科学専攻 生命医薬科学コース 修士課程2年
創薬科学研究教育センター 有機合成医薬学部門 (市川 聡 教授 主宰)
研究テーマ: カルコゲン元素置換によるベンズアミド類の2つの結合回転の制御と活用
永見さん、勝山先生、インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました!
それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!
市川研・勝山彬先生のケムステVシンポ講演動画