概要
米国の女性科学者たちは科学界のジェンダーギャップにどのように向き合い,変えてきたのか …(中略)「科学の未来のために何ができるか」男女問わずよびかける科学への情熱が眩しい一冊!(引用:東京化学同人)
対象者
中学生以上。特に、科学分野でこれから活躍したい人、いま活躍している人。身近に女性科学者・技術者(の卵)がいる人にもおすすめ(上司、同僚、部下、指導教員、組織で指導的な立場にいる人、小中高生の教職員や保護者、パートナー、家族)。
目次
日本語版読者のみなさんへ
プロローグ 女性科学者はずっと存在していた
- 女の子はだめ!
イタリア移民の子として生まれた幼少期から高校,大学時代 - ひとりぼっち
つぎはぎの教育 受入れてくれる研究室を探して 研究分野を転々とした博士課程時代 - 女性同士の連帯が必要
教育における女性差別を禁ずる法律「タイトルナイン」 その期待と落胆 - 事実を白日のもとに
「MITの奇跡」 ナンシー・ホプキンズ博士たちの戦いがもたらしたもの - コレラ
女性の研究成果は男性のものと同等に評価されているだろうか? - 女性が増えれば科学は進歩する
科学行政へ 米国国立科学財団NSFの初の女性長官に - 炭疽菌入りの手紙
9・11同時多発テロ後に起こった事件の調査チームを率いて - オールドボーイズクラブから
ヤングボーイズクラブ、そして慈善事業化までビジネス界にキャリアを広げて見えたこと - 個人ではなくシステムの問題だ
現在,科学界のジェンダーバイアスは改善されたか? - 実現できる!
真のジェンダー公正を実現するための,提案という名のバトン
監訳者あとがき 未来のためにバトンを継ごう
主著者・監訳者紹介
主著者:Rita Rossi Colwell (リタ・コルウェル)博士。米国の微生物学者。ジョンズ•ホプキンス大学 特別栄誉教授、メリーランド大学 特別栄誉教授。専門は海洋細菌の分類学、生理学、生態学、医学、そして公衆衛生に対する影響。ワシントン大学で学位を取得後、同大学助教、ジョージタウン大学助教、准教授を経て1972年よりメリーランド大学教授。米国国立科学財団 (National Science Foundation, NSF)長官を務め(1998-2004)、キヤノン US 会長・上席副社長を経てバイオインフォマティクス企業 CosmosID を創業した(2008)。日本でも科学技術振興機構(JST)国際評価委員、東京大学プレジデンツ・カウンシル メンバー、沖縄科学技術大学院大学(OIST)理事などを務め、日本における科学振興に貢献する。
監訳者:大隅典子博士。神経科学者。東北大学教授。専門は発生発達神経科学、分子生物学、神経発生学。東京医科歯科大学助手、国立精神・神経センター神経研究所室長を経て、1998年より東北大学大学院医学系研究科教授(現職)。2018年より東北大学副学長(広報・共同参画担当)および附属図書館長を兼務。科学技術の啓蒙と女性研究者育成に関する支援活動にも力を注ぎ、令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰(理解増進部門)を受賞。link : 監訳に際したインタビュー記事(東京化学同人)
解説
監訳の大隅典子先生のお話を有機合成化学協会のイベントで伺う機会があり、この本に興味を持ちました。本書は、アメリカを代表する科学者の一人であるRita Rossi Colwell (リタ・コルウェル)先生(メリーランド大学 特別栄誉教授)が「1960年代から2020年までアメリカの女性科学者が性差別・偏見とどう戦い、どのように科学界を変えてきたか」に焦点を当てた回顧録です。同教授や同業者の経験に加えて、これからの女性科学者やサポーターに具体的なアドバイスを提案しています。「これから科学で活躍したい」という人だけでなく、指導的立場や保護者の方々にとっても本書は未来を見通し、切り開くためのヒントに満ち溢れています。
コルウェル先生はアメリカでイタリア移民二世として生まれ、小学生の時にお母さんを病気で亡くしてしまったことをきっかけに「科学研究者か医師になって、母が得られなかった医療を貧しく無力な人々に提供するのだ」と誓って大学に進学します(第一章)。女性が博士号を取得するのが稀であった1950年代に、紆余曲折を経てジョン・リストン指導のもと大学院生として海洋微生物学を専攻し学位取得、そして微生物学者 PI(研究室主宰者)としてのキャリアを築いていきます(第二章、論文750報以上、受賞/栄誉60件以上)。本書では同時に、この時期(1960年代)のアメリカの女性科学者が置かれた状況や、どのように権利を獲得してきたのか(第三章「タイトルナイン」、第四章「MITの奇跡」)が整理されています。性差別の事例は小さな(といっても根深い)ものから、目を背けたくなるものまでストレートに描かれています。
コルウェル先生の最も大きな業績の一つは1960年代に進めたコレラ菌の研究で、コレラ菌を含むビブリオ属細菌の分類体系を確立し、「コレラが流行していない時、コレラ菌はどこにいて、どこからやってくるのか?」という疑問に答えを出しています(第五章)。この研究は2017年に国際生物学賞を受賞した際の資料にも日本語でまとめられています(より詳しい内容は本書第五章をご覧ください)。その後、女性初のNSF長官(科学行政のトップ)としての活躍(第六章)、特に任期中に発生した9.11 同時多発テロ直後の炭疽菌テロ事件への対応(第七章)、さらにキヤノン US ライフサイエンス会長・上席副社長、CosmosID 創業者としての産業界での活動(第八章)が綴られています。最後に、以上のコルウェル先生のこれまでの半生を踏まえて、アメリカにおける2020年時点でのジェンダーギャップの状況(第九章)と今後への提案(第十章)がまとめられています。
印象に残ったところ・私見 アメリカ、生物学、女性のキャリアという要素もあって読者の経験でかなり受け取り方が変わる本だと感じました。これから女性研究者を目指す人にとっては、進路や分野を選ぶ上でとても参考になると思います。私自身は男性教員として女性科学者をガイド/サポートし、協力して日本の化学を良くしていく立場にあり、その視点から読み進めていきました。その観点で後述のように価値ある知識を得ることができました。また、科学の話(海洋微生物学、対テロ科学捜査)や、物語としても読み応えがありました。時間のない方は大隅先生のあとがき(7ページ分)を読んで、気になった章だけ読むところからはじめても良いかもしれません。
コルウェル先生のエネルギーはなかなかに印象的で、
「結局、生まれつき頑固な私は、データを集め、論文を発表し、自分の仮説を証明することにした。そして、批判を指針として次の実験計画を練った。直感に反するようだが、科学は科学・技術・工学・数学・医学(STEMM)研究において十分な評価を受けていない男女にとって理想的な分野であると、私は長い間考えてきた。なぜなら、科学は逆境に挑むものだからだ。(P.125)」
のコメントは、かなりかっこいいです。また、アファーマティブ・アクションに対する考え方も明快です。
「私は、米国が世界一の科学国になることを望んでおり、そのためには、もっと多くの優秀な女性を科学界に送り込むしかないと考えていた。(中略)実際には、女性が増えれば、科学は進歩するのである。なぜなら、人口の50%から選ばれた優秀な候補者よりも、人口の100%から選ばれた優秀な候補者の方がより優秀に決まっているからだ。そしていまのところ、人口の 1/3(白人男性)しか活用していない。(P.153, NSF の長官として)」
多数決では勝算のない環境にあって、コルウェル先生や時の女性科学者たちが、連帯して秘密裏に動き、業績を上げて権力を握り、また感情は排除して法令に基づきデータで定量的に差別を示して解消したエピソードには説得力がありました(例えば第四章の MIT の奇跡ではラボスペースをすべてメジャーで測って男女 PI で比較すると圧倒的に女性PIの方がスペースが狭かったことを示しています)。少数派がいかにして権利を獲得するか、集団全体としてのパフォーマンスをいかに最大化するか、という戦略については、女性vs男性に限らず、若者vsシニア、外国籍vs母国籍など他のマイノリティ・多様性問題の解決にも有効だと思います(日本人である、ということも科学の世界では少数派です)。
性差別についてはこれまでアメリカで有効だったアクションのいくつかは、遅れている日本のシステム改革にもそのまま有効でしょう。例えば若手が自分の未来を描く上で、自分の価値観にフィットしたロールモデルを持つことが重要なことは本書のエピソードにも出てきますが、大学の女性 PI を増やそうとする政策はこの重要性に応えるものです。ただ、個人レベルでの最善な解決策は時代とともに変化しているところもあると思いました。コルウェル先生はJSTの国際評価委員も務めていますし、先生のご意見は少なからず昨今の日本の制度改革に反映されていると推察します。これから日本の科学界で何が起こるのか、どう制度設計すれば組織が時代を味方にして力をつけることができるのか、将来を予期して計画するのにも有効な本でしょう(第9章、第10章に金言がまとまっています)。
もうちょっといろいろな研究者のキャリアが読んでみたい、という人は「世界を変えた10人の女性科学者」や「世界を変えた50人の女性科学者たち」など著名な女性科学者を紹介する良書もでているので、これらもおすすめです。
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