第581回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院 薬学系研究科 有機合成化学教室(金井研究室)の幅崎 美涼(はばざき みすず)さんにお願いしました。
本プレスリリースの研究内容は、アセチル化反応を促進する触媒についてです。本研究グループは、細胞内にアセチル源として存在する代謝物アセチル CoA を酵素のように活性化してヒストンのアセチル化反応を促進させる、低分子化学触媒の開発に成功しました。
この研究成果は、「Nature Communications」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
A chemical catalyst enabling histone acylation with endogenous acyl-CoA
Misuzu Habazaki, Shinsuke Mizumoto, Hidetoshi Kajino, Tomoya Kujirai, Hitoshi Kurumizaka, Shigehiro A. Kawashima*, Kenzo Yamatsugu*, Motomu Kanai*
Nat Commun 14, 5790 (2023).
研究室を主宰されている金井 求教授より幅崎さんについてコメントを頂戴いたしました!
フラスコの中で行う化学反応は、標的分子を作るための手段に過ぎないことが多いですが、生体内で起こる化学反応には、Go/no-Goの「情報」を作っているものがあります。生命現象への直接介入や疾患治療への応用という点で、生体内で生命にとって意味の有る反応を促進する化学触媒には、他の触媒にない魅力があります(誤解の無いように追記しますと、一方でフラスコ内の触媒はトンスケールの反応を進行させて人類を豊かにする物質を作るなど、生体内の触媒には無い魅力があります。私はどちらも好きです)。
触媒反応は基質+反応剤+触媒の組み合わせで起こりますが、生体分子を基質とした場合、反応剤+触媒を加えないといけないところが両刃の剣です。今回、幅﨑さんが見つけた触媒は、細胞が生合成する反応剤(アシルCoA)を使って生命に意味の有る反応を進行させる、つまり触媒だけを加えれば情報を作れるところがおもしろいし新しい点です。彼女はまだD1ですが、低分子から生体高分子さらには細胞を使った化学・生物実験と理論計算などをマスターし、自分で考えてプロジェクトを進めてきました。担当しているプロジェクトと一緒に大きく成長して、将来的に分野の垣根のない幅﨑ワールドを築いて行くことを期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
生命は酵素によって触媒される多種多様な化学反応のネットワークによって成り立っています。それぞれの生体内化学反応は精密に制御されており、酵素の異常によってそのバランスが乱れることは種々の疾患へと繋がります。
このような酵素の異常に介入する一般的な治療戦略は「阻害剤による酵素機能の調節」ですが、酵素機能の低下が原因だと効果を発揮しづらい、酵素の変異による耐性獲得が容易など、課題もあります。
機能不全に陥った酵素に代わって生体内化学反応を直接促進する化学触媒を開発することができれば、これらの欠点を克服する新たな創薬概念の創出に繋がると考えられます。当研究グループでは、遺伝子の転写制御に関わる重要な反応としてヒストンタンパク質のリジン残基アセチル化に注目し、細胞内でこれを促進する化学触媒の開発研究を行っています。
中でも今回の報告では、ヒストンアセチル化酵素と同じように、細胞内代謝物アセチルCoAをアセチル源として用いてヒストンをアセチル化できる化学触媒mBnAの開発に成功しています。
本触媒のデザインは、
- チオエステル型のアセチルCoAを効率よく触媒分子上へと取り込むためのチオール基の利用[1]
- 水中でのプロトン化による活性低下を克服するヒドロキサム酸型求核触媒骨格の開発[2]
という、当研究グループでこれまでに積み上げられてきた触媒開発の知見の結集から生まれたものです。
Q2. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
第一世代の触媒pHXAの活性評価において、初めは順調に高い活性を示しているかに見えたものの、タンパク質基質をヒストンに変えた途端に反応がほとんど進まなくなったというのが、最初に直面した大きな困難でした。
その後の数々の実験によって、原因が基質タンパク質のリジン残基の反応性の違いにあること・せっかくの触媒デザインを活かし切れていない可能性があることが見出されたことで、改良型触媒mBnAへと辿り着けました。mBnA触媒は予想通りの活性改善に加え、「生細胞内での内在性アセチルCoAを用いたヒストンアセチル化」をも実現することを見出した時にはとても興奮したのをよく覚えています。
「酵素のような」反応を実現する本触媒の価値は、
・細胞内濃度が低く化学的に安定な代謝物(アセチルCoA)を活性化できること
・生体反応の標的として意味のある基質(ヒストンリジン残基)との反応が可能なこと
の両方を初めて実現したことにあります。
後者は、一般に酵素による制御を受ける重要な基質の反応性が低いからこそ難しい課題だったのですが、これは上記の困難に直面したからこそ価値を認識できた部分だと感じています。
Q3. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究で一番時間をかけて悩んだのは「この研究成果をどう魅せるか」という部分だったと思います。
本研究成果は最初にChemRxivへ投稿しているのですが[3]、ここではQ2で触れたような、触媒改良の過程を重視した語り方をしていました。その後学術誌への投稿準備の際に、金井先生のご提案により大幅な改稿を行っています。より大きな観点で本触媒の位置付けを捉え直し、その価値がよりシンプルかつ魅力的に伝わる構成を目指しました。
ChemRxiv版も化学的な面白さを感じられる仕上がりだと思うのですが、最終的なNat. commun.誌の論文には、語り方一つでこうも印象が変わるものかと感じさせられるものがあり、この過程が研究を世の中に向けて伝える上でいかに大事なものだったかを実感しています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
元々化学と生物の境界領域に興味を持っていましたが、その中でも薬学という場を選んだのは、薬学での化学が生命現象を理解することに留まらない、生命に働きかける化学であることに魅力を感じたからでした。そんな中、「触媒の力で生命を成り立たせる化学反応に介入する」という金井研での唯一無二の研究コンセプトに出会い、その時感じたわくわくを今に至るまでずっと持ち続けています。
まずは残る博士課程生活でこの心躍る化学に全力で挑むとともに、今回の研究を通して、「研究をどう伝えるか」は「研究とどう向き合うか」にも直結するものだと感じるようにもなったので、その面白さを様々な形で伝えていくこともできたらと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
今回の報告は長年金井研で続けられてきた触媒開発研究の積み重ねの上に成り立つものです。特に本触媒のデザインは、核となるヒドロキサム酸型求核触媒を開発された水本さんによるものであり、その後の触媒改良は山次先生、梶野さんから研究への向き合い方を直接学ばせていただきながら行ったものになります。そのようなサイエンスの流れの中で研究をさせていただきながら様々な経験をさせていただけたことを嬉しく思うとともに、研究の遂行から今回の報告までをあらゆる面からご指導くださった金井先生、山次先生、川島先生をはじめ、金井研・共同研究先の胡桃坂研の方々のお力によって今回の報告ができましたことを、心より感謝いたします。
最後になりましたが、このように多くの化学者に愛される場にて研究を伝える機会をくださいましたChem-Stationの皆様、そして本記事を最後までお読みくださった皆様に心より御礼申し上げます。
参考文献
[1] Amamoto, Y.; Aoi, Y.; Nagashima, N.; Suto, H.; Yoshidome, D.; Arimura, Y.; Osakabe, A.; Kato, D.; Kurumizaka, H.; Kawashima, S. A.; Yamatsugu, K.; Kanai, M. Synthetic Posttranslational Modifications: Chemical Catalyst-Driven Regioselective Histone Acylation of Native Chromatin. J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 7568–7576.
[2] Mizumoto, S.; Xi, S.; Fujiwara, Y.; Kawashima, S. A.; Yamatsugu, K.; Kanai, M. Hydroxamic Acid-Piperidine Conjugate is an Activated Catalyst for Lysine Acetylation under Physiological Conditions. Chem. – An Asian J. 2020, 15, 833–839.
[3] Habazaki, M.; Mizumoto, S.; Kajino, H.; Kujirai, T.; Kurumizaka, H.; Kawashima, S. A.; Yamatsugu, K.; Kanai, M. A chemical catalyst enabling histone acylation with endogenous Acyl-CoA. ChemRxiv 2022, doi:10.26434/chemrxiv-2022-zxn90.
研究者の略歴
名前:幅崎 美涼(はばざき みすず)
所属:東京大学大学院 薬学系研究科 有機合成化学教室(金井研究室)
研究テーマ:細胞内アシルCoAを活性化するヒストンアシル化触媒の開発