アジド基もしくはアジ基 (-N3) といえば、ケムステ読者の皆さんがまず連想するのはクリックケミストリーにおける足場としての利用ではないでしょうか。他にはクルチウス転位、アミンへの還元、創薬現場ではシアンとの反応によるテトラゾールの構築など、さまざまな用途が考えられます。とりわけクリックケミストリーにおいては、そのゴールデンスタンダードとなる銅触媒 Huisgen 環化付加反応による CuAAC、歪みアルキンを用いた SPAAC のいずれにおいてもアジドが大活躍します。
そもそもクリックケミストリーにおいてアジドが頻繁に用いられるのは、生体適合性の高さ、つまり対となるアルキン以外とほとんど反応しない官能基 (=夾雑する生体分子と反応しにくい) であることがまず挙げられる理由です。そのため、近年は生体分子のラベリングやアクティベイタブル蛍光プローブなど、ケミカルバイオロジー分野での利用が非常に盛んです。では一方で、創薬の現場ではどうでしょうか。まず考えられるのは、先にも挙げたテトラゾール構築のビルディングブロックとしての利用です。テトラゾールはカルボン酸のバイオアイソスターとして適用でき、適度な脂溶性を有するため、数多くの医薬品やその候補化合物に頻出する構造となっています。このように合成中間体として考えられることの多いアジドですが、実は一部の医薬品にはアジド基そのものを有する激レアな化合物が存在しています。
世界初の抗 HIV 薬
その最も有名な例は、世界で初めて商品化された抗 HIV 薬「ジドブジン (図1)」です。ジドブジン (ZDV; 抗 HIV 薬は三文字の略記で表されることが多い) は別名アジドチミジン (AZT) とも呼ばれます。そのまんまですね。高学年の薬学生や薬剤師なら見たことはなくても聞いたことはあると思います。先発品の商品名はレトロビル®といいますが、臨床では商品名よりも ZDV や AZT など略称で呼ばれることが多いです。以下、本記事ではアジドに注目しているので、分かりやすく「アジドチミジン」と表記します。
図1 アジドチミジン (ジドブジン) の構造式 |
アジドチミジンはもともと 1964 年に、Michigan Cancer Foundation の J.P. Horwitz 博士らによって初めて合成の報告がなされましたが[1]、それは抗悪性腫瘍薬を目指したものでした。そもそも AIDS の病因として HIV が同定されたのは 1983 年なので、アジドチミジンの創製当時は抗ウイルス薬の嚆矢であるアシクロビル (抗ヘルペスウイルス薬) すら見出されていなかった時代になります。この時の Horwitz らの研究は、チミジンの3位ヒドロキシ基をメシル化した上で、そこにアジドやヨウ素などの求核剤を反応させるという現代から考えると単純なものでした (図2)。アジドは当時でも比較的簡単に手に入る良い求核剤であることから、構造変換においてしばしば利用されていたようです。ナトリウムアジドではなくリチウムアジドをわざわざ使っている点に時代を感じますが。
図2 アジドチミジンの合成[1] |
一方、後天性免疫不全症候群 (AIDS) は1981年に爆発的な流行を見せました。そのわずか4年後、当時アメリカ国立衛生研究所 (NIH) に所属していた日本人の満屋 裕明 (みつや・ひろあき) 博士らが構築したアッセイ系において強力な抗 HIV 活性が見出され、それから 2 年で開発元のバローズ・ウェルカム (現在のグラクソ・スミスクライン) が製品化にこぎつけ、見事 AZT は史上初の抗 HIV 薬として上市されることとなりました。(ちなみに権利関係の問題など承認までにはいざこざがあるようで、詳しくはWikipediaをご覧ください)
では、抗 HIV 活性におけるアジドの役割とは如何なるものでしょうか? …実は、アジドの存在自体は薬理活性と本質的な関係を持たないようです。当時満屋博士らが立てた仮説は「2,’3’-dideoxynucleosides という核酸誘導体に抗 HIV-1 活性がある」というもので[2]、その仮説は的中し、アジドを持たないジダノシンとザルシタビン (図3) にも相次いで抗 HIV 活性が認められ承認に至りました (現在、この2剤は臨床使用されていません)。
図3 第2、3 の抗 HIV 薬ジダノシン、ザルシタビンの構造式 いずれもテトラヒドロフラン環2位、3位に置換基を持たない |
要は逆転写酵素によるレトロウイルス増殖の足掛かりとなるリボース環3位ヒドロキシ基を欠いた核酸誘導体であればよかったのです。詳細は不明ですが、たまたま既に合成されていたアジドチミジンが手元にあったのでアッセイしてみたら見事にヒットしたというところでしょうか。その後アジドチミジンは効力や副作用、耐性ウイルス出現の問題などもあり単剤での使用はなされず、現在の抗HIV療法の主流である多剤併用療法 (ART) の発展へと繋がっていきます。しかしながら 2024 年現在もアジドチミジンは承認薬として残っており、母子感染の予防などに用いられています。
アジドチミジンの安全性・安定性
さて、既承認薬でアジドを含む化合物がほぼ見られない中、気になるのはその安全性です。アジドチミジンには骨髄抑制などの重篤な副作用が認められていますが、それはアジドチミジンに限ったものではなく核酸系逆転写酵素阻害薬 (NRTI) に共通の副作用なので、アジドの影響というわけではなさそうです。
メーカーは製剤化にあたり安定性試験を行います。レトロビル®のインタビューフォームに記載されている安定性試験の一部の結果は以下になります。
各種条件で強制分解を行い、液体クロマトグラフィー (HPLC) にて検討した。その結果、ジドブジンは熱には安定で、酸、アルカリには比較的安定であったが、光照射に対しては不安定で分解を生じた。主分解生成物はチミンであった。
強力な光には弱いようですが、分解物は核酸塩基とテトラヒドロフラン環が開裂したものであって、アジド自体が弱いということではなさそうです。
ところで、医薬品としての重要な安定性項目には代謝安定性があります。主に肝臓などにおいて、いわゆる薬物代謝酵素によって受ける反応ですが、この場合アジドがターゲットとなるようです。シトクロムP450 などの薬物代謝酵素は主に酸化反応を触媒 (メチル基をヒドロキシメチル基に変換するなど) しますが、条件によっては還元酵素としても働き、アジドの場合はアミノ基への還元を触媒します。6 位ヒドロキシ基のグルクロン酸抱合を含めたアジドチミジンの肝代謝経路は図4のようになります。代謝物がアミノ基を持つというのがなんとも嫌な感じですね。
図4 アジドチミジンの肝代謝経路 |
アジドチミジン以外のアジド含有生理活性物質
アジドチミジン以外にも、分子内にアジドを含む生理活性物質は過去にいくつか開発または臨床応用していました。図5にまとめて紹介します。
図5 分子内にアジドを含む生理活性物質 |
アジドモルヒネはモルヒネの6位ヒドロキシ基をアジドに置換した誘導体であり、モルヒネの約 40 倍の薬理活性を in vivo で示すとされています[3]。アジドシリンはβ-ラクタマーゼ阻害薬 (抗菌薬) で、Globacillin® という商品名で 1970年代頃に臨床応用もされていたようです。別のタイプの抗菌薬クロラムフェニコールの誘導体にアジダムフェニコールがあります。1967年のノルウェーにおいてステロイドであるデキサメタゾンとの合剤として、軟膏の形で市販されていたとの記録があります[4]。近年では、LU-102 というプロテアソーム阻害薬が2015年に開発されています[5]。
しかし近年のメドケムにおいてアジドを積極的に残す例はほとんど見られず、結果としてアジドチミジンの奇抜さが目立っています。一方でケミカルプローブとしてのアジド化合物は続々と開発されており、in celluo や in vivo での利用は爆発的に増えています。Bioorthogonal な置換基として持て囃されるアジドですが、その毒性や代謝安定性などは、アジド含有医薬品の例が少ないためにイマイチ解明されていないのが現状ではないでしょうか。これらの問題がクリアできれば、アジドが構造活性相関の取得へ積極的に用いられるようになるかもしれません。その辺に残っているアジド中間体の生理活性を測ってみても良いかもしれませんね。
余談
利尿薬にトリクロルメチアジドとヒドロクロロチアジドという医薬品がありますが、これらは -thiazide をステムとして持つ医薬品であり、-N3 とは全く関係ありませんのであしからず。
参考文献
[1] J.P. Horwitz; J. CHUA, M. Noel, “Nucleosides. V. The Monomesylates of 1-(2′-Deoxy-β-D-lyxofuranosyl) thymine”, The Journal of Organic Chemistry, 1964, 29(7), 2076-2078.[2] 満屋裕明, HIV-1 感染症と AIDS の治療薬の研究開発の経験からみた NIH, https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/tyousakai/dai2/siryou05-1.pdf, 2024年1月7日閲覧.
[3] “Azidomorphine is an agonist of high-affinity opioid receptor binding sites”, Neurochem Res, 1986, 11, 1565-1569. DOI: 10.1007/BF00965775.
[4] Anton C. de Groot, “Monographs in Contact Allergy, Volume 3: Topical Drugs”, CRC PRESS, 2021, pp. 79.
[5] J. Kraus, M. Kraus, N. Liu, L. Besse, J. Bader, P.P. Geurink, G. de Bruin, A.F. Kisselev, H. Overkleeft, C. Driessen “The novel β2-selective proteasome inhibitor LU-102 decreases phosphorylation of I kappa B and induces highly synergistic cytotoxicity in combination with ibrutinib in multiple myeloma cells”, Cancer Chemother. Pharmacol, 2015 76(2), 383-396. DOI: 10.1007/s00280-015-2801-0.
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