第585回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻 羽馬研究室の齊藤 翔大(さいとう しょうた)さんにお願いしました。
羽馬研では、物理化学,表面科学,分光学的手法を用いて,太陽系の物質(彗星や隕石,地球の水など)が,宇宙でどのようにしてできたのかを知るために実験研究しています。最近では、地球大気化学や植物学など、さらに広い分野への貢献も目指しています。
本プレスリリースの研究内容は、環境中の脂肪酸の光吸収についてです。本研究グループでは、気候変動の予測に重要な海洋エアロゾルの未解決問題であった「脂肪酸の光吸収」について、独自の超高純度精製法を開発することで脂肪酸の真の光吸収を決定することに成功しました。この研究成果は、「Science Advances」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Impurity contribution to ultraviolet absorption of saturated fatty acids
Shota Saito, Naoki Numadate, Hidemasa Teraoka, Shinichi Enami, Hirokazu Kobayashi, and Tetsuya Hama*
Sci. Adv. 9, eadj6438 (2023)
研究室を主宰されている羽馬哲也 准教授より齊藤さんについてコメントを
齊藤翔大氏は当研究室で飽和脂肪酸(おもにノナン酸)の光反応とその地球大気化学における意義について研究を行ってきました.研究開始当初はノナン酸の光分解や蛍光を調べようとしていたのですが,齊藤氏は光反応の初期過程である「光吸収」がそもそもよくわかっていないことに気付き,まずはノナン酸の光吸収スペクトルの測定に取り組むことにしました.ノナン酸を含む飽和脂肪酸の光吸収は1931年から90年以上研究されてきた歴史があり,「飽和脂肪酸は太陽光を吸収する」という強い固定観念がありました.しかし齊藤氏は固定観念に囚われず,これまで報告されてきた飽和脂肪酸の光吸収は試薬中の不純物によって引き起こされている可能性を検討するために,研究室内のあり合わせで独自に再結晶装置のプロトタイプを作製し,ノナン酸試薬中の不純物を徹底的に除去する方法を模索しました.装置や再結晶法の改良を続けることで,最終的には-28℃で再結晶を15回にわたり繰り返すことで超高純度のノナン酸の精製に成功し,「ノナン酸は太陽光をほぼ全く吸収しない(吸収断面積が10-23 cm2以下)」ことを明らかにしました.液体の紫外光吸収スペクトルの測定というと大学の学部生の実験で行うような基礎的なものですが,齊藤氏の研究に対する粘り強い姿勢のおかげで光化学や地球大気化学において重要な意味をもつ研究が達成でき,とても嬉しく思っております.さらに2023年11月には本研究を第28回大気化学討論会で発表し学生優秀発表賞を受賞するなど,齊藤氏のこれからの活躍がとても楽しみです.
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
海洋エアロゾルは太陽光を散乱・吸収し、さらに雲の素(凝結核)として働くことで気候に影響を与えていると考えられています。そのため気候変動の予測精度の向上のためには海洋エアロゾルで起こる化学の解明がとても重要になります。
2016年に「海洋エアロゾルに含まれる脂肪酸の光反応」の重要性が指摘されて以来現在に至るまで、活発に研究されてきました。しかし、これまで脂肪酸が太陽光(295 nmより長波長の光)を吸収する理由についてはよくわかっておらず、「海洋エアロゾルの脂肪酸が太陽光を吸収し光反応を起こすのか?」については未解決問題となっていました。そこで本研究では、脂肪酸の光反応を定量するために重要となる「光吸収断面積」の測定を行いました。
脂肪酸のような液体の光吸収を測定するためには、試薬に含まれる”不純物”を徹底的に排除する必要があります。そこで、本研究グループはノナン酸を精製するために、再結晶法によって極めて高純度のノナン酸を精製しました。 この超高純度ノナン酸を紫外吸収分光法によって紫外光の吸収断面積を調べたところ、過去に報告されていた240-310 nmにおける光吸収は不純物であることを明らかにしました。本研究成果から、脂肪酸が太陽光を吸収するという定説は誤りであり、これまでの研究で報告されてきた光吸収は脂肪酸ではなく試薬に含まれる不純物の吸収であることを明らかにしました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
飽和脂肪酸の吸収スペクトルに、不純物のピーク成分が含まれていることに気づいたことです。もともとこのテーマは卒業研究の時から行ってきました。当時は飽和脂肪酸の光吸収断面積を190-300 nmの幅広い波長領域で定量することを目的としていました。しかし、光吸収測定を行っていると液体脂肪酸の種類によって、吸収の強度がまるで違うことに気が付きました。一般的に、脂肪酸の光吸収は脂肪酸の持つ官能基(カルボキシ基)によって決まると考えられるので、おかしな挙動だなと思っていました。そこで先行研究を調べていたところ、脂肪酸の吸収起源についてはほとんどまともに議論されていないことが分かりました。そこで、脂肪酸試薬中の不純物が影響しているのではないかと気付くことができました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
脂肪酸の再結晶用装置の作製と再結晶の温度条件の決定です。脂肪酸を再結晶するための装置は市販には無いので、再結晶用の装置を一から作製しました。実際に装置が完成したと思って、いざ再結晶してみると、うまく結晶が作れず装置の改良を何度も行いました。さらに再結晶を行うには温度条件も重要となります。温度を低くして再結晶を行うと、不純物も一緒に結晶に取り込まれてしまい、うまく精製することができません。しかし、高温で再結晶すると結晶の量が減るので、測定に必要なだけの量を回収できないことがわかりました。実際には脂肪酸の融点13℃程度に対して、-28℃まで低温にして再結晶を行いました。これは比較的低温の条件なので、結晶に不純物が取り込まれやすくなります。代わりに再結晶を15回繰り返して、回数でカバーすることで、高純度の脂肪酸を回収することに成功しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
本研究を通して、化学という立場から地球大気で起こる現象にアプローチする面白さに気づきました。実際の地球大気の現象はとても複雑で、まだまだ未解決の課題が多く残されています。それらを化学を通して一つ一つ紐解いていきたいと考えています。将来は研究で培った化学の知識を生かして、地球大気化学や気候科学などのより社会に直結した課題に貢献したいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました。最初にこの研究テーマに取り組んだ時は上手くいくか分からず、研究を行う難しさを知りました。しかし、それと同時に自らの手を動かして、色々考えながら試行錯誤するという研究でしか味わえない充実感も得られました。
最後になりましたが、本研究のきっかけを作ってくださった沼舘直樹助教、羽馬哲也准教授、実験を手伝ってくださった寺岡秀将さん、NMR測定と理論計算でお世話になった小林広和准教授、本研究に数々の助言をくださった江波進一教授にこの場をお借りして感謝申し上げます。また、このような素晴らしい機会を頂きましたChem-Stationのスタッフの皆様にも深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:齊藤翔大
所属:東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻 修士二年
研究室:羽馬研究室
研究テーマ:地球大気化学