第588回のスポットライトリサーチは、北里大学理学部(分子構築学講座)・瀧本 和誉 助教にお願いしました。
今回ご紹介するのは、「キラルセルフソーティング」という現象に関する研究についてです。キラルなイリジウム金属錯体にアルキル基を導入することにより、二量体と単量体の可逆性を生じることを見出し、また二量体がほぼ完全なホモキラル選別性を持つことを報告されました。さらに、合成したホモキラル二量体は熱や力によって単量体に分裂し、色が変化するという現象についても報告されております。本成果はJ. Am. Chem. Soc. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Thermo-/Mechano-Chromic Chiral Coordination Dimer: Formation of Switchable and Metastable Discrete Structure through Chiral Self-Sorting”
Takimoto, K.; Shimada, T.; Nagura, K.; Hill, J. P.; Nakanishi, T.; Yuge, H.; Ishihara, S.; Labuta, J.; Sato, H. J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 25160–25169. DOI:10.1021/jacs.3c05866
共著者でもある佐藤久子 先生、弓削秀隆 先生、石原伸輔 先生の3人の先生方から、瀧本先生について以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
佐藤久子 先生(愛媛大学大学院理工学研究科元教授:指導教官)(現在理学部研究員(プロジェクトリーダー)
常識を破る配位不飽和ながらに、安定にキラリティを保っている錯体の単離から始まった研究を発展させて、詳細に粘り強く珍しい挙動のメカニズムを解析されました。研究者としての路を着実に前進されていて、大変うれしく思います。研究者として初心を更新しつつ進んでください。独自分野を築いていってほしいですね。今後のさらなる研究の発展を期待しています。
弓削秀隆 先生(北里大学理学部教授:現職の上司)
今回の論文では最終段階近くで山あり、谷ありで、よく挫けず、あきらめず、耐えて完遂させたなと感じ入っております。これが「ぎりぎり20代の若さ」だけなのかどうかは今後にかかっています。この勢いを大切に。前へ前へと突き進んでください。
石原伸輔 先生(国立研究開発法人物質・材料研究機構 主幹研究員)
ゴールまであと一歩となった論文査読では「アルキル鎖の長さを変えるとどうなるのか?」というヘビーなレフェリーコメントを貰い、著者の間でも対応について議論があったものの、瀧本君は追加実験を行うことを選び、がっぷり四つの正攻法でレフェリーを納得させてJACS掲載を手中にしました。投稿時のプレプリント(ChemRxiv)と掲載論文を見比べると、瀧本君の努力が分かると思います。今後は本研究での発見や経験を活かして、独自のキラル錯体ワールドを開拓していくことを願っています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では、熱や力によって分裂して色が変わるクロミック二核錯体を「キラルセルフソーティング」という現象を利用して構築しました。
キラルセルフソーティングは、キラル分子が自他のキラル構造を選別しながら自発的に集合する現象です。例えば、絶対配置SおよびRのキラル分子が二量体を形成する際に、キラルセルフソーティングが無い場合には、RR, RS(=SR), SSの1:2:1混合物となりますが、キラルセルフソーティングが生じると、ホモキラル二量体(SS, RR)またはヘテロキラル二量体(SR, RS)が選択的に形成されます。この現象は自然界におけるキラルなナノ構造の形成(DNA二重らせん、ペプチドの折りたたみ構造、タバコモザイクウイルスなど)にも深く関わっており、その理解と応用は広い関心を集めています。キラルセルフソーティングは、高分子や無数の分子から成る巨視的な集合体において強く発現することが知られていますが、数個の分子から成る小さな集合体においてキラリティの十分な選別性を生じることは稀でした。そのため、外部刺激によってスイッチングが可能な小さな分子集合体の設計において、キラルセルフソーティングを取り入れることは長年見過ごされていました。
今回用いたプロペラ構造を有するキラルなイリジウム金属錯体(H-Ir)は二量体を形成することが報告されていますが、二量体としての安定性が高いため、二量体と単量体のあいだを自在にスイッチングさせることは困難でした。本研究では、イリジウム金属錯体(H-Ir)に適切な長さのアルキル鎖(メチル(Me)基やn-ブチル(nBu)基)を導入すると、アルキル鎖間の適度な立体反発によって二量体と単量体のあいだで可逆性が生じることを見出しました(図1a)。詳細な測定(紫外可視吸収スペクトル、核磁気共鳴スペクトル、単結晶X線構造解析など)を行ったところ、この二量体がほぼ完全なホモキラル選別性(同種のキラル構造によるキラルセルフソーティング)を有することを突き止めました(図1b)。キラルセルフソーティングの強さはホモキラル二量体とヘテロキラル二量体の結合定数の比(Khomo/Khetero)として評価され、その値が10を超えることは稀ですが、本錯体においては50以上と算出され、この値は小さな分子集合体からなる金属錯体としては世界最高レベルであることが判明しました。
また、ホモキラル二量体が熱や力などの外部刺激によって配位構造を変化させて、その物性をスイッチングできることも明らかにしました。溶液中での平衡において、室温では配位不飽和な単量体(5配位)が主成分ですが、低温では配位飽和なホモキラル二量体(6配位)が形成されて色が変化しました(サーモクロミズム現象: 図2a)。更に、ホモキラル二量体の結晶(黄色)は準安定状態にあり、スパチュラで押し潰すことで赤色に変わること(メカノクロミズム現象: 図2b)も発見しました(本論文のSupporting Informationに動画があります)。本成果により、キラルセルフソーティングの理解に重要な知見を与えるとともに、小さな集合体におけるキラルセルフソーティングが刺激応答性材料の設計(例:分子触媒、化学センサ、光電子デバイス)に応用できる可能性を示せたと考えています。可逆性を有する結合は動的な1~3次元ナノ集合体を構築する際の接合部位として有用です。今回報告した二量体は刺激応答性に加えて高度なキラル選別性も有しているため、より複雑なナノ構造体を構築するための結合ユニットとして有望であると期待しています。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
実験で一番印象に残っているのは、メカノクロミズム現象の発見です。ある日、バイアル瓶に入った固体サンプルの色が一部変わっていることに気が付きました。実験中に溶媒蒸気が入り込んで色が変わったのかと思ったのですが、内壁に付着した固体のみ色が変化していることに違和感を覚え、もしかして?とプレパラート上に粉末試料をのせてスパチュラで擦ってみました。すると粉末試料の色が変化したのです(メカノクロミズム現象)。まさにセレンディピティの瞬間でした。今思い返してみると、当時クロミズム材料に興味を持って関連論文を読んでいたので、僅かな色の変化に気づいて、メカノクロミズム現象と結び付けることができたのだと思います。
また、イントロ(論文の切り口)は推敲を重ねたので、思い入れがあります。上記の熱や力によって二量体が単量体へと分裂して色が変化する現象自体は研究の初期段階に見つかっていましたが、どのように解釈するか、どのような一般性があるか、を見出すのに苦慮していました。キラル分子集合体に関する総説を読み漁っていた際にキラルセルフソーティングという現象を知り、自分の系にも当てはまるのでは?と気が付いたところから論文のストーリーが一気に組み上がっていったのを覚えています。結果として、キラルセルフソーティングを利用した機能性材料の開発という展望にも結び付けることが出来ました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
研究テーマの中で最も困難だったのは、キラルセルフソーティングを平衡モデルから定量的に議論するためにデータの精度を確保することでした。例えば、温度可変NMRでは突然変なピークが現れ、これまで蓄積したデータと整合性が取れなくなり途方に暮れました。しかし、これは重ジクロロメタンの分解によるものであることが分かり、溶媒を炭酸カリウムに通して酸を除去することで問題を解決しました。その他にも、低温測定中に結露が発生して苦戦しましたが、測定セル室に乾燥窒素ガスを流すだけでなく、冷却時に使用する液体窒素に含まれる微細な氷をも取り除くことで、可能な限り再現性のあるデータを確保することが出来ました。
また、レフェリーから要求された追加実験は時間との競争でした。追加合成した類縁錯体の結晶データがなかなか得られず、あきらめかけましたが、なんとかリバイス原稿の投稿締切2日前に良質な結晶データを取得し、レフェリーの要求に応えることができました。かなり過密なスケジュールでしたが、ぎりぎり20代の若さで乗り越えられたかなと思っています(笑)。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
これまで「キラリティ」をキーワードに、錯体化学・無機材料化学・界面化学・計算化学などの分野を横断する学際的研究を進めてきました。研究者としてはまだスタートラインに立ったばかりですが、今回の論文は自分の研究人生におけるマイルストーンとなる研究だと確信しています。これからは今回得られた経験や知見をベースに、自分ならではのキラル分野を切り拓いていきたいです。将来的には、「生命におけるホモキラリティの謎の解明」や「社会実装を目指したキラル材料の開発」などに取り組んで、学術的にも社会的にも化学分野を盛り上げていければと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!学生時代からよく拝見していたChem-Stationに取り上げていただけるとは夢にも思いませんでした(もしできるなら、学生時代の自分にやったぜ!と伝えたいですね)。ここでは書ききれなかった裏話や苦労話もあるので、学会やセミナーなどで見かけたら是非お声がけいただければと思います。
2年前まで学生だった身としては、学生の皆さんには「何事にも挑戦してみるマインド」を持ち続けて欲しいです(自戒も込めて)。今回の研究は多くの共同研究者の方々のご助力がなければ達成できなかった成果です。そのような繋がりを持てたのは学生時代から積極的に研究室外の環境に飛び込んできたからだと思います。特に地方大学だと周りに博士課程の学生が少なく、研究者のコミュニティに参加する機会も減りがちなので、最初は危機感からでしたが、結果としては思っていた何倍も世界が広がったと実感しています。
最後に、本研究を進めるにあたりご指導賜りました愛媛大学大学院理工学研究科 佐藤久子 元教授(現 理学部研究員(プロジェクトリーダー))、北里大学理学部 弓削秀隆 教授、物質・材料研究機構(NIMS)石原伸輔 主幹研究員ならびにラブタヤン 主任研究員、多大なご助力を頂きました共同研究者の皆様に深く感謝申し上げます。また、研究紹介の機会を与えてくださったChem-Stationの方々に御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前:瀧本和誉(たきもとかずよし)
所属:北里大学理学部化学科 分子構築学講座
略歴:
2017年3月 愛媛大学理学部化学科卒業
2019年3月 愛媛大学大学院理工学研究科博士前期課程修了
2022年3月 愛媛大学大学院理工学研究科博士後期課程修了(指導教員 佐藤久子 教授)
2022年4月―現在 北里大学理学部化学科 分子構築学講座 助教(主宰 弓削秀隆 教授)
2018年10月~2022年3月 物質・材料研究機構MANAフロンティア分子グループ研修生(受入研究者 石原伸輔 主幹研究員)
2021年4月~2022年3月 日本学術振興会特別研究員DC2