第542回のスポットライトリサーチは、東京工業大学物質理工学院応用化学系 田中健研究室の野上 純太郎(のがみ じゅんたろう)さんにお願いしました。
田中研では、遷移金属触媒または外部刺激(光など)によって促進される新反応の開発、およびそれらを可能にする配位子と試薬の合理的な選択と設計を研究テーマとしています。本プレスリリースの研究内容は、メビウスの輪のような複雑なトポロジーを持つ環状のπ共役分子についてです。本研究グループでは、3次元π共役分子の中でも合成が困難とされる、メビウス型芳香族ベルトの不斉合成や、巨大なアーチ型芳香族ベルトの合成を達成しました
この研究成果は、「Nature Synthesis」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Catalytic stereoselective synthesis of doubly, triply and quadruply twisted aromatic belts
Juntaro Nogami, Daisuke Hashizume*, Yuki Nagashima, Kazunori Miyamoto, Masanobu Uchiyama, and Ken Tanaka*
Nat. Synth (2023)
指導教員である田中健 教授より野上さんについてコメントを頂戴いたしました!
野上純太郎くんは、驚異的な学業成績で学部を卒業しただけでなく、研究においても継続的に卓越した成果を上げてくれました。また、野上くんは貪欲かつ短時間に新しい知識や技術を習得していき、実験のみならず結晶構造解析や計算化学などもあっという間に身につけていきました。学部時代に気象予報士の資格を取得したそうなのですが、この資格は合成・構造の予報にも活かされており、緻密にデザインされた独創的な野上くんの分子構造と合成ルートは、高い確率でヒットし、今回の成果を含む多くの優れた論文発表に繋がりました。博士修了後はアカデミックの研究者を目指しており、さらに研鑽を積んでさらなる武器を身につけ、大きく羽ばたいて欲しいと切に願っております。私は指導教員ながら、野上くんに何かを教えたというよりも、最近は教えてもらう方がはるかに多いです(笑)。今後もさまざまな未踏構造にチャレンジし、自らのデザインでそれを具現化していくことを大いに期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
環状ツイスト分子は、DNAやペプチドなど自然界にも広く存在し、その独特なトポロジーや芳香族性、キロプティカル特性に興味がもたれています。我々の研究グループでも2019年に、芳香族ベルトとして初となるメビウス型[10]シクロパラフェニレンの合成を報告しました。一般に、ツイスト芳香族ベルトの合成では、芳香環パーツを「ねじり」ながら環状に「曲げ」なければならないため、強烈な分子歪みが問題となります。ねじれが大きくなると歪みも指数関数的に増大するため、従来では360度を超えるようなツイストの合成法がなく、大きなねじれがどのようなトポロジーをもたらすのかは未解明でした。また、右巻き/左巻きのツイスト方向を制御した不斉合成法もほとんど確立しておらず、キラル物性の解明に向けた課題となっていました。
そこで今回私たちは、直線形と馬蹄形の芳香環パーツを組み合わせた新たな分子設計を立案し(図1A)、複数のねじれを持つ芳香族ベルトの触媒的不斉合成を初めて達成しました(図1B-D)。この分子設計では、直線形の芳香環パーツがねじれの構築を担います。ロジウム触媒を用いた分子内[2+2+2]付加環化反応によって芳香環を構築する際、n個の直線形パーツが半回転ねじれないと反応が進行しないため、最大で(180×n)度のねじれが生まれます。一方で、馬蹄形パーツは分子歪みを緩和し、反応中におけるねじれの巻き戻りを抑制するストッパーの役割を担っています。このようなハイブリッドな分子設計によって、歪みを抑えながら複数のねじれを構築するという、従来では両立不可能な課題を解決することができました。最もねじれ量の大きな(M,M,M)-三重ツイストメビウスベルト(図1C左)は540度に相当するねじれを持ち、これは現時点でのワールドレコードとなっています。また、ねじれの方向はキラルなロジウム触媒によって速度論的に制御され、最大でer = 98:2という完璧に近い鏡像体比を達成しました(図1A)。単結晶X線構造解析では、表裏の区別がないメビウス構造や巨大なアーチ型構造などが明らかになり(図2)、ねじれの量と方向に応じた多彩な3次元構造を示すことに成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究では馬蹄形パーツの探索に試行錯誤を重ねました。候補となる骨格を事前にいくつか絞り込み合成をスタートしたのですが、いざ始めるとロジウム触媒による最終工程にたどり着くどころか、環状ポリイン前駆体すら合成できない状況に長く苦しめられました。そこからはDFT計算によって歪みエネルギーや反応中間体の安定性などを入念に調べ、成功確度の高そうなデザインに焦点を当てて合成検討を行いました。試行錯誤の末、背水の陣で選んだ基質が奇跡的にヒットし、今回の成果につながっています。第一関門のエーテル化ではそれまで得られてこなかった4量体まで単離できたばかりか、第二の関門となるロジウム触媒反応もすべての環サイズで進行したことには驚きました。思い返してみると、この分子設計ならうまくいくはずだという信念や愛着があったからこそ、失敗続きでもあきらめずに粘り勝ちできたように思います。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
構造決定に多大な時間と労力を割きました(図2)。今回の分子は非常に対称性の高い美しい構造を持ちますが、それゆえにNMRではシグナルが極端に少なく、複数の異性体の候補の中から構造を絞り切ることができませんでした。こうなると構造決定は単結晶X線構造解析をするほかなく、様々な溶媒系や結晶化法を検討した結果、半年ほどかかってやっときれいな単結晶を得ることに成功しました。しかし一難去ったらまた一難…いざ測定にかけようとすると結晶の風解性に悩まされることとなりました。特に分子内空隙の大きな4重ツイストベルトの単結晶は、母液から出すとすぐに亀裂が入って粉々に爆散するため、マウントまでのハンドリングが極めて難航しました。東大の宮本先生、内山先生や理研の橋爪先生に測定をしていただき、1年以上の格闘の末に2重、3重、4重ツイストすべての構造を確定することができました。4重ツイストベルトの巨大なアーチ型構造は研究計画時点で全く想定していない構造でしたので、環状ツイスト分子の構造多様性に大変驚かされました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
今回の研究を通して、緻密に描いた分子設計が狙い通り実現できた喜びこそ、自分の研究の原動力だと実感しました。もちろん合成にたどり着くまでは予想外の結果に四苦八苦でしたが、それも有機合成化学の醍醐味ではないかと思っています。そのつど仮説を棄却、修正しながら泥臭く実験を重ね、新奇分子を手中に収める達成感をいつまでも味わいたいと思っています。これからも未踏分子の合成に挑戦し続け、世界を驚嘆させる分子で化学に貢献できたらと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。本論文掲載の同日、同雑誌にシンガポール国立大のJishan Wu教授、東大磯部教授らの共同研究グループからも3重ねじれのカーボンナノベルトが掲載されています。両先生とも私が学部4年生で研究を始めてからずっと憧れの研究者でしたので、今回、ねじれのワールドレコードを分かち合えたことは大変光栄に思っております。
最後になりますが、本研究の遂行にあたって計画から合成、論文作成まで多大なご指導を賜りました田中健先生、永島佑貴先生、榧木啓人先生、そして単結晶X線構造解析でお力添えいただきました共同研究者の橋爪大輔先生、宮本和範先生、内山真伸先生に、この場を借りて深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:野上 純太郎(のがみ じゅんたろう)
所属:東京工業大学物質理工学院応用化学系 田中健研究室 博士後期課程3年
研究テーマ:キラルな環状π共役分子の触媒的不斉合成
略歴:
2019年3月 東京工業大学化学工学科応用化学コース 卒業
2021年3月 東京工業大学物質理工学院応用化学系 前期博士課程 修了
2021年4月~現在 東京工業大学物質理工学院応用化学系 博士後期課程
2021年4月~現在 日本学術振興会特別研究員(DC1)
関連リンク
- 複数のねじれを持つ芳香族ベルト分子の合成に成功ーメビウス型や巨大なアーチ型の3次元分子構造の解明ー:東工大プレスリリース
- Catalytic stereoselective synthesis of doubly, triply and quadruply twisted aromatic belts:原著論文
- 2次元分子の芳香族性を壊して、ホウ素やケイ素を含む3次元分子を作る
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