第576回のスポットライトリサーチは京都大学大学院 薬学研究科 竹本研究室に在籍されていた松元 彩香(まつもと あやか)さんにお願いしました。
本プレスリリースの研究内容は、ペプチドの C–H 結合変換法の開発についてです。数個から十数個のアミノ酸で構成される中分子ペプチドは、従来の低分子医薬品と抗体医薬に次ぐ第三の医薬品候補として近年注目を集めています。化学合成によるペプチド合成は薬剤候補分子の供給法として最も基本的なアプローチですが、特殊構造が導入された非天然型ペプチドを調製するには、天然型の市販原料を用いた煩雑な多段階合成が必要となることが多く、その効率性の改善が急務でした。そこで本研究では簡便な非天然型ペプチド供給法を実現すべく、既に手元にある親ペプチド化合物を原料として利用できる C–H 結合変換法の開発を行いました。
この研究成果は、「Journal of the American Chemical Society」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Takeshi Nanjo*, Ayaka Matsumoto, Takuma Oshita, and Yoshiji Takemoto*
J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 34, 19067–19075
指導教員の南條 毅助教より松元さんについてコメントを
松元さんには学部四回生に研究室配属された当初から本研究テーマに取り組んでもらっていましたが、その当時から議論に上がった内容を驚くべきスピードで、しかもきっちり仕上げてくれるエネルギーのある学生さんでした(私の「え、もうやってくれたの?(困惑)」とか、松元さんの「それはもうやりました(キリッ)」とかいうやり取りもしばしば…)。元々このあたりの「N-クロロペプチド」を扱う研究テーマは私の「ペプチド主鎖のアミドは普通中々反応しないけど、N-クロロ化は例外的に結構調子よく進行するみたいだから、それを上手くやったら何か色々使えんじゃね?」という無責任なアイデアからスタートしました。実際、アミドの低い求核性からは想像が付かないくらい速やかにN-クロロ化が進行する反応条件は前任者の大下君が見つけてくれていたのですが、それをどうやって他の人が実際に使ってくれそうな反応に落とし込むか、ということに私たちはひたすら頭を悩ましていました。それはもちろん日々実験を仕込んでくれている松元さんも例外ではなく、研究の方向性の見通しが立たず中々辛い時期もあったのではないかと思います。しかし、そのような中でも私の妄想的な提案に付き合いながら、それらを上手く取捨選択し(笑)、今回の論文でおそらく採択の鍵となった本法の一般性を示すための恐ろしい量の応用検討をほぼ全て自分の手で丁寧に仕上げてくれました。松元さんにはその持ち前のエネルギーや洞察力、根性を活かして、新天地でも新しい道を切り拓いていって欲しいなと心から願っています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
ペプチド側鎖内の狙った C–H 結合を選択的に変換し、非天然型ペプチドを迅速に供給する手法の開発に関する研究です。
異常アミノ酸や大環状骨格といった特殊構造を含有する非天然型中分子ペプチドは、従来の天然型ペプチドが抱える欠点を克服した新たな医薬品候補分子として近年大きな注目を集めています。本研究では簡便な非天然型ペプチド供給法を実現すべく、既に手元にある親ペプチド化合物を原料として利用できる C–H 結合変換法の開発を目指しました。C–H 結合の変換反応として、水素原子移動(HAT)反応を利用したラジカル機構の分子変換が、複雑な分子にも利用し得る手法として最近精力的に研究されています。しかし、ペプチド側鎖の C–H 結合はHAT 反応に対して反応性が低いことが知られており、様々なペプチド残基の C–H 結合の変換に対応できる手法は皆無でした。
そこで、本研究グループは、ペプチドを一旦クロロ化して活性化する「N-クロロペプチド法」を新たなアプローチとして提案しました。従来の HAT 反応では、試薬・触媒由来の反応活性種がペプチドの反応箇所に接近・衝突する必要がある分子間反応でしたが、クロロ化されたペプチドを起点として分子内で HAT 反応を起こすことで、短時間・高収率でペプチド側鎖の狙った C–H 結合のみを良好にクロロ化することに成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
Phth-Val-Ala-OMeの基質を本 C–H クロロ化反応条件に3回付した際に、いずれもVal残基の一方のMe基のみがクロロ化されたところに思い入れがあります。
当然クロロ化の位置異性体の混合物になるだろうと思いながらかけた反応でしたが、意外にも単一のジアステレオマーのみが生成した様子のNMRチャートが得られたときは驚きました。そのなかで、出発物のVal残基のα位β位間のカップリング定数が大きいことに注目し、アンチペリプラナーの配座を取っているのではないかと考えました。実際に、X線結晶構造解析でα位β位の水素が逆を向き、クロロ化されたMe基がアミド側を向いていることを確認できたときは、嬉しかったことを覚えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本反応を、皆さんに知っていただくために、目玉となるトピックを見つける事が難しかったです。
最終的には、生物活性天然物aquimarin Aに含まれる塩素化されたIleを含む N末端ペプチドフラグメントを合成し、さらにそのクロロ化部分の立体配置をNMRスペクトルの比較によりR体と推定したことを論文に記述しました。しかし、初めからこの天然物に目をつけていたわけではなく、別の目的で検討していた結果を並べたときに、aquimarin Aの構造が浮かび上がってきました。このように、地道に積み重ねたデータが、当初思ってもみない形でつながったことで、難しい局面を乗り越えられたのではないかと思います。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
修士課程修了後、メーカーに就職し、有機化学とは離れた分野の研究をしています。現在は新しいことを学び、吸収するばかりですが、将来は在学中に培った有機化学の知識も融合し、広い視野を持ちながら化学に関わっていきたいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私は、研究を始めた学部4年から修士2年まで、3年間テーマが変わることなく、研究をさせて頂きました。この3年の間、常に期待した結果が出ていたわけではなく、まとめ方に頭を悩ませた時期もありました。しかし本論文が完成したのは、諦めずに愚直にテーマに向き合い続けたからこそだと感じています。
最後になりましたが、在学中研究のご指導を賜りました竹本佳司先生、中寛史先生、本テーマに関して日頃からディスカッションして下さった南條毅先生、また研究室生活のあらゆる面でお世話になりましたラボメンバー一同に、この場をお借りして深く感謝申し上げます。ここまでお読み頂きありがとうございました。
研究者の略歴
名前:松元 彩香(まつもと あやか)
所属:京都大学大学院 薬学研究科 竹本研究室(2023年3月 修了)
研究テーマ:N-クロロアミドを経由したペプチド側鎖のC–Hクロロ化