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一般的な話題

カルロス・シャーガスのはなし ーシャーガス病の発見者ー

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Tshozoです。今回の記事は8年前に書こうと思って知識も資料も足りずほったらかしておいたのですが、今回虫の話を連続して書いている中で改めて情報をまとめましたのでいっぺん書いてみます。お付き合いください。

シャーガス病とは

まずこの話を枕として書きます。シャーガス病は今回の主人公 Carlos Ribeiro Justiniano Chagas博士が発見したことで付いた名前で、未だに南米を中心に蔓延している寄生虫病です。この原因はトリパノソーマと呼ばれる寄生原虫で、トコジラミの仲間 サシガメ(下図)によって媒介される難儀な病気でもあります。

前回の記事より再掲
Texas A&M Univ. Hamer教授のプロジェクトページより引用(リンク)

この寄生原虫トリパノソーマの中では、シャーガス病の原因であるTrypanosoma cruziとアフリカ睡眠病の原因Trypanosoma bruceiだけが人間に感染します。下図はギムザ染色のため毒々しく見えますが実際には色はついておらず、サシガメ体内から吸血時に入り込む、あるいはその糞が傷口などに接触して入り込む、又はこのサシガメの糞や体液に汚染された水や土に触れた果物や野菜を非衛生な状態で食したりして入り込むことで感染します(後述)。

(文献1)より引用

体の構造はよくわからんがこんな感じだそうです 同じく(文献1)より引用
大きさは小さいもので15um、大きなもので80um程度
実際にはどの状態に置かれるかで形状が変わる(下図)

Trypanosoma cruziの生活環 ヒトの体内(右側半分)ではシストのような状態になる
(文献1)より引用したが、元はCDCが発表したこちらの図(→リンク)

感染後の症状はキツそうなものばかり(厚労省リンク・下に引用・加筆)で、心臓とか肝臓とかヘタすると脳とかにも住み着いてしまう輩であるため正直お近づきになりたくない。

“原虫の侵入した部位の腫れや炎症、リンパ節腫腸で始まり、発熱、肝脾腫に進行し、一部の患者は急性心筋炎・髄膜脳炎で死亡することもあります。さらに数年後、20~30%の患者に、慢性心筋炎(不整脈→突然死も)、巨大食道(嚥下障害→栄養失調・誤嚥性肺炎)、巨大結腸(便秘、腸捻転)などが起きることもあります。”

しかも感染→発症までが非常に長い!確認されたもので潜伏期間が30年に及んだケースもあり(日本薬学会 リンク)、医療・衛生環境が不十分な状況で感染し知らずに放っておくと重症化することは必至。しかもこうした重症状態では原虫は薬で完全に除去できないため相当早めに処置を行わないと大問題に。

(文献2)より引用 トリパノソーマが脳に到達した場合のCT画像と、心臓細胞内での浸食の様子
こういう形で侵入されるとそりゃ薬も効かんわ、と思う
実際の疾患の写真もあるはありますが、載せるのは自粛します

この結果、南米を中心に世界累計推定800万人もの感染者が発生しており、特に郊外の貧困層を中心に多くの方が苦しんでいます。またこの原虫に感染した方が妊娠した場合、その赤子にも伝染する可能性があるということや、未処理の輸血で伝染してしまうなど、やっかい極まりない(日本赤十字社などは血漿分画製剤しか使わない、などの対策を打っています リンク)。

(文献3)より引用 アメリカ大陸からは広がっていないと思っていたが
最新の研究では数は少ないもののユーラシア、はてはオーストラリアへ拡大中
ただ欧州と豪州は移民により拡大したケースがほとんど

なんでこんな連中(サシガメ)が原虫を媒介するのか、原因はなんともわかりません。ただ、トリパノソーマは全長15um~60umと。マラリア原虫などの他の寄生虫類より一回り大きいため、おおぶりの口吻を持つサシガメなどの昆虫経由でないとうまく伝染できないという物理的な問題があるような気もします。

なお余談ですがかの有名なチャールズ・ダーウィンは本人の世界紀行を通じて南米訪問中サシガメに刺された際にどうもそのサシガメを『潰した』らしく(本人日記より:”We slept in the village,…surrounded by gardens…the province of Mendoza; At night I experienced an attack of the Benchuca…the great black bug of the Pampas. It is most disgusting to feel soft, wingless insects, about an inch long, crawling over one’s body. Before sucking, they are quite thin, but afterwards become round and bloated with blood, and in this state are easily crushed.“)、紀行の間は非常に元気だったのに上記のことがあってから一気に体調を崩し弱りこんだこと、死ぬまで体調がすぐれなかったこと、症状がかなりシャーガス病と似通っていたこと、最終的に心疾患で死んだことなどからシャーガス病にかかっていたのでは、という仮説もあるようです。コワイデスネ。実際南米や今や感染域となった北米の南寄りのエリアに行かれるときにはこの病気のことは頭に入れておいた方がいいように思います。

カルロス・シャーガス登場 南米の名研究者

ここでこの病気を見つけたカルロス・シャーガス Carlos Chagas博士にスポットを。Chagasというのはポルトガル語で「キンレンカ(金蓮花)」という南米原産の花の名前を表すようで、日本語の意味をあてれば 金蓮花 剛 とでもなりましょうか。ちょっと宝塚歌劇団ぽい感じがしますのよ。

(文献1)より引用 あんまり宝塚とは関係なさそう
フルネームは “Carlos Justiniano Ribeiro Chagas”

まず生い立ちなど、以下(文献1)と(文献4)と英語版wikiに頼ります。1879年ブラジルの小さなコーヒー農園経営者の4番目の息子として生まれたシャーガスでしたが、4歳で父が病死。経営を引き継いだ母の尽力で比較的恵まれた学校に通うもののペドロ2世による農奴解放政策のため農園が取潰しになり転校せざるを得なくなります。その際、母の強い希望(鉱山技術者になること・(文献4))により鉱山工業学校に移ったものの脚気で体調を崩し休学・叔父のところで療養生活に入ることに。この間シャーガスの母親は単身で子供たちを育て上げるという偉業を成し遂げていますが、上記の病気が示す通り暮らし向きは非常に貧しかったようです。

幼年期・青年期のChagas (文献14) より引用 この文献はChagas博士の人生を記録した
貴重なもので、無料で読めるので是非ご覧ください(スペイン語ー英語併記)

ここで転機をもたらしたのが、上記の療養先での彼の叔父(医師)からの薬学への転向の勧め。叔父も当時ブラジルでの伝染病の蔓延に心を痛めていて、何か対策を行いたいとシャーガス本人に語っていたようです。その結果彼は見事これにこたえ、リオデジャネイロの薬科大学へ進学、そのままFrancisco Fajardo教授(当時のマラリア研究第一人者)の研究室へ入り、また貴重な友人 Ozwald Cruzの協力も得て研究に邁進します。博士論文は「マラリアに関する血液学的観点」がテーマでした。

博士号取得後は郊外で薬剤師として活躍し、その後サンパウロの企業に請われて港湾労働者のマラリア抑制活動を開始(1902年前後)。ここで彼の非凡さを示すのが、治療薬の開発に専念すると思いきや総合的な観点から蚊への防御策を対策の柱に据えたこと。どう叩いたかというと、①日中での防除は最小限に②家屋に蚊が入れないように窓や扉のスキマ・目地を全部埋めて③夜の蚊の活動防止のため除虫菊(Pyrethrum)を建屋内で燃やす、の3点。①は日中は蚊が活動的ではないこと、②③は蚊が活動的な時間帯に対策を入念にするのが重要、という形でマラリア防除の全体像を把握していたのでしょう。この時若干26歳…!

大活躍前後のChagasと同僚(この後、研究を実際に支えてくれた主要メンバも参加している)
どうも論文の読み合わせを行っている際の写真らしい (文献14) より引用

なお除虫菊は1600年前後に既に殺虫・忌避作用があることがわかっていましたが、シャーガスは薬学を修めていたことから殺虫剤がどう作用するかをよく理解し、燃やすことで蚊を弱らせる・遠ざける効果が拡大することを狙っていたのでしょう。世界的なトップランナーだった除虫菊の大規模栽培・市場適用に成功した大日本除虫菊の創業者上山英一郎氏に遅れること5年程度ですが、媒介者との接触を減らすことが最も影響があると判断したその能力は驚くべきものです。

こうして見事港湾作業者のマラリア感染者を激減させて関係者の信頼を得たシャーガスは、自身の所属を友人のOswald Cruzが運営する研究所に移しつつ、様々な防除の依頼を受けこなしていきました。その最中の1907年、ミナスゼライス地域の鉄道敷設現場でのマラリア防除活動中に、あまり見たことのない疾患を目にします。調べていった結果これは媒介者が蚊とは違っていて、疾患の形態や症状も異なると気づいたシャーガスは調査を開始、医学的、病理学的、疫学的に特徴をとらえまとめていきました。

驚くべきはこの時点でサルやネコ、モルモット等動物にも感染し得るということを実証し、しかもサシガメの内臓からTrypanosomaの亜種(後に早くに亡くなった盟友Ozwald Cruzの名を取りTrypanosoma cruziと命名)も発見し媒介者を特定、コッホの三原則に基づいた形で原因を突き止め1909年から2回にわたり論文を発表します。ただ疾患のバリエーションや症状の強弱が激しく、また治ってしまったと診断された子が、実は何十年も経ってから実は感染したままなのがわかった、など多様な分類にかなり苦戦したという記載もあり一筋縄ではいかなかったようです(以下写真 文献5より)。ここから詳細が認知されるまでしばらくかかるのですが、最終的にはこの病気はシャーガス病と命名されるにいたります。

言い方は悪いが当時は掘っ立て小屋で壁という概念が無かったので
サシガメだろうがハマダラカだろうがガンガン入ってきていたはず
こうした壁(土壁もアウト)をなくし、サシガメを遠ざけるのが大事だった

1909年付近での診療の様子 もうお医者様でいいんじゃないすかね

シャーガス本人が撮影したトリパノソーマ原虫の顕微鏡写真と
それらの状態をスケッチしたイラスト 卓越した観察力を持っていたことがよくわかる

なおシャーガスは公共衛生指導者ではあったようですが明確な医師としてのDoctrorateを採った記録がWeb上では見つからず、ご本人の一番最初の博士号も「薬学」としてのものでしたので、筆者は薬学博士としてご本人をみております。それなのに医師に匹敵する見識と活動力、追求力を備えていたのは当時としても奇跡的な話ですが、これは上述の盟友Cruz氏(医師)の影響も大きかったのでしょう。しかも実際に疾患が起きている現地に何年もはりついて掘っ立て小屋で生活し、場合によっては船の上で寝食を行い、アマゾン奥地で研究のために何年も過ごし患者や感染源の近くで情報を集め、自身にも高いリスクのある生活を送っていた(文献5)のです。これらは並大抵の覚悟で出来るものではなく、当時既に家族もおり暮らし向きも苦しい中得体の知れない伝染病と戦っていたその献身的な活動は決して忘れられてはならないことでしょう。今回の調査で彼の偉大さを思い知った次第です。

代表的治療薬とその変遷

シャーガスの貢献で媒介者・原因・感染経路、防除方法は確立(サシガメが入ってこないよう家の壁のスキマをなくす、屋根を茅葺でなく現代的なものにする、など)したものの、彼は亡くなるまで治療薬は見つけることは出来ませんでした。これは当時の技術力を考えると仕方ないことで、彼の死後50年近くたってから欧州の製薬会社の科学技術力が充実してくるのを待たねばならなかったのです。

シャーガス病に関わる薬の歴史  (文献6)より引用
ニフルチモックス(1960年)もベンズニダゾール(1972年)も
分子内にニトロ基を持つのがポイント

具体的にシャーガス病の治療薬として開発されたのは1960年のBayer(当時)によるLampit(ニフルチモックス)上市、そして1972年のRoche(当時)によるRochagan(ベンズニダゾール)。たったこの2つだけしか開発されてないんですよね。特にニフルチモックスは副作用が強く上図のとおり耐性原虫が出だした(1980年)ため、現在は緊急性が無い限りなかなか使用されていない。んで実はどっちも日本では未承認! つまり国内ではシャーガス病に対してはどっちも一般的に使うことが出来ないのであります(緊急的に使う方法があるようだが手続き不明・なおニフルチモックスはWHOがBayerから直接買い上げて貯蔵品として扱っているらしく、一部の国では引き続き使われている)。

なおその薬理上のメカニズムは未解明のようで、最近のシャーガス病に係るまとめ論文(文献7)を眺めると「ニフルチモックスはプロドラッグとして、つまり人体内で分解されないまま存在し、対象の酵素などの働きによって活性化され薬効を発揮するタイプである。そのままの分子構造で虫体に到達し、虫体内の酵素の代謝により発生するニトロアニオンラジカルの生成がトリパノソーマへ大きな影響を与える」とあります。

どういうことかというと一部の寄生虫(や一部の細菌類)にはニトロ基還元酵素 “NTR” なるものがあるらしく、その作用によって分子構造が変化していくのだそうです。ニフルチモックスはまずニトロ基によって酸素が過酸化状態(活性酸素)というエエっというような状態に移行した後、SOD(Superoxide dismutase)という酵素により過酸化水素が発生し、それが体内の鉄イオンを酸化した結果(フェントン反応)発生する水酸化ラジカル(下図・上半分)が原虫本体をたたいている、と推定されています。このプロセスだけでも人体にかなり悪影響ありそうですね。

(文献7)から引用

それに加えて還元されたニフルチモックスはNTRによりどんどん還元されていくのですが、最終的にニトロフランのところがニトリルにまで至り(上図・下半分/右下の最終形態からひとつ前のもの)、その不飽和ニトリルが原虫細胞もホスト細胞もどっちも叩くほどの強さ(最近の研究では不飽和ニトリル変異原性があるくらい細胞毒性が強いということが明らかになっていていて、また一方で不飽和ニトリルに至らないよう酵素変換作用を修正した耐性原虫が出てきているためコスパが悪く、一番患者数の多いブラジルでも基本的に販売不可になってしまっている)。この2通りの作用があるゆえに、副作用が強いものの当初はかなり効果があるお薬として活躍していたと考えられます。

一方のベンズニダゾールの方は少し違い、まずラジカルを発生しません(文献8・下図)。結論を言うとニフルチモックスと同様原虫体内のニトロ基還元酵素によって還元+加水分解された水酸化イミダゾール系分子がグアニジン状分子とグリオキサールまでに至り、いずれも原虫細胞にとっては毒性が高くダメージを与えられる、というのが提案されている作用メカニズムです。

こちらは(文献8)より引用
図の解像度は高い状態ですので、拡大してご覧ください

なおこれらの原虫体内の代謝に関わるニトロ基還元酵素の結晶構造が決まったとか、それぞれの分子がTrypanosomaのどこをたたくのかとかいうことに対し確実に証明されたような論文が見当たらず、詳しいことは判っていないようで。こりゃいったいどういうことか。そこで(文献9)を覗いてみると重要なことが書かれており、

・・・阻害がトリパノソーマ科原虫の生存に与える影響を調べることが出来なかった。また、寄生虫特異的なサブユニットが基質の認識や触媒機能に与える影響もわかっていない。これはT. cruzi の大量培養の困難さとミトコンドリア収率およびTcSQR(筆者注:T-cruzi内のコハク酸デヒドロゲナーゼのこと)精製効率の低さから、阻害剤の探索と立体構造解析が行えなかったためである

要はTrypanosoma cruzi(だけでなくbruceiも)はかなり育てにくいということ。原虫の仲間でもっとも研究が進んでいるマラリアの培養条件を寄生虫症の研究に強い長崎大学などのサイトであっても、37℃, 混合ガス(90%N2、5%O2、5% CO2), 培地(RPMI1640等)の条件でエサを与えて育てないといけない。いや、マラリアはヒト赤血球がエサで赤血球を破壊するとわかってっから比較的容易に培養・分離出来研究も進むのでしょうが、考えたら今回のTrypanosomaの場合何を食ってるのでしょうか。

Trypanosoma cruziはヒトの血液中と臓器細胞に寄生するはずなのでそれを食わせとけば、と思いますけど(実際Hela細胞などはエサに使えるらしい/実験室レベルまでは増やせているもよう)、ヒト体内での症状進行がさほど早いわけではないことから成長・繁殖が遅いと予想され、とても培養が高速に進むとも思えない。また培養できたとしても細胞の奥深くで寄生するケースが多いため夾雑物が多くて分離が難しそう。原虫類の対策は現実的に実入りが少なく商売になりづらいという面が強調されがちですが、こんな基本的なところにも障壁があるのだと知った次第です。

いずれにせよこの2つのお薬の最大の弱点は、急性期(≒感染直後)にしか効かない! ということでいずれも市販化から50年近く経つ古参で、片方には耐性種も出てきているうえに、どっちも副作用が結構しんどく妊婦に使えない可能性があり感染後長時間経った場合は完治が期待できず、トリパノソーマが心臓や臓器内に移行した場合はまず治療は困難。ということで新薬の登場が待たれますが、たとえばエーザイがかなり以前からこうした商売になりにくい分野に対しエルゴステロールをターゲットとした抗真菌剤が効くのでは、という形で臨床試験を行ったり、そのほか世界中でニトロ基が付いた化合物が試されてきたのですがどれもこれもどうも薬効として芳しい感じがありませんでした。

しかし2022年、フェキシニダゾールという1978年にRoche(現Sanofi)によって見出されていた化合物がシャーガス病に対する医師主導の臨床試験で素晴らしい効果を発揮したことがわかりました。2009年あたりからSanofiがDNDiという国際的なNPO団体と臨床枠組みを作り検討を進めていた(文献10)ようで、苦節15年近くかかって実現した貴重な薬であるといえましょう。ちなみにどういう効果レベルかだったかというとプラセボ群に対し、低用量・高容量投与群いずれも、量的PCRに基づいた虫体検出量が長期罹患者においても検出限界以下まで劇的に下がった、というものです(下図・(文献11))。

フェキシニダゾール分子構造 ニフルチモックスとベンズニダゾールを足して2で割ったような構造
臨床につなげられたのはDNDiという国際的な非営利医療団体のおかげ
このほかにも類似構造でパイプラインがあるらしく、楽しみな状況

もはや説明するまでもないレベルの効果をたたき出した代表図 (文献11)より引用
赤色で書かれたプラセボ群に対し、どの投与量(1200-1800mg/day)でも1週間程度で
虫体検出量が劇的(検出限界以下)に下がって戻ることがない

このフェキニシダゾールはもともとシャーガス病の兄弟病であるアフリカ睡眠病の原虫(bruzi)に対する駆除薬としてSanofi-DNDiの間で開発されていたもの(2018年にアフリカ睡眠病の薬としてFDA承認)でしたから効くのは当然と言えば当然なのですが、特に長期罹患者である大人および高齢の患者に対しても効果があったことは従来のどの薬も達成できなかったことであり、これまで苦しんでいた方々が救われる可能性があるという大きな朗報と言えるでしょう。ただ、分子構造からはあまり想像できなかったのですが投薬直後の副作用として不眠、不安症、抑うつ状態になった患者さんがかなりいたようです。実際はそれらを抑える薬を一緒に飲みながら対応することになるでしょうが、ニフルチモックスのそれに比べればだいぶマシなレベルではないかなという印象を受けますが、そうした作用機序についてはまだ議論はこれからの模様ですので色々な方々のご意見を待つことにしましょう。いずれにせよシャーガスの発見から今まで100年以上にわたり約数千万人とも言われる苦しんできた難病に光が見えた瞬間とも言え、個人的には歴史的な転換期であると勝手に興奮している次第です。

補記:現在のシャーガス病の動向、シャーガスのその後と、ノーベル賞候補者としてのあれこれ

・・・で、ここまでサシガメとかを悪玉の中心に書いてきて気づいたのですが、実は2006年にシャーガスが果たした以来の大きな発見が成されます(文献12)。それは、

「実は現在(2006年以降)では、サシガメに直接刺されて発生する感染者の数よりも、トリパノソーマに汚染された果物などを食べて発生する感染者の数の方が圧倒的に大きいもよう」

という重要な事実。この(文献12)は、患者数減衰期にあった2000年前後のブラジルで特定の地域の178人に急性シャーガス病が特定期間(9月-10月)に発生したことに疑問を持ったブラジル保健省スタッフが現地に赴き、追跡が出来る11人について詳細に調べたところ全員がサシガメに刺された経験が全くないことを明らかにしたうえで、11人のうちの半数が共通の生アサイージュース、生アサイーペーストを食していた(それ以外も熱帯フルーツ等を生で食していたなどがわかっている)ことから科学的に原因を特定したものです(下図)。

(文献12)より引用 発生原因のアサイーの実、集団発生した地域、
トレースが可能だった11人のうち共通の食事をとった人の発症時期を示すデータ

しかしながら、この感染の理由としてはやっぱりサシガメでした。つまり、例のサシガメはこの実にも這い寄るらしく(果実類をなぜか夜間にライトを照らし収穫するため、その光に寄ってきてしまうらしい)、果実が十分に洗浄されずにサシガメごと削られてジュースになりそれを処理されないままヒトが食べてしまうと内臓経由で高確率でトリパノソーマに感染する、ということがこの研究で科学的に明らかになったのです。ちなみに冷蔵(冷凍含む)すると一気に感染率が1/10程度に下がるようなので万一汚染された場合でもちゃんと管理すればいいということでもあるでしょう。こうした現象は1970年前後からすでに指摘されていましたが、この時まで科学的に示すのが難しかったようです。おそらく大規模に発生しないとわからなかったのと、発症までの期間がそれなりに長いので追跡できるケースがほとんど無かったからと推定されます。

なおここではアサイーが主犯でしたが、他の生の果実や同様にサトウキビも注意しなくてはいけない農作物に入ります(文献13)。もちろん最近日本のオサレスーパーなどで比較的頻繁に見かけるアサイー食品類は洗浄、熱処理のプロセスを踏んでいるようなのでまぁ問題はないでしょうが…大丈夫ではあるのは感覚的にはわかりますが正直ちょっと気になってしまいますね。現在ではブラジルでもかなり注意喚起がなされているようですが現地に行ってナマモノを食するのは出来るだけ控えるべきでしょう。

あと、昔は感染者の60%以上がサシガメ経由だったらしいのに、現状(~2016年以降あたり)では(文献13)によると経口感染が全体の70%!!! サシガメ経由などは実は全体の7%!!!。その他は母子感染、血液感染がごくまれ(~2%)などを含みますが大半(20%)は感染経路不明という。。。このことは今回初めて知った次第です。また感染者も昔はそれは多くいましたが、現在では10年累計で新規感染者が1000人に至るか、という程度まで抑制されてきていましてペースは鈍化しているといえましょう。これもやはりシャーガス博士が見抜いたように媒介者を遠ざけ、殺虫剤を適正に使い、ベンズニダゾールなどが出てきてからは急性期に投薬が出来るようなしくみが出来上がったからなのでしょう。ブラジルも国全体で1980年あたりから本腰を入れて感染者抑制をしていた効果も大きかったと思います。これに上記のフェキシニゾールなどを有効に使っていけばきっとより効果的に抑制していけることになるでしょう。

で、話をそのシャーガス博士に戻して。

彼はシャーガス病の原因と感染経路を科学的に証明するのに発見後も尽力し、またマラリア防除を含めた衛生科学を中心とした研究を続けていたものの、残念ながら55歳で心不全により亡くなります。ただシャーガス病の原因を突き止めたその貢献で、生前少なくとも2回、ブラジル初のノーベル賞候補に挙がります。そりゃそうですよね、寄生虫症という存在自体がまだまだ疑問視されていた当時から具体的かつ多大な医学的・科学的貢献とその対策による被害の抑制という成果を出し、常に現場に立って仕事をし続けていたのですから。

しかし、結局受賞には至りませんでした。ちょっと古い文献を探ると、彼に対し相当なやっかみや国内からの妨害行為があった旨の記載があったりしますがどうもそうではなく、諸々の文献((文献14, 15, 16)などを総合すると

1.「ノーベル賞委員会がシャーガスの発見や貢献の重要性を低く見積もっていた可能性が非常に高いが、詳細な理由はわからん」

2.「国内で反駁する勢力があったのは事実だが賛同者も数多くいて、それが理由ではない」

というのが本当のところのようです。1925年にアインシュタインが彼に会いに来たり1921年の時点で推薦文が書かれたりしていたことから候補として挙がっていたのは間違いないのですが、選考に漏れた理由はノーベル賞委員会の人選に端を発する(特に委員長が…)事情もあったらしく、その理由は一つではなかったのでしょう。

しかしながら、ほぼほぼアフリカ睡眠病の原因を発見(特定ではない)したデーヴィット・ブルースが諸々の貢献も含めてですが20回以上も受賞候補に挙がっていたのと比べると、ちょっと扱いが酷過ぎやしないか、という気もします。とかくシャーガスが受賞しなかった事に関わるブラジルからの論文類はかなり感情的なものが多く(1960年~2000年のあたりのものが特に)非常に読みにくかったためそうしたバイアスを筆者から除去するのにだいぶ時間がかかりましたが、エビデンスに基づき比較的冷静に記述していた(文献15,16)による上記の2点が現状の結論としては妥当である印象を受けます。

1925年にアインシュタインがブラジルへ旅行した際の写真
中央左側がシャーガス本人 Wikipediaより引用

なお今回は具体的なブラジル国内での議論については割愛しますが、妨害とまでは言いませんが面倒な連中はいたようでした。そもそもシャーガス本人の息子達、Cruzi、盟友Clementino FragaやSalvador Mazzaらの20年以上にわたる協力や援護なしには彼の成果は医学会、薬学会に正しく認知されなかった、という状況で、直接の原因ではないにせよ落選の足を引っ張った一因となったことは否定できないでしょう。とは言え彼の主張、成果を信じる盟友や息子たちに恵まれブラジルの薬学会で中心的な人物として活躍しながら人生を全うしたわけですから、その点では幸せな人であったのではなかろうかとも思う次第です。

Chagasの重要な協力者たち
Clementino Fragaは大学教授, Mazzaは研究所員, 息子さんたちは医師としてChagas本人を支えた

なお何回か書いていますがノーベル賞は基本的に・歴史的に推薦制であり、委員会が色々な方針をもとに受賞者を決めるのですがその推薦の強さは歴代受賞者によるものの比率が多いと言われています。つまり受賞には(フレデリック・サンガーやフリッツ・ハーバー、カール・ボッシュのような特異点を除けば)人間関係や人の間の好き好きなど、ご本人の業績と関係ない要素が関わり得るということが、過去の様々なケースを調べてみると推定されます。そりゃ推薦の俎上に上ってる時点でどなたも比類なき超一流なのですが、こと受賞云々となると上記の人間的な要素を無視することは出来んでしょう。特に一昨々年くらいの人選については筆者も少々書き加えたいことがありますように、シャーガスの場合も当時オーストリアの研究者から色々悪口を言われたりしていたようで。いますよね、老齢になってもなお自身の見解と違うことに対しキレ気味につっかかってくるようなお歴々。

結局、何人とか何国とかいう変なくくりはあんまり関係が無く、どこにでもいい奴とひどい奴、優秀な人とそうでもない人、運のいい人と悪い人がいるので色眼鏡で見るのはやめましょう、受賞しようがしまいがその方々の業績が左右されることは決してない、が結言になるかと。Chagasの凛とした立派さやブラジルへの貢献の度合いを見ていると強くそう思いました。いずれにせよ「諸行無常」で、栄光も没落も能力差もお釈迦様の掌の上では同じ現象なのですから、怠ることなく日々精進していくしかない次第です。

それでは今回はこんなところで。

参考文献

1. “Trypanosoma cruzi and Chagas disease Medical Parasitology” , February 23, 2012 Silvia N.J. Moreno (リンクlost)

2. “Heart Transplantation for Chagas Cardiomyopathy”, International Journal of Cardiovascular Sciences. 2020; 33(6):697-704, リンク

3. “Advanced Therapies for Ventricular Arrhythmias in Patients With Chagasic Cardiomyopathy”, JOURNAL OF THE AMERICAN COLLEGE OF CARD IOLOGY VOL.77, NO.9, 2021, リンク 

4.  “Carlos Chagas and the discovery of Chagas’ disease (American trypanosomiasis).”, J R Soc Med. 1981 Jun; 74(6): 451–455., リンク 

5. “”Prophet in His OwnCountry” Carlos Chagas and the Nobel Prize”, Perspectives in Biology and Medicine, Volume 46, Number 4, Autumn2003, pp. 532-549 リンク

6. “Current trends in the pharmacological management of Chagas disease”, International Journal for Parasitology: Drugs and Drug Resistance, Volume 12, April 2020, Pages 7-17,  リンク

7. “Challenges in the chemotherapy of Chagas disease: Looking for possibilities related to the differences and similarities between the parasite and host”, World J Biol Chem 2017 February 26; 8(1): 57-80, リンク 

8. “Nitro drugs for the treatment of trypanosomatid diseases: past,present, and future prospects”, Trends in Parasitology, June 2014, Vol. 30, No. 6 289, リンク 

9. “ミトコンドリア呼吸鎖複合体 II を標的とした寄生虫薬の開発” 東京大学大学院 博士論文 二橋望(北 潔 研究室) 2012年度

10. “Development and Introduction of Fexinidazole into the Global Human African Trypanosomiasis Program”, Am. J. Trop. Med. Hyg., 106 (Suppl 5), 2022, pp. 61–66 リンク

11. “A Phase 2, Randomized, Multicenter, Placebo-Controlled, Proof-of-Concept Trial of Oral Fexinidazole in Adults With Chronic Indeterminate Chagas Disease”, Clinical Infectious Diseases, Volume 76, Issue 3, 1 February 2023, Pages e1186–e1194, リンク

12. “Oral Transmission of Chagas Disease by Consumption of Açaí Palm Fruit, Brazil” Emerging Infectious Diseases, Vol. 15, No. 4, April 2009, リンク

13. “ブラジル在住者のための感染症対策” 2016年10月29日 在ブラジル日本国大使館医務官 名取志保博士 発表資料 リンク

14. “Carlos Chagas, um cientista do Brasil = Carlos Chagas, scientist of Brazil”, Chapter 6, A polêmica The controversy, リンク
15. “When a misperception favors a tragedy: Carlos Chagas and the Nobel Prize of 1921”, International Journal of Cardiology 169 (2013) 327–330, リンク 

16. “The Non-Award of the Nobel Prize of 1921 to Carlos Chagas: A Tragic Mistake”, Bestetti, J Infect Dis Ther 2015, 3:3, リンク 

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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  9. 第七回ケムステVプレミアレクチャー「触媒との『掛け算』で研究者を育て、組織を面白く、強くする」
  10. 金属錯体化学を使って神経伝達物質受容体を選択的に活性化する

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