第582回のスポットライトリサーチは、物質・材料研究機構(NIMS) ナノアーキテクトニクス材料研究センター 超分子グループの石井 政輝 さんにお願いしました。
半導体デバイスの製造には、ドーピング処理が必要です。有機半導体の化学ドーピングに用いられる試薬は、水と酸素に反応しやすく、真空中や窒素雰囲気で試薬を扱う必要がありました。今回ご紹介するのは、”プロトン共役電子移動(PCET)反応”を活用し、水溶液中での有機半導体の精密ドーピング手法を開発したという成果です。本成果は、Nature誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。
“Doping of molecular semiconductors through proton-coupled electron transfer”
Ishii, M.; Yamashita, Y.; Watanabe, S.; Ariga, K.; Takeya, Nature, 2023, 622, 285–291. DOI: 10.1038/s41586-023-06504-8
研究を現場で指揮された山下侑 先生から、石井さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
石井さんは異分野の知見をどんどん吸収してものにしていく才能と努力を併せ持っていて、今回の研究でもその力が発揮されていたと思います。石井さんはこの研究の前までは表面化学、界面化学に取り組んできましたが、半導体にはこのテーマから取り組み始めました。議論の度に電気化学と半導体の知見をすごいスピードで自分から習得していることが実感でき、とても驚いたことを覚えています。こうした異分野の知見・基礎を習得していく力と、仮説を立て、アイディアを着実に実証していく石井さんの力があって今回の論文がまとまったと思います。今回の研究で自分のものにした知見を活かして、現在はグループ内の他の研究もアイディア段階からリードしてくれています。これまでの研究活動や異分野融合経験で得た知見をさらに今後も広げ、石井さんは我々が思いつかないような独自の材料やフィールドを創っていくのだろうと期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回の研究では、電子デバイスの特性を左右する有機半導体のキャリア密度を水溶液中で精密に制御する技術を開発しました。その背景には、生体中の代謝過程でもみられる、安定で制御性の高い酸化還元反応の活用があります。
有機半導体においては酸化還元反応を介した化学ドーピングによってキャリア密度を制御する試みがあります。ただし、有機半導体をドーピングするには強力な酸化剤もしくは還元剤を用いる必要があります。空気中に存在する水や酸素も酸化還元活性を示すため、従来用いられてきた強力な酸化還元剤は水や酸素との反応により失活します。したがって、大気中でキャリア密度を精密に制御することは困難だという常識がありました。今回の研究ではこれを覆し、電子とプロトンが同時に移動する、生体中のATP合成でも重要なプロトン共役電子移動(PCET)反応を活用することで有機半導体の精密化学ドーピングを実現しました。PCET活性を有するベンゾキノン/ヒドロキノン(BQ/HQ)対は、水や酸素との反応性は低い一方で、水溶液のpHで制御可能な酸化還元電位(酸化力もしくは還元力)を示します。この反応を効率良く活用することでドーピング量を制御し、電子デバイス特性に大きく影響を与える半導体のフェルミ準位EFを室温の熱エネルギー(25 meV)以下の精密さで制御することに成功しました。
今回報告したドーピング技術は簡便に大規模化できるため、今後の有機半導体デバイス作製を産業レベルで促進すると期待されます。加えて、生体センサー応用などpHと半導体デバイスの新たな関係性を構築すると考えられます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
今回用いたPCET反応は化学平衡によって特定の条件で一定の電極電位を示すことが知られています。したがって、本質的に再現性良く美しい相関を持ったデータが得られると信じて実験を行いました。溶液調製やpH制御、ドーピングの時間管理を毎度できるだけ正確に行ったところには思い入れがあります。実際にドーピング量を水溶液のpHで精密に制御できたデータには非常に満足しています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
PCET反応は生体反応を扱う生化学領域や界面での電子移動反応を扱う電気化学領域では古くからよく知られた反応です。一方で、今回報告した水溶液中での精密化学ドーピングは有機半導体を扱う多くの研究者にとっては驚くべき結果だと思います。査読者を含む多くの人に今回の研究の新規性・進歩性・重要性を理解していただくための説明には細心の注意を払いました。実際、水溶液中の精密なPCET反応だけでは化学ドーピングは実現できませんでした。例えばp型化学ドーピングにおいて有機半導体が酸化されると正電荷の正孔がバルク内に注入されます。電気的中性のために負電荷が近傍に位置する必要があり、従来は酸化剤がラジカルアニオンとして表面もしくはバルク内にドープされていました。しかし、PCET平衡を示すBQ/HQはどちらも中性分子のためドーパントとしての役割を担えません。今回の研究では、我々のグループが以前に報告したアニオン交換ドーピングを参考に疎水性かつ化学的に安定なドーパントアニオンを水溶液中に共存させることで本技術を開発しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
化学者は“材料屋さん”とも呼ばれていますが、私は広く社会に役立つ新規機能性材料の開発に興味があります。機能性を発現・制御する上ではメカニズムの理解・解明が欠かせません。これまでの研究生活でも実用に近い研究にも携わりながら、応用を見据えた基礎科学に重点を置いて活動してきました。今後も基礎理論に基づいた材料設計・新規材料開発を行っていきたいと考えています。また、その過程で新しい化学領域を開拓することを目指しています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
化学という学問は我々の身の回りに存在する材料を生み出してきたため、あらゆる学問の中でも実生活に近く一般の人にもなじみ深い研究分野であると考えています。したがって、すべての化学者が社会貢献に繋がるモノづくりに携わることができると信じています。その分、専門家としての責任も伴いますが。読者の皆さん、ぜひ一緒に“良い”材料を創り、化学を発展させていきましょう。
最後になりましたが、研究遂行に当たりご指導いただいた超分子グループ有賀克彦グループリーダー、山下侑研究員、東京大学竹谷純一教授、渡邉峻一郎准教授に心より御礼申し上げます。また、多くの化学者の方々に知っていただく機会をご提供くださったケムステ関係者の皆様にも感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:石井 政輝(いしい まさき)
所属:物質・材料研究機構 ナノアーキテクトニクス材料研究センター 超分子グループ
東京理科大学大学院 創域理工学研究科 先端化学専攻
略歴:
2015年-2019年 東京理科大学 理工学部 先端化学科
2019年-2021年 東京理科大学大学院 理工学研究科 先端化学専攻 修士課程
2021年-現在 東京理科大学大学院 創域理工学研究科 先端化学専攻 博士後期課程