第580回のスポットライトリサーチは京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻 陰山研究室の難波杜人(なんばもりと)さんにお願いしました。
陰山研究室では、遷移金属酸化物をベースとした新物質開発を行っており、低温還元法による新たな配位状態を持つ鉄酸化物の合成や複合アニオン化合物の創製と機能開拓などのテーマに取り組んでいます。
本プレスリリースの研究内容は、ヒドリド含有酸化物の合成についてです。酸化物は、陶器、窓ガラス、顔料など多くの機能によって古くから私たちの生活を支えていますが近年になって、酸化物に負の電荷を有する水素を共存させた酸水素化物と呼ばれる材料が、革新的な触媒機能やイオン伝導性を発現することから、大きな注目を集めています。本研究グループでは、EuVO3という酸化物に対し、金属水素化物 CaH2 を用いた還元反応を行うことで、EuVO2H という新しいヒドリド含有酸化物の合成に成功しました。この研究成果は、「Journal of the American Chemical Society」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Morito Namba, Hiroshi Takatsu*, Riho Mikita, Yao Sijia, Kantaro Murayama, Hao-Bo Li, Ryo Terada, Cédric Tassel, Hiroki Ubukata, Masayuki Ochi, Regino Saez-Puche, Elias Palacios Latasa, Naoki Ishimatsu, Daisuke Shiga, Hiroshi Kumigashira, Katsuki Kinjo, Shunsaku Kitagawa, Kenji Ishida, Takahito Terashima, Koji Fujita, Takeaki Mashiko, Keiichi Yanagisawa, Koji Kimoto, and Hiroshi Kageyama*
J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 40, 21807–21816
研究室を主宰されている陰山洋 教授と指導教員の高津浩 准教授より難波さんについてコメントを
陰山洋 教授
難波くんは、複合アニオン薄膜の新物質・機能開拓を行っています。酸化物と比べ、複合アニオン化合物では一般にアニオン組成や局所構造の決定、究極には物性の制御は困難ですが、薄膜になると段違いに難しくなります。難波くんはこの難題に様々な角度から取り組み本成果をあげました(別テーマの未発表成果も面白いです)。思えばコロナ禍で、毎週、難波くんが自主的に開いたズーム会議で彼の妄想をきくのが楽しみでした。化学と物理の視点に加えて大胆な発想がだせる研究者ですので今後の飛躍を期待してます。
高津浩 准教授
本研究の対象である酸水素化物EuVO2Hの研究は難波杜人さんが研究室に配属されてから本格的に始まった研究です。そう考えると、今回の成果になるまでに6年という実に長い年月がかかりました。難波さんの洞察力・分析力・観察力に加え、根気強い実験に助けられながら、あれでもない、これでもないと一緒に考え、研究を進められた成果です。本研究の発見である「巨大な磁気異方性」は、研究のかなり早い段階で見出していました。しかし、ユウロピウム化合物では磁気異方性が無いということが通説であり、「何故おきるのか?」というのは大きな謎でした。本研究では、圧力や薄膜応力をパラメーターにすることに着目し、常識とは異なる現象を見逃さず、何度も実験を繰り返し信頼できる実験事実を積み重ねたことが大きな発見につながりました。まさに予期せぬ発見から始まる「新しい道」といえる研究となりました。本研究を起点に、今後、水素イオンを含む新しい酸化物の研究がさらに展開できることを期待しています!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では、新しいペロブスカイト型の酸水素化物EuVO2Hを合成することに成功し、外力によって興味深い物性が引き起こされることを明らかにしました。本物質は、酸化物イオン(O2−)とヒドリドイオン(H−)が秩序配列し、ユウロピウム水素(EuH)層とバナジウム酸素 (VO2) 層が交互に積み重なった構造を持っています。この酸水素化物に対し、外圧や薄膜基板からの応力を与えたところ、EuH層からVO2層へ電子が移動するサイト間電荷移動と呼ばれる興味深い現象が引き起こされることが分かりました。もともと絶縁性であったVO2層は、この結果、電子を獲得して金属状態へと変化します(下図)。
最も興味深いのは磁石材料としての性質です。Eu2+が有する磁気モーメントには低温で磁石としての性質(強磁性)が現れますが、これが応用上重要な垂直方向に向いており、ネオジム磁石に匹敵するほどの巨大な垂直磁気異方性を有していることを発見しました(下図)。このような水素層と酸素層の協奏効果を用いた研究はさらなる新機能の創発へとつながることが期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
あらゆる手段を用いて、本物質の有する構造・電子物性・磁性の解明を行った点です。本研究では多結晶粉末体に加えて単結晶薄膜体でも実験を行っています。粉末体の合成では残念ながら不純物を完全に無くすことができませんでした。一方の薄膜試料では単結晶体が得られるものの膜厚は小さく(< ~100 nm)、できる測定は非常に限られてしまいます。このため、自分たちでできる測定だけでなく、たくさんの共同研究先の装置や放射光施設などありとあらゆる手段を駆使しました。多くの失敗も経験しましたが、結果、EuVO2Hの本質的な性質を明らかにすることに成功しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
「サイト間電荷移動」という発想に至ること、またそれを証明することが大変でした。修士学生だったときに行ったEu価数測定の結果は、粉末では二価だったEuの価数が薄膜では二価よりも大きくなっていることを示唆していました。初めはこのデータをどう解釈すればよいか全く分かりませんでした。しかし、研究室内の雑誌会でたまたま他の学生が紹介してくれた論文が道しるべとなり、「外力によってEuとVの間でサイト間電荷移動が起こっているのでは」という仮説に至りました。これを証明するために、様々な膜厚を持つ薄膜体を何枚も合成し、加えてダイヤモンドアンビルセルを用いて粉末体に圧力を加える実験を何度も行いました。これらの多角的な解析が実を結び、仮説を証明することができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
来年度からは化学系の企業に就職し新たなフィールドで研究を行う予定です。研究を進める上では、いかに社会の問題解決や技術発展に貢献するかを考えることは非常に重要です。しかし自分の場合は、化学的・物理的に見たときに本当に面白いと思える現象を追究することが一番のモチベーションになっています。将来はそれら二つの面のバランスを上手く取りながら研究を進めていきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございます!今回の研究を改めて思い返してみると、雑誌会や研究室内発表などで多くの知見を得たことや、他研究室の積極的な利用などが成果につながったと言えます。ぜひ研究室内外の活発なコミュニケーションを大事にして研究を行っていただければと思います。
本研究を遂行する上でお世話になった指導教員の陰山先生、高津先生、共同研究先の先生方、この研究のきっかけを作ってくださった三木田さんにこの場を借りて心より感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:難波杜人(なんばもりと)
所属:京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻 陰山研究室
略歴:
2019年 3月 京都大学工学部 工業化学科 卒業
2021年 3月 京都大学大学院 工学研究科 物質エネルギー化学専攻 博士前期課程 修了
2021年 4月~現在 京都大学大学院 工学研究科 物質エネルギー化学専攻 博士後期課程